帰国しました
4年2ヶ月3週間、1544日のフランス生活を終え、無事日本に帰着しました。
早速床屋さんに行き、気持ちの入替を済ませ、明日からの仕事に備えました。
そして早くも、土曜日早朝の東京湾が楽しみです。
4年2ヶ月3週間、1544日のフランス生活を終え、無事日本に帰着しました。
早速床屋さんに行き、気持ちの入替を済ませ、明日からの仕事に備えました。
そして早くも、土曜日早朝の東京湾が楽しみです。
今次パリ生活最後の土曜日は、10時に会社の人が昨日のカーペット事件の様子を見に来てくれるのを迎えるため、旧我が家に向かうところから始まりました。会社の人もさすがに驚いた様子であり、早急に対処する旨、約束してくれました。その後、ORANGEにADSLモデムを返却。待てど暮らせどレターが届かないことから、サーヴィス・センターに連絡したところ、それならそのまま持ち込んだら良い、と言われ、それを行ったところ、珍しくあっさりと受け取ってくれました。引き続き職場に向かい、最後の片付けを行いながら、途中、ブックオフに行き、不要書籍を持ち込んだところ、60数冊を約50ユーロで買い取ってくれました。これは結構ありがたかったです。
そして、今夜は生涯絶対に忘れることのないであろう夕食会を21時から。フランス学士院会員の方とのプライヴェートな食事をSHUで敢行させていただきました。お受けいただけた時には汗がにじんでくるようなうれしさを感じたものです。モエ・エ・シャンドンのシャンパンの後は、御好意に甘え、森伊蔵を持ち込ませていただきました。4人で焼酎1本をあけながら、23時半過ぎまでの食事。モンブランのこと、フランスの大学のこと、ワインのこと、グルメのこと、おいしいレストランのこと、政治のこと、いろんな会話を楽しみつつ、言葉に言い表せないような喜びを味わうことができました。レストランの方も、その雰囲気も味もサーヴィスも、大変喜んでいただけた様子であり、嬉しかったです。徒歩10分程度の御自宅前までお送りしてお別れ。またパリで、日本で、次回は約束がある再会となりそうです。
明日はブローニュ・ラストランと、最後のパリを楽しむ予定です。
朝9時30分に後任が物置部屋に荷物を運び込み。管理人さんに紹介するとともに、記念撮影をしてもらいました。同時に清掃会社の2人組がやってきて、掃除が開始されました。こちらも手際がよく、みるみる各部屋がきれいになっていきます。ドアの「さん」なども緻密に綺麗にしてくれ、ありがたい限り。また、特に、水回りが綺麗になった様子には感心しました。その間、10キロ分の荷物を郵便局から郵送することに。120ユーロ近く取られましたが、飛行機で超過料金を出すよりは安く済みます。南京錠が必要、と言われ、郵便局の隣の雑貨屋へ。夏休み中の子どもたちが腕の骨を折ったお父さんの手伝いをしていました。かわいかったです。窓ガラスの掃除の際に外されたレースのカーテンを次々に洗濯。さあこれで気持ちよく18時のエタ・デ・リューを迎えることができそうだ。そんなことを思いながら、カーペット・クリーニングが行われている様子を見ていたのですが、これが悲劇の原因になるとは思ってもみませんでした。
10時頃から始まった作業は12時45分には終了。書類にサインをして彼らを送り出します。そして戻ってみたところ、カーペットはすっかり洗浄液で湿っている。30分ほどで乾く、と言われていたことも受け、とりあえず一旦職場に行くことに。ケバブ屋で最後のテイクアウトをし、職場でそれを食べながらメールをチェック。挨拶状への返事が少しずつ届きはじめています。14時30分過ぎには再び職場を出て家へ。カーペットは少し乾きつつある、といった状況。物置部屋で、空港から職場に送るものはスーツケース(中)に、スーツケース(大)には靴を、ダッフル・バッグには服を、ガーメントバッグにはスーツを3着、といった感じで振り分けをしていった結果、ちょうど120キロで収まることとなりました。やれやれ、よかった。うん、お土産が入らないぞ。まあ仕方ありません。
と思いつつ、カーペットを眺めやったところ、異変が。なんだかムラになっている。乾いているところと湿っているところの境に黒いシミのようなものが浮かび上がり、それが固定化されていく。18時過ぎに後任が着いた時には、その様子がさらに進展していたことから、さすがに会社に連絡をしました。そんな最中、18時45分過ぎに大家さんが到着。エタ・デ・リューと新規の契約です。大家さんもさすがにカーペットの様子には驚いていましたが、それは会社の方で何とかしてくれることだろう、と、あまりこだわられなかったのは、やっぱりカーペットが大家さんの持ち物でないからなのでしょう。そのうち、会社から連絡があり、明日、見に来てくれることになりました。原状回復が行われることを期待したいと思います。契約も終わり、エタ・デ・リューも終わり、窓の外枠の塗料がはがれているのが修復されることになり、さらには食洗機も付けてもらえることになりました。大いに感謝しつつ、大家さんと写真を撮りお別れ。鍵を返し、部屋を出る時には、さすがに感慨深いものがありました。
後任と二人で最後のCercle du 17eでの夕食へ。何だか解放感に満たされました。持ち込んだジュラのヴァン・ジョーヌがフォアグラのポワレとあんなにも合うものだったとは。その後、シェフも合流してDADAでビールで乾杯。最後の金曜日を存分に楽しみ、今夜からホテル住まい。到着の時と同じホテルに4年2ヶ月の時を経て再び宿泊です。
朝9時前、業者さんから電話がありました。その前、7時過ぎには起き出して、台所の食器類をひとまとめにしたり、物置部屋の荷物で持ち帰るものをひとまとめにしたりしておいたおかげで、ここにあるものを全部、といったお願いをすることができました。9時には3人のフランス人がやってきて、手際よく段ボールに荷物が詰められていきます。そのスピードと集中力には感心します。12時に昼食に出かけていった彼らを見送り、職場へ向かい、Finziでの送別・歓迎昼食会。ありがたいことです。14時45分頃、家に戻ったところ、そこはもぬけの殻。積まれていた段ボールたちもあっという間に運び出されてしまっており、その手際の良さには驚きました。さて、残った荷物をスーツケース等に詰め込み、一応の形を付けた上で、夕食会。パリに来る出張者の人たちがお世話になったフランスの方々をSHUでおもてなし。そして、障害を持つ子どもの教育等に関し、新たな知識を得ることもできました。写真集を2冊、プレゼントいただいたのも嬉しかったです。うち一人は9月に日本に来られる、とのことであり、その折の再会を約束しました。これで仕事関係の会食はすべて終了です。人脈・仕事にまつわる情報・レストランの引き継ぎができました。大変ではありましたが、実りはあったのではないか、と自負しています。
機内預けの荷物の重量を体重計でこつこつと量っていったところ、130キロ近くになっていました。減量しなければ。。。
昼は剣道八段の方との食事会をLa Table de Joel Robuchonで。剣道パリ大会のアトラクションが大変個人的なつながりで実現されていることを知りました。夜は日本語の先生方との食事会をLe Petit Troquetで。いろんな思い出話や今後の連携の進め方につき引き継ぎも兼ねたような会話を楽しむことができました。
いよいよ明日は引っ越し。帰ってきてから3時近くまでゴミ出しをしました。その量たるや驚くべきです。
朝の会議で離任の挨拶。1543個の○をつけても、A4一枚で収まってしまうのですから、長いように思えて短く、他方で一つ一つの○の中に籠もっている仕事の数や思いのことを考えると、よくここまでやってきたなぁ、と思ったりもします。
昼は社会科学高等研究院関係者との昼食会を麻布で。ある計画の今後の進め方について詰めた打ち合わせを兼ねた会食となりました。午後はとにかく机の整理を行い、ゴミを出し、夜は大変お世話になった国民教育省の人たちとの会食。夏風邪で時々咳き込んでしまったのが申し訳なかったのですが、ほぼ3年の間ずっとお世話になった人と過去2年にわたってお世話になった人にささやかなお礼の気持ちを表しつつ、今後、フランスにおける日本語教育の振興を図っていくために必要なことなどにつき示唆をもらうことができました。いきなりこれだけの情報が与えられてしまう後任も、少々気の毒になったりしますが、まあこれも仕事です。そんな会食の途中に、少林寺拳法の師範からお電話をいただいたりもして、挨拶状に手書きのメッセージで込めた思いが伝わったようで、嬉しかったです。食事を終えて皆で6番線でエトワール駅まで来て、お別れの際、フランス風にお二人と抱擁して別れました。またすぐ会えそうな気がしつつも、これで一区切り、お別れです。
朝10時から去る人来る人の挨拶のための部内会議、その後事務打ち合わせの会議があり、昼は出張者の方々をお迎えしての会食をTante Marguritteで。その後、社会科学高等研究院に行って約1時間の打ち合わせの後、職場に戻ってきて再び事務。夜は職場の同僚の御自宅にお招きを頂いての送別会で、結局26時に帰宅しました。喉の痛みが本格化して来ています。夏風邪にすっかりやられてしまいました。早く治さないと。。。
朝6時過ぎには目が覚めてしまい、片付けを行い、8時過ぎにさすがに眠った方がいいだろう、と再び横になる。が、10時過ぎには目が覚め、台所の掃除。最後に残っていたレトルト・カレーで昼食とし、13時30分にピラミッドで後任と合流、ジャパン・エキスポへ。駐車場からはシャトル・バスで会場まで行かなければならなくなっていてビックリ。会場の規模は一昨年と同じでしたが、Ki-oonのブースは随分立派になっていましたし、その他、細々した雑貨を販売するスタンドの数が増えたような印象を受けました。人の数も一昨年に比較すると多いような印象を受けます。日本のマンガ・アニメを好きでいてくれること自体は有り難いことなのですが、その感情が日本という国や日本人に対するプラスの感情にまで昇華する可能性がどの程度あるのか。単なる消費者ではない段階に彼らが至ってくれるのかどうか。要するに彼らが「親日家」としてフランスにおいて正しい日本のイメージを伝達し、誤ったイメージを払拭してくれるような人材となってくれるのか、あるいは、日本を支持してくれる存在となってくれるのか。いろいろなことを考えました。
その後パリに帰ってきて自宅で一寝入り、夕方、ヴァカンスに出発する人たちでごった返すリヨン駅に行き、出張者の方をお迎えし、ホテルに一旦お送りした後、ラ・フォンテーヌ・ド・マルスで他の出張者の方々を交えての夕食会。先日、オバマ大統領が食事をした、という部屋で8名の会食となりました。ウェイターの動きが少し鈍く、20時30分からの夕食会が終わったのが23時過ぎ。帰ってきてから、再び片付けです。
出発まであと9日となりました。
朝、ウェストンに行き、修理に出していた靴を引き取ると同時にいくつかの靴を購入。その後、フランス・テレコムで電話の解約手続きを行い、インターネットの方は電話で問い合わせをしたところ、機械の返還手続きをどのようにしたらよいかの手紙を送った、とのこと。それを待つこととして、一旦職場に行き、明日、パリに到着される出張者の方のための資料を整え、12時からVilla Punjabにて食事。シシケバブ等と一緒に食べると美味しかった漬け物のようなものは、アチャーレといい、マンゴーと唐辛子とニンニクで出来ているのだとか。日本でも購入できる、と言ってましたが、本当かなぁ。このお店にもお別れを告げました。
午後はリセ・アンテルナショナル・サン・ジェルマン・アン・レの卒業式へ。とうとう5回目の卒業式参加です。相変わらず、全体会のお祭り騒ぎ振りは楽しく、例によってスウェーデンがダンシング・クイーンを入場の音楽に使えば、アメリカはビリー・ジーンで張り合っていました。ドイツに「Mention Très Bien」が多かったのが印象的。校長先生が自分の出した「長い」挨拶状を読んでいてくださったようで、これまで以上に親しみを込めて挨拶を受けてくださったのも嬉しかったです。前半だけで失礼し、一旦自宅に戻った後、洗車場へ。大変な混みようでしたが、おかげさまで車内に掃除機をかけ、スポンジでプラスチック部分を拭き、外側を高圧洗車することができました。すっきり気持ちよくなって帰ってきて、引っ越しに向けた作業を継続。そろそろ引っ越し荷物に入れるものと、飛行機で一緒に持ち帰ってくるものとを分別する必要があります。靴を大量に持ち帰ることになりそう。
そして、夜は日本から来ている友人と後任と3人で我が家の残存食料を片付ける夕食会。これが我が家で食べる最後の食事になるかも知れない、と思うと、なかなか感慨深いものがあります。
シュミーズで挟んだ書類を説明し、不要になったものから捨てていくという引き継ぎを午前と午後に。昼はジャン・ドゥ・ラ・フォンテーヌ校関係者との昼食会。REXに苦しめられた時のこと、これからのこと等々、しみじみと語り合う1時間半となりました。そして、夕方からパリ日本文化会館に行って、ジャパン・ポップカルチャー・フェスティヴァルなる催しに触れてきました。ラフォーレ原宿によるロリータ・ファッションなるファッションのショウが地下3階のホールを使って行われ、その後レセプションがある、というもの。最初、何故かチェロを弾きながらあやしい音程で歌う歌手が数曲を歌った後、ファッション・ショウが開催されたのですが、まあ、何というか。歩いているヨーロッパ人モデルの硬質な表情に違和感を覚えつつ、貼り付いたような笑顔(特に口元)を浮かべながら歩いている日本人モデル(後に「カワイイ大使」であったと判明)との違いに驚き。それにしても、地下3階ホールがいっぱいになったのを、昨年の武道演舞祭以来、久しぶりに目撃しました。他方で、ファッション・ショー時は5割ほどはいたように見えたフランス人がレセプションでは1割ほどに減ったのを見てびっくり。また、ロリータ・ファッションとやらで身を包む女性達が日仏ともに共通の特徴を有していて、要するに現実からの逃避であり遊離であるのではないか、などとつまらないことを考えました。それにしても、トークショーで「ラフォーレ原宿にはよく行かれますか」との質問が行われ、「マンガ・アニメ・原宿」が外国で頻繁に耳にする日本語だ、などといったプレゼンを聞くと、少々鼻白む感じもしました。「ポップカルチャー外交」ではあるのでしょうが。
背広を着てだらしなく鞄を横がけに下げ、右手にストラップからだらりと垂らしたデジカメをぶら下げていた人が居たのが気持ち悪かったです。
午前中に通常午後に行われている会議が入り、また、明日からのJAPAN EXPOに向け来仏された秋葉原の学校関係者と面会を行いました。午後は書類廃棄と各種論文の引き継ぎです。昼はスポーツくじ調査でお世話になった人とSushi Marchéで会食、夜はランナー仲間と修で私的会食。マラソンも折り返し地点を越えつつあります。
今日は新しい上司に対する説明の時間をもらいました。2時間の枠があったところ、1時間で切り上げとなり、詳細はまたそれぞれの案件が発生した時に説明を行う、ということで終了。説明の仕方を変えなければならないところが、なかなか大変ではありましたが、何とか無事終えることができました。
昼はフランス駐在歴20年の近い特派員の方との昼食会、夜は自分も主賓の一人となった歓送迎会をCercle du 17eで開いてもらいました。引き継ぎオペレーションも2週目です。
朝、BNPパリバで口座関係の諸手続を行った後、挨拶回り。昼はパリ政治学院の人とL'Epi Dupinで食事。日本語をお店で勉強したというギャルソンが、綺麗な日本語で話しかけてきてくれました。午後は2時間年休を取って先日、定期点検・修理に出した車を取りに行き、20時過ぎに帰宅。餃子を焼き、お腹を満たしてから、22時過ぎにNさんをピックアップ。今次滞在正真正銘最後のOV行です。
午前中は挨拶回り、昼を韓国料理のODORIで食べ、午後は日本に行くフランス人青年に対するオリエンテーション及び壮行会をパリ国際大学都市日本館で開催。これで大行事はすべて終了と相成りました。23時過ぎより、マダガスカルからやってきた友人とDADAでビールを。25時前、帰り際に、マイケル・ジャクソンの死をフランス人たちから聞かされました。。。
8時24分発のTGVでストラスブールに行き、フランス人学生に1時間、フランス語で日本のことを紹介した後、ストラスブール大学近くのレストラン、Au Renard Prêchant(34 rue de Zurich, 67000 Strasbourg, TEL:03 88 35 62 87)で昼食会。いかにもアルザス風の木組みに漆喰の建物の雰囲気もさることながら、料理が大変美味しかったです(ドイツのアイスヴァインのようなものを選択しました)。量は相当なもので、メイン一品でよい、という感じでしたが。
その後、プチット・フランス、大聖堂、クレベール広場を抜けて駅に向かい、18時半過ぎにパリ東駅に帰着。4番線でオデオンまで行き、教育書店の前を通ってカフェ・フロールで1時間、その後「円」での夕食会となりました。小林秀雄、岸田劉生、井原西鶴、定家、西行について、フランス人の先生方と日本語で話ができる幸せを噛み締めた一瞬でした。
ヴァレリーの「海辺の墓地」の「Le vent se lève」を「風立ちぬ」と訳したのは誤り(それであれば「Le vent s'est levé」)であって、堀辰雄は誤訳に基づきタイトルをつけたのかも、としつつ、その「風立ちぬ」をフランス語訳した先生は同書のタイトルを「Le vent se lève」とした、とのこと。最初の誤りに味わいを加えつつ真を作ってくれるのは歴史と人なのかも知れません。もうひとつ、小林秀雄が「西行」論を書いた時、西行の「地獄絵を見て」を紹介した部分は写本を見て書いていた、とのこと。活字にはなっていない時の産物だそうです。専門知の楽しさを垣間見たような気がし、ちょっと羨ましくも感じました。
明日は日本に仕事に行くフランス人青年に対する日本紹介と壮行会です。
朝、パリ郊外はクールボワにあるプジョーのアトリエ(修理工場)へ。道に迷ったあげく、2年前に通った光景の中を走った時に安心したのですが、通常左折できるところが封鎖されていたことから、ぐるっと遠回りをする羽目に。ただ、8時30分のランデヴーを10分ほどだけ遅れて到着。遅くとも木曜日の夕方には車はできている、と聞き、安心して凱旋門へ。
人生で初めて、パリの路上の公衆トイレのお世話になり、9時30分過ぎ、後任と職場前で落ち合い、挨拶回り。昼は食事会を「かんの」で。午後は明日のストラスブール出張の準備を整えつつ、15区の方及び7区の方へ挨拶回り。パリ日本文化会館の図書室や視聴覚室の充実振りには驚きました。
一旦帰ってきて、電気周りの故障を大家さんに修理してもらい、同時に後任を紹介。夜は「ひょうたん」にお世話になったことのお礼もいいがてら、こぢんまりと4人で会食。22時30分には終えて帰ってきました。明日はストラスブール日帰り出張に昼夜会食です。
資料をセットし、momonokiのマーボー茄子弁当を食べ、サルコジ大統領の「歴史的」演説をカーステレオで聴きながら、空港へ。後任を迎え、スージーで同僚3人で食事をして、帰ってきました。4年2ヶ月前のことがまざまざと蘇ってきました。残り21日のカウントダウンの始まりです。
Jour d'été(夏の日)となる今日は、28回目のFête de la musique(音楽祭り)の日。夕方、キリマンジャロで知り合ったフランス人の友達と松ちゃんに行ったのですが、行きしなにも帰りがけにもあちこちから音楽が響いてきていました。けっこう若者が待ちに繰り出していて、ちょっと物騒なものを感じたりします。夏の日だけあって、22時半頃にお店を出た時にもまだ明るいのが救いですが。
夕方、職場で引き継ぎ書類の最後の詰めを終えました。これで秘書さんに少し修正をしてもらえばマニュアルの完成です。こんな資料を作ることができたのも長期滞在の賜かもしれません。そういえば、明日でちょうど4年2ヶ月です。そして、明日、後任がパリに到着します。
できるところから少しずつ、家の掃除を開始しました。そんな最中、日本に帰られる方から携帯に挨拶の電話を頂いたりして恐縮すると同時に、言葉に詰まるぐらい嬉しかったです。機内預けにする荷物と引っ越しで送る荷物の仕分けも開始することに。ゴミがどんどん出ます。気持ちがよいです。
お昼は冷凍餃子を焼き、夜はSHUでシェフと。明日は音楽祭Fête de la musiqueです。
これで5回目となった面接が終了しました。フランス語でのやりとりについて行けなかった最初の頃のことが嘘のように、聞き取りができるようになっていました。鋭い突っ込みは高等師範学校やポリテクニックの先生にお任せして、自分の職分を果たす質問をすることができたのではないか、と自負しています。「自負」ができるようになってきたのもモンブラン効果かも知れません。
滑り込みの書簡についてもサインをもらうことができそうで、そんなボスが土日も仕事をしに行きそうだ、という情報に触れてしまうと、放っておくことはできません。2月に予約をしていた今週末のヴェネツィア旅行。飛行機代は返ってきませんがキャンセルして、仕事と引っ越し準備を行う予定です。
これで5回目となる、日本の大学院に留学を希望するフランス人学生さんたちの面接が始まりました。今日は社会科学と人文科学です。いろんなことに関心を持っている学生さんたちの存在に驚きつつも、「王道」があることを思います。それは、最終的には、フランスとの関わりを忘れない、ということでしょうか。
お昼はカレー・ヌードル、夜は赤いきつね。23時を過ぎてくると、帰国が近いことを感じます。ただ、午前様に慣れておけば、日本での生活への順化も早くなるのでしょう。モンブランはまことにたくさんのことを教えてくれました。
作らなければならないメモの量に押しつぶされそうになりながら、何とか今日のところまでは到達することができました。
お昼はよく行ったケバブ屋でのたぶん最後の昼食を同僚Nと一緒に。相変わらずたっぷりの量に、油がほどよく飛んだ羊肉、「サムライソース」とアリサソース、絶妙のオニオン・スライス。もう当分、この店のこれを食べることもないのだろうなぁ、でも、もし10年後に帰ってきたとしても、まだここでお店が続いているんだろうなぁ。また来よう。とりあえずのお別れです。
夜は昔一度だけ来たことがあり、そのときもそのポストの人の接待だった、Au Bon Accueilに久しぶりにやって来ました。にんじんとトウモロコシの冷たいスープ、ホロホロ鳥、ミルフォイユで、ソミュールの赤を1本、水2本、コーヒーで、全体で一人50ユーロ少々。コストパフォーマンスが高いです。23時前ではあっても紺色の空に浮かぶエッフェル塔が、アルマ橋を渡る時に煌めきました。
一つずつお別れを意識すると、一瞬一瞬を大切にする気持ちが生まれてくるから不思議です。「一期一会」という言葉の意味が少しわかってきたような気になっています。
さて、そろそろお尻に火がついてきました。尋常でない量の仕事にため息が出ますが、自分がこれだけやってできないのならば仕方がないのだろう、と思えるようになったのは、モンブラン効果かもしれません(?)。
今日は送別会。穏やかな太陽が斜めに射し込んでくる庭の芝生の上での語らいは、何を語らったかはわからずとも、その映像をいつまでも覚えていることができそうです。
その後、自分の送別会を開催していただきました。突然にオファーをいただいた送別会、そのお心遣いが本当にうれしく、ヴェリブで帰ってくる途中、街灯のオレンジ色がにじみました。1ヶ月を切ったことを実感します。
よほど水分が失われていたのか、昨晩、ビールを3本、500mlのソフトドリンクを1本半飲んだにもかかわらず、トイレで目覚めることは全くありませんでした。パリ・オーステルリッツ駅着が6時17分。土砂降りの雨が降る中、タクシーで自宅まで帰って6時40分。洗濯機を回しながらもう一寝入りし、9時前には起き出して職場へ。案の定、溜まった仕事に追われ、昼も夜もmomonokiのお弁当という一日となりました。それでも、モンブランに登って下りた翌日に普通に仕事をしているぞ、なんて、ナルシスティックな快感を覚えたりもして。
ただ確実に、何か一つ、自分の中で変わったものがあるような気がします。
朝、要処理メールを処理しつつ、11時からパリの関係機関での会議に出席、一旦職場に戻って要処理事項に追われつつ、昼はラ・フォンテーヌ校関係者との食事会、戻ってきて15時からは日本に行く高校生とその保護者の方に対するオリエンテーションを行い、17時を過ぎてやっと落ち着いて事務に取り組めるようになりました。途中、スージーで北京スープ麺で夕食とし、戻ってから23時過ぎまで。午前様にならなかったのが救いです。それにしてもまあ何というか。お祭りっぽくなってきました。
週末に溜まったメールの処理をしつつ、10時半からの会議を終え、11時半からは詰め物が再び取れてしまったことから歯医者さんへ。場所はそのままなのに前回、壁の塗り替えをしていると思っていたら、助手さんはそのままだったのですが、先生が替わっていました。先般の床屋さんといい、時の移り変わりを感じます。レジンを詰めてもらい、治療は一回で終了。ただ、「インレイをもう一度作って詰めるか。」と言った問いがあるなど、前の先生の対応になれた身からすると、提案がない治療には疲れます。
やはり日本に帰られる方に開催していただいた送別昼食会の際には、麻酔が効きすぎて口が半分動かなかったような状態だったのですが、それくらい効いている時が幸せだったというべきか。麻酔が切れ始めたら猛烈な痛さが走り始めて、痛み止めを飲む羽目に。
そして、そんな中、18時からは理工科学校に行って、日本語を勉強している生徒さんたちの実験材料になってきました。やはりマンガやテレビ・ゲーム(「Jeux Video」)が日本語学習のきっかけになっている様子であり、それ自体は良いことなのですが、やはりそこからの発展が欲しいところです。
職場に戻ってきてカレー・ヌードルで夕食とした後、24時過ぎまで仕事が続いたのですが、終わらない。。。久しぶりの午前様となりました。まあ、これが久しぶりなだけいいようなものですが、職場で一人だけ午前様、あとの人は19時過ぎには帰っている、という状況に直面すると、ちょっと不公平感を覚えたりもします。
いやいや。こんな状況なのは自分だけじゃないぞ。フランスでも、毎晩23時まで、一人で仕事している人もいるじゃないか。ノーブルになるためには果たさなければならない義務も多々ありそうです。いや、帰国命令が出た後に年休を取ってモンブランに行くような放蕩児には、果たさなければならない義務があるということなのでしょう。しばらく頑張ります。カップ・ラーメンもありますし。
本来、週末にはフランシュコンテ遠征を行い、聖地「グーモワ」の釣り宿に泊まりながら1泊2日で釣りすることを予定していたのですが、断念しました。仕事が殺到していることから、少し体力を保持しておきたい。五輪関連事務、人の交替関連事務、自然史博物館訪問関連事務、多数の未執筆レポート、そして何より自分の異動関連事務と、いろいろな事柄が積み重なってきており、体力的にちょっと無理なように思われました。向こうでは雨も降るようですし。
よって宿の方にお詫びをしつつキャンセルのメールを送り、終日、事務に追われました。昼休みに床屋さんを予約したのですが、日本人の従業員さんは辞めてしまった、とのこと。実際、行ってみたら、昔は入り口のガラスに貼られていた「JAPONAIS」も話しますという言葉が無くなっていました。時は移り変わっていきます。そして、Brûlerie des Ternesでコーヒーを買ったのも、もしかすると今次滞在時最後の機会になったのかも知れません。いや、おみやげとして買いに行こう。
夜は21時よりSHUで友人と食事。先に日本に帰っている共通の知り合いのことなども肴にしながら、美味しい串揚げをいただきました。明日はブローニュ・ジョグで一日を始める予定です。
朝9時から引っ越しの見積もり。11時15分に職場に到着し、25分に出発、高等教育・研究省で12時からの予定が30分も開始が遅れたペクレス大臣の説明を聞き、13時。自然史博物館に出かけ、庭で弁当男子となった後、14時から16時まで関係者との打ち合わせ。17時に職場に戻ってきた後、細々としたことどもを片付け、22時過ぎに職場を出ました。それにしても、なんだか帰国が近づくにつれて仕事が次から次へと降りかかってくるのをなんとかできないものか。マネージメントの不在は大きな問題になるおそれがあります。
それにしても、世界は狭いもの。スティーリーさんの後輩の方にお世話になることになりました。ボーズマン、おそるべし、というところかも知れません。
人間関係の引き継ぎを行うための各種アポや食事への招待といった作業で午前中が慌ただしく過ぎて行きました。お昼は10年以上前にパリ政治学院に留学していた際、同じコースに留学していた知り合いに招かれてLa Maison de l'Aubracへ。「2人前」ということで頼むことができるステーキを勧められ、二人でそれにチャレンジしたのですが、焼き上がるまで40分、そのあまりの量には驚きました。が、これで筋肉強化はできそうです。午後はレポート作成や午前中の作業の続き。夕方は20時過ぎには帰ってきて、明朝の引っ越し見積もりに備えます。少しずつではあっても、どんどんできるところから進めていこうと思います。
招待を受けたら、その日はいいのか悪いのか、ということをすぐに返答するのは作法であるように思います。何日も放っておかれると、それらの時間帯をずっと明けておかなければならない。結果、第2陣の方々に対して案内を差し上げるのが遅くなってしまう。そんなところに思いを致すことは、やっぱり必要なことだろうと思います。
そして、招待する側に立った場合には、自分にとっては何時が都合がよいのか、ということを相手に伝えた上で、相手の都合を聞くのが作法であるように思います。少なくとも、自分の空いている日が何時かも告げずに、「一度食事の機会を作ってください。」と言って招待したつもりになっているような「上司」は、彼にとって都合が悪い日ばかりを提示されるリスクを負う羽目になるのだろう、と思います。残念なことではあるのでしょうが。
とうとう、帰国の命令が出ました、というか、昨日、出ていたことを知りました。4年を超えたフランス滞在も残すところ1ヶ月半となりました。既に知らされたことではあっても、公式にそうと決まると、決まってしまう前にやっておかなければならなかったことが多数あるように思われて、気持ちだけが焦ります。
そんな今日、嬉しかったことが四つありました。
一つは大変お世話になった学士院会員でもある先生から、夕食会へのお誘いに対する了解をいただいたことです。僭越ながら、心からのお礼の意味を込めて、何とかお願いしたいと思っていたところ、快くお受けいただきました。自分の中に嬉しさを伝えるフランス語の語彙があまりに少ないのを感じて、自分に対する歯がゆさを覚えました。
二つ目はそれとも似ているのですが、日本にいるフランスでお世話になった方々に後任が出発する前に挨拶に行かせたい旨連絡をしたところ、日本時間の早朝、次々と返事が来たことです。こちらのメール一本を大切に思ってくださっている方々がいることを実感し、心から嬉しく思いました。
三つ目は、大変忙しい中にシェフから電話があり、夕食会のメニューで留意したらいいことは何かあるか、と問われ、今は特にないがまた連絡する、と言って電話を切っていたところ、気になって深夜になってから電話を入れたところ、実はテーマはそれではなかった、とか。「7月に入ってからの日曜日にドーヴィルに海水浴に行こうか。」と水を向けたところ、実はそのことを話したかった、と。以心伝心の一瞬、楽しかったです。
そして最後に、キリマンジャロで知り合ったフランス人の友達と、サル・プレイエルで行われた、モーツァルト・ピアノ協奏曲第21番とマーラー交響曲第5番のコンサートに行ってきました。これが充実していた。リヨン国立管弦楽団をジュン・メルケルが指揮し、ピアノはファジル・サイ(Fazil Say)。モーツァルトのピアノ・コンチェルトの中でも一番好きな21番を、サイが陽気に、ポップに、歌いながら弾ききってくれました。まだ後半の楽曲が控えているのに、ピアノの独奏のアンコールをやってくれたりもして、一緒に出てきたメルケルが舞台袖の階段のところでそれを座って聞いているという面白い光景も目にすることができました。マーラーの5番の方は、どちらかというと低音を響かせる弦の音と鍛えられた管楽器がマッチして、まるでパイプ・オルガンを聞いているような気になる瞬間が多数ありました。そして、やはり第4楽章が美しかった。目をつぶって聞いていたら心の奥の方の何かに触られるような気がして、あやしい気分になりました。今次フランス滞在時のおそらく最後のコンサート。Quatre Saisonsでの食事にも満足。明日からの忙しい日々も乗り切ることができそうです。
新任地に向かうに当たって、住居が決まっているのとそうでないのでは、気持ちの落ち着き方が全く違います。
引き継ぎの資料作成や新しい仕事の処理を進めつつ、ちょっと仕事の量が多すぎることを感じます。うまくマネージされればよいのですが。
とはいいつつ、夜には最後のOVに向けて出発です。パリのNさんも明朝OVに立っている予定だとか。ここ数日好天に恵まれている様子であり、突然海水が引き入れられて水温が下がったりしていなければ、朝夕、大いに楽しめるのではないか、と期待が高まります。
復活祭・昇天祭の時のような僥倖に恵まれるだろうか。精霊が降臨する日曜日には何かが起こってほしいです。
昼はインド・カレーを職場の同僚と一緒に。もうここに来ることも数えるくらいだろうなぁ、と思うと、感慨深いものがあります。夜は同業の職場が異なる方々との懇談会をMaison de Campagneで。相変わらずおいしく満席でした。
引き継ぎ書の作成で過ぎて行った一日。4年間の体験を結晶化させる作業は、それなりに大変です。
昨晩は少々ビールを飲み過ぎた様子であり、お腹がぐるぐる言っている中、昼食会では認知科学の問題から教養教育の問題、専門教育と社会のニーズとのミスマッチ問題、日仏が歴史・文化の点で似ている、といった点まで、幅広いお話を拝聴する機会に恵まれました。こういう機会を得ることができるのも、外国勤務ならではの役得といったところかも知れません。午後は各種レポートを作成し、夕方、早い段階で職場を後にしました。
そして、やっぱりOVへ。今回のOVでは、マリオンの予約をキャンセルし、北の砂浜にあるBeachcenterなるところにあるコテージに滞在することにしました。3泊で80ユーロ。電気照明があり、コンセントも(6アンペアではあるが)ある、とのこと。ジョギングをしている時、釣り竿が立てかけられ、ウェイダーが干されたりしていたのを目撃した時から気になっており、一度こういうところに滞在しながらの釣りをしてみたい、と思っていたのですが、それがかないそうです。メールを打ったものの返事がなかったことから電話をかけたところ、あまり英語が得意でない受付の人が空き状況を確認し、大丈夫、との連絡をくれました。寝袋は必要だそうで、キリマンジャロ以来の寝袋での就寝も楽しめそう。在庫されていたキャンプ用のレトルト食品も一掃できそうです。「赤いきつね」と「カレーヌードル」も楽しみです。ホテルでの朝食時間を気にせずに釣りに邁進することができそうで、少しわくわくしています。
今日の会議で、過去3ヶ月来、悩んできた仕事に一つの区切りが付きました。同時に、過去9年間に渡って議論されてきたことが大きく前進しました。今後の作業は大変になりますが、「歴史的瞬間」を過ごすことができたのはうれしく、つい昼食会の段階からワインをちょっと多めに飲んでしまいました。ただ、これから解決しなければならない問題が多々あり、まだまだ気が抜けません。
午後は慶応義塾とパリ政治学院のダブル・ディグリー締結のちょっとしたレセプションに参加。経済学分野のマスターのダブル・ディグリーということで、さぞ様々な困難があったのではなかろうか、と思い、関係者にお話を伺いました。まず、日仏間での学期の終了時期の違いから、学位を出すタイミングが日本の学生とフランスの学生とで異なってくることが問題にならないか、と問うたところ、フランスの学生には6月に、日本の学生には9月に、それぞれ出すことになるが問題ない、とのこと。「9月ですか。」「そうです。日本の学生は、このダブルディグリー・プログラムを終了して慶応大学とパリ政治学院それぞれから学位をもらうには2年6ヶ月が必要となっています。フランスの学生は2年でとれるのですが。」 特段「不公平だ」という問題も生じなかった模様です。以前、一橋大学とHECがダブル・ディグリーの議論を行った際、学期の終了時期が問題となって、構想が頓挫したことがあったようなのです。柔軟であることは物事を前に進めるためには大切であるようです。
再び職場に戻ってきてメールチェックや仕事を片付けた後、今週は仕事が休みのシェフほかと21時半からEL PALENQUEでステーキを。相変わらず大変おいしかったです。その後、Un bon vinのカラオケへ。地上階にもボックスができ、地下も間仕切りが入って、沢山の部屋が出来ていたのに驚きました。少しずつ思い出も変わっていくようです。
このところ、突然に雨が降ってきたり、急に寒くなったり、かといって日が照ると暑かったり、と気候が極めて不順です。昨年、一昨年のこの日記を読み返しても、この時期はそうだったようであり、フランスの五月というのはそういうものなのかも知れません。「卯の花くたし」のように長雨、というわけではないのですが。それにしても、まだコートを着て歩いている人がいるくらい肌寒いのには閉口します。
朝は先週突然決まったラグビー関係の仕事があり、それで押し出された来週火曜日の大会議に向けた事務(フランス語の法律問題に関するメールのやりとりはきつかった)を終え、忙しかった金曜日、無事に家に帰ってきました。
明日のイートン釣行、ライズがあるだろうか。。。
今日、モン・サン・ミッシェル・マラソンを欠場することを決めました。早足で歩いている時、まだねんざしたくるぶしに時々痛みが走るのを感じ、そこをのばす時に反対側のくるぶしには感じることのない感覚を自覚し、こんな状態で42.195キロを走ってしまうと、来月のモンブランが難しくなるのではないかとの危惧から、断念することとしたものです。今回滞在ではモン・サン・ミッシェルを見ることはなさそうです。4年もいるのに。物事の優先順位をつけるのは難しいものです。
そして、今週末、フランスの川で釣りをしようと思っています。エヴルーのIton川、フリーガンではもう釣ることはできないのかもしれませんが、その前後を管理しているAAPPMAがやっとしっかりしたHPを作ってくれたのを発見しました。問い合わせてみたところ、フランス国内有効のライセンスを持っていれば、日釣り券は12ユーロ、とのこと。あのグレイリングたちともう一度出会えるだろうか。雨の中、出かけてこようと思います。今年初めてのフランス釣行になりそうです。
先日、OVで出会ったNさんと早速パリで再会、Cercle du 17eでシェフの料理に舌鼓をうちながら、2時間に渡って釣りの話をするという至福の時間を過ごしました。
その後、シェフとDADAでビールを飲み、ちょっと荒れたオーナーもジョインしての飲み会・夜遊びとなり、結局26時頃に帰ってきました。くるぶしの痛みが気になって走ることができないと、自然と自堕落になってしまいます。
それにしても、Cercleで食後酒として出してくれたManzana verde、青リンゴのリキュールですが、大変美味しかったです。アルコール度数も20度ということで強すぎず、冷やして飲んだせいか風味も大変さわやかでした。早速明日、ボトルを買ってこようと思っています。
仕事の土砂降りに遭って久しぶりに心底疲れました。携帯に掛かってきた電話を受けていたら机の電話が2度鳴り、コールバックを続け、電話をし、メールを打ち。人からの期待を受けている間が華です。午後も次々に溜まっていくTO DOに溜息をつきつつも、仕事があるうちが華です。夕方にはすべてをなげうって、ポンスレ通りのタイ・マッサージ店、Leelawadeeへ。仕上げの顔と頭のマッサージ時には、おそらく眠りこんでしまっていただろうと思います。買い物をして帰ってきました。少し自分で作ったものを食べたくなってきました。
自分で実施できないことを頼まれた場合、人に頼むことになります。そして、頼む側が「誰々に頼んでほしい。」と言ってくることもあります。そんな時には、「誰々からあなたに頼めと言われた。」として話をつなぐのが通常だと思っていたのですが、そういう文化が存在しない地域も存在するようです。直接頼んだら、「非直轄のところには冷たい」という事前の情報は何だったのか、二つ返事で仕事を引き受けてくれましたから、単純計算で2ヶ月以上の間、事態が前進しなかったことになります。何とももったいない。
単に「つなぐ」ということが、これほどに難しくなってしまうこともある、ということを学びましたし、人に指示されたから、ということを素直に使わない文化もあるのだ、ということも学びました。つなぐことは大切だと思いますが。
引き継ぎ文書の作成をぼちぼちと開始しました。特にルーチン業務ではこれが大切です。4年前の着任早々、既に書き始めていた部分を改めて見直すと、こんなことを記録したいと思っていたんだなぁ、と感無量な時もありますが、おそらくそういうものなのでしょう。いずれどのようなことにも慣れていくのが人間であるようです。
久しぶりにシェフと会い、仕事終わりの24時頃からテルヌ通りのDADAでビールで乾杯。閉店後のオーナーも合流してくれて、Cercle du 17eでのセルフ・プロデュースお別れ会構想が動き始めました。
TO DOに帰国までにやらなければならないことを書き出す作業をしていたら、いかにやらなければならないことを記憶の隅の方に追いやろうとしていたか、小さな自分に気付かされます。今、自分がなすべきことと直面するという作業を行うのは、結構勇気が必要です。他方で、当然の権利である「休暇」とか「休日」とかを犠牲にしはじめると「人間を幸福にしない日本というシステム」が動き出すのかも知れません。そういえば、ウォルフレンはOV近くのロッテルダム出身なのですね。
さて、本題ですが、アメリカからSAGEのリール6080が到着しました。税関はスルーした様子です。リールとかフライラインといったものには関税が掛かっていないのかも知らん。。。「Made in Korea」のシールがリールフット裏側に貼られていたのには驚きました。Hardyのリールが韓国製、ということは聞いていたのですが、SAGEよお前もか。でも、韓国製なら安心です。デビューはOVで、、、と思っているのですが、ロッドが届くかなぁ。。。
パリ日本文化会館で開催された江戸時代に関する講演会&ラウンド・テーブルに参加してきました。徳川家18代当主の德川恆孝さんが最初に1時間ほど講演、続けてジャン=ロベール・ピット・ソルボンヌ大学教授(前学長)、マリオン・ソシエINALCO教授ほかがパネリストとなってラウンド・テーブルを行う、というもの。発見に満ちたおもしろさがありました。
最初のプレゼンテーションでは、戦国時代の動乱を収め、265年間もの平和を作った徳川政権の豪腕は、当時でみてもさぞやすごいものだったのでしょう。キリスト教対策の「鎖国」のこと、1700年までに税が石高7割から3割に減税されたこと、人口が1200万から3000万に増えたこと、通貨制度・法制度が整備されたこと、識字率が大変高かったこと(1800年時点で男性で6~8割、女性で5~6割)、その背景に学校制度があったこと(武家向けが270校、庶民向けが16000校、その他社会人向けの私学が2000校ほど存在)、開国の際、「征夷大将軍」なのに欧米の「夷」人たちと融和を図ったことに対して随所から反発があったこと、土地は貴族(大名)の所有物ではなく「公」の所有物とされていた(西欧にはそのような考え方は存在しないであろう)こと等、興味深いお話を多数伺うことができました。
続くラウンド・テーブルでは、ピット先生が、貴族階級が田舎から遊離しなかったのは英国と同様、日本の知恵である(フランスはパリとヴェルサイユに貴族を集めたため、革命を招いた)、識字率の高さが日本の成功の理由、鎖国しながらも欧州で起こっていることは出島を通じてちゃんと情報収集していたのが徳川政府の強さ、等と指摘しつつ、鎖国が日本人の中に他国に対する優越感を生み、それが第2次世界大戦の遠因となったのではないか、との問いが行われました。日清・日露の2つの戦争に勝つまでは、そのような優越の感情は存在しなかった、というのが徳川さんの回答でしたが。
第2ラウンドに入り、場もこなれてきた時、ピット先生が、「徳川さん、選挙に出て日本の政治の混乱を収束させようというつもりはありませんか。」と冗談交じりに質問したのに対し、「自分は宗主として初めて、会社で働いて給料をいただいたが、それでそこそこ満足している。」とかわしたり、パリ日本文化会館の館長が最後に「仮に自分が15代将軍だったらどうしていたか。」と問うたのに対し「大奥に3000人の女性がいたと聞いただけですくんでしまう。」とかわすなど、第18代当主のお人柄がにじみ出るような、楽しく実のある講演会でした。
これまでは特に日本の学者が江戸時代の攻撃をすることが多く評判が悪かったそうなのですが(福沢諭吉以来の伝統なのかも知れませんし、「封建時代」に対する攻撃かも知れません)、1700年以降、ゼロ成長を続けたという江戸時代からは、まだまだ学ぶことが多くありそうです。
GW故、東京からの仕事が降りかかってこないのを利用して、職場の資料整理を実施。50リットルのゴミ袋があっという間に3つできました。おかげさまで、机の上に書類がほとんどない、綺麗な状態を実現。まずはとにかく捨ててスペースを作り、次に秩序を作ったファイルを収納していく、という手法を用いたのが奏功したようです。まだファイルは作っていませんが。
最近、Chérie FMというフランスのFMラジオ局にはまっています。カーステレオのみならず、自宅のパソコンで聴けるのですが、今流れている曲が何か、ということがアルバム又はシングルのジャケットと一緒に表示され、そのままiTunes Music Storeに飛んで曲を購入することもできる、というのがよいところです。早速5曲ほど購入してしまいました。今後のジョグ時の音楽として、新しい曲を仕入れていくことができそうです。15年後、「あの頃自分は若かった」企画を再度実現できるかも知れません。
それにしても、80年代ポップスが脚光を浴びたのは、ちょうどそれを聴いて育った世代が社会の中核を占めるようになったからなのかも知れません。90年代の曲にも、2000年以降の曲にも、80年代と同じように優れた曲が沢山あります。やがてそういう懐古趣味が流行る時もやってくるのでしょうね。ともあれ、帰国に向けてCDを買い込んだのは今は昔。ネット・ラジオは日本に帰ってからも聴くことができるので、有り難い限りです。
朝、久しぶりにモンソー公園を6周。ねんざした左くるぶしがやっとよくなってきました。午前中はパリ国際大学都市日本館へ。マネジメントという言葉の意味を考えさせられました。昼は出張者2名との会食をスージーで。外国人学校問題等につき諸情報をいただきました。こちらからもいくつかの情報をインプット。
午後はエコール・アクティヴ・ビラングへ。この学校、私立学校でありながら、フランス人対象部門は仏国民教育省と契約を交わし、補助金を得ているとか。どういう仕組みなのかを知りたく思い、行ってきたものです。そして知り得たことは、フランスの私立学校は国と契約を結べば教員は直接国から給与をもらうことになるのですが、国家公務員とはならず、従っていつでも首を切られる可能性がある、ということ。CAPESもアグレガシオンも保有者はいるそうですが、そんな風だと優秀な教員はやはり公立学校に向かってしまうのではないか、と思われます。ディレクターCEOも、そのあたりはいいたいのだけどいいにくい、そんな様子でした。
そして夕方、21時頃から2時間ほど眠り、いざOVへ。明日からメイデーの3連休です。
4月29日が「天皇誕生日」から「みどりの日」に名前を変えていたことは知っていたのですが、「昭和の日」になっていた、ということはうかつにも知りませんでした。そんな今日、日本がGWに入り減速を開始したのか、ずいぶん静かな一日となり、おかげさまでレポートをいくつも書き上げることができ、また書類整理を開始することができました。まだまだ前に進めなければならないことは多いのですが、後ろを振り返って整理しなければならないことも多く、無事離陸するまで、これからが大変そうです。
再びハーフコートのお世話になるくらい冷えた今日、終日レポート作成等々に追われつつ、夜は20時30分から、14年来の知り合い・同僚の御自宅での夕食会にお呼ばれでいってきました。
おいしいお料理とおいしいワイン、楽しい会話に時間が経つのを忘れてしまい、おかげさまで年齢も忘れ、昔の輝いていた(と思っている)自分を取り戻せたような、そんな気分で26時半頃、帰宅しました。明日の朝には確実に時間が過ぎていることを感じることになるのでしょうが。
レポートが溜まっている中に、自分よりも20歳以上年上の施設長からいい加減なコピペだらけの文書が平気で送りつけられてくると、呆れを通り越した感情が生まれてきたりもするのですが、それも低気圧がパリ上空を覆っていたからなのでしょう。
昼はサンドウィッチで軽く押さえ、夜は名家で出張者の方との会食。が、会議の日程が急に変わり、夜23時まで会議が続く予定になってしまった、とのことで、結局出張者の方々を除く、いつもの顔ぶれで食事をすることとなりました。豚インフルエンザをはねのけるべく、ビタミンB補給のために豚三枚肉の焼き肉をしっかりいただきました。あとは手洗いとうがいで予防しようと思います。それでかかってしまったら仕方ない。タミフルが効くらしいのでそれを飲んで大人しく凄そうと思います。OVに行けなくなるという事態だけは招いてはなりません。
朝、家を出て、コートを羽織っていないことをちょっとだけ後悔しました。夕方からは冷たい雨が降り始めました。もう5月になろうとしているのに、パリは寒い日々が続いています。
突然ヒマになった週末の日曜日、Chérie FMがネットで聴けることを発見してしまっていたことから、午前中は割と早く起きたのに無為な時間を過ごしてしまいながら、午後に一念発起、ウェイダー補修用のボンドを買いにCour Saint-ÉmilionはPacific Pêcheへ。リールのキーホルダーとか2Xのオーヴィスのテーパーリーダーを購入。その後、サンマルタン運河沿いの散歩を楽しみ、鴨の一家に癒されました。


