「栗林忠道 硫黄島からの手紙」
「栗林忠道 硫黄島からの手紙」(栗林忠道、解説:半藤一利、2006年8月、文藝春秋社)を読みました。
映画で見た時には、その凄惨な戦争絵巻ぶりに少々辟易した、というのが正直なところだったのですが、実際に栗林中将が書かれた手紙の数々に触れ、心が揺さぶられました。
「人間は生死の関頭に立てば、矢張り一家の事が一番気にかかる事がはっきりします。」(7月6日)として、東京に残してきた妻、子どもたちに宛てて書き連ねた41通の書簡は、着任の約2週間後の昭和19年6月25日から、米軍上陸の約2週間前、昭和20年2月3日までの日付となっています。
着任の段階でこの島での死を覚悟していた中将が、劣悪な生活条件の中、米軍の爆撃に耐えながら、達者に生活している、と書き送っている手紙の数々には、消息という言葉の重さを感じます。また、図解入りで東京の家の床板のすきま風を防ぐ方法を書いた手紙、17歳の長女、11歳の次女の手紙の字の間違いを正す手紙、20歳になった長男に誕生日を祝いつつ精神力の修養に努めよと厳しく訓示する手紙からは、家族への深い情愛を感じます。そして、妻に宛てて「何としても東京だけは爆撃させたくないものだと思う次第です。」(9月12日)と書いた手紙には、激戦の最前線から日本を思う気持ちが痛いぐらい伝わってきます。
「遺骨は帰らぬだろうから、墓地についての問題はほんとの後まわしでよいです。もし霊魂があるとしたら御身はじめ子供達の身辺に宿るのだから、居宅に祭って呉れれば十分です(それに靖国神社もあるのだから)。」(1月21日、妻宛)と書いた手紙。この部分を塗りつぶしたという奥様の気持ちは察してあまりあります。「それに・・・」と括弧書きで付け加えた時、中将はおそらく、自分自身でも折り合いを付けることができずにいる運命を見据えていたのだろう、と思います。そして、自分以上に折り合いを付けることができないであろう妻を深く思いやって、この言葉を付け加えたのだろうと思います。
2月3日の手紙を読み終えてページをめくったら、淡々と解説が始まっているのに気づきました。その瞬間、運命の暴力を感じ、ぞっとしました。
こんな日本人がいた。同じ国籍を持つものとして誇らしく思います。そして、栗林中将以下、硫黄島で亡くなった兵士の皆様の御冥福を、改めてお祈りします。
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