その後、テンプル駅前でシェフと合流。おそらく今時滞在で最後になるであろうカートを楽しんできました。日曜日の夕方というだけあって、申し込みをしてから最初のセッションまでに1時間以上、待たされましたが、始まってみると、10分少々の時間を挟んで7分ほどのセッションを2回行うのは、大変なことであると思い知らされました。11区のケバブ屋でメルゲス・サンドウィッチを食べていた時にバーレーン・グランプリの様子をテレビで眺めることができたのですが、F1レーサーはこんなのより遙かに精神力と体力を必要とする時間を2時間近く過ごしているのですから、全くもって凄いことです。


バイクで走り抜けるパリの街の爽快感を味わいながら、松ちゃんへ。さすがにシェフ、知り合いが続々と現れました。おかげさまで美味しいカルビを頂くこともでき、御飯3杯、ビール2.5杯の夕食会となりました。感謝です。


さらにモット・ピケで飲んだりした日曜日の夜となりました。次は東京で?パリで?福知山で?
久しぶりに演劇を見てきました。Théâtre Antoineで上演されていて各紙が絶賛している「CÉSAR, FANNY, MARIUS」です。この土日、本来はサン=ディエ市で開催されるトレイル・レースに出ることとしていたところ、先週日曜日の足のねんざの痛みがしつこく残っていることから、参加をキャンセルしてしまいました。ぽっかりと空いた週末となってしまったため、フランス人の友人を食事に誘っていたところ、逆に劇を見に行こうとの提案を受け、行ってきたものです。フナックでiPod用のFMトランスミッターを買ったり、コーヒーを買ったりした後、テルヌ広場の当日券半額売り場でチケットを購入。4月末だというのに肌寒い夕方、出かけてきました。
劇場のキャパは500席程度でしょうか。とりあえずバーで白ワインを飲み、チップを払って座席に案内してもらい、狭い座席に窮屈に身を押し込め10分程度、開演です。一応、wikipediaで原作のマルセル・パニョル3部作を予習しておいたので、だいたいあれが誰であれが誰、そのうち誰と誰とがどうなって、それに誰がどういうふうに絡んで行くんだろうなぁ、というあたりが分かっている安心感がありました。そもそもフランス語で劇が進行する上、マルセイユのお話というだけあって予想したとおりのなまりが加えられており、最初のうちはついて行けるかどうか、不安で一杯だったのですが、さすがに4年も住むとなまりがあってもある程度は分かります。俗語が連発している(らしい)ところでは、会場の笑いについていけませんでしたが、逆にそういうところではガイジンは笑わない方がいいくらいかも知れません。
役者さんたちの中でも、やっぱり一番光っていたのが主役のJacques WEBERで、セザールの滑稽であるくらい人間くさい役柄を見事に演じていました。ただ、滑稽でありつつも息子と義理の娘に対する愛情の表現も深く、最後には自分の自分の幸せを追求して酸いも甘いも噛み分けたハッピーエンド。脚本家も凄ければ、役者も凄かったです。20時30分から始まった劇が、幕間を挟んで終わってみれば23時30分。通常の演劇は1時間45分だ、と連れのフランス人が言っていましたので、長い方だったのでしょう。久しぶりの観劇、十分に楽しめましたが、やはり劇がはねた後は食事をしながらいろいろ話し合いたかったです。でも、3時間に渡るフランス語レッスンの後となると、さすがにフランス語での会話は食傷したかもしれず、いずれにせよいい劇を観ることができたことに満足です。
朝、出張者の方と一緒にEHESS(社会科学高等研究院)を訪問。今後の仕事の種がまたできました。昼の時間はサンドウィッチとサラダですませ、15時から改めて打ち合わせ。1つの施設を預かることの責任の重さと、意図しない狡猾ということがあり得ることを知りました。ある先生の功績をまとめた後、21時から知り合いと「えびす」で夕食会。その後、標記バーに出かけました。


「鎌倉の大仏の小さいの」があり、24時からはディスコになる、食事はできない、と聞いていたのですが、当たったのは最初の部分のみでした。レストラン・フロア(地下2階)も設けられていましたし、そこのテーブル等が撤去されてダンス・フロアになるのか、と思いきや、24時を過ぎてもそのようなことはありませんでした。吹き抜けをぐるりと取り囲むような感じの地下1階バーフロアで、せっかくのパリの仏陀バーということもあり、ワインで通すこととしたのですが、値段の方はワイン1杯が10ユーロから12ユーロとまあ妥当なところ。カクテル等は15ユーロ程度だったようです。「ディスコ」にはならなかったのですが、24時が近くなってきた頃から音楽がうるさくなってきて、話をする環境ではなくなってきました。25時過ぎに店を出るも、その頃からぞくぞくと客が入ってくる。ハードロック・カフェの仏陀版といったところでしょうか。遅くにくるとカウンターの立ち飲みのみ、ということになるかも知れません。一度覗いてみてもいい、というのは事実だろうと思います。
洗濯機の方は昨晩の奮闘の甲斐あってか、もう一度おそるおそる回してみたところ、何の問題もなく洗濯が終了しました。昨晩水を吸うために汚れたバスタオルも綺麗になって、ほっとしています。
ふと思えば、こちらに赴任してから今日で4年と1日が過ぎていました。2005年の4月22日着で、その直後に福知山線の事故があったように思います。高校に入学してから一浪して大学に入ったのと同じだけの時間が過ぎているのですが、振り返ってみればほんの少し前のことのようで、CDG空港に到着した日のことは今でもまざまざと思い出すことができます。とはいえ、熊本県に到着した日のこともほんの少し前のことのように思い出すことができます。生活環境が大きく変化する場面というのはそんなものなのかも知れません。
日曜日にねんざしたくるぶしの痛みが抜けないことから、サン=ディエのトレイルについては参加を取りやめることとし、キャンセルしました。残念です。土曜日にパリにいる。。。8番ロッドとリール、ネオプレーンのウェイダーを見に行くことになるのでしょうか。さてさて。。。
夜、洗濯機を回していたら、突然異音が響き、それでもしばらくは回っていたので安心していたらやがて回転しなくなってしまいました。どうやら脱水していない模様。洪水を引き起こしつつフィルターを外してみたら、形状記憶Yシャツの襟に入っているプラスチックが取れたものが沢山出てきました。どうやらこれのせいで脱水弁の羽根が回転しなくなっていた様子。明朝、改めて挑戦してみますが、引っ越しを控えたこの時期、靴底張り替え等の大修理を開始した矢先にこういうことが起こり始めるのも皮肉です。
それにしても、5月1日~3日のシートラウト・フィッシング、悩ましいところです。
朝、微妙に霧雨が顔に当たるのを感じつつポンスレのマルシェにあるフランプリ等で買い物をした後、5度目のソー公園での花見のため、RERに乗って向かいました。
本当は土曜日に開催としたかったのですが、関係者から日曜日にして欲しいとの希望があったためこの日にしたところ、その希望を出した関係者は誰一人として参加せず、という事態となりましたがまあ仕方がない。今年は総勢6名、日本人4名、フランス人2名の小規模で親密な会となりました。今年の企画は「ききカモンベール」。案外違いが分かるものです。
曇っていた空も途中からすっきりと晴れ渡り、一つ向こうの花の陰から流れてくる三線の音色が心地よい。記憶をいつでも新たにできるよう、沢山写真を撮りました。来年も咲くこの花の下に誰が集い、何を思うのか。フランスに到着した翌日がここでの花見でした。あれから4年。感慨もひとしおです。


日も暮れ始めた20時前、公園を後にし、オペラ座界隈へ。北海道でラーメンと餃子と御飯を食べてメトロへ。その途中、歩道の縁石が不自然にそこだけ下がっているところで転び掛け、くるぶしを挫いてしまいました。全くもってついていません。サン=ディエのレースが1週間後に控えているのに。。。
小雨がぽつりぽつりと落ちる中、キリマンジャロで一緒になったフランス人と誘い合わせてブローニュの森の10キロ・ラン。冬枯れの小径が生命の横溢する小径に生まれ変わっており、春が来たことを再認識しました。
夕方から夕食会。傘を職場に置き忘れてきたことに気づき取りに行ったところで、パスポートやクレジットカードをなくした、という方と遭遇。聞くと、必要な電話番号等を全部教えてもらったがそちらに電話をしていない、電話をして欲しい、とのこと。自分の携帯電話を使って航空会社やクレジット・カードのSOSセンターに電話をかけたり、メモを取ったりということで20分ほどが過ぎていきました。メモされている番号を押していただいたら日本語を話すオペレーターが出るのですし、お金は別途持っていて無事、とのことですからホテルから電話をかけられるのがいいのではないか、とも思うのですが、仕方がない。「税金泥棒は死んでしまえ」と言われないようにしなければなりません。
La Maison de la Mouche Dubosに注文しておいた水温計(3月のOV釣行時に置き忘れてきてしまっていました)を引き取りに行き、2Xのヴァリヴァスのリーダー及びティペットを購入。マダムからの質問。「(ヴァリヴァスの50メートルのティペットに関し)日本ではこの値段(1500円=12ユーロ程度)で売られているのですか。」「そうですよ。」「ここでは5.90ユーロです。イギリスの仲買人が日本で買ってきてそれを卸してもらっています。どうして外国での方が安くなるのでしょう。」一瞬、「ダンピング」という言葉が頭をよぎりましたが、「日本の釣具小売店の保護のためでしょうか。」と適当に回答しておきました。リーダーの方は4.80ユーロもしており、3倍近い値段になっているのに、ティペットは半額程度になっている。仕組みがよくわかりません。ともあれ、この分野でも日本製品が世界に広がっているのを見るのは気持ちのよいことです。
夕食は日本から出張でいらっしゃった方と標記アルゼンチン・レストラン(El Palenque、5, rue Montagne Sainte Geneviève, Paris 75005、TEL:01 43 54 08 99)でステーキを。阿修羅展が大人気であること等、興味深いお話をいろいろと伺うことができました。それにしてもこのレストラン、初めて来るお店だったのですが、塩と胡椒だけで味付けをしたステーキ(Tournedos)は本当に美味しかった。帰国までに何度でも行っておきたいお店です。
夕方から関係機関の方々と打ち合わせを実施し、その後、20時過ぎからスージーで食事を取っていた時のこと。7名で丸テーブルを囲み、会話の花が咲き始めた頃、後ろの方から「うるさい」という独り言のような声が聞こえてきて、振り向くと初老の東洋人男性が一人で食事をしている。なにやらしきりに携帯デジカメで写真を撮ったり、時々外に出てタバコを吸っている様子。別にこちらを見ているわけでもない。「パリ症候群」という言葉を思い出したりしながらも無事に食事が続いていたのですが、いよいよこちらのメインディッシュが無くなりかけた頃、「シー、うるさい、静かにしろ。あんたの声はよく通ってうるさいんだよ。」との声が。別に他のお客さんの迷惑になるような大声で話し合っていたわけでもなく、馬鹿笑いをしていたわけでもないのに。そのうち、「あんたらの話がよく聞こえてくるんだ。どうせ税金泥棒なんだろう。仕事しろ、仕事。しないなら死んでしまえ。」とまで言われてしまい、和やかな夕食会の場は静まりかえってしまいました。こちらのデザートが出てきた頃、先に出ていった彼についてスージーは、「大変不愉快な客だった。ワインを2本半飲んでたわよ。店に来た時からアルコールで臭かった。」と言ってましたが。外国にいる日本人はお互いに対する攻撃性が高くなっているのでしょうか。でも、「死んでしまえ。」と言われたのは初めてで驚きました。まだまだ修行が足りません。いろんなことがあって、いろんなひとがいるものです。
5時20分起床。昨晩、メル・ギブソンの「パッション」がTVでやっているのを見てしまったせいか、あまり熟睡できませんでした。防寒のために着込み、北西に向け出発。途中でドイツからの「D」で始まるナンバーの車と交差点ですれ違った時、ひょっとすると、と思いきや、Uターンした車から「おやようございます!」の声が。悪巧み王さんからO嶋さんがOVに来ている、という情報を頂いていたところ、多分そうだろう。車もおりずに「北西に行こうと思ってます。」「行きましょう。」で話がまとまりました。駐車場に到着した時には、既に準備をしている組が1組。再会を祝しつつ、準備を整えて、先にいた彼らが左の第1消波堤に入ったのをみて右手へ。オランダ・ナンバーの赤い車で来ているらしい常連氏がBさんの沈ポイントで釣っていたところ、許可をもらって渡らせてもらい、釣り開始。消波堤にのぼってすぐのところに自分は陣取り、O嶋さんは少し先へ。
して、明け初めてきた空の下、O嶋さんのロッドが弧を描いているのを目撃。しばらく時間をおきつつも羨ましさに近寄っていくと、50センチ・オーヴァーのOVレインボーが引き寄せられてきたところでした。その美しさと、OVの活性が高まりつつあることの証を見て、期待が高まります。
が、その後の朝セッションは何も起こらず。なによりも寒さに負けました。9時過ぎに駐車場に戻ってきたところ、ベルギーナンバーのアウディが止まっている。あれれ、スティーリーさん?、6時に来るはずだったのに姿をあらわさないと思っていたけどきっちり帳尻を合わせてきたか、と思っていたら携帯が鳴りました。北西左の第1消波堤の先にいる、とのこと。目視し手を振りあって確認。こちらはホテルに朝食を取りに行きます、と告げ、帰り支度をしていたら再び電話。浮き釣りニンフ(アント・パターン)で若魚をゲットとのこと。こうなってくると羨ましい。。。が、食い気が先に立ち、健闘をお祈りしつつホテルへ。ヴァカンス故か大変混み合っていて、クロワッサンが追いつかない朝食を終えた後、部屋で2度寝。昼過ぎに起きだし、OV1周10キロ・ラン。パリ・マラソン以来、1週間振りに走ったのですが、55分5秒で1周を走りきることができました。まだまだ行けそうだ。
シャワーを浴びて休息していた16時、O嶋さんからTEL。南でやっていたが逆風で釣りにならず、これから北西に向かう、とのこと。自分は食事をしてから合流する旨告げ、車を出すも、Petit Restaurantがあまりに混んでいるのに閉口し、食事は釣りの後にすることとして北西へ。駐車場にドイツとベルギーの車が止まっているのを確認しつつ、ちょうど人が去った後の左第1消波堤の上で釣り始め、スティーリーさんにTELしたところ、仮眠を取っていたとのこと。左第1消波堤の上で3人が揃ったのは18時ちょっと前でした。
3度ほど、桟橋の先3メートルくらいのところでライズがあっていたのですが、気まぐれライズの模様。スティーリーさんが浮きと噛みつぶしおもりとタコ・フライで狙い始めた脇に座りながら、浮き釣りの良さを再確認。ぼうっとした中の集中。α波が出ていたように思います。が、そんなにぼんやりばかりはして居られない。3人中、今日釣っていないのは自分だけ。ナンバーワンにならなくてもいいが、釣っていないオンリーワンにもなりたくない。今朝、駐車場で巻き替えたインタミでモー浜を引っ張っていた時、待望の生命反応が。若いな。30センチ程度と思われる魚の引きを楽しみながら、「バーブフル」であるフックを信頼しつつ、そのまま抜き上げたところ、抜き上げた消波堤の上で針を外れ、その後水中に滑り落ちた後、消波堤に向かって2度のダッシュを見せ、方向を転換して水の中に帰って行きました。確かに、30センチ程度の若魚でした。写真はありません。
「伸びたラインが水辺へと伝えているのは、我々の希望だ。」(パブロフの鱒、ポール・クイネット、角川書店、2001年)
「1時間ワンチャンス」という言葉をBさんから聞いたのが2007年の8月のこと。その言葉を信じることができなくなってしまった1年8ヶ月の時間を経て、童心に返ることができたのが20時30分のことでした。時計を見て確認したのですから、間違いありません。
第1消波堤の先でO嶋さんがヒット。ロッドのしなりはさほどではなく(後で知ったところでは8番だったとか)それにしては寄ってこない魚の引きを楽しんでいる様子を眺めながら水中リトリーヴを続けていたところ、突然に「ひったくられるような」当たりが。ラインが持って行かれた瞬間、水面に茶色の魚が跳ねました。
「デカイッ」(スティーリーさん)
「いや、あれじゃないですよ。」(自分)
不幸に慣れすぎると幸せがあってはならないことのように思えてしまいます。いや、やっぱりOVの魚の突進力はすごい。フライラインが刺さっているところから2メートルほど離れたところで魚がはねるのですから、すっかり拗ねるのが習い性になった自分でなくとも「あれじゃないですよ。」と言うことになるかも知れません。
急速潜航にこたえるマーキスの逆転音、ゴクンゴクンというヘッド・シェイク、満月のようにしなったロッド、腕の疲れ、夕暮れの日差しにギラリ、ギラリと輝く魚体、何度も何度も右へ左へと魚に引っ張られながら、「もういいよぉ」とか魚に対して語りかけ、これでバラしたら後悔のしようがないだろうなぁ、という不安が時折頭をよぎりつつ、約20分の格闘の後、やっと頭が水面に出ました。無理に寄せることをしなかったのは、カエシが付いたフックを使っていることに対する安心感故だったろうと思います。先日パリで買ったランディング・ネットに入魂すべく、水面に近づけ、それでも何度かぐるぐると回られながら、とうとう横になった魚体をネットに納めることができました。その一瞬一瞬はフラッシュバックのように記憶に蘇えってきます。いかんせん、1年8ヶ月ぶりのOVらしい魚ですから。O嶋さんのメジャーで測らせていただき59センチ。スティーリーさんに撮影をお願いしました。


「マンゾク」とはこういうことか。釣りはこれにて終了。21時30分を過ぎていることからマリオンのレストランはオーダーストップ。街の入り口のバーもゴミ箱が入り口に置かれている。それじゃああそこは、と、やはり1年8ヶ月前、初めてのOVで53.5センチの結果を出し、良い気分でBさんと金さんと行った「快楽城酒楼 Happy City」に入ったところ、「テイクアウトなら良いですよ。」との第一声。「テイクアウトじゃあ駄目ですね。」と落胆しながらそれでも店を出ることができずにいたところ、ちょっと打ち合わせをした女主人とおぼしき女性が、「いいですよ。」と店内での食事を許してくれました。「同じアジア人同士」、親近感がそうしてくれたのかも知れません。ともかく、本当に嬉しかったです。23時が近いというのにフランス滞在中の悪巧み王さんに電話したりした楽しい夜を過ごし、ホテルに戻りました。ブリュッセルまで戻っていくスティーリーさんにパリで買ってきたシルク・ラインを手交、お見送り。そして、満たされた眠りに就きました。OVで迎えた復活祭です。
午前の1時間半、午後の2時間半ほどを使って、同僚と一緒に11ページほどのフランス語協定案の翻訳作業を行いました。こういう作業を行う際、よく思うのですが、日本の仏和辞典は法律用語等に大変弱い。文学的な表現を何となくわかったようなわからないような日本語にして、理解したような気分になるのには適しているのですが、法律の条文の規定を法律的に翻訳するのには一工夫必要です。そもそも法律用語自体がある種の詩の言語のように様々な要素を凝縮した言葉になっていることが多いというのも理由かも知れませんが。
すっかり疲れ切りつつ、夜はカルフールで1時間かけてお買い物。Fisherman's Friendの大量購入が一つの目的だったのですが、何故か改装されており、レジの前の駄菓子コーナーがなくなってしまっていた関係で、お菓子の棚にあった「PASTILLES REGLISSE」(袋は白地に茶色のライン入り)を大量購入することになりました。早速車の中で試食したところ、パスティスの味がする。ひどい「はずれ」でなくてほっとしています。
昨晩の動物性タンパク質の補給にもかかわらず、今日は大変体がだるかったです。こんなことってあるんだ。なんだかマラソン中の体の緊張が一気に弛緩しつつあるような感じです。
レポートを3つほど東京に送り、ちょっとほっとして、夕方、久しぶりにカルフールに買い物に行きました。Fisherman's Friendとガス水を大量購入するためだったのですが、行ってみてビックリ。いつの間にか大改装が行われてしまっていて、レジ前にあったFisherman's Friend等の小物が置かれていた棚も無くなってしまっていました。。。まだフロアの配置が行われている最中のようです。とりあえずの買い物は行い帰ってきましたが、少々残念です。
当地滞在も残すところ3ヶ月。そろそろ引っ越しに向けた諸準備を開始しなければ、と、いろいろと調べ始めました。まだ大仕事がいくつか残っているためもあってあまり実感が湧かないのですが、とりあえず大まかな外形は確認することができました。TO DOのリストアップを行って一つずつつぶしていく、といういつものやり方が、こういうオペレーションには欠かせません。
パリ・マラソンを走った同僚と、ジョギング仲間だった同僚と3人で、松ちゃんでの打ち上げ会。朝起きた時には消えていた筋肉痛が昼前に再発するなどちょっと不思議なブレがある中、動物性タンパク質をたっぷり補給して来ました。モン・サン・ミッシェル・マラソンに向け、明後日の朝には、少しジョグしておきたいところです。
パリ・マラソンの翌日、本格化した筋肉痛、全身の疲労感とつきあいながら、事務仕事を終日行うことができました。たまったレポートの作成、日本へのメール回答、その他のTO DOを途中まで終えることができました。明日も終日事務ができそうなので助かります。
今日の筋肉痛は、ニース・カンヌの翌日のそれよりも遙かに激しく、久しぶりに筋肉痛らしい痛みを終日抱えることとなりました。階段の上り下りが苦痛です。それと、今回は腹筋が痛い。いろいろと無理があったのかも知れません。昨晩のカルビ焼き肉とクリーム塗り込みでは対処しきれなかった模様。明日の松ちゃんでの反省会&動物性タンパク質補給が待ち遠しいです。確か去年は、こんな痛みを抱えながらEVASIONで開催された夕食会に向かったような気がします。途中、横切ったモンソー公園で、足をかばいながら走るランナーたちを見て笑った記憶が。
蓄積していたフランスの新聞を1週間分、読むことになったのですが、ロンドンでのG20における日本の存在感のなさに驚きました。フィガロもルモンドも中国を持ち上げ、胡錦濤国家主席を中心に置いた写真を一面トップに掲げるといった扱いです。「JAPON」という言葉が1面に存在したのかどうか心許ないところです。きちんと国内が成り立ってこその外交であるということを痛切に感じました。他方で、ミサイル問題を巡っては「JAPON」が大活躍。それもちょっと寂しいですが。。。

6時起床で準備開始。朝食はお餅3つにSpordejを付属のさじ5杯分程度、それにボン・マルシェ食品館で買ってきてあったイチゴを少々。バナナとコーヒーを追加し、boisson d'attente(レース開始までに飲む飲料。パウダーを水に溶かす)をちびちびとやりながら、レースの格好に着替えをしてストレッチをして体をほぐします。天気予報ではスタートの9時段階で8度、その後13時頃までに11~12度に上がる、とのこと。最高気温は21度との予報。随分暖かくなったものです。が、昨年の経験及びニース・カンヌ・マラソンの経験を踏まえ、下は短パンでよいとして、上はまずアンダーウェアーにNike Proを着た上で半袖ジャージを重ねることとしました。一応、一桁台の時は重ねておいた方が自分にとっては無難です。
OVERSTIMSのベルトに必要なジェル(酸化防止を2つ、普通のエネルギー補給用を4つ、即効性のあるcoup de fouetを1つ、超速効のRed Tonicを1つ)を詰めてお腹に巻き、ゼッケンを付け、パタゴニアのR2ジャケットとナイキのナイロンのジャージの上だけを羽織り、8時過ぎに自宅発。道の前後にはランナー達がスタート地点に向かって歩いており、自分もその一員となりました。昨年は一旦職場に集まり、仲間と合流した上で荷物を職場に置いておいたのですが、それだとゴールした直後に暖かい服を羽織ることができず、風邪の一因ともなったことから、今年はゴールしてすぐのところにある荷物置き場に荷物を預けることとしたものです。
家を出た時に改めて予報を確認したら、8時段階で既に9度あるらしく、かなり暖かい。その証拠に、R2ジャケットとジャージを着込んだ上半身からは発汗し始めました。他の欧米系ランナーたちを見ているとTシャツ1枚の人が多い。さてどうしようか。一応、乳首ずれ防止用のバンドエイドは持ってきてあり、必要に応じて半袖ジャージ1枚で走ることもできるようにはなっているけれど。いやいや、騙されるな。欧米人の平熱は日本人の平熱より1度程度高いそうな。彼らは薄着でもいい。そんな彼らと同じ格好をしてしまったが最後、凍えることになるぞ。


結局、荷物を預けたのが8時半前。それからスタート地点に向かっていったはいいが、トイレ(簡易式のやつ)を待っていたら、スタート1分前にやっと順番が回ってきて、しかも「3時間45分目標」のスタートラインのところには既に入れなくなっていたため、最後尾に並ぶこととなり、「最初のマラソンの人はいるか~」という会場アナウンスに手を挙げて歓声を上げる人が周囲に随分いることに小さな優越感を抱きながら、スタートの8時45分を迎えました。仮に将来的にこのマラソンを再び走るチャンスを得た場合には、もう少し早く会場入りしておこうと思います。何時だったかシャンゼリゼ近くの土産モノ屋で買った「PARIS」と刺繍の入った3色ヘッドバンドを装着し、のろのろと前進しながら気付いたのですが、目標時間毎に区切られたスタートラインの鉄柵の内側にも簡易トイレが設置されている様子。早くからスタートラインに並んでおいても何の問題もなさそうです。。
ドラノエ市長も観覧しているスタート・ラインを超えたのが8時59分。のろのろと歩みを進めたのが嘘のように、クリアになった道をゆっくりと走り始めました。最後尾だったのが功を奏して、キロ6分弱という理想的なスピードでシャンゼリゼを降りていき、コンコルド広場を経由してリヴォリ通りへ。昨年はコンコルド広場をオベリスクを中心にぐるりと反時計回りしていたのですが、今年はオベリスクを絶えず右手に見ながらショートカットすることとなりました。ここで稼いだ百数メートル少々の距離が、35キロ過ぎに精神的な苦痛になってくるとは。。。あれ、昨年はローランギャロスの角を曲がってすぐのところが35キロ地点の補給所だったよな、とか、オートイユ広場のコーナーのところが37キロだったよな、とかいった思い出のとおりに標識が置かれていない時、大変がっかりします。おそらくそれ以前の地点でもそうだったのだろう、と思いますが、特に35キロ過ぎでこういう目に遇うとなかなかこたえます。結局、この百数メートル少々はブローニュの森に入ったところで調整が行われており、39キロ地点でもとに戻ってくれた時にはほっと安心。その後のレース運びが大変楽になりました。
一度コースを経験していると心理的に大変楽なのは先般のハーフで実感していましたが、今回のフルでもまさにそのとおりで、だいたいどの程度のペースで走っていればどのくらいの時間にどこに辿り着くことができる、というイメージを持って走ることができるので、大変楽です。ルーヴルの次は市庁舎、バスティーユ、ナシオン広場、ヴァンセンヌの森の入り口、再びぐるっと回ってバスティーユ、河岸に出て平坦な道を抜けつつ何度かアップ・ダウンをして30キロ、その後だらだら坂を上ってラ・フォンテーヌ校前を通過、ローランギャロスの角から先はだらだら坂、オートイユ広場の先の短い急坂を上がった後は競馬場脇を走って、ブローニュの森に入り、引き続き上り坂をいくつか経た後40キロ地点。そこから先は平坦な道を走り続け、ドーフィヌ広場に出たらゴールはすぐそこ。あらかじめ想像図があり、全体の中での自分の場所が分かる。4年近く住んでいる「ホームグラウンド」ですし。ヘルシンキやニース・カンヌとは一味違います。
今回は音楽ドーピングが見事に成功しました。プレイリストは以下の55曲、トータル演奏時間4.1時間です。
Link [KISS Mix] L'Arc~en~Ciel
Jump Van Halen
Panama Van Halen
5150 Van Halen
We Are The Champions Queen
Radio Ga Ga Queen
Don't Stop Me Now Queen
Two Hearts Phil Collins
It Ain't Over Til It's Over Lenny Kravitz
STAY AWAY L'Arc~en~Ciel
Twilight ELO
God Blessed Video Alcatrazz
Fais Comme L'oiseau Michel Fugain & Le Big Bazar
Eye of the Tiger Survivor
若葉 スピッツ
メリッサ ポルノグラフィティ
涙 ケツメイシ
Driver's High L'Arc~en~Ciel
Forever You ~永遠に君と~ 愛内里菜
さくら ケツメイシ
Gonna Fly Now (Theme from "Rocky") DeEtta Little,Nelson Pigford & Chorus
flower L'Arc~en~Ciel
Overjoyed Stevie Wonder
Rock & Roll Led Zeppelin
Born To Run Bruce Springsteen
愛の中へ OFFCOURSE
youthful days Mr.Children
OMENS OF LOVE T-SQUARE
Une Belle Histoire Michel Fugain & Le Big Bazar
You Got It All The Jets
Don't Stop Believin' Journey
Can't Take My Eyes Off You The Boys Town Gang
また君に会える ケツメイシ
Understanding hitomi
OCEAN B'z
風の詩を聴かせて 桑田佳祐
涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE~ Southern All Stars
波乗りジョニー 桑田佳祐
君こそスターだ Southern All Stars
ダーリン 桑田佳祐
DIRTY OLD MAN ~さらば夏よ~ サザンオールスターズ
innocent world Mr.Children
CROSS ROAD Mr.Children
旅立ちの唄 Mr.Children
HANABI Mr.Children
正夢 スピッツ
Tomorrow never knows
Sing Me Away Night Ranger
Can't Stop Lovin' You Van Halen
Dreams Van Halen
When You Close Your Eyes Night Ranger
Forever Love (Single Version) X Japan
愛を止めないで OFFCOURSE
負けないで ZARD
Titles Vangelis
今回のコンセプトは「若かりし頃を思い出して元気になろう」。高校時代、大学時代、自分は何にだってなることができると思っていた、おそれを知らない愚か者ジークフリートのようだった時代を思い出して気分を高揚させよう、というものです。基本的に過去のレースで気分を高めるのに効果があった曲を集めつつ、高校・大学時代にバンドでやった曲や愛聴した曲が、気合いを入れなくてはならない時間帯(場所)、おそらく気持ちが萎えているであろう時間帯(場所)で流れてくるようにあらかじめ順番を決めておいたのですが、これが見事に決まりました。特に、冒頭のヴァン・ヘイレン3連発と終盤の2連発は効果がありましたし、しれっと2曲入れたオフコースがヴァンセンヌの森の直線で、あるいはブローニュの森の40キロ地点で、始まった時には元気が回復する、ってこういうことなんだ、と実感しました。ナイト・レンジャーのWhen You Close Your Eyesでギターソロの指使いをエアギターしていたら体の辛さを忘れることができたのも発見でした。ちょっと複雑なことを考えてみる、というのが体のしんどさを忘れるにはいいのかも知れません。そして、今回のレースでのアドレナリン分泌促進ソングは、ラルクのLink、ブルース・スプリングスティーンのBorn To Run、そしてX JAPANのForever Loveとなりました。ラルクのLinkはジョギング・レースを始める時の定番ソングとなっているのですが、今回のレースではそれを始まりと終わりに聴くこととなりました。Born To Runはヴァンセンヌの森の中、応援の人が絶えて孤独なレースが続いている中、体が芯から熱くなるような感動を覚えました。そして、やっぱりForever Love。昨年のパリ・マラソンではセーヌ河岸の長いトンネルを抜ける時に流れてきて「感動した」のですが、今回は38キロ地点半ばから39キロ地点半ばにかけて、最も苦しい区間を走っていた自分を励ましてくれました。何かを希求し続ける思いが詰まっていて、視線を高く保ちながら何を見るともなく走っていくことができました。
こういうプレイリストも、あと20年ほどした時にもし自分が走っていれば、「若かりし頃を思い出して元気になろう」プレイリストとして使えるのかも。それはそれで楽しみです。
レース中、沿道に日の丸がいくつか振られていて、手を振ると反応が返ってくるのは大変励みになりました。今日のレースで一番きつかったローランギャロスのだらだら坂を上っていった先のオートイユ広場、37キロ地点手前のコーナーで、うつむいて走っていたら「頑張ってください」と日本語で声を掛けられた時には、今回のパリ滞在で一番嬉しかったんじゃないか、と思うくらい、本当に嬉しかったです。ゴール直前、進行方向左手に見えた日の丸の方にも、最後の最後に励まされました。有り難うござました。
今回のレースでは、OVERSTIM-Sのジェルでこまめに燃料補給をしながら走ったのですが、これも効果があったようです。スタート直前にANTIOXYDANT、5キロ地点でENERGIX、10キロ地点は水摂取にとどめ、15キロ地点でENERGIX、20キロ地点で再びANTIOXYDANT、25キロと30キロ地点でENERGIX、35キロ地点でCOUP DE FOUET、39キロ地点でRED TONIC、と、OVERSTIM-Sのカタログに出ているとおりの使い方をしてみたのですが、補給所で食べ物を取らず、水だけをもらうことにしている自分には効果的でした。特に、今回初めて口にしたRED TONIC。ブローニュの上池が途切れる寸前のところで口に含んだところ、そのミントとユーカリプタスの味だけで気持ちが一気にリフレッシュし、引き締まりました。今日、30キロ地点と36キロ地点の2カ所、補給所で歩いたのですが、それ以外のところ、特に39キロ地点以降に歩かずに走り続けることができたのは、一重にRED TONICのおかげであるように思います。凄い威力です。
これで最後かも知れないパリ・マラソン。悔いの無いように、できるだけの力を振り絞ってみたのですが、30キロを超えてからの減速には、つくづく筋肉不足を痛感しました。呼吸が上がることは全くなかったのですが、脚が重い重い。ラジオ・フランスの前の交差点のところでは、ちょっとしたアスファルトの盛り上がりに躓いて転びそうになり、心底肝を冷やしました。お尻を叩いたり、あごを引いて腕振りをしっかり行い、丹田で進んでいく感じを思い出そうとしたのですが、体が前に進まない。ラ・フォンテーヌ校に向けただらだら坂でいよいよきつくなった時、ふとインドに行ったGさんの走り方を思い出しました。人生の大先輩であり、昨年のパリ・マラソンを一緒に走った時には自分とほぼ同じ4時間25分少々でありながら、その後ヘルシンキで4時間1分という記録を出している彼が、先日、ハーフでパリにやってきた時に一緒にモンソー公園を走った際、ピッチを短く刻んでいたのを思い出し、それをやってみたところ進む進む。一時的にキロ5分40秒台のペースを取り戻すことが出来ました。とはいえ、ローランギャロスの上り坂、森に入ってからのだらだら坂では、やっぱり7分台になる時もあって。。。40キロを超えてから少しスピードを出そうとしたところ、右足太ももの裏側の筋肉がつりそうになり、危うく転び掛けたのが2度ほど。筋肉を鍛えることが必要です。
30キロ地点以降の写真が極端に少ないところに、この時間帯の苦しみが現れています。
フォッシュ通りに出てからの200メートル程度は、慎重にラスト・スパートをかけましたが、途中でやっぱり脚がつりそうになりました。ゴールがあと20メートル先だったら危なかったかも知れません。何とか無事ゴールしたタイムは、4時間13分2秒。昨年より11分短縮、ベストだったヘルシンキより8分程度短縮。ニース・カンヌより20分程度短縮。何よりも、補給所2カ所を除き歩かなかった。そして、ラスト・スパートをかけるくらい余裕があった。ゴール直前の写真屋さんのところでガッツポーズまで決めることができた。昨年11月のニース・カンヌ以来の左膝痛を乗り越え、雨と寒さを理由に3度しか走らなかった1月、同じく7度しか走れていない2月、3月にはOVで走りすぎて右足首に痛みを抱えてしまい、3月末日にガストロでお腹を痛め、発熱までしてしまい、2日連続のゼナ服用とブドウ糖注射でやっと復調した今日、ここまで走ることができたのですから、大満足です。
インドに行ったGさん、日本に帰ったYさんが背中を押してくれたような感じがした瞬間が2度ほどありました。12区役所裏手の上り坂を走っているときと、ローランギャロスの坂を上がっているときです。前回、ここで話しかけられたよなぁとか、「パリ・マラソン・コース」とか言って一緒に走ったよなぁ、とかいった思い出が元気の素になりました。誠に体力は気力です。お二人の分まで走ることができたかどうかは心許ないのですが、お二人との思い出に助けられながらお二人の分まで一緒に楽しんだことは確かです。有り難うございました。
走り終わってすぐに荷物を引き取って着込んだのが功を奏し、去年とは異なり体を冷やしきることなく家まで帰ってくることができました。が、やっぱり寒かった。気温的には19度まで上がっていたらしいのですがそういう感じがしなかったのは、びっしょりの汗が冷えたせいか、あるいは空がちょっと曇り気味だったせいか、あるいは応援に来てくれていた同僚夫妻とゴールの後に会えなかったせいか。いずれにせよ帰宅早々お風呂を入れて肩まで浸かった時の体と心のほぐれ方といったら、言葉に尽くしがたい気持ちよさでした。
パリマラソン前日の今日は、10時から基金の配分会議に出席。「裁定」という言葉の意味が少し分かったような木がしました。フランスの外務省では極東専門家試験として日本語のほかに中国語、ヒンズー語があり、そのコンクールを通った人は日本語専門家であっても例えばパキスタンを担当することになることもある、といったことを知りました。
昼食は自宅でペンネ。少しずつカーボローディングです。昼寝をした後、夕方からMasion de la Mouche Dubosへ。取り置きをしてもらっていたDT3のシルクラインを引き取り、ついでに、ハーディーのいろいろな話を聞くことができました。以前、「ハーディーのテスト・バッグは購入できますか。」と問い合わせをしていたところ、返事がなかったのですが、その理由を教えてくれました。
ハーディーのバッグは以前は英国でブラディー(Brady)が作っていたが、今は中国に工場が移ってしまった結果、品質ががた落ちした。注文していた客が3ヶ月待たされてやっと品物を受け取った後、返品してきた、ということもあった。ハーディーのリールの方は韓国工場で作られている。パーフェクト・シリーズの入荷はまだない。ハーディーは最近、販売促進に熱心だが、例えば自分の店はハーディーから直接仕入れることができず、ハーディーが指定したフランスの代理店からでないと仕入れることができない。代理店のマージンが高いため、うちでハーディー商品を購入すると大変高くなってしまうことから、うちではハーディー製品の取り扱いを少しずつ縮小している。等々。。。マダムが「大変残念だわ。」と言いながら、いろいろと教えてくれました。そうだったのか、ハーディー。そう言えば、リニューアルしたHPでフランスの代理店を探しても、「見つかりません」という表示がされていたっけ。ちょっと残念です。
そして、ポルト・ド・ヴェルサイユのマラソン・エキスポへ。ゼッケンの引き取りです。18時半頃だったためか、行列用の鉄柵が空しく並ぶなか、一瞬でゼッケンを引き取ることができました。エキスポの方では、今年のメインスポンサーである我らがアシックスの存在感が凄かったです。OVERSTIM・Sのベルト(エナジー・ジェルを入れるポシェットが2つ付いているもの)を購入。先日来調子が悪いPOLARの心拍計を買い換えてしまおうか、とも思ったものの、そこはぐっと我慢。スージーで焼きうどん・チャーハン・牛肉タマネギ炒めとサンラータンでカーボローディングを行い、モノプリでバナナほかを購入して帰ってきました。さていよいよ明日です。
今日はゼナを飲んで職場に復帰。ブドウ糖注射を打ってもらい血糖値を上げ、神経系の疲労回復を図った後、午後は国民教育省へ高校生交流案件で打ち合わせに行きました。ボン・マルシェ食品館と同じ建物に入っているオフィスで、3時間に渡ってフランス語の会議に出た後、食品館でイチゴやらキウイやらを買い込み、夜はYENで総勢8名の夕食会。大変充実した一日となりました。疲れました。。。
朝、出張の方々と一緒に高等教育機関の学長にインタビュー、昼は別の高等教育機関の関係者との昼食会、午後は日本に行きたいフランスの高校生の面接を行い、夕方はパリ第7大学で講演会、とフル稼働だった新年度初日でした。ちょっとしんどいです。
3月31日と言えば日本では年度の最後の日。人事異動があったり引っ越しがあったり、と、いろいろな人の移り変わりがあるのですが、そういうことがないフランスにいると、ふとその感覚が懐かしく思い出されます。
今日は、午後中、フランスの高等教育省で「オペレーション・キャンパス」という資源の集中投入プロジェクトについての事情調査を、出張者の人と一緒に行ってきました。フランス電力公社EDFの株式売却益を元手に、大学の施設改善を主たる目標として実施されているこのプロジェクトは、売却益50億ユーロを5億ユーロずつに分け、それを10の大学群(候補書類を審査の上決定)に対して「元本」として割り当て、各大学群はその運用益(年率4.5%)により施設改善等を行う、というおもしろい取り組みになっています。一度に使い切ってしまうのではなく、元手を渡す、というのはいいアイディアだと思います。それにしても、4.5%とは高い利率になっている、どうやってそんな高い運用益を得ることができるのか、という質問に対し、「それは財務省の中で行っている。」という苦しい回答があったりして、この国もずいぶん苦しんでいるんだなぁ、ということを伺うこととなりました。
年度最後の日の夕食は、出張者の方々と「LA GARE」にて食事会。ミュエットにあるかつての駅舎を改造してのこのレストラン、約300席ほどを用意できる、とのこと。広大なスペースが確保されており、スーツ姿の男ばかり6人でテーブルを囲んでも、あまり目立ちません。その意味で、社用にはちょうどよいかも知れません。食事自体はごくふつうのフレンチで、ふつうに調理されています。雰囲気そのものは悪くありませんし。なお、ネットで見た番号で予約をしたところ、食前酒としてシャンパンをプレゼントされました。
ただ、困ったことにデザートを食べている時に急に腹痛に襲われ、トイレで10分ほど苦しむことになってしまいました。パリ・マラソンまで1週間を切っているのに。。。
お昼に、パリ政治学院に入っているある日本の大学の海外オフィスの人と食事をしながら諸情報を得てきました。事業が「講演会の開催」というのは少し不思議な感じもしますが、そういうことを通じてでも当該大学の名前をパリの様々な機関にPRできるというのがその理由なのでしょうか。むしろ、当該大学への留学機会のPRや、大学間連携協定締結推進、というのがミッションとしてはより適切であるようにも思うのですが。
今日で歯科治療が終了しました。財布には響いたものの、時間がある今のうちに治療をしてしまえたのでよかったです。これで当分の間歯科治療不要、となればいいのですが。
魚の目の方は絆創膏を貼り始めて2日半が経過した今朝、少し表面を触ってみましたが、まだまだ芯がぽろりといくような状況ではありません。もう少し時間がかかりそうです。
そして、次の次の日曜日に迫ったパリ・マラソンだというのに、なかなか走ることができていません。超回復に若干の時間を要しています。明日は走れるとよいのですが。。。
出張者の人たちと一緒に、パリ郊外はクレテイユの大学病院内にある看護師養成学校を訪問してきました。日本の場合、看護師養成は高校・大学・短大・専門学校・看護師養成施設等によって行われているのですが、フランスの場合は看護師養成学校の1本で行われており、当該学校は保健省所管であって高等教育省は一切関係がない、とのこと。日本の場合、看護師養成は大学で、ということが主張され、2割程度が大学で養成されているようですが、フランスの場合は大学化は全く行われておらず、また職能団体からもその希望が示されていない、とか。その理由として、大学での教育ということになると「専門家集団による次世代の専門家養成」という自律性が崩れてしまうおそれがあること、フランスの看護師はテクニック重視であり「看護学」という学問分野が存在しないこと、が挙げられていました。バカロレア取得後、3年間の養成学校での訓練及び試験を経て免許(diplome)が与えられるそうで、試験(日本流に言えば国試でしょうか)の合格率は70~85%(以前は90%程度だったそうですが、近年落ち込んでいるそうです)、看護師免許取得者は全体で50万人程度で実際に仕事をしている人は37万人程度、現役として働いている年数は8年から12年程度、といった状況らしいです。日本の看護師免許取得者が170万人で現役が120万人程度、とのことでしたので、対人口比でみるとフランスの方がずいぶんと少ないのですが、出張者によると、フランスの看護師の方が浸襲性の高い行為を行っているそうです。麻酔専門看護師なるものも存在する様子。日本の医師の領域に近いこともやっている、ということなのでしょうか。また、日本の看護師の領分の多くをヘルパーさんがやっている、ということになるのか。詳しい人によると、看護師の業務は法令上かなり明確に規定されている様子です。なぜあれだけの数がいるのに日本で看護師不足が問題となり、外国から人を入れる必要がでてしまうのか。いろいろと研究が必要になりそうです。
なお、校長先生は男性でした。その先生から出張者に対して出された質問の一つが、「日本では男性看護師はどの程度いるのか。」フランスでは10~13%程度が男性だそうです。
午後の会議では言われていたある事務につき強い督促を受けてしまいました。なかなか追いつきません。
午前中の会議では日本語教育や日本語教育機関への支援のあり方について、具体的で内容の詰まったやりとりを行うことができました。時々、こういう刺激を持っておきたいです。午後はこつこつと事務仕事。先週18日の行事のレポートを作成し、その他諸々を行っていたらいつの間にか20時に。知り合いとうまみ庵で軽い夕食会・情報交換会を開催した後、シェフとDADAでビールを飲んで帰ってきました。
先週末の合宿の疲れが今になってどっと出てきました。3日で50キロ走ったのですから、さもありなん。でも、このだるさからの回復が「超回復」になるのでしょうから、楽しみです。右足首外側に若干違和感があるのは心配ですが。
一日事務仕事を行い、夜は出張者との会食をFontaine de Marsで。彼に釣られてつい料理の写真を撮ってしまいました。やっぱり「同期」というのはいいものです。
数ヶ月前から右足の小指の外側が妙に痛かったのですが、しげしげと眺めたのはつい先日。皮が固くなっている場所があり、サカナの目そっくりの状態になっている。ひょっとして、と、ネットで画像検索をしたところ、まさにこの患部を指して「魚の目」ということを知りました。3連休の合宿時、走っている時に少しだけ痛みを覚えました。ただ、こういう痛みが42.195キロの道のりをどのように変えるかは分かったものではありません。パリ・マラソンまで2週間。調べてみたら、魚の目退治の絆創膏が存在することを知り、それをゲット。貼り始めました。万全の体制で臨もうと思います。
昨晩の大行事から一夜明け、今日は午前中、懸案事項の説明を済ませることができたことから東京へのレポートを2つ、送ることができました。ほっとしつつ、2組の出張への対応、装飾工芸美術館からの依頼への対応、来年の予算計画作成、その他雑多な問い合わせ等への対応を行っていたら、いつの間にやら勤務時間終了を迎えました。
終了後、脱兎のごとく帰宅し、明日からの3連休の用意をととのえ、20時30分に出発。向かう先はオーストフォルネというオランダの街です。そこに汽水湖があって、1周がちょうど10キロだとか。ちょっとしたリゾート地のようにもなっている様子。パリ・マラソンまで2週間となる週末を、オランダで合宿して過ごそうと思います。
年に1度の自分が責任者となるオリエンテーション&大レセプションを無事終えることができました。昨年同様、年初より準備を進めていたものであり、関係者からの御理解をいただきながら様々な事務を行っていた集大成。明日に予定されているというストライキの影響で参加者が当初見込みよりは減りましたが、それでも120名程度の方に集まっていただくことができ、成功裏に終えることができました。今年で2度目。来年以降も続いていけばよい、と思えるような行事に育ちつつあります。
レセプション終了後、今度日本に行く知り合いのフランス人、その友人たち4名、同僚の計7名でうまみ庵に繰り出し、日本風の飲み会を開催しました。「エホバの証人」に対するフランス社会の眼差しを知ることができたり、アラン・バシュンのCDを買うことができたりして、有意義な夜となりました。
ひとつ、肩の荷がおりた感じです。
朝、モンソー公園10周(10キロ)をちょうど1時間かけて走ってみました。サルコジ大統領は毎朝1時間のジョギングを日課にしているそうです。きつすぎず、楽すぎず、ちょうどよい運動です。今日は初めて、FMラジオでフランス・アンフォを聴きながら走ってみました。これがまた具合がよい。その日のニュースをしっかり聴いて、一日を開始することができます。こういうニュースを流してくれるラジオ局が日本にあれば、株主になりたいところです。
昨年度まで職場は違っても同じ仕事をしてきた現大学教授と午前中は打ち合わせ。エネルギーをいただけました。こういう方との縁は大切にしていきたいです。
前歯を差し歯にする治療を始めました。中学校の時にサッカーのオーバーヘッド・キックを真似していて膝が当たった時に折れてしまっていて、神経を抜いてファイバーが詰められていたようなのですが、時間が経つに従って黒ずみが目立つようになり、ちょっと見たところ病的な感じになっていたことから、思い切ったものです。いろいろと悩み、サイトの情報に左右され、という状態でしたが、最終的に歯医者さんから様々なことを確認し、歯茎の黒ずみといった心配もない、と聞いたことから、治療開始。みるみる前歯が削られていっている様子を感じて切ない思いにもなり、自分が火葬された後には被せたものだけが残るのかなぁ、などと遠い悲しみも覚えましたが、すり減って短くなっていた歯を修復した(長くした)仮の歯を入れてもらったところ、「これだけでもずいぶんといい。」と歯医者さんがおっしゃるとおり、すっかり雰囲気が変わりました。来週木曜日に最終的な治療を終えることができそうです。
そして、お昼も夜も「ももの木」弁当でした。明日の行事が終われば、少しは楽になりそうです。
午前の時間、10時半からの会議、11時半からの会議、その後の打ち合わせで13時を迎え、午後の時間は16時の来客からその後の打ち合わせ、その消化の打ち合わせ、さらにそれを消化する打ち合わせで18時を迎え、つくづく、自分の机で落ち着いて仕事をする時間が少ない1日でした。自分の時間を確保できるのは、やはり夜になってから、ということなのでしょう。とはいえ、22時45分まで職場に居れば、ある程度のところまでは落ち着かせることができるのですから、東京と比べれば大したことはないのかも。それでも。。。
今日は思いを決めて、携帯電話を購入しました。帰国まで3ヶ月少々となった今、何故か。今まで職場から持たされていた携帯電話は、私用通話を行ってもその分を申告して料金を払えばよい、という整理になっていたのですが、その整理が急に通用しなくなり、私用は一切まかりならん、ということになりました。東京による監査まで実施される様子です。というわけで、私用専用の携帯を持つことが必要となったことから、プリペイドの携帯購入を決意した次第です。fnacで簡単に購入でき、その場で番号も割り当てられるのですが、この番号はずっと使えるということになります。数字の組み合わせが飽和状態に達することはないのだろうか。ちょっと心配にもなりましたが、まあ考えても仕方がないことは考えるのをやめにする方がよさそうです。この携帯、番号毎、他人に譲渡することができるんだろうか。購入時に氏名、身分証明書の番号、住所まで登録させられているし。まあ譲渡しなければいいのでしょう。3ヶ月分、65ユーロ分の通話権をタバコ屋で購入し、チャージをしておきました。電話本体が59ユーロだったので、1万5千円分程度でしょうか。プリペイドでなければ本体はもっと安くで購入できるのですが、まあよしとします。
以前、パリ三越で購入したカバンの一部が、年末に帰国した際、壊れてしまいました。購入費より5年間の保証が受けられるものであったことから、パリ三越に持っていったところ、修理は別のフランスの修理店に直接持って行ってくれ、とのことで、以前に同じメーカーのものを持って行った経験もあるお店の位置が記されて蛍光マーカーまで塗られた地図を見せられました。品物を預かってもらうこともできず、結局、大きなジュラルミンの空カバンを、にぎわう土曜日の夕刻、持ち歩く羽目となりました。こういう経験をしてしまうと、何となくパリ三越で買い物したくなくなります。アフター・ケアは大切です。
日本に帰るジョギング仲間の送別会を「修」で行いました。カルチエ・ラタンのAu Vieux Campeurで購入したモン・ブラン登頂のDVDは大変参考になります。
午後一番でベルギーが主催する会議に出席。17時過ぎまでかかったのですが、本来、この案件について第一義的な責任と権限を有している人が何も発言せず、代わりに発言したりすることとなりました。給料分の仕事はしなければならない、ということを先輩から言われてきた自分には、ちょっと理解ができない行動ではありましたが、まことに不可解なことが多い世の中です。
初耳だったのですが、13日の金曜日は運試しの日ということらしく、くじをやる人が多いのだそうです。朝、ラジオで聞き、フランス人の同僚に確認したところその通りだ、とのこと。自分も早速ネットで運試しをしてみました。当たるかしらん。。。
喉が痛く、お医者さんにみてもらったところ、ウィルス性咽喉炎と診断されました。扁桃腺までが赤いことはない、とのことで抗生物質は処方されず、消炎剤の投与を受け、様子を見ることとなりました。週末に参加を検討していたモンマルトルの10キロレースがあったのですが、この感じだと難しそうです。来週、大きな行事を控えており、また様々な課題が山積する中、このようなことでダウンしてはいられません。ゼナを飲んで回復を図っています。
サン=ディエの地理学国際フェスティヴァルで日本を招待国としてもらったお礼の会食が開催され、末席を汚させていただきました。終了したのが日が変わる30分程度前だったというところに、関係者の情熱が感じられます。サン=ディエの日本庭園が、関係者が皆で書籍等を通じて勉強した結果のたまものである、という点、特に日本から技術指導員を招聘したりして作ったのではない、という点に、市全体の熱意を改めて感じ、庭園のオープンの時のうれしさを思い出すことができました。鳥居もずっとそこにある、とのこと。4月26日に行われるトレイルの際に、改めて目に焼き付けてこようと思います。
悲観的であることは何も生み出さない。ソルボンヌの先生がおっしゃった「楽観主義サミット」を立ち上げたい、そんな気分です。
朝、小雨の降る中、インドから来た友人とパリでの走りおさめをモンソー公園で。周を重ねるにつれて増えていく通勤者と車の音、走る朝には必ず見掛けるちっちゃな女の子、そして何より酔狂な数多くのジョガーたち。いろんなことを話しながらの6周はあっという間に終わり、公園を出た交差点のところでランナーとしてはしばしのお別れをしました。今度は日本で。
昼も夜も「ももの木」のお弁当で済ませるという、味気ない日となりましたが、時々はそういう日も必要です。天候は不順で雨と晴れとが一日の間に何回も交互に訪れ、春が近いことを感じさせます。そんな中、今日の嬉しいニュースは、キリマンジャロで一緒になったフランス人の姉妹からメールがあったことで、いずれパリで再会ということになるかも知れません。楽しみです。
ただ、残念なのは、ここのところの日本の政治報道。外国に生活しながら日本を愛さざるを得ず、それを表現していきたい自分としては、暗澹たる気分になります。どうして、ここまで他者を引きずりおろすことに熱を上げることができるのか。「○○おろし」ばかりを行ったあげくのさんぱち、「おろす」対象がなくなって誰もいなくなった時、初めて自らの愚を悟るのか、それとも「退屈だ」と嘆いて自損行為に走るのか。何故、押し上げる力が働かないのか。
他者に対する攻撃力のすさまじさと過剰に理を貫くそのきまじめさには、和辻哲郎の言う「しめやかな激情」の片鱗が見え隠れするとともに、「日本警戒論」や「日本人は暴力的」という世界に流布した「偏見」が正しいようにも思えてしまいます。いや、ひょっとすると、経済危機を見えなくするための煙幕的劇場なのかも。よく分かりませんが。。。
午前中、2時間の年休をもらって歯医者さんへ。歯にかぶせモノをしてもらう前、再び歯石を取ってもらいました。痛いときはあっても大切なメンテナンスはやはり半年に1度はやってもらっておかないとならないのかも知れません。歯医者さん(奥さんの方)によれば、期間があけばあくほど取る時の痛さが増す、とのこと。確かに前回は1年半程度前だったように思います。定期的に通っておくことは必要だろうと思います。1回80ユーロほどのことで、この痛みと将来的な歯槽膿漏と(おそらくは口臭)を防ぐことができるのですから。
結局、この2時間の間に蓄積していたメールを処理することで、夜22時近くまでの時間が過ぎて行きました。
現在、ある役所の法務局長をやっている知り合いから1年以上ぶりのメールがあり、そのタイトルが「runners」。何事か、と思ったら、昨日のパリ・ハーフの結果を見ていて自分の名前を見つけた、まだパリにいたのか、今度昼でもどうか、という誘いでした。彼の記録をみたら1時間30分少々で走り抜いている。凄いなぁ。是非とも再会したいです。
ついにあれから1年。今年もパリ・ハーフマラソンの日がやってきました。ヴァンセンヌのシャトー前をスタートし、ナシオン広場、バスティーユ広場、パリ市役所をぐるりとまわり、再びバスティーユ広場を抜けて12区役所前を登り、ヴァンセンヌの森を走ってスタート地点に戻ってくる21.1キロ。昨年はおそるおそるのレースだったのが、今年は大変な余裕です。朝、ヴァンセンヌ城までのメトロがランナー達に占拠されているのを見ても新鮮な驚きと微笑が生じないのは悲しむべきことなのですが、気持ちの昂ぶりと嬉しさは昨年以上です。

どんよりと曇った空の下、何度か通ったヴァンセンヌの城の脇を歩いて、花公園(Parc Floral)へ。今回は当日貰いに行くこととしたゼッケンでしたが、何の待ち時間もなくもらうことができました。迷うおそれがない場合には、当日引き替えを推奨します。10時スタートに先立つ約4時間前の起床を自分に課すことも出来ますし。
ゼッケンをもらって出てきたところで医師診断書を提出していなかったらしい同僚の一人と遭遇。ちょっと広い場所に戻って着替えをしようとしていたら、インドからの友が既に着替えを済ませて登場。そして、隣の隣の建物で仕事をしているジョグ友がゼッケンを引き替えに行くところに遭遇。彼とは今晩の夕食時の再会を約してお別れし、計3人で着替えやトイレを済ませ、1年が過ぎる速さを嬉しく嘆きつつ、旗をはためかす風の中、降り始めた霧雨に顔を濡らしながら、スタート地点に向かいました。寒さは感じましたが、一桁台後半だった予報のこともあり、「パリ・マラソン本番よりは暖かいし、人混みの中に入れば大丈夫だろう」とお城の前の広場へ。そして、そこから先の20分弱、皆の中で暖かいのはいいのですが1時間50分目標のスタート地点の道路に入らせてもらえず、2分前に2時間以上目標の集団がぞろぞろと前を歩いていくのに対抗して柵を押しのけて行く集団の一人となり、結局スタートのピストルが聞こえない中、スタートとなったらしいことに気付かされました。スタートライン通過は10時8分過ぎ。昨年との違和感は覚えつつ、確かな自信とともに走り始めました。
既に一度辿った道を再び辿ることは、大変に安心感があります。と同時に、かなりのプレッシャーを感じたりもします。前回よりはいいタイムを出さないと。昨年、レース初挑戦にして1時間54分といういい記録を出してしまったのは失敗だったかも知れません。そして、こういう時に限って昨年同様、POLAR心拍計のスピードポッドが機能しなくなるのです。全くもってついていない。。。とはいえ、ヴァンセンヌの森の出口まではこの程度。そこからナシオン広場までは時々でこぼこがある程度で、そこからバスティーユに向かっては下り。市庁舎、河岸、再度のバスティーユまでは平らで、次ののぼりは12区役所前の坂。坂を登り切ったところで急に下るが再び上る。再度ヴァンセンヌに入っていくとちょっと上るが、基本的に平ら。そんなイメージを持って走ることができるので、ペース配分を最初から考えることができます。大丈夫。自信を持とう。
そして、自信を持って、この上なく順調堅実に上記ルートを進んでいくことができました。昨年、初挑戦だった時には、パリ市庁舎脇の河岸に出た時にかなり辛かったのですが、今年は余裕たっぷりでバスティーユの補給所を折り返して行けます。13キロ地点ののぼりは厳しかったですが、刻んで進むことができました。厳しかったのがヴァンセンヌの森に再び入ってからで、雨が本格化したことでメガネの水滴を頻繁に拭う必要が生じた以上に、このルートがだらだらと微妙にのぼっていることを初めて知りました。メガネの方は目をつぶって走れば大丈夫なのですが、のぼりの方は誤魔化すことが出来ません。あと何キロ、と自分に言い聞かせながら、最後の長い直線でまだ先行する人を抜くことができているのを感じ、ラスト・スパートとまではいかずとも若干スピードを上げて、フィニッシュ・ラインを超えました。手元の時計で1時間47分台。昨年より7分短縮。進化の跡を時計の上に見ることができた会心のレース結果でした。
冷たい雨の中、急いで荷物預け所の体育館に戻り、ナイキIDで自分の名字を入れたダッフルから荷物を引っ張り出していたら、既に着替えを終えたインドのGさんと再会。お互い、得心のいくレースだったことを確認し、雨の中、帰路につきました。
そして、夜は松ちゃんで遠来のGさんを囲みつつ、同僚YさんとOさんを送る会を総勢11名で。十分にタンパク質の補給を行うことができました。次はパリ・マラソンです。
宴の翌朝、とても起きることができず、10時からのブローニュ・ランを断って16時近くまで寝て過ごしました。夕方、ジョギング・ショップに行ってエナジー・ジェルやらクッキーやら回復ドリンクやらを買い込み、バナナを一房買った後、DEL PAPAへ行き、そこでインドの元同僚と合流、1時間少々の短い時間をかけてミラノ風カツレツとスパゲッティーの夕食としました。我らが「原点」であるパリ・ハーフ・マラソンに向けたカーボローディングです。懲りもせず2人でワインを1本空け、ホテル・フェニックスまでお送りし、帰ってきてからも「赤いきつね」でさらなるカーボローディング。明日は6時30分起床です。
午前中に出張希望者からの連絡が2件、昨晩遅くまでかかって仕上げた東京へのレポートに対する修正意見が1件、その他諸々の問い合わせが押し寄せてきて、一瞬脳がフル回転することとなりました。久しぶりにモンソー6キロの朝ジョグをしておいてよかったです。マクドで昼食、フランプリで日用品の買い物を済ませて帰ってきた午後は、ある施設との間でずっとやりとりが続いている問題に関するレポートが届いたのを受け、それに対する必要な修正や指摘事項等の作成を淡々と行うことができました。とりあえず取り乱さずに受けるだけ受けておくことの大切さを久しぶりに知りましたが、やはりあまり尋常ではない忙しさではあります。
仕事を前に進めていく力、改革と改善を図っていく力というのは、一体どこから湧きだしてくるものなのか、よく分かりませんが、少なくとも若さはその大きな源泉の一つなのでしょう。人生の行く先がある程度見えてしまうと、どうしてもさらに先に成果が出てくる仕事に対して消極的になってしまうのかも知れません。仕方がないことかも知れません。比較的若いと思っている自分にも、やりたいことがあるにもかかわらず、自分でやってしまうと組織としての仕事にならず継続されない、ということを口実にして取り組もうとしていない仕事も多々あるのかも知れません。
それにしても、お金をを受け取るとか受け取らないとか、政治資金規制法違反とか、いろいろと日本は賑わっている様子。受け取る受け取らない、とは大変わかりやすい、子どもにも分かる問題の所在の提示方法ですが、民主主義的決定に民主主義の親分が従わないということがあっていいのか、という政治学的な見方からくる問題提起があってもいいように思います。自分が見ていないだけかも知れませんが。それと、「逮捕」報道の方は、例によって「逮捕」に至るまでの法解釈の過程がつぶさに報じられている様子。法学部の人は新聞社内でも発言力が強いのか、それとも裁判官制度の導入を視野に入れた一般人の啓発的意図が存在しているのか。いずれにせよ、日本での経済危機はあまり大したことはない、ということを世界に示しているのかも知れず、日本という国の政治不安定を世界中のあざけりの視線の中に晒しているようです。こんなことだと国際的行事を日本に引っ張ってくるのも難しいのではないでしょうか。少なくとも、ル・モンドのフィリップ・ポンス特派員を初めとする「知日家」のフランス人特派員は、おもしろおかしくプレゼンテーションしてくれています。こういった情報の流通を前に堪え忍ぶのは、少なくともマラソンやキリマンジャロよりも辛い経験です。
再び歯医者さんに行き、今日はかぶせ物の型を取ってもらいました。その際、歯周ポケットを見た先生から、相当歯石が溜まっているので除去するように、との指摘を受け、来週、かぶせてもらう前に歯石除去をお願いすることになりました。確かに、歯周ポケットの奥に強いエアが当たっただけであの何とも言えない臭いがしていましたので、相当溜まっているのでしょう。日程表を見たところ、明日・明後日の予定は全て埋まっていて、なかなか皆さん気を遣っていることがよく分かります。自分が前回やってもらったのは2007年の年末だったかも知れません。まるまる1年3ヶ月放置しておいた、ということになるかも知れず、深く反省。半年に1度というのが必要なことなのかも知れません。
BOZEMANヨーロッパから2人の方が3月中で帰国される、との報に接しました。OVに行けばいつでも会えるような気になっていただけに、大変寂しいです。春分の週末釣行の際にお目に掛かることができるよう、祈っていますが。。。こうやって季節が変わっていきます。
一昨年、結婚式に呼んでくれたフランス人の友人夫妻が、勤務先の香港から一時帰国し、新婦の30歳誕生パーティーを開催する、とのことで、招待してくれたので、再び、あの豪邸に行ってきました。パーティー開始後すぐだったこともあって、ほとんど人は居なかったのですが、そんな中でも結構走る人が存在することを知り驚きました。旦那も香港マラソンを走っており、奥さんの方は今度万里の長城マラソンに出るとか。その友人は初マラソンをどうするか、と悩んでいたらしく、ニース・カンヌを薦めておきました。
その後、うまみ庵に出かけてしっかり食事を取り、シェフに合流してもらって1区にあるフランス語ソングが歌えるカラオケ屋(中国人経営)へ。しっかり閉店の2時まで歌って帰って来ました。さすが中国人、適応力が違います。
今週1週間は必ず何かがあって、夜は会食の日々が続きました。ウィークデイ最終日、今日は仕事ではなく、職場の同僚とのプライヴェートで、松ちゃんでの会食を行い、帰ってきました。最近は2回転となっているのか、21時頃に食べ終わってしまうとどんどん片付けが行われ、残ったビールをゆっくり飲みながら語らう、といったことは難しくなってきました。とりあえず事務的に肉を食べるだけのところになりつつあります。若干残念ではありますが。
明日はフランス人の友人の誕生パーティーです。なかなか走ることが出来ていません。パリ・ハーフまであと1週間ちょっと。。。
先日、出張者が学校訪問でお世話になった方をお招きして、謝意表明会食を田川で行いました。日本にはまだ行ったことがないが武道をやっている(柔道と合気道と何かが一緒になったという、よく知らない武道でしたが)という同氏は、小学校の先生を10年やった後に試験を受けて視学官となり現職にいる、とのこと。フランコ政権時代のスペインを逃れてきた家に生まれた、パリ生まれ・パリ育ちだそうです。そんな彼らに日本食を味わって貰いながらの会食では、改めていろいろな情報を得ることができました。
小学校の場合、市が設置を行い、どの学校に通うかという点も市が決定するのですが、教員は国民教育省の流れで来ており、双方で話し合いが必要な局面もあるそうです。校長先生というのは、学校の授業時間中は国民教育省から給料をもらっていても、休み時間に学校施設の監督者となる場合には市から給料をもらうらしく、そのあたりの仕組みもまた複雑です。生徒指導や学力の問題を抱える学校には、基本的に若い先生が行かされることになるらしく、異動希望は年功に応じてかなえられるのだとか。他方で、ずっと同じ学校で勤務する、ということも可能だそうです。最近は「結果(résultat)」が大変重視されるようになってきている、とのことでしたが、日本の競争と比較すれば何ということはなく、フランスから見ると日本というのは大変厳しい社会であり、自殺者が多いのもそれ故だろう、という見方になっているようで、これは一般にフランス人によく流布しているステレオ・タイプであるようです。真実が含まれているのかも知れませんが。
こういう機会を設け、人と人とのお付き合いをしておくと、「また何かあったらいつでも言って欲しい。」という関係を構築することができます。そして、こういう人脈をどれだけ次代に引き継ぐことができるか、という点が今後の課題になりそうです。
午前中、出張者の人を案内して施設視察と状況聴取に出かけ、空港まで送り、ターミナル2Dのピザハットで軽食を取りながら打ち合わせ。その後、職場に戻ってきてからは事務仕事に追われつつ、20時から別の出張者との夕食会をCercle du 17eで。Cercleのヴォリュームが以前と比べて圧倒的に多く、デザート・コーヒーまで行き着きませんでした。今週は誠に会食週間です。
午前中、出張者の方と濃くあつい打ち合わせを行うことができ、若干の朗報ももたらされました。ただ、これは神風が吹いたようなものであり、恒常的な状況の改善のためには改めて努力が必要になってきます。
午後の終わりは一緒に会議に出て、昼食は全10名でMaison de Campagneで。その後、職場に戻ってきてルーチンの事務を行った後、夜は再び合流。日本語ぺらぺらのフランス人青年も合流し、日本料理評価委員会が認めた正統な日本料理屋でもあるうま味庵でささやかな夕食会。ヴァージン・メガ・ストアーでマンガ・コーナーも御覧頂くことまでできました。明日はいよいよ施設訪問です。
午前中はのれんをとにかく腕押し、糠にかすがいを打ち続ける仕事を続け、午後は本棚の購入の件などを処理しつつ、明日から始まる調査に向けた準備を整え、夜はその調査のために訪仏された出張者の方との会食をスージーで。情報のインプットをしっかりと行っておきたいと思います。
今日はピカルディー地方はコンピエーニュ近郊にある小さな街、ピエールフォンで開催されたトレイル・レースに出場してきました。32キロ、アップが800メートルというタフなコースで、ゴールはピエールフォン城の「足下」とのこと。パリ・マラソンを視野に入れ、そろそろ30キロを走っておいた方がいいだろう、というのが一つと、フランスの掲示板によればオーガナイズが大変上手く行っており、「トレイルの入門に最適」とのことだったことから、2月5日に覚悟を決めて申し込んでいたものです。ピエールフォン城は19世紀後半にヴィオレ=ル=デュックによって修復が行われた城郭で、以前一度、2007年4月29日に訪問したことがありました。歴史は浅いものの、街を見下ろして聳える圧倒的な迫力があるお城です。そのお城の「足下」まで行く、ということは、もしかすると「あの」坂道を登ってゴールなのかしらん。。。
トレイル・レースは昨年、7月6日のソローニュ・クラッシックで22.2キロというのは経験しているのですが、あれは若干のアップダウンはあってもさほど急勾配でもなく、結局2時間で走ることができたという点ではほとんど平地のレースのようでした。今回は32キロという距離もさることながら勾配がどの程度なのかが分かりません。不安一杯で準備をし、5時45分、真っ暗ななか家を出ました。
日曜日の早朝、しかも冬のヴァカンス中ということもあって、ピエールフォンの街までは1時間少々。車内で昨晩用意しておいたおにぎりを食べておきエネルギーを蓄えます。街に入った後、さてゼッケン引き取り所はどこかしらん、と街の辻に立つ看板を覗き込んだら、「ゼッケン引き取りはこちら」という紙看板が出ていて全く迷うことなく目的地にたどり着きました。そして、引き取り所になっている体育館の駐車場に車を停めることが出来たのも嬉しいところ。あと10分遅れていたら一杯になるところでした。ゼッケンは288番。スムーズな引き取りができました。アジア人は自分一人のようで、周囲から奇異の眼差しを浴びることとなりました。
最初、膝までのタイツで走ろうか、と思っていたのですが、まだ暗い駐車場でウォームアップをしているいかにもトレイル慣れした人たちはくるぶしまでのタイツをはいている。多分、それが正しいのだろう、と持ってきていた長タイツに履き替えました。他方、一つ大いなるミスを犯したことに気付きました。ウィンド・ブレイカーを持って来るのを忘れた。。。Nike Proのタイトフィット・インナー(半袖)にNike Fitの長袖シャツを合わせたのですが、その上に羽織るべきウィンド・ブレイカーを持って来なかった。。。一緒に走る人たちは皆、それを着ています。試しに車の外に出てみたら大変寒い。大いなる失敗です。こういう経験を通じて人は賢くなっていくのだろう、とは思いますが。。。
8時に車を出て、出発地点までピストン輸送を行っているバス(通学バスでした。街の所有物でしょうか)に乗り込み、隣町へ。ピカルディーのだだっ広い畑を見ながら、一体どこにトレイルができるような山があるんだろう、と不思議に思ったのは、進行方向右側に座ったからかも知れません。あっという間に到着し、教会前のスタート地点へ。600人の制限人数に到達したのかどうかは分かりませんが、かなりの人混みとなりました。エネルギー・バーとOverstim・sの抗酸化ジェル(Antioxydant)を摂取し、スタートに備えます。集まっているランナーたちを見ていて、皆が年季の入ったシューズを履いているのに圧倒されました。おろしたての靴を履いているのは自分くらいではなかろうか。片方の靴の裏でもう片方の靴を踏んでウェザリングを施したりしながら、緊張感を高めていきます。


定刻を5分遅れの9時05分、スタート。チップによる計測がないため、タイムを計るには自分の時計だけが頼りです。そして、そもそもこういうレースではタイムというものはあまり意味を持たないことに、走り始めて5分後、まだぬかるみの残る未舗装路に入り込んだときに気付きました。こういうレースではタイムはあまり問題になりません。もの凄い登りにさしかかると、皆当然のように走るのをやめ、歩き出します。ああ、そういうことなのか。もちろん、先頭集団はこういう場所でも走り抜けているのかも知れませんが、歩くことにも市民権が十分に与えられているこういうレースでは、タイムのことを気にしても仕方ない。
急な登りがあればだだっ広い畑の中の1本道もあり、ぬかるんだ急な下りがあれば低木の間を抜けていく気持ちの良い落ち葉の道があり、時折倒木や水たまりが行く手を阻んでいたりする。木の根が張り出していたり、滑りやすくなっていたり、石が付き出していたりする道を走るのは、どこに足を置いたら良いのかを瞬時に判断しなければならないという点で、登山に似て、大変頭を使う作業でした。それと、くるぶしまでの長いタイツにしたのは正解。結構、脛の辺りに当たる木の枝があったりして、膝までのタイツだった場合、直接それが肌に当たることになります。いろんなことを勉強させてもらいました。
先々週購入しておいたトレイル用のリュック(ビニールの水筒が入り、チューブが胸まで伸びてきていて、走りながら給水が可能)のありがたみをつくづく感じました。きつくなってきた時に少し水を飲むだけで随分体が楽になります。
スタート前にMCのお兄さんが言っていたところによると、給水地点がある17キロ地点まではそんなに大変ではない、17キロ地点から先の15キロが大変だ、とのこと。いえいえ、17キロ地点までの区間も十分大変でした。が、確かにそこからがきつかった。家に帰ってからPOLAR心拍計のデータをパソコンに取り込んで見てみると、高度差30メートルから80メートルほどある登りを15キロの間に8回、繰り返している。道理で。そして、この区間を乗り切るに当たって、自分に一つルールを課しました。「一定以上の登りの区間では歩いてもいいが、平坦な区間、下りの区間は走り続けよう。」そして、おそらく同じようなルールを自らに課している人たちが前に後ろに居てくれたのも、自分のこのルールを遵守する助けになりました。仮に一人だったら、あるいは、周りにいる人たちの数が多すぎて自分が匿名の存在になっていたらこうはいかなかったのでしょうが、レースも後半にさしかかってくるとだいたい同じペースの人たちが集まった5人程度の小集団が出来あがっていて、抜きつ抜かれつを繰り返すうちに少しずつ顔やユニフォームで近隣の人と知り合いになってしまっているため、誰かが走り出すと周りの皆が走り出す、という好循環ができあがっています。トレイル・レースの楽しみの一つでしょうか。


登りの時は歩いているとはいえ、急な坂をぐんぐんと登っているので、20キロを超えたあたりから膝はぱんぱんに張ってきます。そんな時に走るのは大変きつい。そのきつさを和らげるために使った戦法が3つ。一つは「楽しいことを思うこと」で、可愛い甥の写真を思い出したりするとすぅっと体が楽になりました。二つめが「無理にも笑顔を作ること」で、「何でこんなにきついんだ」という半ば自虐的な笑いであっても、体を楽にしてくれました。そして三つ目は、30キロを超えた地点で冷たい風に吹かれながら畑の中の直角カーブを曲がった時に思いついたのですが、「苦しいと思わないようにすること」でした。膝が痛い、脚がつりそうだ、呼吸が苦しい、背筋が痛い、といろいろな不平不満が体のあちこちから脳に信号として届けられるのですが、脳の方で「だから何?」という姿勢を維持するのに成功すると、案外走り続けることができる。「意思の力」「おもねらないこと」「不感症」、もっと適切な用語があるのかも知れませんが、この三つ目の方法はランニング以外の様々な局面で応用できそうです。
舗装道路に出て下っていった先、道路で車を止める役割をしている人に「日本人ですか?」と呼びかけられ、「そうです。あと何キロ残ってるんですか。」「1キロ少々ですよ。」気持ちが楽になるとともに、残りは走り続けよう、という気になりました。残された距離が分かると、その間に全力を使い切ろうという気持ちになれます。やがてお城が見えてきた。さっきのおじさんは「あとはくだるだけ。」と言っていなかったっけ?。そうなるとお城の「足下」というのは下の方なんだろうな。いや、でも去年の写真ではお城の坂を駆け上がっているような写真があったけど。。。
やがて道が登り始めました。やっぱり下りだけではなかったんだ。。。既にゴールした人たちが坂道を下ってきます。「Bravo!」「Allez! Allez!」「Courage!」様々な励ましの言葉をもらいながら上り坂を走り続けます。少し前なら歩いて登ったであろう坂道ですが、ここまで来たらもう大丈夫。そして不安は的中。やはりゴールはお城の中となっていました。よし。まだ煙草を吸っていた時分に息を切らしながら歩いて登った上り坂を今は走って登っている自分を誉めてあげながら最初の登りを終え、ぐるっとお城の周りを巡った先、さらに急な坂を走って登っている人の姿が見える。えええ。。。全貌が見えるところに来たところ、最後にさらに登りがあって、その先にブルーのゴール・ゲートが置いてあるのが見えました。そのとき、Nike+からは「3時間55分経過」のアナウンスが。この様子だと4時間を少し超えてしまうかも、と思いつつ、最後の坂道を走って上がっていき、ゴール地点で応援してくれている人の声とカメラとテレビカメラに励まされながらゴール。後で時間をみたら「3時間56分51秒」との表示。そしてゴール時の心拍数は100%MAXになっていたようです。即日出た結果では、完走者557人中472位だった、とのことであり、本格的トレイルは事実上初めてだった自分としては健闘したのだろう、と思います。他方、トップは2時間16分でゴールしている。多分、自分が歩くことを是とした坂道も走り続けなければこのタイムは出ないでしょう。恐るべきことです。
ゼッケンは後ほど行われるくじ引きで使われるとかで取られてしまいました。出発時に荷物を預けた人はゴール地点で引き取れるようになっていて、フリース等を預けておかなかった不明を悔いましたが、まずは車へ向かおう、と、張った脚をそろりそろりと出しながら坂道を下っていきます。駐車場までがちょっと遠かったのが辛かったですが、それでも15分程度。ちょうどクール・ダウンになったのかも知れません。車に辿り着いた時の安堵感といったらありませんでした。
バドワとおにぎり2個でとりあえずのエネルギー補給を行い、体育館で昼食を取れるとのことで向かっては見たものの、あまりの行列の長さに辟易として、すぐにピエールフォンを後にしました。誰かと一緒ならまだしも、一人であのお祭りの中に入っていくのも億劫でしたし。
そして、教訓がもう一つ。レースで使う靴と会場まで行く時に使う靴は使い分けた方がいい、ということを思い知らされました。思い切り濡れて、泥まみれの靴のまま、帰ってこなくてはならない羽目となったことからの後知恵ですが、このことは今後ずっと守っていくことになるだろうと思います。
15時過ぎに自宅に帰還。何よりも先に靴を洗い、お風呂に浸かり、洗濯機を回しました。夜には切れた筋肉繊維の修復を助けるため、スキヤキ肉を焼いておろしポン酢で食べておきました。今日のところは筋肉痛はさほど激しくないのですが、明日・明後日はどうなっているか。とにかく早く寝てしまい、来週に備えることにします。
面接も2日目となると主要審査委員間では評価が一致するようになってくるのが通例なのですが、通例とは例外があるから成立する概念であることを知らされた一日でした。他の4人が全く評価していない志願者について「自分は彼に1番の点数を付けた」と言う人がいたりした場合、委員会としての結論を出すためには十分な議論を経る必要が出てきます。よって多大な時間を要することになる。とはいえ、人の人生を左右することではあるので、ちゃんとした検討は必須です。面接時間に滞った仕事をしていたら、久しぶりに23時前までの勤務となりました。明日が最終日です。
今日から3日続く面接が始まりました。今日は午前中だけで済んだのですが、午後、夕立のように仕事が降りかかってきてしまい、20時からの会食に間に合わせるため、悲壮な気持ちで取り組みました。悲惨オーラが出ていただろうと思います。
「ひょうたん」で行われた会食は、フランスの中学校の日本語の先生(フランス人)とで、早稲田大学に留学されていたというだけあって、日本語がぺらぺらです。おかげさまで当方の拙いフランス語はあまり出番もなく、大変助かりました。そんな先生といろいろ話をしていると、物事を改善するためには、現場からの声を十分に聞くことが不可欠、という当たり前の真実に行き当たると同時に、会食の機会に得ることができた現場からの声も、自分の想像力と創造力を働かせてアクションにつなげていかなければ、ブログのネタ集め程度の意義しかなく、それが印税収入に結びつく人の場合はさておき、自分などはやはりアクションにつなげていかないとなぁ、とつくづく思った次第です。もらったヒントは明日から早速関係要路に伝え、物事を動かしていこうと思います。
仕事はさておき、「tutoyer」ということについて興味深い話を聞きました。相手を呼ぶ時に「vous」を使うか「tu」を使うかは、日本人(あるいは自分)にとっては結構難しい問題です。「tu」は「君」とか「おまえ」といった訳語が当てられており、ものすごくくだけた感じであるように思われます。昔、東大総長までつとめられたフランス文学の先生が、「男女がvousで呼び合うのをやめてtuで呼び合うようになった時には、彼らが「親密な」関係になったことを示している。」とおっしゃったりした、とも聞きました。そんな中で、フランス人とtuで呼び合うには結構な勇気が必要だったのですが、そうでもないらしい。彼によると、「tutoiement」は2人の間に有る程度の距離がある場合までを含むものであるらしく、「ため口」より丁重である場合までを含み、「です」「ます」調も十分射程に入っているのだそうです。なかなか奥が深いです。ちなみに、学校の先生である彼は、自分の生徒たちを呼ぶ時は「tu」を使い、逆に生徒たちが自分を呼ぶ時には「vous」を使わせるが、それは上下関係をはっきりさせるためだそうです。現大統領は閣議の場では皆が「vous」で呼び合うことを求めたようであり、昔からの格式高い家族では今でも「vous」で呼び合っている、と聞きます。ううむ。。。難しく考えない方がいいのかも知れませんが。。。
午前中は会議とその後のこなしを数件。午後は週末に届いていた厄介なメールに対する回答をいくつか作成し、評定面接を行った後、引き続きの回答作成。明日から始まる面接の日々に備え、応募書類を見ていたら、一本東京へのレポートをやっていなかったことを思い出し、それを作成したりしていたら、久しぶりに22時を超えました。
なにやらGoogleニュースによれば、酔っぱらって記者会見に現れた大臣が攻撃されているようですが、フランスでは2007年6月に国家元首がそれをやっていました。ロシアの大統領との会談が終わった後の記者会見です。ちょっとプーチンさんとの会談が長引いたことを冒頭、謝っているのがサンパなところです。
会見時の失態が会合の中身よりも重要な事項になってしまったのには、そのような様子を見せた側にもそのような様子しか報道しない側にも、そしてそれを見てメディアの前で何かを語る人々にも、問題があるように思います。風邪薬を飲んでいようとも泥酔していようとも、それなりにもっともらしくプレゼンテーションをすることの大切さをフランスの国家元首は教えてくれているかも知れません。
昼過ぎに起床。昨晩の焼酎が残っていて体が重く、フォンテーヌブロー行きは断念。そのかわり、久しぶりに3時間走をやってみよう、と思い立ち、15時45分に出発。モンソー公園の脇を通って聖オーギュスタン教会、マドレーヌ寺院、コンコルド広場と名所を眺めながら、日曜日で自動車通行止めになっているセーヌ河畔通りへ。昨年1月13日に同じように走っています。その後、この通りはパリマラソンで逆方向に走っていることもあって、馴染みの道となりました。晴れ渡った午後だったこともあって、沢山の散歩客が繰り出していて、その中に時々ジョガーも混じっている、という感じ。今日はベルシー橋まで行って折り返しました。
その後コンコルドまで戻っていき、橋を渡ってセーヌの反対側をエッフェル塔近くまで行き、Debilly橋で再び右岸に戻り、グルネル橋のところでついに白鳥島(Ile aux Cignes)に降り立って自由の女神のところまで走り、その後、ラジオフランスの足下に戻ってパリ・マラソンのコースを辿ってみることにしました。ジャン・ドゥ・ラ・フォンテーヌ校の前までの道、厳しい上り坂だったような記憶があったのですが、今回は全く大したことがなかったのは、そこに辿り着く前までに30キロを走っていないが故なのでしょう。ローラン・ギャロスのところの通りが案外長いのに驚きつつ、ブローニュの森の脇をかすめてオートイユ広場に向かっていく坂道を登っていく途中でついにガソリン切れ。そこから先は歩いたり走ったりを繰り返しつつ、結局、ブローニュの森に入ってからのコースは大幅にショートカットして、何とかフォッシュ通りまで辿り着いたところでエクセサイズをやめることにしました。2時間45分で25キロ少々を走っていた模様。SLDを意識したトレーニングだったのでまあいいのですが、このままだと4月のパリマラソンで4時間を切るのは難しいかも知れません。今年、膝が痛かったり、雪が降っているのを口実に走っていなかったところ、そのサボりの結果が見事に現れている感じです。
それにしても、今日のエネルギー切れは辛かった。走ろうという気持ちが心の中で遠ざかっていくような感じで、寒い中、3キロ近くとぼとぼと歩いて帰ってくる羽目となりました。右足の付け根のところに走った痛みは、ヘルシンキ・マラソンの時と同じものでした。また、20キロを超えてから推進力がどんどん失われていったのは、筋肉不足であるように思います。筋トレが必要だ。他方で、左膝に痛みが来なかったのは大きな収穫です。パリマラソンまでの残された日々を有効に使っていこうと思います。
ヴァレンタイン・デイの今日、標記レースに参加してきました。「聖ヴァレンタインのレース」というタイトルのこのレース、Les FrontRunners de Parisが主催しており、今年で10回目を迎えます。このレースの特徴は、ヴァレンタイン・デイに開催されるというだけあって、愛が込められているという点です。主催団体はゲイ・レズ・バイ・性転換ランナーが集まって作った団体で、全世界的なネットワークを持っている様子。パリのそれはフランスに4つ支部があるその一つであるようです。レースの申し込み用の紙を見ると、仲むつまじげに手に手をとった男と男が楽しげに走っている写真が使われていて、これが理由で小心者(あるいは自意識過剰)の私などは一旦は参加を諦めたのでした。が、会場となるビュット・ショーモン公園は起伏のあるトレーニングに最適の場所として有名であり一度は走っておきたかったのと、ちょうどその翌週2月22日に32キロのトレイル(アップが800メートル)に出場することにしたことからそのトレーニングにもなるだろうかと思ったこと、そしてちょっと怖い物見たさで、参加を決めました。職場の同僚2名も(当方からの強い要請により)参加してくれることとなり、ゼッケン引き取り等の際に一人でいることに伴う心細さがなくなりました。
8時に起床、メトロ5番線のOurcqまで行き、同僚たちと合流し、会場近くの体育館でゼッケンを引き取り。Tシャツ等が入った袋の中には、主催団体のメッセージが込められた小道具が入っていて驚きました。ボディー・ソープやデオドラント・スプレー(パリ・ハーフ)やシャンプーや洗剤(ヘルシンキ・マラソン)が入っていたことはありましたが、こんなことは初めてです。19人入ることができるという男性用更衣室には、畏れ多くて入れませんでした。会場となったビュット・ショーモン公園にはレインボーフラッグが掲げられていました。レースへの参加は団体構成員以外にも広く開かれており、500名を超える登録者があったために当日登録が不可能になっていたようなのですが、やはり啓発的意味合いは残されている様子です。


体育館から公園内のスタート・ゴール地点までが長く、何よりも寒いのに閉口(放射冷却現象が進んだためでしょうか、マイナス1度だった様子です)しましたが、スタート地点に辿り着いた時には既にスタート時間まで3分を切った状態。十分に柔軟体操もできないまま、公園1周2キロを5周するレースが始まってしまいました。それらしき人たちに囲まれつつ、美しい公園の自然を楽しみながら、登って下って約1キロ、応援に来てくれていた同僚夫妻に挨拶しながら走り続け、登って登って約1キロ。この周回後半の1キロが大変足にこたえる、体への負荷の高いコースとなっており、特に3周目が厳しかったです。その3周目の坂を上った先、6キロ・レースを終えるカップルたちが手に手を取って走っていく様は、なかなか壮観ではありました。そして、ゴール方面とは違う方向の道に入っていく時に、なんだか寂しい感じになるくらい、ランナーが激減したのは印象的でした。後から送られてきた資料によれば、完走は330人、6キロのカップルランを走りきったのが121人(何故奇数?)と、実際には10キロを走った人の方が多かったのですが、賑やかだったからでしょうか。印象というのは頼りにならないものです。
4周目に入った時、「あ、この経験もあと2回できるだけなんだ。」と思ったら、レースを一期一会のものとして全力を尽くそう、という殊勝な気持ちになり、最後の2周を慈しむように全力で走ることができました。ゴール直前まで登り続けるという、ラスト・スパートが不可能なコース作りになっていたのですが、そこも全力で駆け抜けゴールしたら52分少々。後の公式記録では52分19秒で、209人中137位となっていました。アップ・ダウンがあったにもかかわらずこの好成績だったのは、ダウン時にスピードが乗っていたことによるのでしょう。3分56秒/キロで走っていた時もあったようですから。


ゴールしてしばらく応援に来てくれていた同僚と話し、すぐに着替えのために体育館へ。一緒に走ってくれた同僚2人とすれ違いつつ、小走りに冷え切った空気の中、風に押されて戻り、建物の中に入った時には本当にため息が出ました。着替えを済ませて繰り出したケバブの昼食は本当に美味しかったです。
帰宅しシャワーを浴びた後、レースの心地よい疲れのまま寝入ってしまい、危うく夕方のソルボンヌ大学文明講座修了証書授与式に間に合わなくなるところでした。同授与式に参加した後、ちょっとしたカクテルで関係者との意見交換。次回は6月8日(月)とのこと。親切な先生と立ち話をしたのですが、そのフランス語の綺麗なこと。感動的に美しいフランス語でした。会場を失礼した後、近くのカフェに入ってビールを2杯。その後、うまみ庵に出かけて4人で焼酎1ボトル半ほどを空けてしまい、ヴァージン・メガストアで買い物をしたり、さらにパブみたいなところに入ったり、さらにははぐれてしまった1人の家に上がり込んだりして、2時頃自宅方面に向かったのですが、乗ったタクシーが凱旋門広場で別の車と軽い接触をしたりして、いろんなことがあった土曜日が終わっていきました。
日本の祝日にあわせて休日となった今日は、夜の会食が予定されていました。出張者の訪問先アレンジを一手にやってくれた機関の2人を日本食レストラン田川にお招きしての会食時のネタとして、2月11日がどういう日か説明できるようにしておこうと、いろいろと調べました。要するに、紀元前660年に最初の天皇陛下が即位した記念日で、現在の天皇陛下は第125代である、というところだったのですが、結局、その他の話題で満ちていて、2時間半程度の時間があっという間に流れていきました。
フランスの学校では携帯電話は持ち込み可能だが電源を切っておかなければならないようになっている、とか、フランス人はOECD・PISAの学力調査の結果は全く気にしていない、とか、10月から12月までは全世界から出張者が多数あって大変だが1月~2月は通常そんなに多くない、とか、いろいろと興味深い話を聞くことができました。一人はもともと英語の先生だったらしく、現在のポストには4年目で異動希望を出すことは可能だが、そうするかどうかは分からない、とのこと。昨年度も同じような機会を設けたことがあったのですが、そのときに一緒だった人がポストを移ってしまったことを大変残念がっていました。折り紙を折ってくれた、と覚えていてくれたりして、強い印象を与えるにはやはり日本文化です。有意義な紀元節の会食でした。
ここしばらく、深夜3時頃に目が覚める日々が続いています。仕事のことが頭に浮かんできて、いつの間にかそれで頭がいっぱいになって目が覚めている。何とか眠っても6時前にはまた目が覚める。今日もそんな風に朝を迎えてしまったことから、仕方ないので、7時から雨の中35分程度走って帰ってきたところ、急遽朝の仕事に行く交通手段が無くなったとの連絡が入り、仕方なく自家用車を出動させました。
知っている人が運転している車に乗るときには助手席に座るのがルールであって、後部座席に乗ることは運転している人を運転手扱いすることになるのでよくない、というマナーは少しずつ忘れ去られつつあるようです。
今日は出張者と一緒に学校の見学だったのですが、この学校でいかに日本語教育が優遇されているか、ということを強調され、いろいろと考えるところがありました。他方で、「フランスの高校を」という配慮でアレンジしてくれた人を前にして、出張者から、「この学校がいかに特別なところか、ということが分かりました。一般化してはいけませんね。」とのフレーズが飛び出し、アレンジしてくれた人から「特別なところもあるがフランスの高校です。」と言われたりすると、冷や冷やものです。空気を読むというのは、なかなか難しいことであるようです。
今晩は眠れるといいのですが。。。
今日は先週に引き続き10キロ・レースに出場しました。ヴァンセンヌの森の脇に設けられたコースをぐるっと2回まわって10キロです。先週の8区の10キロ以来走っていないので、少々不安ではありましたが、スタート予定時刻の10時45分に間に合うよう、9時45分に車で出発。そして、これが無茶だった。シャトーの前の巨大パーキングは既に一杯。その脇のピラミッド通り沿いのパーキングに何とか車を停めた時、既に10時20分を回っていました。大あわてで準備運動もせず、デジカメも車の中に置き忘れたまま、約1キロの道を駈けていき、ゼッケン引き換え所を何とか見つけたのが10時30分過ぎ。それからゼッケンを付け、靴にチップを付け、荷物を預け、スタート地点に入ったら、10時40分を過ぎていました。最後尾で屈伸やストレッチをしていたら、いつの間にかスタート時刻を過ぎていたらしく、目の前の集団が動き出している。自分も音楽と心拍計のスイッチを押しながらスタートラインを飛び越えました。
コースは市庁舎前広場を出た後、ヴァンセンヌの森の脇の住宅街の前を走りながら森の中に一瞬入り、一般道に出て戻ってきて、再び一瞬森の中に入った後、市庁舎前広場に出てきてもう一周、というもので、ほぼ真っ平らです。最後尾スタートであったということもさりながら、BPMを全く無視した、自分にとって気持ちのいい音楽だけを選んだプレイリストだったということもあるかも知れません、とにかくごぼう抜きです。最後の3キロ程度は心拍数が102~104%MAXのまま走り続け、最後の1キロは少しバテながらもスピードに乗ってゴール。実時間で50分24秒という好タイムでしたが、後ほど送られてきた結果では全3182人中1829位。まだ真ん中以下です。
最後、ちょっと左膝に痛みが走ったのが気になりましたが、これまでの痛みとは違った表面的な傷みであり、「壊れてはいないな。」と思えるあたり、以前のような心理的圧迫感はありません。メダルはガラスの中に文字と絵が刻まれたもので、もしかすると初夏に行われるヴァンセンヌ10キロの記念品を作っているところと同じ会社による製作かも知れません。


寒いのですぐさまジョギングで車に向かい、そこで着替えて一旦家へ。家でレンジで温めるPICARDのカレーで昼食とした後、柔道パリ国際に向かいました。
今回で4回目となりますが、過去の反省を踏まえ、14時30分に到着。14時45分頃、男子4階級、女子3階級分、重量クラス7階級の予選最終戦が開始されました。満員になると16000人程度(ボクシングの場合)入る会場、ということですので、今回の柔道の場合、満員では15000人程度になるのでしょうか、その会場の8~9割方お客さんが入っていて、声援や雰囲気は圧巻です。そんな中、リネーの人気は圧倒的でしたし、フランス人選手には大きな声援が飛んでおり、4枚並んだ試合場の他の畳で試合している人も大変だなぁ、と思うことも時々ありました。結局この日は100キロ級で穴井選手が優勝(ただ、相手選手が指導4回を受けての判定勝ちでしたが。。。)しただけに終わり、男子2つ、女子2つの金メダルを獲得したフランスの国歌ばかりが耳に残りました。リネー、身長が204センチもあるのですね。道で出くわしたらさぞかし怖いだろうと思います。それと小野卓志選手の柔道のねちっこさが印象的でした。終了間際、斎藤仁代表団長にお目に掛かった時には、あの涙を思い出し、大変緊張・恐縮しました。


所どころ渋滞するパリの街を東から西まで走り、夜はスージーで今日東京から到着した出張者の人と、打ち合わせを兼ねた夕食会。21時には終了し、帰ってきました。さて、明日からまた忙しくなりそうです。
3年以上にわたって一緒に仕事をし、助けてばかりいただいていた同僚が帰国しました。もう何気なく一緒に昼食に行くこともままならなくなりました。心にぽっかりと穴が空いたようです。同じポストで3年9ヶ月を超えて勤務していると、だんだん一人になっていくような寂しさを覚えます。
昼食後、OVERSTIM・SのBOISSON DE RECUPERATION(回復用ドリンク粉末)を買うためにジョギング・ショップに行って、つい懸案のトレイル・シューズのコーナーを見たところ、気に入った色の AIR TRAIL PEGASUS+ III を発見。ちょうど良い大きさのものがありました。EUサイズで42.5、27センチです。
街の靴(chaussure de ville)では25.5センチ、これまでの路上用AIR PEGASUSではEUサイズ42、26.5センチを選んでいたのですが、先の日曜日の8区10キロ・レースでそれを履いて走ったところ、左足の人差し指が妙に痛くなったことを思い出しました。そこで1サイズ大きいそれを試してみたところ、大変具合がよい。フォンテーヌ・ブローのCircuit des 25 bossesにも最適、とのこと。思わず購入してしまいました。これで再びフォンテーヌ・ブロー行きへのモチヴェーションが高まってきました。
そんな中、仕事の方は相変わらず細々とした仕事の合間に大きな行事の企画があったりして、なかなか気を抜くことが出来ません。救いは来週丸一週間、日本から来る出張者の方のアレンジがほぼ固まったことでしょうか。夕食を職場でレンジ食品で済ませ、久しぶりに詰めて仕事をし、家に帰ってきてエアロ・バイクで20分ばかりのトレーニング。明朝は走りたいものです。
今年最初のレースに、職場の地元、パリ8区の10キロ・レース、Les Foulées du 8e を選択しました。「bulletin20d27inscription20foulees2020091.pdf」をダウンロード
ここしばらくの風邪気味は、昨日のほぼ終日の爆睡と深夜に目覚めた時の「ゼナ」注入のおかげで、朝目覚めた時にはすっきり抜けてくれていて、気持ちよくレースに向かうことができました。昨年11月の17区レースの時の教訓を受け、バーブアのオイルジャケットとナイキの長ズボンで8区の区役所へ。キリッと冴えた空気は予報ではマイナス1度。モンソー公園を走る日曜ジョガーたちを横目にリスボン通りを歩いていき、区役所のクロワールでゼッケン引き取り。地下の講堂が着替え室&荷物預け所となっていて、暖かい中で着替えができるようになっているのは有り難かったです。少なくとも17区よりは運営上手であるように思います。
ゼッケンを付けたりチップをつけたりしている時、隣りのおじいさんのチップ装着を手伝ってあげたところ、問わず語りに語ったところでは、自分は70歳でほぼ毎週レースに出ているとか。こういう交流があるところも楽しいです。10時20分に荷物を預けてスタート地点へ。すっきりと晴れた空に気分まで晴れがましくなります。
10時30分のスタート。普段車で走っているマルゼルブ通りを駆け上がり、モンソー公園の方に向かい、ヒルトンホテルの脇をかすめながらフリードランド通りを凱旋門の方へ向かい、オッシュ通りに行ってモンソー公園をまわり、ヴィリエの交差点まで行って再び聖オーギュスタン教会まで戻るというルート。道を知っているということは、本当に気持ちを楽にしてくれます。


くだんのおじいさんには2周目の日本大使館前でやっと追いつくことができました。とても70歳とは思えない凄いスピードです。ゴールしてみたら久しぶりの10キロを51分台と、大いに健闘したレースとなりました。久しぶりのランだけあって、心拍数の上がり方も激しく、平均心拍数がMAXの94%、最高がMAXの106%となり、39分以上の間、90%MAXで走っていた模様。ただ、左膝の痛みは直前のところで押さえられていて、ちょっと安心。久しぶりのレースとしては大いに満足いくものとなりました。
夕方、シャンゼリゼに鞄を買いに行った帰り、凱旋門のところで毎日行われているセレモニーに出くわしました。18時15分頃の凱旋門広場には突入は禁物です。

風邪に起因するここしばらくの体調不良から脱するため、一日中寝ていました。申し込みしていたMalakoffの10キロ・レースには行かず冬眠。我ながらよくぞこれだけ寝れるものだ、と感心。明日は走れるとよいのですが。。。
ルイ・ヴィトンというブランドに対しては、あまり良い感情を持っていませんでした。女子大生の持ち物、という偏見のせいでしょうか。バブルとか軽薄とか言った言葉が付いて回るような印象があり、どちらかというと嫌いなブランドでした。自分の中では、「ランセル=質実剛健」であり、その価格設定の仕方も商品ラインアップもランセルにずっと軍配が上がっていたのですが、ここ2~3年の間に生じた変化故、まったくランセルに惹かれなくなりました。ランセルの中で自分が好きだった商品群がすっかり姿を消してしまい、妙にへにゃへにゃした感じになってしまったことも一因ですが、何より、頻繁に「ロゴ」が変わる。ロゴはブランドの顔であるはずなのに。。。
そして、いろいろと勉強するにつれ、ルイ・ヴィトンというブランドのすごさが何となく分かるようになってきました。モノグラムは自分向きではないですが、タイガというシリーズ、無地の皮にロゴが一カ所だけ記されているシリーズに大変惹かれています。そんな訳で、その道に詳しいひととの夕食会をスージーでお願いし、聞いたところでは、「孫子の代まで」というくらい、長く使えるそうです。とりあえずこの週末、実物を見に行ってみようと思います。
それにしても、ヴィトンのHP、上手く作られています。ユーロの価格と円の価格の差にはビックリですが。道理でフランスで買いたいわけです。
朝、昨晩の辛い鍋のおかげでしばらく体調が悪かったのですが、昼には快復。出張の方と一緒にスージーで会食の後、文化省に行き、戻ってきて部内会議に出て、引き続き夕方から講演会+レセプションに参加してきました。日仏学術交流の現状についてのこの講演会、知り合いの方々にギリギリ新年の御挨拶申し上げることもでき、有意義でした。
明日、公共セクターの大規模なストがある、というニュースで世の中がにぎわっていますが、ミニマム・サーヴィス法のおかげか、結構な量の電車が走ってくれる様子。95年のストを経験している者としては、なんだか物足りません。が、そもそも一斉ストが公共セクターで行われること自体が、改めて、不思議です。
昨年10月の演舞祭を仕切った方の送別会が北京食堂で。総勢10名で丸テーブルを囲み、例によって辛い鍋をしっかり食べて体がすっかりあたたまりました。送別会につき合って頂く方も大変だなぁ、とつくづく思います。わいわいと楽しい会話が続いて終了は24時過ぎ。ちょっと食べ過ぎ飲み過ぎたかも。
こういう飲み会の支払いで傾斜配分はあり得ることですが、そうでない場合も当然あって、その最たるものがお香典であるように思います。いろいろと信じられないこともあるものです。
昨年10月29日以来、行っていなかった朝ランを再開しました。朝の冷えた空気に昨年の走り始めの頃のことを思い出しながら、すっかり顔ぶれが変わってしまった朝のランナーたちを眺めつつ、6周。iPod nanoの電池を交換したところ、30分程度走ろうとも全くバッテリーが減っておらず、感心。また、Nike+の初代センサーが11月のニース・カンヌ・マラソンで電池切れとなってしまっていたことから、2代目を投入していたのですが、Nike+のHPで認識されていなかったところ、iPod nanoをイニシャライズしたところ認識されるようになりました。初代センサーの記録にそのまま追加が行われているのもよかったです。それにしても、朝から走るとやっぱり気持ちがよい。気持ちがしゃんと引き締まります。
今日こそ出かけようと意を決して、Velibでソルドに繰り出しました。ターゲットはMADELIOS(23, Boulevard de la Madeleine, 75001 Paris)の仏式1階にある下着屋で毎回安売りされているFALKEの「family」という綿100%靴下です。少し厚手で本来ビジネス用ではないのかも知れませんが、柄が全く無い真っ黒で無愛想なところが気に入っています。マドレーヌ寺院のはす向かいにあるこの百貨店、「LE GRAND MAGASIN POUR HOMME」と副題が付いているとおり、男性もののみが売られていて、一人でもふらっと入りやすい。ラファイエット等の総合百貨店ほど混んでいない。そして、今回もちゃんとありました、ファルケの靴下。穴が開いていくであろいう現役世代の代替用として4足購入しました。3割引で30.80ユーロ。いつもの値段でした。
その後、マドレーヌ通りをオペラまで歩く間、ウェストンを外から覗き本店と同じ商品しかソルド対象になっていないことを確認し、OLD ENGLANDの地下にちょっと気に入ったコートがあったものの、ロンドンで購入済みであることを思い出して諦め、LANCELでは小物のソルド品に気に入ったものがなく、それどころか鞄等でも気に入ったものが全く無くなってしまったことに驚き、と、一応、ソルドの見物納めをすることができました。
日本食材店に行ってお肉も含めて大量に買い込み、ビニール袋一杯に食材を持ってメトロで帰ってきました。ちょっとパリっぽいかも知れません。
昨年10月29日以来、おおよそ3ヶ月ぶりにモンソー公園をジョギング。夜、暗くなってからのランでしたが、随分大勢の人が走っていました。左膝の方は完治してはいない様子でしたが、やはり土の地面はやさしく、鋭い痛みにはなりません。心肺機能を再び高めていくことを目的として5キロ、ちょっとスピードを上げて5分20秒/キロ程度のペースで走ってみました。気持ちよかったです。夜はカルビ焼き肉の夕食で、筋肉再生を図ります。
それにしても、Velibの数がものすごく増えてきました。ステーションの数も、自転車の数も増えてきていて、返却に少々苦労しましたが、少し走ればすぐにステーションがある、という状況となってきて、それはそれで便利です。このままいけば、パリは一頃の中国のように街中Velibだらけになるかも知れません。
今日は丸一日、出張者の方と一緒に行動。午前中、特別支援教育が行われている学校に行き、午後は役所で聴き取り調査です。フランスの小学校(幼稚園併設)に、思えば初めて、足を踏み入れました。授業が行われている教室にも入ったのですが、これがあの「フランス人」になっていくのか、と感慨深くなるくらい、純粋な好奇心に満たされた愛らしい笑顔で迎えてくれました。
午後の役所で聞いた話の中で興味深かったこと。フランスでは2005年に障害者関連法が改正され、障害を持つ子どもは原則として「普通の」学校で迎え入れることになった、とのこと。ただ、障害の重い子どもの場合、特別な施設に入る方がいい、と判断されることもあります。県レベルに設けられた委員会が通常の学校か施設かを判断するそうなのですが、最終的には保護者の意見が最優先されるのだそうです。委員会が「施設がよい」と言っても、保護者が「学校に行かせてくれ」と言った場合、住居に最も近い学校はそれを受け入れなければならず、受け入れ学校の教員の負担軽減のために、教室でその子どもだけに付く補助者の加配が行われるらしい。子どもにとっての教育効果が上がらないと専門家が判断したのに、それでも保護者の意見が優先なのか、という日本側の問いに対して、担当課長は「その通り。それが法律で決まったことだから。」とのこと。子どもにとってよくないことだ、ということに保護者が気付いて、施設の方に移して欲しい、という希望が示された場合には、その通りになるそうです。
行政パターナリズムからの脱却の一つの姿が示されているように思います。そして、このようにある意味突き放したようなところに、自己責任という原則の重さが見えてくるようにも思います。個人的には、こういう考え方は好きです。
お昼はAux Charpentiersで、Gérard Mullotでおみやげを買っていただき、夜は軽くL'Ecluseでワインとチーズとハムの夕食、空港までお送りし、職場に戻ってきました。今年に入ってから最初の出張者対応が終了。次は来週です。
1年半前に1度調査で、半年前と3ヶ月前にそれぞれ出張対応で、お世話になった人を招いての食事会をサン=ジェルマン=デ=プレの「円」で行ってきました。こんなフランス人っているんだ、というように純粋で素直で、意地悪さのない人で、従前な謝意表明を行うことができました。フランスくじ公社という公営企業なのですが、「起業休暇」なるものが認められているそうで、週20時間だけ勤務を行っており、残りの時間は現在立ち上げ中のヴェンチャー企業社長として働いているとのこと。起業支援策にもいろんなやり方があるんだなぁ、と感心しました。1対1でフランス人とフランス語で話しながら食事をする、というのが全く苦でなかったのは、彼の人柄故のように思います。
11時から会議、13時から昼食会、17時から空港へ行き出張者の迎え、19時に職場に戻ってきて事務仕事を30分、その後の夕食会、日本からたまたま出張で来ていた友人との再会をスージーで楽しみ、再び職場に戻ってちょっとだけ仕事をして帰ってきました。
惑っている暇がなくなってくるのも年齢故でしょうか。働き盛りの年齢も、高齢化が進んでいます。もはや「高齢」という言葉自体が、時代にそぐわなくなっているのかも知れません。
誕生日、スージーがレストランに招いてくれました。金曜日の夜、突然その話が出て、ちょっととまどっていたのですが、土曜日には携帯に電話をくれて「何人で来るんだ。」好意は無駄に出来ません。今日、何人かに声を掛け、計7人で20時に押しかけました。入って右手奥の丸テーブルを囲んだ夕食会。頼んだもの以外にもいろいろと食べさせてくれました。ワインだけは当方の持ち込みで。本当にいいのかしらん、と、お勘定の頃合いにスージーのところに行ったら「いいんですよ、そういうことだから。」とのこと。大いに感謝です。おまけに、シェフが日本人が好きなケーキ、というのを作って待っていてくれました。生クリームのショートケーキ、本当に美味しかったです。ありがとう、スージー。

知り合いの御自宅に招かれての新年会。セーヌ川沿いタワー・マンションだったのですが、セーヌ川方面の夜景の美しいこと美しいこと。パリ・マラソンもここからなら綺麗に見渡せそうです。
今日は昨年に続けて新春恒例としたいお好み焼き大会を我が家で開催しました。昨年は人が多過ぎたことを反省し、今年は職場の同僚を中心に自分も含めて全8名。こぢんまりとアト・ホームであたたかい大会は、19時スタート、25時30分頃終了となりました。
今年の新機軸は「これやってみたかってん」をいくつか導入したことで、何よりの目玉は、昨年夏、ヘルシンキ・マラソンに行った際に百貨店の地下食品売り場で買ってきていた「熊肉」の缶詰を使った、「熊玉天」焼きです。そのほか、フォアグラ焼き、トナカイ焼き、にチャレンジ。そして、これらの色物系で最も普通に食べることができたのが熊玉天でした。期待していたほどの獣臭さはなく、コンビーフのような濃厚な味わいで、ただ脂肪分が少ないのであっさりと食べることができる。缶詰から出したままで食べても美味しかったです。さすがに30ユーロ近くしただけのことはあります。期待はずれだったのがフォアグラ焼き。ギトギトに出た脂の上にお好みの生地を広げて、ひっくり返したところギトギト。色つやが普通ではありませんでした。口に入れたとたん、生臭さと脂っぽさが広がり、思わず笑ってしまいました。こりゃ失敗だ。ドクロ(全身ドクロに近い)だったのがトナカイ肉の缶詰で、こちらはお好み焼きにする前の段階でアウト。口に含んだだけで飲み込めない、そんな凄い食材でした。缶詰が悪いのかも知れません。


それにしても嬉しかったのが、日本人でありながら本場フランスで頑張っているフランス料理のシェフと共同作業でお好み焼きを焼き、締めの焼きそばを焼いたことでした。およそ40年生きてきて、畏れ多くも有り難い、大変貴重な経験となりました。焼きそばを焼いていた時、ふと火力を弱めたシェフに尋ねたところ、もう直感で火力の感じが分かるのだとか。そういうプロが随所に居て、世の中が回っています。
今年も新年賀詞交換会が開催され出席。さすがに4度目となると大勢の人たちと顔見知りになっており、寂しい思いはしないものの、逆に仕事の話ばかり持ちかけられたりする時もあり、飲み物グラスを手に持った状態ではメモを取るにも取れない状況。あとでメールで送ってください、というのがこういう場合には一番良さそうです。今年もお雑煮が美味しかったです。その後はワイン1本空けながら同僚との愚痴大会。今年は大変そうです。
家の片付けと古着回収に向けた衣服の整理で過ぎた1日、シャルロー牛をゆっくりと焼いたステーキを、おろしポン酢で美味しく食べることができました。キリマンジャロ疲れもおかげさまでほぼ解消です。最高気温が6度まで上がりました。夕方、少し外に出た時も、空気の柔らかさが違います。明日からこれが続けばよいのですが。
今日は今年に入ってからの初ランをブローニュの森でやってきました。駐車スペースは雪が踏みしめられてつるつるになっていて、氷がはった池の上を歩いている人さえ見えます。そんな中でも同好の氏・女史は大勢居て、みな真っ白な息を吐きながらトレーニングに努めていました。銀世界の中、時折膝の痛みを覚えながら、結局、ずっと雪の上を走ることになりました。最初のうち手袋をしていても切れるように痛かった指先が、5キロを超えるあたりから暖まり始め、痛みが全くなくなっていく様子には感動しました。結局、約1時間かけていつものコースを1周。途中、ショートカットしたところもあり、距離的には10キロに足りなかったかも知れませんが、良い運動になりました。左膝は気になりますが。。。


帰ってきてお風呂に入ったら眠くなり昼寝。夕方、日本食材店に買い出しに行き、夜はカルビ焼き肉をたっぷりのニンニク焼き(ごま油)とともに味わいました。キリマンジャロ疲れから回復しつつあるところです。
コーヒーを購入した後、Planet Joggingへ。NikeのAir Zoom Vomeroが100ユーロになっているのを見つつ、トレイル用シューズを見せてもらったのですが、ちょうどいいサイズがない。一旦、カルチエ・ラタンのAu Vieux Campeurまで行ってみたのですが、客が多すぎて店員がつかまらず、買い物ができる状況ではない。シャンゼリゼのナイキ・ストアーに行ったところ、Air Zoom Vomeroが91ユーロと、直売店の強みを見せている。で、サイズを言ってみたところ、もうない、とのこと。欲しいものは見つからない、というのがソルドの法則です。それと、ナイキではトレイル用の靴はやめてしまったらしい。ちょっと驚きです。結局、再びJogging Planetに戻り、Air Zoom Vomeroだけを購入して帰ってきました。牛肉たっぷりのカレー・ライスでお腹を満たしました。明日は初ランです。

20時半過ぎに職場を出てカルフールへ。Fisherman's Friend(ミント)を始めとして、様々な食料品を大量購入し、帰ってきたところからポトフ作りを開始。2時間以上、しっかり煮込んだポトフで体を暖めました。それにしても寒い。今日も最高気温は氷点下だったらしいです。明日から3連休。キリマンジャロ疲れから脱却するため、ちょっと遅めの寝正月にしようと思います。
今日は朝の気温が0度まで上がった、と、ラジオニュースでやっていました。確かに0度は暖かかったです。
新年早々、諸々の案件が降りかかってきましたが、何とか無事しのいでいます。明日は朝食会です。
朝の最低気温はマイナス12度。晴天故に放射冷却現象が生じたためでしょうか。通りの雪は一旦水になった後、氷になって道に貼り付いています。突然つるりと滑る箇所が現れるので要注意です。
「お前は既に・・・」というケンシロウの言葉を思い出すこと2度に及んだ午前中の会議を経て、午後はそろそろギアを5速に入れて高速走行を開始し、夕食会が無くなったことを受けてスージーで夕食を食べて帰ってきました。
今日からパリではソルドが始まりました。参加することに意義がある、と、通勤途中、ウェストンのショーウィンドウを覗き込み、昼食からの戻り道、Running Conseilの店内を物色してみたのですが、やっぱりいいモノ欲しいモノはソルド対象外となっているものです。おそらく今次滞在最後のソルド。必要なものがあるようならば、うまく活用したいものです。
仕事のエンジンが掛かり始めた今日は、最高気温が氷点下という一日になりました。昼休み、テルヌ通りのバーブアーのブティックに行って、ロンドンで品切れになっていた品物を探しにいったのですが、店員のあまりの態度の悪さにあきれかえって買い物はせず。夜はピザ・ハットのテイクアウトのために25分以上、店内で待たされる羽目となりました。ロンドンの方がこういう点では気持ちよかったなぁ。それにしても、バーブアー、フランスでちゃんと通販で買えるのですから、わざわざあんな気分の悪い売り子のところに出向く必要はなかったようです。
今晩の最低気温はマイナス8度まで下がるらしい。キリマンジャロ山頂よりも寒くなりそうです。
猛烈に寒かった今日から仕事が始まりました。
プライヴェート・アドレスへの転送が行われていることから、メールの内容はだいたい把握できていたのですが、それでもやっぱり処理は追いつきませんでした。挨拶やらキリマンジャロ・コーヒーのお裾分けやら溜まった新聞の処理やら、仕事始めの日の用務は多すぎます。
自宅でマーボー豆腐丼の夕食。明日から忙しくなりそうです。
今年自分にとっての仕事納めの日となりました。
武道愛好会の韓国料理夕食会に山梨大学ヤマ・ソーヴィニョンの赤(限定1200本の1本)を持ち込み、堪能しました。日本に帰国の暁には、忍野にフランスの赤ワインを持ち込みたいと思います。
2008年、日仏交流150周年という記念すべき年を、各種行事の真只中で過ごすことができたことは、自分にとってかけがえのない経験となり、財産となりました。今日で今年の仕事も終わりかと思うと、ちょっとだけ感傷的になってしまいます。
昨年はちょうど24日にフランスを発って日本に一時帰国、パリには31日に帰ってきました。今年は23日にフランスを発ってタンザニアへ、キリマンジャロでの来光を29日に拝み、パリには同じく31日に帰ってくる予定です。「人生観が変わるので是非一度行くとよい。」と職場の先輩から勧められた「ブラック・アフリカ」への旅。長期休暇をこちらでしかできないことに使おうと思った時、高校時代の同級生の弟さんの影響からか、ふと頭に浮かんだキリマンジャロ登山です。ガイド1人、ポーター3人、料理人1人と一緒にパーティーを結成し、6日掛けて登って降りてくる行程が予定されています。上醍醐寺のお守りを大切に持って行きながら、馬鹿げた夢に少しでも近づく決意で、アフリカ大陸を登頂して来ようと思います。
○12月23日(火)
17:00 CDG空港発 → ヒースロー空港へ (BA319便)
19:25 ヒースロー空港発 → ナイロビ空港へ (VS671便)
○12月24日(水)
10:30 ナイロビ空港発 → キリマンジャロ空港へ (KQ6722便)
11:20 キリマンジャロ空港着、モシ市内泊
ホテル:Buffallo Hotel Tel +255 754 803 953
○12月25日(木)
モシ市内→マンダラ・ハットへ(2700メートル)、熱帯林通過、所用3~4時間
○12月26日(金)
マンダラ・ハット→ホロンボ・ハットへ(3720メートル)、所用5~6時間
○12月27日(土)
ホロンボ・ハット→マウェンツィ→ホロンボ・ハット、高度順化日
○12月28日(日)
ホロンボ・ハット→キボ・ハット(4750メートル)、所用5~6時間
○12月29日(月)
キボ・ハット→頂上(ウフル・ピーク、5895メートル)→ホロンボ・ハット、所用約13時間
○12月30日(火)
ホロンボ・ハット→マンダラ・ハット(昼食)→モシへ、モシ泊(Baffalo Hotel)
○12月31日(水)
6:00 キリマンジャロ空港発 → ナイロビ空港へ(KQ6723便)
9:50 ナイロビ空港発 → ヒースロー空港へ(VS672便)
18:35 ヒースロー空港発 → パリCDG空港へ(BA324便)
20:50 パリCDG空港着
それでは、皆様、よいクリスマスと、良きお年をお迎え下さい。
朝、Au Vieux Campeurに行って、CAMELBAK(2リットルの水筒、チューブが付いていてバックパックの中に水筒を入れたまま水が飲めるもの、トレッキングやトレイルに最適)、MSRのPACKTOWL ULTRALITE L、虫除けCARE PLUS、SIGGボトル用ネオプレーン・ボトル・ケース(凍結防止用)、その吸い口を購入。その足で書店の方に向かい、スワヒリ語とキリマンジャロの地図を買ってきました。レジに入った店員さんが少しもじもじしながら「ニホンジン、デスカ?」と尋ねてきたのにビックリしながら「はい。」と答えると、自分のシャツを見せてくれたりしました。「一日一善」とか書いてある。「日本には行ったことがあるのですか。」「よく行きます。一昨年も昨年も行きました。今度3月にまた行きます。」とのこと。道理で。「そこの棚に日本語入門が目立つように置かれていたのはそのためですね。」嬉しそうに笑ってました。こういうことがあった時、本当に嬉しくなります。
家に帰ってきて先日日本から持って帰ってきたウナギのレトルトを食べ、午後はルヴァロワ市で開催されている柔道世界無差別級選手権へ。立派な体育館が会場となっていました。
時事通信のニュース等で日本勢男子は初日に3人とも負けてしまい、今日の準決勝以上には進んでいないことを知りました。日本勢女子二人は勝ち残っているとのこと。それを楽しみに観戦、と相成ったのですが、閉口したのは会場に大音量で流れるビートの効いた音楽で、選手の登場時、試合と試合の間、それだけではすまず、「待て」で選手が元の位置に戻る間にも流れてくれる。柔道がJUDOになってルール上もいろんな変化があったようですが、アンビアンスの面でも「格闘技ショー」に確実に近づいて行っているようです。
日本勢女子は2人とも準決勝で敗退、仲良く3位となっていました。優勝は女子が中国、男子は地元フランスのリネ。ロシア選手との決勝では、ちょっと首をかしげたくなるジャッジもありましたが、素人目なのでよく分かりません。ともあれ選手達にはおめでとうを言いたいところです。


閉口2点目が、男子決勝が始まる前のアトラクション。短パン、Tシャツ姿の若い女性が畳の上を駆けめぐりながら歌を歌ってました。決勝戦の重みが消え失せてしまいました。
閉口3点目が、試合が終わった後、表彰式までの間、20分ほど掛けて行われたスペクタクル。「アジア大陸への旅」をモチーフにしていたそうですが、中国雑伎団とシルク・ド・ソレイユと新体操と芸者が一緒くたになった、何とも不思議なショーが展開されました。和太鼓に合わせて中国の拳法の型のようなものが披露された時が一番疲れました。柔道=アジアのもの、といたイメージなのでしょうか。。。


帰ってきて早めの夕食の後、少しうとうととしてしまい、明日の仕事に向けた準備を開始したのが22時。明日が年内最後の業務日です。
キリマ・ンジャロに向けた荷造りを開始。どのような鞄で持って行くか、悩んだのですが、ヒースローとナイロビでトランジットがあることを考えて、ちゃんと鍵が掛かるリモワのジャンボ・トローリーで持って行くこととしました。先日の日本一時帰国でも活躍してくれたが故に、家に入ってすぐ右手の部屋にだらしなく開かれたままになっていた鞄に、寝袋、マット、バックパック、シャモニでも着たジャケット、パタゴニアの各種インナー、登山靴とサンダル、食器類等々を入れ込んでいくと、すぐに一杯になってしまいます。案外、30リットルの機内持ち込みようバックパックが活躍しそうな気配があります。
夕方、少しパリの街に出たところ、エーグルでネックゲイター一つ買うのに10分ほど並ぶ羽目となり、デカトロンではあまりのレジの行列故、蚊避けスプレーの購入は断念しました。どこもかしこもクリスマスの買い物をする人で満ちていて、フナックなどではクリスマス用の包装をしてくれるサービスを受けるため、店の外にまで行列ができている。凄いことです。
煮込んで作ったカレーを美味しくいただいた後、スワヒリ語の挨拶等をネットで探してプリントし、ホッチキスで製本しました。iTunesでVocabulearnシリーズのスワヒリ語をダウンロードし、iPodに移しました。相手の言葉を少しでも学んでおくのは、相手に喜んでもらうことを通じて自分が楽しく過ごすため。それにしてもインターネットを通じて何でも見つけることができる。本当に便利になりました。
なんだかどっと疲れがでてきた金曜日、1時間の年休をもらってタンザニア大使館にヴィザを取りに行ってきました。窓口の女性は電話で話し続けながらこちらのパスポートを引っ張り出し、渡してくれました。同時に、電話を続けながらですが、このパンフレットを持っていけ、と、タンザニアのパンフを渡してくれたのが少し嬉しかったです。
昼はミラノ風カツレツ、夜は松ちゃんで焼き肉。スタミナ不足を少しでも解消しておきたいところです。
朝、1時間年休をもらってタンザニア大使館の領事部(13, Avenue Raymond Poincaré、75116 Paris)に行って、ヴィザの申請を行ってきました。1枚紙に渡航目的や渡航日程、性別年齢氏名パスポートナンバー等を記入し、写真を1枚、パスポートと一緒に預けます。費用は50ユーロが必要、とのこと。金曜日にはできあがるらしく、書類への記入も含め、わずかに15分程度で済みました。金曜日に再び1時間の年休をもらってピックアップに行ってこようと思います。高山病に詳しいお医者さんからのお話も聞くことができました。着々とキリマンジャロが近づいてくる中、仕事を片付けつつあります。
最高気温が2度らしい。パリのこの寒さには閉口します。それに、時差がなかなか抜けてくれない。。。西に飛んでくる方が遙かに楽ではあるのですが、それでも深夜2時頃に一度ぱっちりと目が覚めてしまうこの感じ、16時頃に職場で猛烈な睡魔に襲われるこの感じはいただけません。国外出張が多い仕事をしている人を素直に尊敬してしまいます。
積もり積もった仕事も何とか目途が立ちつつあります。このまま無事こなしていき、来週は気持ちよくタンザニアの大地に立てることを祈っています。
予報によれば最低気温0度、最高気温2度という厳寒のパリで、冬休みのキリマンジャロに向けたラストスパートが始まりました。東京であったことの報告、水曜日と木曜日に行われる行事の挨拶文作り、東京から舞い込んでくる来年冒頭の訪問予定についての調整等々、久しぶりにフル回転。なかなか疲れました。メールを読んでいたことだけは救いです。
朝、日本から持って帰ってきた体組成計で体を計ってみたところ、体重が75キロオーバーになっているのはよいとして、体脂肪率が20%と表示されていました。左膝痛故にジョギングをさぼっていた影響がこんなところに出ているようです。「体年齢」が誕生日より1月早く「40歳」と診断されてしまい、ちょっと反省。早く再び走り始めたいところですが、ここで無理してキリマンジャロが駄目になっては大変です。しっかり様子をみておこうと思います。
10時間を超える爆睡の後、12時過ぎに昨日に続いてイッシー=レ=ムリノー市へ。Corentin Celtonの地下鉄駅を降りて地上に出てきたら、ポツポツと落ちる冷たい雨の中、仮装の部の前の部、第6レースと思われるレースが行われていました。既にしてサンタの帽子を被った人たちも混じっています。
第7レース、仮装の部は12時55分スタート。12時過ぎに到着し、一緒に入る仲間達と合流、昨日購入したサンタの衣装に着替えてスタートを待ちます。市の体育館、Palais des Sports Robert Charpentierは広々としていて、着替えも荷物預けもスムーズに進みます。やがてスタート・ラインのところでエアロビクス・柔軟体操が始まり、それに合流。ポツポツと雨が降り続ける中、体を温めることができました。そしてスタート。市長さんに御挨拶。赤い波が進んで行く様は壮観です。


同じルートを2周して全6キロ。氷雨が降る寒さなのに、途中の水補給所が有り難く思えるほど、サンタの衣装を着てのランニングは暑かった。ゴールの公式記録は34分07秒。3週間ぶりのランにもかかわらずキロ6分を切って走ることができたことに満足です。何より、心配していた膝痛が発生しなかったことが嬉しかったです。
家に帰ってきて昼寝をした後、夕方はHi Martへ。無くなっていたお米を10キロ、キムチやレトルト・カレーを購入してきて、夕飯は薄切り牛肉の焼き肉でタンパク質を補給しておきました。明日からラスト・スパートが始まります。
11時に来客。グルノーブルが再び冬季オリンピックに立候補していることを知り、事実関係を調べることとしつつ、昼食会へ。その後は職場に戻ってきて忙しくレポートを書いていたのですが、何となく体調が悪い。熱を計ってみたら、なんと38度。明後日から日本行きなのに。。。バファリンを飲みながらふと思い出したのが、黄熱病の予防接種を打ってもらった時にお医者さんが言っていたこと。「1週間から10日間くらいの間に熱が出ることがありますが、驚かないように。」それかも。。。何となく落ち着きません。
今日は12月に入って最初の波が東京方面から到来。昨年10月以来お目に掛かるお客様ということで、懐かしさもひとしおです。DEL PAPAのこと、ひょうたんのことを覚えていてくださって、本当に嬉しかったです。
緊張していたせいか、朝6時過ぎに目が覚めてしまい、何度か寝ようと試みたものの日本に一時帰国した先での仕事のことが夢に出てきたりするともう眠っていられず、結局7時前から起きだして、仕事メールの下書きをいくつか作成、職場の方に送っておきました。午前中はものも言わずにレポート2本を整理。東京に帰る時までに送っておきたい資料ということで、久しぶりに追われた気分になりました。そして、今日、初めて入ったホテル・リッツ。ダイアナ妃のことも思いつつ、やはりシャルル・リッツのことが思い浮かびました。明日明後日が本番です。
月曜日、随所からメールの矢が刺さっていて少々辟易としましたが、まあ午前が終了することには一通りの対応を終えることができ、午後は監査事案に取り組み、夜は一時帰国に向けた準備に励むことができました。
ある指摘を受けた場合、その指摘をいかに受け止めて改善策を講じるか、ということを考えるのが大人なのであろう、と思っていたのですが、そうでもない様子。指摘をそのまま受け流して、大所高所から「そもそも」と対応するやり方を見ていると、学生の頃に本を立ち読みしつつ「どうもよくわからないなぁ」と思いその本を買わなかった時のことを思い出します。物事にとりあえず正面から向き合い取り組む姿勢を見せない大人は、どうも信用できません。
悔しさで3時頃目が覚めてしまい、5時過ぎまで眠れなかった結果、12時頃まで寝てしまいました。
雨が降り続く今日は一念発起、自分向けのクリスマス・プレゼントとして「velo d'appartement(室内自転車)」、エアロ・バイクを購入してしまいました。
ここのところずっと膝が痛く、ちょっと走るのを見合わせた方がよさそうな気がしており、同時に、このまま全く走らない日々が続くと肺活量も落ちてしまうのではないか、と焦っており、また、雨が続いていることからあまり外で走ることもできない、そんな状況の中で、少しでも運動を行うためには、ということを考えた結果、エアロ・バイクと相成ったものです。足の筋力トレーニングにもなるのではないか、というのも一つ。
クリスマス・プレゼントの買い出しで混み合うアクア・ブールバールのデカトロンに出かけ、ドイツ製のこちらを購入してきました。飽きずにこぎ続けるためには、何らかの工夫が必要になりそう、ということで、とりあえず、「寅さん」を見ながらこぎ始めたところ、20分程度でさすがに飽きてきました。それでは、と、ブログを書きながらやってみたところ、これが案外具合がよい。これからいろんなやり方を工夫しようと思います。
朝8時30分からの朝食勉強会、フランス語で説明をするのはさすがにしんどかったです。
1984年にまとめられた日仏賢人会議のレポートが発掘されたのを受け、改めて読んでみると、問題の所在が当時とほとんど変わっていないことに気付かされます。新しいことというのは案外少ない。温故知新というのも、もしかするとこのような状況を指すのかも知れない、と思います。
朝は仕事の朝食会。朝からフランス語で何かを説明しなければならない、というのもなかなかしんどいものです。
お昼休みにエール・フランスのワクチンセンターへ。受け付けを済ませてから待つこと1時間少々、順番が回ってきてキャビネに入ったところで、お医者さんと簡単な会話。どこへ行くのか、どの程度の期間行くのか、と聞かれ、タンザニアに1週間ほど、と伝えたところ、黄熱病は義務、破傷風・ポリオ・ジフテリア、A型肝炎も打っておいた方がよい、とのことで、一気にワクチンを3つ、打たれることとなりました。なんだか無敵になったような感じです。が、これから先、きつい時が来るらしい。少なくとも10日間程度の間に発熱が起きるそうです。あまり重症にならなければよいのですが。
午前中、11時からゴブラン美術館にて開催されたメートル・ダール(フランス版人間国宝)の任命式に出席。日本の人間国宝制度を参考に作られたというこの制度、3年間の期間限定で任命され、その間に自分の技術を弟子一人に伝える、という義務が課されるようです。若干のお金も支給されるたしい。年齢を見ていると日本の人間国宝の方々より一回りから二回りほど年下のようにも見え、貫禄という点では若干見劣りがするものの、技術水準はさぞかし高いのでしょう。40分ほど立ちっぱなしで、新たに任命される10数名のメートル・ダールの人々が文化大臣から任命状を受け取るのを眺めていました。ある団体の関係者が招待してくれたのですが、特に何らかのお世話があるわけでもないあたりはフランス風かも知れません。少なくとも日本的ではないようです。
午後はいくつも新たに降りかかってくる案件に閉口してしまい、夜は早々21時前に引き上げました。なんだかとっても疲れているのは走り過ぎのせいかも知れません。何でこんなにいろんなことが降りかかって来るのか。これだけやっているのだから、年末、長期の休暇をもらっても罰は当たらないような気がします。
朝8時30分に起床し、9時過ぎにパリ17区役所へ。今日は地元パリ17区の10キロレースです。
どういう格好でレース会場まで向かおうか、悩んだのですが、結局、レースですぐ走ることができる格好で向かうこととし、余計な荷物は持っていかないこととしました。
膝下までのタイツ、上はアシックスのフィットするアンダーにナイキの長袖シャツ、手袋まで動員して外に出ると、まるで冷蔵庫の中に入ったよう。すっかり冷え切っています。ゼッケン引き取り所となっている区役所までは2キロ。ちょうどウォーム・アップには良い距離です。先日購入した新しいエア・ペガサスの慣らしも兼ねて、軽いジョグで向かっていき、カルディネ駅からローマ通りに入ってしばらく行ったところで、大勢の子ども達が走っている様が目に入りました。そうだ、大人の部の前に子どものレースをやっているんだった。歓声を上げて走っている子ども達を微笑ましく眺めながら、いざ区役所の地下にあるゼッケン引き取り所へ。そこで一悶着。
通常、「レースに出ても問題ない」という医師の証明書の提出が求められるのに、それを今回は求められた記憶がない。申し込みを行ったスポーツ行事登録代理店からも求められなければ主催者である17区の協会からも求められなかった。「登録済み」であることを伝えてきた代理店からのメールにも、ゼッケン引き取りの時間帯を告げる主催者からのメールにも、この証明書について触れられていない。ふつう、この証明書を送っていない場合、ゼッケンは「litige」(係争中)なるところに行って証明書を渡さなければ貰えないはず。ニース=カンヌの時がそうでした。それがないということは多分いずれかの段階でメールで送ってるんだろう。だから今回はいいや。こういう考えに基づき、証明書をプリント・アウトして行かなかったところ、先方からそれを求められてビックリ。別室に行くように言われ、そこで協会のおじさんとやりとりをし、出た結論が、先方から送られてきた登録完了を告げるメールの空きスペースに「私はメールで医師証明書を確かに送りました。」と書いてサインをする、というもの。改めてゼッケン引き取り部屋に戻ってそれを出すと、先に自分とやりとりをしたのでない人がそれを受け取るものだから、改めて一から説明することが必要でしたが、無事ゼッケン及びTシャツをもらうことができました。今後は一応念のために証明書は絶えず持って行くようにしようと思います。
そんなゴタゴタがあったので、というわけでもないのですが、ゼッケンを付けることができたのは10時ちょうど。それにしてはみんな市役所の中にいるなぁ、チップで時間計測をしてもらえるから、スタートを少しずらそうとしているのかしらん、などと思っていて後に気付いたのが、スタートがそもそも10時15分。そうか。しばらく建物の中で体をあたため、出て行って足踏みをしたりしながら待つこと5分、スタートとなりました。


車が撤去されているわけでもない、普通の17区のゴミゴミとした道路を、日曜朝の買い物をする人たちが歩いていたり、車がヴォランティアの人によって停めるれたりしている中、1000人(当日午後に届いた結果リストによるとゴールしたのは901人)が走るのですから、なかなか壮観です。生活道路が突然に封鎖されることに対する歩行者や自動車の不満は、所々で噴出した様子でしたが、概して好意的に受け止められているのか、さほどの混乱はありません。それにしても、いかにもパリという感じの狭い石畳の道をこんな風に走る機会というのは滅多にないことだろうと思います。
ほぼ同じコースを2周して10キロという今回のレース、2周目になるとコースが頭に入り、どの辺りで力を入れるべきか、ということが分かるため、ペース・コントロールがしやすいです。他方で、ニース=カンヌの時以来の左膝痛が発生。今回は最初からピッチを上げて走っていたのに、やっぱり痛い。1週間に一度しか走らないと、この痛みが毎回出てしまうのかも知れません。何らかの措置が必要です。そして、今回計算外だったのが靴ひもが2回ほどけたことでした。新しいエア・ペガサスの靴ひもは、少なくとも先代の2007のそれと比較すると滑りやすい素材で出来ています。トレーニングでは使えても、本番では使えなさそう。日本に帰った時にちょっとチェックして来ようと思います。


と、こんなレースでしたが、9キロを超えたところで上りがあり、それを下って右に曲がったところがゴール。雪がパラパラと落ち始めた中、下り坂を走っていた時、あ、あそこを曲がったらゴールだな、というところが見えました。心拍計のストップウォッチを見たら49分17秒。もしかしたら50分を切れるかも、と、残りの部分で全力を振り絞って走った結果、49分55秒。前回、10キロレースとしてNikeのヒューマンレースで50分を切れなかっただけに、今回、それを実現することができ嬉しかったです。
そして、若干後悔したのが、ちゃんと着替えやら上から羽織るものやらを持たずにレースに来てしまったこと。15分ほど行列をして預け荷物(主催者からもらったビニールの袋とTシャツ)をピックアップした後、再びジョグで帰ってくる羽目に。15分もかからない行程ではありましたが、大変寒かった。でも、そんな中、11時過ぎの日曜日のモンソー公園には大勢のランナーたちが走っていました。やがてまたあのサーキットを走る日々を取り戻そうと思います。この膝痛をなくすためにも。
3ユーロを追加で払っていたところ、全員の結果がpdfファイルで送られてきました。トップは31分台で走っていて、凄いなぁ、と思っていたら、「儀仗兵クラブ」の人だそうで、同じような人たちが10位までに6人もいる。そうか、彼らもこうやって体を鍛えてるんだ。ちょっと新しい発見をすることができた、地元の10キロレースとなりました。
昼過ぎまで寝て体力回復につとめ、スパゲティの昼食を取って午後はだらだら。夕方、出張者の方へのおみやげとして、À la mère de familleのマロン・グラッセとBrûlerie des Ternesのイタリア風味をいくつか購入。STÜBLIの看板が変わってしまっていました。名前が変わっただけだったらいいのですが。。。
フナックにも立ち寄ったのですが、人の多さに嫌気が差したので早々に失礼し、帰りがてらMICHEL CLUISELの板チョコを2006年のバゲット大賞パン屋さん、Jean-Pierre Cohier(270 rue du Faubourg Saint-Honoré, 75008 Paris, TEL:01.42.27.45.26)で購入。この板チョコ、何種類か食べてみましたが、「GRAND LAIT aux NOISETTES」というクルミ入りのミルクチョコレートが一番美味しいです。
帰ってきたらなんだか疲れてしまいうたた寝をし、さらに19時頃からフランプリで買い物。夜はおろしポン酢で食べるステーキとしました。ほうれん草を最初から炒めてみたら、やっぱり美味しかったです。ブログの整理を行い早々に就寝。明日はパリ17区の10キロレースです。
夕方、コーヒー屋を出てポンスレ通りを歩いていたら初雪が降り始めました。冬至まであと1ヶ月。長く寒い冬になりそうです。
今日は初めてバトー・パリジャンに乗り、初めてセーヌ川のディナー・クルーズなるものを体験しました。料理自体は普通に美味しく、天井が一面ガラス張りになっている船だったこともあって世界遺産に指定されているセーヌ河畔の建築群が綺麗にライトアップされている様を眺めながら、ゆっくり2時間半(20時半出船、23時に戻り)の時間を楽しむことができました。途中、写真屋さんが写真を撮りに来て、それが最後にプリントされて各テーブルに持ってこられ、気に入ったら購入する、という仕組みになっているのですが、1枚20ユーロという値段に驚きました。いや、こんなことに驚いているようでは、バトー・パリジャン乗船の資格はないのかも知れません。良い経験と良い勉強をすることができました。
そして、フランスでは2度目の葬儀への参列。キリスト教徒でないので棺に触れて最後の挨拶を行いました。57歳。早すぎる逝去でした。心から御冥福をお祈りします。
お昼時、Planet Joggingに行って用件を2つ。愛用の心拍計POLARのrs800の電池が弱くなっていたことから、それを持ち込みました。ネット情報では、2週間程度預けることが必要(どこか特別な工場で交換作業が行われる)、というようなことが、フランス語でも日本語でも、書いてあったのですが、その場でやってくれました。有り難いことです。もう一つの用事は、新しい靴の購入。初代Air Pegasus + 2007がそろそろクッションを失っていたことから、自分の走り癖もチェックしてもらい、結局薦めてもらったのがAir Peagsus + 25。今年がエア・ペガサス誕生25周年に当たる、とのことであり、それを記念するモデルだ、とか。グレーの色が若干気になったものの、おまけで付いてくる靴袋に惹かれたこともあり、これを購入しました。かかとの磨り減り方を見ると、もう限界だったんだろうなぁ、とつくづく思います。



夜は若手日本学者との懇談を、初めて行く眉山で。洗練されていて美味しい料理を食べながら、ブルゴーニュのワインを飲んで忌憚のない意見交換を行うことができました。人間関係がさらに広がっていきます。
これで最後になるであろう翻訳文学賞の授賞式&レセプションを終えることができました。エール・フランスのストライキの中、ジュネーヴから駆けつけて来てくださった先生に感謝です。
体重が75キロを超えてしまいました。体脂肪が相当程度増えているのではなかろうか。今度一時帰国する際に体脂肪計を買って持ち帰ろう、とネットで調べてみたら、「体脂肪計」とはもはや言わず「体組成計」と言うようになっているのですね。驚きました。しかも、万歩計とセットになっていて、PCに接続して歩数と体組成をグラフィカルに表示できるようなものが出ている。思わず楽天で購入してしまいました。ダイエットの励みになればよいのですが。
キリマンジャロ登山の旅行代理店から早速返事が来ました。6日コースで1055ドルとのこと。これはいいぞ。前向きな検討のスタートです。
冬休みが近づいてきていることに突然気付きました。しかも、今年の冬休みは長い。年末年始の大きな行事がなければ、年休をくっつけて大きく休むこともできそうだ。他方で、少なくとも12月21日(日)までは仕事がありそうだ。キューバは無理だな。。。
一人でできること、今回を逃したら多分二度とできないこと、人生観が変わるらしいブラック・アフリカ、そうだ、キリマンジャロ行こう。。。
フランス語、英語でネットで調べてみたら、キリマンジャロ登山もやっているタンザニアの旅行代理店を発見。早速メールを送りました。さて、どうなることやら。
朝食は今度日本での会議に出席されるフランスの大学の先生と一緒に、昼食は今週末のシンポジウムのことを取材してくれる記者さん達と一緒に、それぞれ仕事メシとなった今日、さすがに夜は一人でゆっくり家で食べたくなりました。食料を買いに久しぶりのカルフール。22時の閉店間際、次々に灯りが落ちていく中、追われるような買い物となりました。家でチョリソのピザを焼いて食べているだけで至福です。
フランスの祝日の今日は、久しぶりにマルヌ・ラ・ヴァレのアウトレットに行ってきました。が、購入したいものを見つけることができず。ネクタイも気に入ったのがないのには困りました。Bonpointが入っているのに気付きシャツを2枚購入しました。それにしても、トイレが大変近くなっています。マラソンの後遺症かもしれません。
帰宅し昼寝をした後、週末の行事に備えて自宅パソコンで集中して仕事をしました。なんだか追い立てられるようです。
多くのフランス人が今日を休みとし、明日の第1時大戦休戦記念日と週末を「pont(橋)」して休んでいるため、仕事の方は平安でした。
今日は例年恒例のスージーのお誕生祝い食事会。スージーの誕生日にスージーに行って、メニューの半分程度はこれまで食べたことのないものを試しながら楽しく食事をし、頃合いを見計らってスージーに花束を渡す、という昨年から始まった行事です。今年は全7名が集まり、美味しい食事に舌鼓を打ちました。昨年のヒットは四川風ビーフ(ブッフ・シチュアネーズ)なる、セロリとよく効いた胡椒が美味しいビーフの炒め物でした。今年は「シェフのチキン(Poulet du Chef)」なる、鳥の味噌カツが大ヒット。これは今後、鳥味噌カツ丼としての商品化を求めようと思います。
さて、肝心の花束贈呈に至り、皆で「Joyeux anniversaire」を歌い始めたところ、当のスージーがきょとんとして、「誰の誕生日?」とか言っている。そのうち、「あれ、今日11月10日?」とかいいながらカレンダーを見に行って戻ってきて、「そうだそうだ、今日誕生日だった。」とか言っています。旦那さんも本人も忘れていたとか。お祝いのシャンパンを我々以外のお客さんも含め皆で御馳走になり、楽しい会は終了と相成りました。
(後日、スージーから聞いたところでは、中国では子どもの誕生日にはラーメンを食べて長命を祈って祝うが、親の誕生日は祝わない、とのこと。だから忘れる、、、ものだろうか。。。)
12時オルリー発の「Navette(シャトル)」という名前のエール・フランスのフライトでニース空港到着が13時20分。南国の日差しの中、バスで市内へ向かい、ゼッケンを引き取ってホテルへ。何故か同じ系列の別のホテルに移らされることとなり、最初のホテルで支払いだけさせられて向かった先は星が一つ少なくなった一つ星の、料金的にもより安いホテルだったりしました。3日に1夜は夜行列車で過ごしていたような学生時代のバックパック旅行中なら大いに満足できたであろうホテルですが、ちょっと。。。明日のマラソンの関係でどのホテルも満室らしいのでどうしようもありません。
空港と市内へ向かうバスの窓から見たコート・ダジュール。


ゼッケン引き取り所(仮設テント)とニースからカンヌまで荷物を運んでもらうための袋(この袋に入るまでのものしか入れられない)


ラファイエットでバナナや水等を購入。トラムで駅方面に向かいます。


高すぎるレンタカーは諦めて電車でモナコへ。13年ぶりのモナコでは、F1のコースを歩き、カジノ前にフェラーリが3台並んで止まっているのに感動し、坂を下ってヘアピンを回って海岸沿いに出て、グリマルディ・フォーラムがどんなものかを視察。隣接している日本庭園はおそらく立派だろうと思います。
イタリアまで行ってスパゲッティを食べようと思っていたらイタリアから帰ってくる電車が23時過ぎになってしまうことを知り、慌てて折り返しの電車に乗ってニースに戻り、結局、旧市街のスパゲッティ屋さんLa Voglia ( 2, rue Saint-François de paule 06000 Nice, TEL: 04 93 80 99 16)でたっぷりのカーボローディングを行いました。


ニースのオペラ座の脇を通り、広場にあるオブジェ(昨年のオペラ座HPにモチーフとして使われていました)を眺めながら、徒歩でホテルへ。


ホテルに帰ってきたら、なんと部屋の電気がつかない。。。まあいいや、どうせ寝るだけだから。真っ暗な中、トイレに行ったりする時にはデジカメの液晶の明るさに頼ったりする、何とも旅情に溢れた夜となりました。明日は人生3度目のマラソンです。
年の暮が迫ってくると、レセプションやらカレンダー送付やら新年会やらといった行事に向けた作業が発生します。中でも大変なのが「リスト」の整理で、誰をどのように、ということが大いに問題になります。特に自分が担当している分野は外に広がりが多くなっていることから、リストに掲載されている人の数も多い。この人と自分の組織とはどういう関係になっているのか、総ざらいし、果たして招待するのか今年は止めておくのか、カレンダーを贈るのか、等々といったことで悩まなければならなくなります。
自分がパリで年末年始の諸行事を担当するのはおそらくこれが最後、と思うと、例年以上にこの作業をしっかり行っておきたい、という気持ちになります。リスト上の方々のリストの上にいる理由を一つ一つ記述してもらっておくこと、これまで説明がつかなかったが何となくリストに残っていた名前をリストから落としておくこと、そして、一義的にどの部署の誰の責任のもとでリストに名前をあげるか(上がっている名前のどの属性が組織にとって最も重要なのか)を明確化すること、それが今年の大きな課題となりました。とりあえずレセプションとカレンダーについては計5時間ほど、関係者との打ち合わせを経て方針が決定、あとは秘書さんによる地道な作業となります。
夜はくじ公社の担当者との夕食会が突然キャンセルになったことから、明日、調査に同行することとなっている出張者の方と、Les 4 saisons(268, rue du Faubourg Saint-Honoré, 75008 Paris, TEL:01 42 12 99 15)にて夕食を御一緒しました。若者と一緒に、秩序感覚とか仕切る者の責任とか、久しぶりに真面目な放言会を行うことができ、脳が活性化した感じです。おかげさまで職場に戻ってきてからの仕事もスムーズに進みました。明日は調査です。
ほぼ本復の中、再びTSUNAMIの予感を覚え、日程表を見ながらTO DOノートをつけてみたところ、こりゃ大変だ。一体何時になれば楽になるのか先が見えない、今年はそんな年になっています。一段落する12月上旬には休暇帰国なる提案も行われました。要は日本で仕事をしてこないか、という話です。制度の趣旨からは若干ずれるものの、魅力的です。夜は21時からCercle du 17eでルノー財団奨学金の話を聞きながらの夕食。「柚胡椒ソース」とか「黒酢」とかで「和」が主張されていたものを避け、ラタトゥイユにニワトリという伝統的フランス料理にしてみたのですが、これが美味しかったです。新オーナーのもとでも新たな勉強が始まっていそうです。
「晴れの特異日」と言われるようですが、文化の日の今日、パリも見事な秋晴れとなりました。
微熱が抜けないのは相変わらず。よって今日も1日部屋にいて大掃除をすることとしました。トイレ、洗面所、お風呂、台所といった水場を綺麗にすると、気持ちの方も晴れあがるようです。当地の水道水は石灰分が多いせいか、ところどころ石灰がこびりついたようになってしまっているところもあって、そういうところを石灰除去成分の入った洗剤と金属たわしやフォークの柄などによって綺麗にしていくのは気持ちのよいものです。そんなことをしながら、風呂場やトイレの敷物、レースのカーテン、バスタオル等々を洗っていたら、まる一日、洗濯機が止まることがありませんでした。そして、水回りだけを取れば今すぐ次の入居者に来てもらってもいいくらい、すっかり綺麗になった我が家で、松茸炊き込み御飯ときんぴらゴボウ、ほうれん草のおひたし、オニオンスライス、レンジでチンする鶏の唐揚げといったメニューの夕食を取り、まる一日見るともなく流していた「やまとなでしこ」を見終えて3連休は終了。そろそろ微熱もおさまってくれるとよいのですが。。。
3連休中日の今日も雨模様の天気となりました。微熱がひかないことから、一日家に籠もりつつ、散らかり放題になっていた部屋の片付けを実施。1年以内にはやってくるであろう引っ越しに向け、不要品を次々にゴミ袋に入れていったら、いつの間にか45リットル袋が2つ出来ていました。
旅行に行った時に入手したパンフレット、見本市に行った時に入手したパンフレット等を、最近ではどんどん捨てることができるようになってきました。そういったパンフに記載されている情報がインターネット上に存在するようになってきているからです。20年ほど前であれば、そこでしか入手し得ず、大変な思いをして持って帰ってきた情報が、今は自宅のパソコンで入手できる。持って帰ってくる必要もない。思い出や情報を得る機会や場としての旅行や見本市の機能はどんどん縮小されていき、「実際に実物に触れる機会や場」となりつつあるように思います。そして、それは旅や見本市の本来の機能だったのかも知れません。
乾いた情報への肉付けをする機会としての旅、見本市を充実したものにしてくれるのは、やはり事前に入手しうる情報の質と量であり、情報と体験をいかに豊かな織物に仕立てることができるか、ということは、その交差軸にいる人間次第であるように思います。情報を捨てやすくなった時代は、情報保有能力を力としていた人々の存在基盤を揺るがしています。
3連休の初日、自宅静養を支援してくれるような終日雨という珍しい天気となりました。食料が切れかかっていたことから、PICARDで冷凍ほうれん草(450グラムで1ユーロ!)や冷凍カレー等を買い込み、フランプリでバドワ(33clのペットボトル6本で3.17ユーロ)をはじめとする食材を購入し、夜には久しぶりに挽肉カレーとしました。37度前後の熱がずっと出ている感じというのは、大変に心地悪いものです。
雨模様の中、11時から出勤。12時からINALCOで説明会に出た後、過去1年と少し、仕事でお世話になった人の送別昼食会をスージーにて。偶然、その人の後任の歓迎会も兼ねることができました。
帰ってきてから打ち合わせに向けた資料作り。打ち合わせを終え、その後始末を終えて、帰宅。夕方もうひとつ別の会に参加する予定になっていたところ、結局そちらは欠席。体調がよくないことから、ちょうどよかったかも知れません。
打ち合わせに生産的に関与するコツは、その場の出席者のヒエラルキー関係にかかわらず、人の話を聞く、という一点に尽きるかと思います。部下の話を聞けない人は上司の話も聞けない、というか、多分、人の話を聞けない人というのは、相手が部下であろうと上司であろうと聞けないのだろうなぁ、と思います。そういう人の場合、自分の周囲に何となく殻がある。そして、話を共有し前進させようという意思が欠如していうように見え、時に傲慢な雰囲気すら漂ってしまいます。話が噛み合わないのは彼なり彼女なりのレベルに達していないからだ、と思っているんだろうなぁ、と傍観してしまったりもします。寂しくないのかなぁ、と気の毒になったりもします。謙虚に人の話に耳を傾ける、ということは、もしかすると家庭教育の中で培われる能力なのかも知れません。
ほぼまる一日、20時間ほど寝て過ごしました。微熱がずっと出ていて手足の先の方が痺れたような感じです。ちょっと長引きそうな感じ。ニース=カンヌ・マラソンまでには完治しておきたいのですが。。。
先日、同僚がプレゼントしてくれたクッキングペーパーを使って、冷凍シャケを焼いてみました。レンジで表面のみ解凍した後、強火のフライパンの上で焼いてみたのですが、最初の火加減が強すぎたのか、あるいは焼き方が不十分だったのか、クッキングペーパーに皮がくっついてしまい、そのうち身も崩れてしまったため、とりあえずフレークにして翌日のお弁当用にしてしまいました。が、いずれは、温泉旅館の朝食で出てくるような感じに焼き上げてみたいものです。いずれにせよ、ペーパーを使うと洗い物なしで済むので、助かります。
今日は武道演武祭の前夜祭。大勢のお客様と一緒にテーブルを囲むことができました。大変光栄なことです。剣道と少林寺拳法の大家の間で緊張しっぱなしでしたが。明日はいよいよ本番。日仏交流150周年諸事業がクライマックスを迎えます。
何となく体のだるいまま終わった一週間の締めくくりに、シャンゼリゼにある標記レストラン(Culture Bière, 65, Avenue des Champs-Elysées, 75008 Paris, Tel : 01 42 56 88 88 - Fax : 01 42 56 41 00 - Réservations : 01 42 56 88 01)で22時過ぎから、夕食を取ってきました。仏式1階がレストランになっていて、シャンゼリゼを見下ろしながら食事を取ることができます。お味の方はまあ普通。ビールの方も、レストランだったからでしょうか、各種ビールが生で用意されていることを期待していたのですが、見事に期待はずれに終わりました。地上階のカウンターでは各国の生ビールが飲めるのだろうか。いずれまた試してみようと思います。そして、24時頃から、地下1階はディスコと化しているようで、こちらもいずれ覗いてはみたいものです。続けてLa Maison de l'Aubracでワインを飲んで帰宅。明日はフォンテーヌブローでトレーニングです。
「定食屋さんの生姜焼きのたれ」で作った豚肉生姜焼き、冷蔵庫に入れておき、朝レンジで温めなおして、弁当箱に詰めてもってきたところ、お昼にも美味しく食べることができました。なかなかの優れものです。
ちびちびと溜まった仕事を片づけた今日は、再び、中華の鍋を食しに北京食堂に行って来ました。前回は羊肉、今回は牛肉をチョイスしたところ、牛肉の方が美味しかったように思います。もう少し冬が進行した後、改めて来てみたいところです。
日本食材店で買っていた「エバラ 定食屋さんの生姜焼のたれ」を使い、ハイマートで購入しておいた豚三枚肉を炒めて夕食を作ってみたところ、これがなかなか美味しかったです。久しぶりの自宅和食夕食はやっぱり落ち着きます。
朝一番からパリ第7大学で説明会、お昼をFast丼で食べて一旦家に帰り10分だけ昼寝。午後は15時から打ち合わせを行い、17時頃猛烈な睡魔に襲われて10分ほど昼寝。そのまま21時30分まで仕事をして、スージーで北京スープ麺を食べ、向かいのバーでビールを飲んで帰ってきました。疲労が残っています。
午前中、フランスくじ公社でのスポーツくじ調査に随行。さすがに3度目ともなると、先方が次に何を言いそうか、ということも予想できるようになります。一つおもしろかったのは、インターネットを使ったくじ販売を開始しても、売り上げの伸びには直結していない、ということ。タックス・ヘイヴンに本拠地を置く非合法のくじ業者の方が配当金がいい、というのがその理由だそうです。もう一つの発見は、スポーツくじを楽しむ人の95%が男性だ、ということ。これまであまり男女の割合については意識していませんでした。いずれにせよ、貴重な時間をもらい続けです。今度、お礼をしておかなければなりません。
お昼は16区の韓国料理屋、Woo Jong(8, bd Delessert, 75016 Paris, TEL:01 45 20 72 82, 日曜休)でプルコギ定食を食べた後、近くのカフェで実際にスポーツくじが販売されている様子を御覧いただきました。RAPIDOなるスピードくじ、5分に1度コンピュータによる抽選が行われる、というもので、カウンターでお酒でも飲みながらやっていたら、際限なくお金をつぎ込んでしまうかも知れません。ルーヴル地下を経由して、ヴァンセンヌの森の中にある国立スポーツ・体育教育院(INSEP)での調査に随行。こちらは3年半の今回の滞在で初めての訪問となりました。1945年に作られたという施設は2007年から2010年の4年間をかけて大改修がお粉wれているところであり、550人のアスリートがここで連日、訓練生活を送っている、とのこと。北京でフランスが取った40のメダルのうち、20個がここでトレーニングをしている選手によってもたらされたもののようです。「金」が減っているのが課題、だとか。またどこの国でも同じように、予算削減圧力はそうとう厳しいらしく、450人の定員が120人も減になった、ということらしい。興味深かったのが、フランスではオリンピックの後、半年ほどかけて各スポーツ連盟の会長選挙が行われるらしいこと。先般、剣道連盟のトップが変わっていたのですが、それもこの流れによるものかも知れません。いずれにせよ、この6ヶ月間は何も動かなくなる、ということが問題視されていました。もう一つは、各連盟にいる「Directeur Technique」と呼ばれる人物の存在。この肩書きの人、確かに仏柔道連盟にも居ましたが、青少年・スポーツ省から各連盟に派遣されている「公務員」だそうで、技術指導を行う一方で各連盟会長のチェックを行っているとか。「出向」ですらなく「公務員」として連盟の仕事を実施している彼らの存在は、日本的にはとても受け入れられないのかも知れませんが、その仕組みくらいは知っておいて損はなさそうです。実際に施設も見させてもらいましたが、陸上のトラックと自転車のトラックが同時に入っている巨大体育館、バスケット場や柔道場がある小体育館等、いずれも随分老朽化が進んでいる印象です。が、大切に使っている、という感じ。器よりも中身といったところなのでしょうか。
19時に調査終了。L’EVASIONでの夕食会を終え、お客様をホテルまでお送りして職場へ。結局日付をまたいでしまいましたが、おかげさまである程度のキャッチアップが可能になりました。津波のような仕事からは、当分の間、解放されそうです。
日曜日というのはどうしても出不精になるものですが、今日はモンソー公園でのジョギングを朝一番で行った後、お客様たちと一緒にギメ美術館で金比羅展、ケ・ブランリー博物館で民芸展を訪問した後、Café du Marchéでの昼食を取り、プチ・パレで相国寺展を見た後、モンマルトルの丘で人混みにもまれながらテルトル広場を2周、12年ぶりにエッフェル塔に登る、といったことまでしてしまい、「雪園(Restaurant Siu Yu, 3, rue Sextius Michel, 75015 Paris, TEL:01 45 77 17 99)」での中華料理会食を経て帰ってきました。珍しいくらい晴れ渡ったパリの休日です。
午前中、久しぶりにモンソー公園で5キロを走りました。後半、少しだけビルド・アップ気味に走ったところ、息が切れてしまったことを反省。不安だった膝に異常がなかったことは嬉しいです。
昼はレンジでチンするPICARDのタイ・カレーで済まし、14時からパリ日本文化会館で開催された会議に出席。14時50分頃会議を中座し、今日から入ってこられる出張者の方を迎えにパリCDG空港へ。ノヴォテルまでお送りし、時差調整の散歩と夕食におつきあいして帰ってきました。次のミッションは月曜一杯までで、これが終わるとお客様がいない時期が始まります。が、まだまだ仕事は続きそう。
セーヌ川の中州、自由の女神像があるところにはその両端の橋から降りていくことができることを今日になって知りました。いずれぐるりと走ってみたいです。
午前中、まずケ・ブランリーの民芸展へ。学芸員の人が懇切丁寧に説明をしてくださったことで、恥ずかしながら、柳宗悦という人について初めて詳しく知った訪問となりました。日用品の中の美、という精神は、アール・ヌーヴォーにもつながっているような気がする、と、「西欧絵画の近代」(高階秀爾)を読み返したところ、「芸術作品を一つの独立した自律的な世界だとみなすルネッサンス以降の西欧的芸術観とは違って、日本では日常の実用的な事物もつねに芸術品になろうとする傾向を持っていると言ってもよいかもしれない。」(p.242)というフレーズに出会い、すとんと落ちるものがありました。
続いて、ノヴォテルで開催されていた生け花展へ。諸外国でも「IKEBANA」がかなり愛好されている様子が、広い会場に多く置かれたIKEBANAの数々から伺われました。精神性は追求しつつも、開かれた世界となっていることが必要であるように思います。そして、これも日常の中の美なのでしょう。
マルモッタンで一休みし、昼食会が別々に行われた後、午後の最初のコマは三越エトワールで行われている「田渕俊夫展」へ。現代日本画の世界を堪能することができました。それにしても、なんて美しい色合いでしょう。顔料だから出せる味わいなのでしょうか。水墨画も美しい。で、それがふすまに普通に描かれていて、普通に使われている、というのも凄いことだと思います。そして、やはり日常の中の美です。
Caves Tailleventを経てホテルに一旦お届けした後、夜はガルニエへ御案内。一旦職場に戻り、事務を片づけた後、再びガルニエまでお迎えに行き、ラストオーダーを10分過ぎて予約しておいたL'EVASIONへ。セップダケのおいしさに舌鼓を打ち、ポトフのあっさりとした味わいを楽しんで、ホテルへお届けしました。
一連の行事訪問はとりあえず一巡しました。見に来ていただけただけで嬉しい、そんな1週間の行事が終了です。
午前中、ギメ美術館へ。素人通訳は10分が限界で、それを超えると集中力がとぎれてしまいます。
お昼はChez Géraud(31, rue Vital, 75016 Paris, 01 45 20 33 00)でウサギを食べてしまいました。ここのウサギ、毎年この時期になると食べているような気がしますが、臭みが全くなくて美味しいです。ちなみにこのレストラン、昼も夜もメニューの値段が同じなので、夜に来る方がコスト・パフォーマンスが高い、と言えそうです。
その後、一旦職場に戻って事務をこなした後、ソルボンヌ大学へ。ジャン=ロベール・ピット教授が道徳政治科学アカデミーの会員になられたのが今年の3月。その帯剣式に招かれ、伺いました。
ソルボンヌの最も大きな講堂で平戸間部分はほぼぎっしりと人が入っている中、国民教育大臣も一瞬姿を見せた式典は、ピット教授を含む4名の方が挨拶。最初の3名の方のスピーチだけで1時間30分ほどが経過してしまったのは少々残念でしたが、ピット教授のウィットに富んだ、自信に満ちたスピーチを聞くことができたのは、本当にラッキーでした。そして、何よりも感激したのが、教授が日本のことを評して「第二の祖国」とおっしゃったこと。日本から式典に飛んでこられた先生方を紹介し、立ってもらい、会場から拍手をもらう、そんなこともされていました。紹介された先生方もさぞや嬉しかったことだろう、と思います。日本にとっては力強い味方が、アカデミーというフランスの知性を代表する場所にまた一人加わられたことを思うと、大いに励みになります。
再び職場に戻ってきてメールの処理を行い、久しぶりにCercle du 17eへ。オーナーがかわり、炭酸水のボトルがプラスチックのペットボトルからガラスのボトルに変わりました。そして、ほぼ3年振りとなる元同僚との食事会では、思い出話にも華が咲き、大いに盛り上がりました。明日は再び150周年行事歴訪です。
午後に行われた相国寺展のオープニング、千玄室大宗匠による献茶式、開眼供養で幕を開けました。プチ=パレ入って右側の壮麗なホールも、誦経の音が響くと突然に京都になってしまいます。そして、オープンした先、夢窓 疎石座像の向こう側には、見事な禅の世界が広がっていました。寒山拾得図とか猿の絵のように、日本美術の教科書に載っているようなものから、鶴の図のように重要文化財に指定されているものまでが来ていて、凄いことになっています。ただ、こういうものがガラスケースの向こうにあるとどうも違和感を覚えてしまいます。普通に床の間の向こうにあるのが本来の姿なのでしょう。が、あんな大きな掛け軸、どこに掛けるんだろう、と思わせてくれる大瀑布もあったりしました。地下のオーディトリアムでは金閣と銀閣をCGで再現し、建物の中をヴァーチャル・ツアーできる映像作品が回されていて、こちらも楽しませてもらいました。
レセプションの後はLa Maison de l'Aubracへ。「お誕生会です。」とあらかじめ伝えておいたところ、行ったことのない仏式1階に案内されました。テキサス風な地上階とはがらりと異なる、シックなレストラン・ワインバーとなっていてびっくり。「彼が今日誕生日の人ですね。」とか「歌も歌いましょうか。」とか、このテーブル担当のロールさんがいろいろと気を遣ってくれました。そして、誕生日のお祝いは、お約束通りデザートに花火が乗っけられて出てきたのですが、この花火、「シュー」っと火を噴き出すタイプのもので、大変に景気が良かったです。ほぼ満席となった1階部分で随所から拍手があり、お祭りは自分たちの楽しみにもしてしまうフランス人たちに感謝したくなりました。
相国寺展のオープニング・カクテルでいい話を聞きました。日本とフランスは心を引き合う関係であること、それは、日本人とフランス人は、自分の文化を大切にしようという気持ちと他の文化を大切にしようという気持ちを共有しており、また、精神性というものに対する探求心を共有しているためであること、そして両国民の結びつきは心と心の結びつきであるが故に、物質の結びつきよりも強固な関係を築いていること。こういった側面があるからこそ、日本学とは何ら関係のないフランス人が見事な日本人論を書いているのかも知れません。もっとこういう関係を深めていけたら。折り返し地点を過ぎた水曜日でした。
11時30分からの金刀比羅宮展のオープニング・セレモニーは、ギメ美術館地下1階のホールが埋まって階段まで人が溢れるような盛会となりました。人がごった返す内覧会でも、やはり襖絵の凄さに圧倒されました。美術に詳しい方から聞いたところでは、丸山応挙は虎を剥製を見ながら描いているので耳が小さくなってしまう(猫のよう)だとか。確かに、トトロの猫バスのような、愛嬌のある虎となっています。まずは大成功、といったところでしょうか。日本のメディアでも大きく報道されていたようですし。
手違いからスチュブリのホットドッグの昼食とし、グラン=パレへ。閉館日ではあっても関係者には特別な便宜を図って貰えて、入った館内では「ピカソ展」が。そして、これが凄いことになってました。あの絵もこの絵も、グランパレにある。プラドの「裸のマハ」もオルセーの「オランピア」も、さらには「ラス・メニーナス(ピカソ版)」も、ここに来てしまっている。ということは、よそに行っても見ることができない、ということです。この展覧会、ピカソ・ファンには必見だろう、と思います。午前中に見た金刀比羅宮展とは異なり、美術展が「ありがたい美術品を見せる」ことから脱却してしまっていることを明らかにしてくれている展覧会であるようにも思います。ここでのテーマは「美術品同士の相関関係」であり、ある美術品が天才を介在してさらに新たな美術品を生み出していることがわかりやすく示されています。インターネット時代の美術展の在り方というのは、本物を使った知的好奇心の刺激、というものになっていくのかも知れません。
引き続き、チェルヌスキー美術館での浮世絵展を見た後、夜はレセプション。突然登場したアラン・ドロンを間近で見ることができ、72歳とは思えない若々しさと、そのオーラに圧倒されました。日本酒を酌み交わしながら、青少年・スポーツ省の人と懇談できたことも大いなる収穫でした。まだまだ日本週間は続きます。
4時15分CDG空港着のお客様を迎えに行き、ホテルに御案内した後、一旦帰ってきて仮眠。お昼前にお迎えに行き、昼食会の後、ミシュラン本社へ。ミシュランの「JAPON」緑本が出るらしいことを知り、有益な意見交換もでき、地下のちょっとした博物館まで見ることができました。オランジュリーの見学を終えた後、オルセーで日仏交流150周年記念のルソー・ランベール食器展のオープニングへ。
夏に東京国立博物館で行われた展覧会のフランス版だったはずなのですが、相当程度規模が縮小されており、さらには館長が「風邪で」セレモニーに出てこれない、というたいがいなものとなりました。まあ実施された、ということ自体には意義があるのですが。。。新館長のもと前館長に近かった人たちが冷や飯を食わされる、というのもフランス的かも知れません。そんなオルセーとは当分の間、日本は距離を置くのが得策かも。ル・アーヴルの美術館にも相当な印象派コレクションがあるようですので、もうオルセーばかりで騒ぐ必要もないでしょう。インターネットには沢山の図版が既に掲載されているのだから、さらなる宝を探すのもいいかも知れません。
そんな風ではありましたが、夜には夕食会が開催され、明日からの各種展覧会のオープニング前夜が祝われました。日仏交流150周年のクライマックスとなる週の始まりです。
忙しくなる来週を目前に、今日はパリ20キロ・レースに出場しました。

Stade E.ANTOINEに到着したのが8時過ぎ。ゼッケンを引き取り着替えをしていると、同僚とその友人が登場。ストレッチをしていたら簡易テレビ・カメラに撮影されたりしました。競技場内で大音量でウォーミング・アップの体操が行われていて、調子に乗ってそれに参加したりしていたら、向かいのヒルトン・ホテルのバルコニーで、同じように体操をしている人が見えたりして、お祭りムードが高まります。
イエナ橋たもとのスタートラインにはできるだけ早く、少なくとも1時間前には行くように、との同僚のアドヴァイスを踏まえて9時ちょうどに到着。その後、待つこと1時間。他のフランス人はこの間新聞を読んでいて、スタート間近に捨てています。この時間のつぶし方は今後の例えばパリマラソンのような大規模レースでの参考になりそうです。
晴れ渡った空の下、10時少し前にスタートとなりました。スタート・ラインを超えてまずはトロカデロまでの上り坂を駆け上がります。フォッシュ通りまでの区間はとにかくスピードを上げて走るように、というアドヴァイスでしたので、それを実践。あっという間に心拍数が上がっていきます。ポワンカレ通りに入るところでは人と接触しないよう注意し、ポワンカレ通りでは歩道を掛けていく人たちを横目に見ながら抑えめのペースで車道中央を走っていると、ヴィクトル・ユーゴー広場を超えたあたりからやがて下り坂となり、広々としたフォッシュ通りに出たあたりで、ちょっとほっとします。


背中に150周年ロゴマークを付けていたところ、「トーキョー・マラトン、3月22日」と声を掛けられました。「参加するんですか。」「します。」「頑張って。」彼の方が遙かにスピードが速かったので、これ以上の会話は避けて先行してもらい、ブローニュの森に入り、時々トレーニングで走っているコースをどんどん後ろから抜かれながらマイペースで走ります。5キロ地点から10キロ地点までの間、ブローニュの森の中を左に曲がったり右に曲がったりして走っている間が、結構しんどかったです。応援が少ないということが一つと、アップダウンが結構あったということが一つ。なかなか大変でした。


ブローニュの森を出てごちゃごちゃした感じの16区の下町エリアを下っていき、やがて川が見えた。河岸まで下り、上流部に進路変換をしたとたん、疲れが吹き飛ぶ景色が広がりました。青い空、セーヌ川、エッフェル塔、そしてランナーたちです。

この光景、確かに絶景ではあるのですが、レース前から危惧していたとおり、やがて飽きてしまい、次に退屈が襲ってきます。そして、橋をくぐるための急なダウン&アップがいくつか続くと、体力の方も厳しくなってくる先日来ちょっと気になっていた左膝の違和感が痛みに変わり始め。。。




テュイルリー公園を左手に、オルセーを川越しに右手に見ながら走り、ロワイヤル橋を渡ってからの3キロは本当にきつかったです。ピッチを上げると膝の痛みは治まるものの、その分心拍数が上がっていく。何でこんな思いして走ってるんだろう、と自問自答。特に、残り1キロを示す黒いゲートを通ってからはしんどかった。が、ゴール・ゲートが見えてきて、大勢の応援の人たちが見えてくると、気持ちがしゃんとして、背筋が伸びてくる。そしてゴール。その瞬間、いつものことながら、「もう走らなくていいんだ。」という嬉しさが込み上げてきました。タイムは1時間45分少々。後に判明したチップ計測によるタイムは1時間45分16秒、20798人中6251位という好結果でした。5キロを25分51秒、10キロを51分47秒、15キロを1時間18分19秒、そして20キロが上記の結果となっており、最後の5キロががたっと落ちています。これも最初の方で飛ばしすぎたせいかも知れません。とはいえ、大満足の成績です。ハーフ・マラソンにすれば、1時間51分程度。フルマラソンのサブ・フォーも見えてきたような気が。いや、まだまだ。。。ゴールの時、心拍数は111%MAXを表示してたぞ。。。
ゴール直後にもらったガス入りのミネラル・ウォーターが大変美味しかったです。晴れ渡った空を背景にエッフェル塔も誇らしげ。それを背景に誇らしげに記念撮影を行い、一緒に走った仲間と韓国料理ODORIで肉をしっかり食べました。明日は3時起床です。
何となく疲れていたせいか、13時近くまで眠り、床屋さんに行ってジョギング屋を覗いた後、また帰ってきて昼寝。18時半頃から活動を開始。2カ所で買い物をし、明日のパリ20キロを一緒に走るエジンバラの友人、パリの同僚と3人でイタリアレストラン「デル・パパ」でカーボロードし、帰ってきました。
標記冷凍食材屋さん、我が家からモンソー公園に向かう道の途中、徒歩3分程度のところにあるのですが、冷凍庫の小ささ故、これまでは1度しか行ったことがありませんでした。例の巨大な冷凍庫が稼働を開始したことから、こちらに来てから2度目の訪問をし、カートに一杯買い物をしてしまいました。ほうれん草、鮭の切り身、スープ、アイスクリームと、充実した品揃えには感動します。もう少し早くに業務用冷凍庫を入手しておけば、食生活も少しは変わっていたかも知れません。コンビニがない街での便利な生活には不可欠な道具とお店です。
今年もこの行事がやってきました。ロータリーの奨学金をもらってフランスに学びに来た各国の学生を迎え、フランスのロータリー関係者が主催する晩餐会、毎年リヨン駅のノヴォテルの会議室が会場となっています。一昨々年、一昨年と出席したのですが、昨年は都合で出席できず、今年はスポッと空いてくれて参加が可能となりました。
19時半開場ですが、20時半に食事はスタート、ということで、20時半に向かったところ、丁度着席が始まっているところ。日本人の同窓会会長さんの向かいの席となり、まわりはさぞや立派な方々なのだろう、と思わせる紳士淑女でした。はす向かいの方は、かつてルノーF1チームで仕事をしていたこともある方らしく、セナの事故があった時にイモラに居た、とのこと。いろんな方々の善意がこのロータリー奨学金を支えています。そして、今年も全体の半数以上が日本からの留学生。美術史や歌といった芸術系が多いのが日本からの留学生の特徴です。米国からは社会科学系が多く、また、唯一となったインドからの学生は外科手術の勉強に来た、と言ってました。今年は挨拶をさせられることもなく(一応準備だけはしておいたのですが)、抽選会で自分で自分の当たり番号を引いてしまう(もちろん留学生に、ということで譲りました)、といったハプニングまでありましたが、23時には終了。一昨年は24時までかかっていたのに比べると、随分楽な行事となりました。おかげさまで、一旦職場に戻り、やり残した仕事を終えて週末を迎えることができました。さあ、来週は忙しくなりそうです。
今日10月9日は日仏修好通商条約が締結されてからちょうど150年となる日だそうです。150年というのは長いように思えて案外短いものです。
来週のお客様に備えてレストランを下見。少し大切な方なのでL'EVASIONで、ということで行って見たのですが、ステーキの方は少々肉が固く、ちょっと残念。でも、クローズ・エルミタージュのワインは、次のワインが選べないくらい、最高に美味しかったです。とりあえずワインは決まった、というところでしょうか。
パリ・ハーフ、パリ・フル、ヘルシンキを一緒に走り、ブローニュで一緒にトレーニングした同僚が、インドに行くことになったのを受けて開催された送別会、8名の走る人が集い、La Maison de Campagneで楽しく開催されました。57歳にしてヘルシンキで4時間1分、ブルゴーニュ10キロで46分という記録が打ち立てられた背景には、5年ほど前からの水泳生活があったことを聞き、やっとすとんと落ちるものを感じました。そのほかにも様々なカミング・アウトがあって、楽しい会となりました。寄せ書きしたナイキのパリ黒Tをプレゼント。一緒に走れなくなるのがちょっと寂しいです。
自分が関わった他者が主催する事業が絶賛されると、自分の手柄でも何でもないのに嬉しくなってしまいます。その嬉しさを手紙にして、主催者に贈っておこうと思います。
さて、ここのところの金融危機、フィガロのトップは毎日この話題で、ラジオもテレビもトップでこの話題を扱っています。他方で、日本の新聞ではさほどの扱いが行われていない。先般、サン=ディエでフランス人たちと会った際にも、「日本では金融危機はどうなんだ。」ととにかく問われましたが、そんなに大騒ぎすることなんだろうか、というのが率直な肌感覚でした。
そんな中、ル・モンド紙に「サムライの復讐」と題した論説が掲載されました。
http://www.lemonde.fr/opinions/article/2008/10/04/la-revanche-du-samourai-par-pierre-antoine-delhommais_1103067_3232.html
バブル崩壊後の日本の手堅さを賞賛し、「日本が帰ってきた」と書いてくれています。こういう記事には勇気づけられます。
お昼までバタバタと仕事をして、13時に職場を出発。東駅までの道中、大渋滞につかまってしまい、雨の中、荷物を引っ張って何とか駅に到着。サンドウィッチを買ってTGVに飛び乗りました。ナンシーまでの1時間半、猛烈な睡魔に襲われたその時に検札が来てしまい、中途半端な頭の巡りのまま、ナンシー駅到着。そこからサン=ディエ市が手配してくれたミシェル運転の車に乗って1時間少々。ちょうど1年の不在を経て、サン=ディエ市に到着しました。
とりあえず市役所で事務局長に挨拶し、地理学国際フェスティヴァル会場の見学に出発。あちこちでお願いしていた日本の関係者の人たちに挨拶することができました。折り紙に漢字カタカナひらがなでフランス人の名前を書いてあげる、という出店には、人だかりもできていました。
たまたまピット先生と出会い、料理のレクチャー・デモンストレーション会場で行われた講演会に参加。唐辛子は西洋から北東アジアにもたらされ、韓国で特に活用されるようになったこと等、興味深いエピソードを学びました。その間も携帯に続々と電話が入ってきて、何度も中座しなければならなかったのには閉口しましたが。
昨年と同じ会場での夕食会。何もかもが懐かしく、また嬉しかったです。市内から車で30分のところにある、昨年と同じホテル、「LA BELLE VUE」に宿泊。いよいよ明日から本番です。
パリ日本文化会館で開催された1858年日仏修好通商条約についてのシンポジウムに参加してきました。日本とフランスの最初期の交流では絹が占めていた部分が大変大きかった、ということを学ぶことができました(日本の蚕繭の半分がフランスに輸出されていて、フランスの蚕繭の半分が日本産だった、とか)。バルチック艦隊を撃破した日本海軍の戦法(小型艦船で行列して進む艦に攻撃をしかけ、すぐに退却する、というもの)はフランスが日本に教えたものだそうで、そういうエピソードに満足気な様子のフランス人を見ていると、彼らも案外かわいいなぁ、と思えてきます。大幅に時間を延長して続いたシンポジウムは21時過ぎに終了。スージーで夕食を取って帰ってきました。明日からサン=ディエに出張です。
午前中、各方面から難題が殺到して、ほとほと疲れ、これはある行事を中止するという決定が行われない場合、各方面に多大な迷惑を掛けることになる、と思い、考え方を簡潔に整理した紙を1枚作成し、関係方面と相談し、その考え方につき了承を得ました。時々、夢に出てくるくらい、悩んでいた案件だったのでひと安心です。やはり、一人で転がせる仕事の分量には限りがある。仕方ありません。
宴会から明けた今日はParis-Versaillesレースの日。パリからヴェルサイユまでを走ってしまう、というこのレース。前々から楽しみにしていました。
10時スタートなのに8時起床。アルコールがちょっと残っているような感じです。慌てて準備を整え、まずはヴェリブで凱旋門駅まで行き、そこから6番線のホームに向かうと、いるいる。走る人々で車両が独占されています。自分はジャージ姿だったのですが、もう既にしてリーボック印のゴミ袋を被った短パンの人たちが大勢いて、靴を見ると皆チップをつけています。早くも気持ちが昂ぶります。その昂ぶりをそのまま音楽で維持しようとiPodで音楽を聴き始めたところ、充電しておいたはずのiPodの電池が切れてしまいました。。。コンセントにつながっていなかったか。。。初めて、レースで音楽を聴かずに走ることとなりました。ドーピング効果が得られないことになりそうです。
「荷物預けは9時までです。」というネット上でのアナウンスは、「9時頃までには来ておいた方がいいですよ。」という程度のことでした。この車に乗ってヴェルサイユのゴール地点まで鞄や袋が運ばれていきます。また荷物を預けるまでさほどの時間がかかりません。これも31年という経験がもたらすオーガナイゼーションだと思います。来月のニース=カンヌも同じようにゴール地点まで荷物が運ばれていくようですが、こういう風であることを期待したいところです。

シリアル・バーとMarsチョコレートで朝食とし、アイソトニック・ドリンクを飲みながら、左膝が心配でもあったことから他の人たちのようにはウォーム・アップ・ランは行わず、ストレッチとシャン=ド=マルスの散歩を。朝のシャン=ド=マルス、上り始めた太陽が木々の間から漏れてきて、美しく心地よいところです。いずれ左岸で勤務する機会があれば、この公園を走ろうと思います。
そうこうしているうちにスタートまで30分となりました。エレベーターに乗るために早くも長蛇の列ができているエッフェル塔の下を通ってスタート地点に行こうとしたところ、イエナ橋がエッフェル塔と出くわすところまで来てしまいました。みんなやる気満々です。


待つこと30分、太陽が差していたおかげであまり寒さを感じることなくスタートの時間を迎えることができました。このパリ=ヴェルサイユのレースではスタートに「波(Vague)」方式が採用されています。10時になっても皆が一斉にスタートするのではなく、だいたい50名程度の小集団が作られて、その小集団が2~3分程度の間隔をおいて次々にスタートする、というやり方です。道があまり広くない箇所があることもあって、このやり方が採用されているのだとか。グループがスタートしていくたびにじわじわと緊張感が高まってきます。そしていよいよ自分の番が。いざ出走です。
職場の同僚から「このレースでは6キロ地点の上り坂が始まるまではとにかくペースを押さえて走ることが必要。」と言われていたこともあって、次々に抜かれることもそのまま受け入れてキロ6分に近いペースで走ります。
パリ日本文化会館の脇を抜けて1キロ地点にさしかかります。


TF1のビルを対岸に眺めやりながら走り続け、やがてイッシー=レ=ムリノーへ。街並みの雰囲気ががらっと変わります。


抜かれても抜かれても、淡々と走り続けているうちに、5キロ地点を通過。そしてとうとう、噂の上りが始まりました。最大斜度10%というだけあって、これはこれは凄かったです。道沿いの塀の傾斜を御覧ください。


最初の坂を登り切ると少し平らになります。ただ、これで坂が終わった、と思ってはならない、というのが同僚の教え。この後、さらに2度の上りが続きます。


2度目のちょっとした平地と、最後の上り坂。ここがきつかった。。。


そして、やっと登り切った8キロ地点から先は気持ちの良い森の中の道を下ったり登ったりする道が続きます。この道は本当に気持ちがよい。いずれトレーニングのために訪れたい、そんな場所です。


そして、森の道を抜けたところ、道路標識でヴェルサイユまで3.5キロと標示されているのに勇気づけられて、再び少し長めの坂を登っていき、下り坂を飛ばしていき、大通りに出ます。


残り1キロのゲートをくぐり、2キロほど併走したおねいさんに引っ張られるように走り続け、やがて彼女を追い越して正面にヴェルサイユ宮殿を見はるかしながらゴール。1時間30分ちょうど。心拍数は111%を表示していました。


水を貰い、メダルをもらい、食料が入った袋をもらって鉄柵で作られたゲートを出ると、大通り一杯にランナーたちが体を休めていました。日が差してはいるものの、少し肌寒く、ヴェルサイユまで車で運ばれてきた荷物をピックアップして上衣を羽織ります。いつものラン仲間はベルリンだったりリスボンだったりで走っていて、今日は一人のラン。そうそうにヴェルサイユ左岸駅に向かい、電車に乗り込みます。こんな人たちでRER-C線の車内は一杯でした。


車内にぽかぽか差してくる太陽の暖かさにすっかり眠ってしまい、気が付けばイッシー駅に到着。エッフェル塔の駅まで行き、乗り換えてペレール広場まで。帰ってきてとりあえずピザを食べ、シャワーを浴びてお昼寝。その後、セルフ・プロデュースの完走記念焼き肉会を松ちゃんにて開催。しっかり肉を取って帰ってきました。
このパリ=ヴェルサイユ・レースは、パリ・マラソンに次いで走っている人が多いレースだとか。パリ・マラソンは今年で32回目でしたが、このパリ=ヴェルサイユは今年で31回目。ビギナーが多いレースだそうですが、やはりあの上り坂は試練の時であるようです。ただ、16キロというのは、短すぎず長すぎず。また、途中の上り坂は筋肉を鍛えるのにも役に立ちそうです。そして、1時間30分というタイムは、あのアップ・ダウンがあったにしてはそこそこ。音楽ドーピングがなかった、ということもあり、また久しぶりのランだったことから心拍数に気を遣って走った、ということもあったのですが、満足です。そして、初めての音楽なしのレース。風の音、周囲の息づかい、自分のリズムに耳を澄ませて走った経験は、大変新鮮でした。こんな経験、大学生の頃に久品仏の方まで走りにいっていた時以来の経験かも知れません。ただ、やっぱり音楽があるのも良いかな、というのが今日のところの結論です。
いずれまた。秋晴れの一日、記憶に残るレースでした。


8時30分に同僚の自宅前まで車で行き、そこから会議場まではちょうど30分弱。相変わらず開始時間は遅くなったものの、昨日のような30分遅れではなく、会議はスタート。日本のことを本当に好きな人たちの集まりだけあって、チャリティーの話をしていても「同じ本を贈るにしても日本に関係するものを」といった発言があって、嬉しかったです。
その後、グループ・ディスカッションに移ってからしばらく会議を中座して、明日のパリ=ヴェルサイユ・レースのゼッケン引き取りにIssy les Moulineauの体育館、Palais des Sportsへ向かいました。先月のHuman Raceとは全く異なり、待ち時間ゼロで驚くほどスムーズにゼッケンほかを引き取ることができ、やはりフランス人が本気になるとこういうスムーズな組織が可能になるんだ、と感心。
会議場にバス&トラムで戻ると、ちょうど昼食タイムでした。ワインを差し入れておいたのですが、午後の会議冒頭で会長からの謝辞までいただけたりして、こちらまで嬉しくなりました。
午後の会議での驚きは、来年の役員選挙が行われた際、イギリスから来た人がパワーポイントで自分の略歴と売りをPRしたことで、アングロ・サクソンのパワーを感じました。と同時に、フランス人の奥ゆかしさの方を好きになっている自分がいたりもして。
フランスの前会長をシャトレまで送り、一旦車を置いた後、「ひょうたん」での打ち上げ&歓迎会へ。45分、遅刻してきた多くの関係者を迎え入れての「宴会」となりました。ドイツの人、イギリスの人、日系ブラジル人、オーストラリア人、カナダ人、韓国人、アメリカ人とフランス人と日本人。多国籍な中でも日本語が公用語です。24時前、シャンゼリゼで皆と別れて家まで帰ってくる道中、本当にこういう人たちが国の財産だ、と確信しました。
一人でも多くの人とこうやってつながっていきたい。個人的にもそう思います。
9時にパリ国際大学都市日本館へ。各国から集まってきた20名の親日家代表が集まる会議において、15分程度、英語によるプレゼンテーション(原稿を用意しておいてもらって本当に助かりました)を行い、食事の後、一旦職場へ。次のアクションが始まるまでの1時間半の間に蓄積したメールを処理し、16時にはこの9月の最大のイヴェントとなるレセプションを実施する会場へ。諸準備を整え、18時にはレセプションが開始されました。今夜のレセプションでは外国人の人たちが集まってはいるものの、ほとんど日本語が通用することから社交の方は楽で楽しかったです。そのレセプションが19時30分に終了。全員が退出するのを見送り、20時からは合気道関係者との食事会に参加。22時過ぎに終了し、帰ってきました。なかなか大変です。明日が終われば会議は終了です。
朝、何故か6時前に目が覚めてしまい、そのまま眠れそうになかったことから、活動を開始することとし、久しぶりにジョグを。7時スタートだと早くも外は暗く、秋分の日を超えてしまったことに気付かされます。今日はビルドアップ気味に後半、スピードを上げてみました。まだ膝の方は本調子ではなく、痛みとまではいかないものの違和感の最初の段階にありそうなものを感じたため、無理はせずに5周で終了。それにしても、走っている人たちの顔ぶれが随分変わりました。スーザンも転勤になったのか知らん。
午前中、襲いかかってくるTSUNAMIのような仕事を片づけ、13時に持ってきたお弁当を飲み込み14時からの会議に向かい、久しぶりに使う英語の感覚にとまどい、16時には会議を後にして戻ってきて、18時30分からはレセプション。ルノーの社会貢献活動としての奨学金付与の実態について学習する機会を得ました。商工会議所の建物の中には初めて入りましたが、「遺産の日」で公開されることがニュースになるだけあって、贅沢な建物になっていました。再び職場に戻ってきて仕事を片づけて22時頃帰宅。明日からは楽しくなりそうです。
日曜日にオランダから帰ってきてモンソー公園を走ったら、4周目くらいに膝に違和感を感じ、それが6周目くらいには鈍い痛みに変わったため、10周の予定を7周で終えて帰ってきていました。サポーターに湿布を続け、やっと今朝には痛みがひいたので、サポーターを外したのですが、今日のところは走らず。日曜日のパリ=ヴェルサイユに向けて、明日は少し調整してみようと思います。
それにしても、今朝は朝から全力疾走、昼休みを挟んで午後も全力疾走、夜は食事会に出たところ、日本からの旧同僚がバスの渋滞で遅れた、との連絡が入ったため、慌てて職場に戻り、夕食会後に済ませようと思っていた仕事を終わらせ、再び出かけました。少なくとも現体制でのCercle du 17emeでの食事はこれで最後。オーナーから私生活の話まで聞きつつ、これで最後と握手をして別れました。シェフとは今後も長いお付き合いになりそうですが。
そして、パリでのいろいろな仕事を一緒にした旧同僚の准教授から頂いた黒霧島の1.8リットル入り紙パックは本当に嬉しかったです。重いにもかかわらず、貴重なものを本当に有り難うございました。次は日本で、お目に掛かる日のことを楽しみにしています。
今年の受賞作はギブール・ドラモットさんという日本研究者の方が書いた日本の防衛政策に関する論文で、久しぶりに「硬い」テーマの論文が受賞する、ということになりました。同賞が発足してから第25回目の節目となる今年から、それまでの毎日新聞社にかわり読売新聞社が主催者に加わりましたが、それも何らかの影響を与えているかも知れません。その分厚さに驚き、書誌を見て引用論文の多さに驚きます。相当数のインタビューも行われている模様。この分野での論文が少ないフランスで、「今後のリファレンスになる」作品だそうです。
まずレセプション第1弾が終了。次は今週金曜日です。
バーベキュー味のポテトチップスにチリパウダーと粉ニンニクを振りかけると、「カラムーチョ」チップスに少し近づきます。この味、病みつきになりそうです。
どうも昨日の久しぶりジョギングがアキレス腱に負担をかけたらしく、若干の違和感があったことから、今朝は筋トレのみとし、ジョギングは避けました。それに、なんと言っても、朝の最低気温が6度となっていると、なかなか布団から出たくなくなります。
午前と午後に会議。午後には人間国宝を巡ってフランス人とやりとりをする、なかなか刺激的な打ち合わせとなりました。同僚とだべっていたら何時の間にやら23時。夜の冷え込みも厳しくなりつつあり、ハーフコートが必要になりそうです。
1週間強の間さぼり続けていたジョギングを再開しました。モンソー公園も入ってすぐ右手の土手のところを除いて、周回道路は改修済みとなり、極めて走りやすくなりました。いつもの顔ぶれが走っていて、ちょっと嬉しくなります。やっと新学期が始まった、そんな印象を持ちます。
それにしても寒くなりました。朝の最低気温は8度とか7度とか言ってます。長袖に膝までのタイツでも、最初のうちは少々寒い。とりあえずしばらくはこれで様子を見て、さらに厚着に移るかどうかを決めようと思います。朝の日差しが差してくる時間も随分遅くなってきました。あと1週間で秋分の日ですから、ちょうど今日が4月1日頃の日照でしょうから、当然なのかも知れません。
仕事の方も新学期が猛スピードで回転し続けていて、時々付いていくのがやっと、といった状況になったりもします。3つの挨拶文同時作成、各種事業の仕込み、東京からの出張者の準備、会議のレポートの東京への報告等々を行っていたら22時30分。ただ、今日のところは勘弁してやりました。明日はもっと大変になりそうな予感がします。走って忘れることにしようと思います。
朝から大変な秋晴れに恵まれた今日、フォンテーヌ・ブローに出かける予定だったところ、微熱が完全に下がっていなかったことから、結局一日、家に籠もって過ごしました。おかげさまで体重がとうとう75キロを超えてしまいました。パリ=ヴェルサイユまであと2週間、少し減量しなければなりません。
朝のジョギングをさぼり、午前中一杯を寝て、午後から会議。18時過ぎにカルチエラタンで少し靴を見て、買い物をして21時頃家に帰ってきました。最近はまっている白菜スープを食べました。改装後のフランプリに入荷していた「白菜」をタマネギとニンニクと一緒にマギーブイヨンで煮込んだスープで、ここのところ頻繁に作って食べています。白菜を適量、タマネギ2~3個、ニンニクを半玉分ほど鍋に入れて1リットルほどの水にマギー・ブイヨン、黒胡椒を碾かずに10粒程度、鷹の爪のような香辛料(Piments Langue d'Oiseau "Pili-Pili")を3つ、塩を適量入れて、そのまま煮込むだけで、スパイシーで美味しいスープができあがります。長ネギを入れても良し。いずれニンジンなどを入れてもよいかも知れません。早く快復を計りたいです。
今日は朝一番でアメリカン・ホスピタルで行われている健康診断に行ってきました。片側1車線の道にトラックが停まって作業をしていたりするせいで随分渋滞ていたユーゴー通りを抜けて8時5分頃、受付に到着。すぐにバス・ガウンとスリッパを渡されて、着替えをすることになります。日本人の看護婦さんのような人がエスコートをしてくれるという本格的な健康診断となり、少々緊張しました。が、検査の内容としては身長・体重、視力検査、眼圧検査、聴力検査、血液の採取、胸部レントゲン撮影等々、毎年普通に受けている検査が続き、結局、心電図とバリウムを飲んでの胃の検査位が「ガウン」的なものでした。
この胃検診ですが、発泡剤を飲まず大量のバリウムを時々撮影しながら飲まされたりしました。台も日本で受診した時には縦横無尽に回転していたような記憶がありますが、横に90度倒れるのみ。お腹の下に空気枕のようなものを入れて撮影したり、といったところで、少々拍子抜けでした。下剤も飲まされません。それが終わってからの朝食、というのがちょっと本格的で嬉しかったです。
レントゲンや胃検診のフィルムがすぐに渡されるのはいかにもフランス的です。受付でそれとなく聞こえてきたのが、この撮影結果をかかりつけ医に見てもらうように、との指示。なかなかちゃんとしたシステムになっています。そして、自分のフィルムをお医者さんに見てもらったところでは、何ら問題はなかったのですが、一つ面白い指摘が。胃検診は胃ガン死亡率が最も高かった日本では高度に発達しており、フランスは遅れている、とのこと。発泡剤を飲まなかったことで、胃の上部の方がしわしわになっており、胃壁を十分に見ることができなくなってしまっているのは、その遅れの現れのようです。
夜は新しく職場に来た同僚の歓迎会をいつものようにMaison de Campagneで。「かわいい名前ですね。」というのがフランス流口説き方の定番である、ということをフランス人の同僚から学びました。
帰宅してからバリウムが排出され、ちょっと楽になった次第です。
明日から3連休、のはずなのですが、明日は午後一杯仕事となります。。。
朝、寝起きにネットに繋いだら、川辺川ダム計画が白紙撤回、とのネットニュースが目に飛び込んできました。同時に、川辺川近辺の様子がありありと脳裏に浮かびました。地元産品の販売所、人吉高校分校、春を迎えた頭地の桜、代替地として建物の建設が進んでいた丘の上の土地、快適な445号線、交差点の商店、三浦小学校。。。再びあの土地に5月の始め頃に行って、キャンプをして温泉に浸かったりしながら釣りを楽しみたい、と思っていた自分としては、あの付近が水没しないで残るということに喜びを禁じ得ません。過去と現在の民意の違い、という論法は、政治学者だった知事の面目躍如といった感じで、すとんと落ちるものがありました。自然と環境を守るための決断は歓迎したい反面、これまでの歴史の重みと流れを覆したことによる影響のことを思うと、これからが大変だろう、と思います。叡知を集めて切り抜けてもらいたいです。
風邪気味で今ひとつ体調不良です。家に帰る頃22時過ぎになると冷え込むくせに、日中は25度近くまで気温が上がる、というのが、体温の調整を難しくしています。そんな時、お医者さんに教えてもらったとおりの飲み方で葛根湯を飲んだところ、体が芯の方から暖まるのを感じることができました。食間に「顆粒をお湯に溶かして湯気も吸い込みながら飲む」というのが正しい飲み方であるようです。早く回復しなければ、立ち止まっている時間はありません。。。
朝、家を出た時、道路を走る車の量、渋滞の程度から、すっかりパリが普通の活動に戻ったことを感じました。お昼の日本総菜屋さんの前の行列も、デカトロンのレジの前の行列も、マクドの仏式1階の人の数も、普通になってしまいました。パリがすっかり通常のペースに戻ったことを感じます。
5月来続いていた仕事に一旦の片が付きました。久しぶりに大きな達成感を覚えることができました。
それにしても、日本でもフランスでも、大学というのはその卒業生に独特な「におい」を与えることがあるらしく、今日の行事で集まった日本側の方々、フランス側の方々と接していると、強烈にその空気を感じることがありました。それはそれでよいことだと思いますが。
ほっとした夜にはシャルトルーズをくいっとやって眠ることにします。
今日は忙しい一日でした。諸案件が次から次へと殺到して、それを処理する姿を同僚が「千手観音」と形容してくれました。時々、過去3年以上使い続けているパソコンの反応がこの上なく遅く感じ、ついてきてくれないガンダムを操縦しているアムロのような気分になるときもあります。とりあえず明日の行事が終われば一段落。月末の諸行事に向けた仕込みに入ることができそうです。
全体で32177位だった、ということが分かりました。前宣伝のとおり、世界中で100万人の人が本当に走っていたのならば、ものすごい好成績です。ただ、分母の数がよく分からない。。。「トータルで5080053キロが走破された」そうなので、これを10で割ると約51万となるので、目標数の半分程度の人が走った、ということになるのでしょうか。いずれにせよ、自分を誉めてやりたい、そんな気分です。
レンジでチンするクスクスのお昼にマクドの夜、午前も午後も会議でつぶれると、なかなか疲れます。
ヘルシンキ、モンブランでの失敗を二度と繰り返さぬよう、筋トレを開始しました。登山と同様、とりあえず目の前の課題をこつこつと行っていくことで、いつの間にか変化が生じている、という状況が生じてくれることを祈っています。
今朝は随分涼しくなった中、久しぶりに朝のジョグを。モンソー公園では公園内通路の整備工事が始まり、随所が通行止めにされてしまったことから、不規則なルートを走ることとなりました。ぬるっとした汗が沢山出て、すっきりと気持ちよくなりました。
仕事の方はいろんな電話がかかってくるようになり、午前中は気がおかしくなりそうに忙しかったのですが、午後に入ってコントロール可能な状態となりました。が、ギリギリの状態で走っている状況にはかわりはなく、少々危ない状態です。まずは今週を無事渡りきりたいです。
朝の目覚ましラジオからは新学期とハリケーン「グスタフ」のニュースばかりでした。二百十日の今日にふさわしい、といったところでしょうか。
仕事の方は、職場へのメールのプライヴェート・アカウントへの転送をお願いしておいたおかげで、だいたいキャッチアップすることができました。まだまだ溜まってはいますが。
これまた溜まっていた新聞を読んでいたら、8月22日にモンブラン下山中の日本人男性が難所で滑落死した、との記事が出ていました。クリストフが言っていた場所だろう、と思います。御冥福をお祈りするとともに、やはりモンブランとは相当な準備と覚悟の上で出かけなければならない場所なんだ、という意識を強く持つことになりました。奇しくも今日のフィガロ紙は、そのモンブラン登山に関し、サン=ジェルヴェ市長が入山規制を行うべきという主張を改めて行っていることを報じていました。曰く、「ディズニーランドに行くような気持ちでモンブランに来る人が増えている。」とか。最近、登頂成功率が減っている、とクリストフが言っていたのは、経験の浅い(自分のような)人が増えているせいなのでしょう。トレーニングを続けていきたいと思います。
10時前に起床。とはいえ、大変に体が疲れていました。と同時に、毛細血管の隅々にまで血が行き渡っている感じ。空気が濃い場所に戻ってきたことを実感します。
11時頃から早めの昼食。靴にチップを付け、ユニフォームとなる赤いTシャツを着て、13時過ぎ、いざ出発。ポルト・マイヨーまでVelibで行くと、既にして赤い同輩たちが大勢いる。そこからシャトル・バスに乗ってスタート地点となるロンシャン競馬場へ。シャトル・バスだと言うのに着席のバスになっていて、立ち乗りは禁止、という厳しいルールが適用されていました。走る前から倒れて脚を痛めた、と言われないための措置かも知れません。


久しぶりにロンシャン競馬場前まで来ました。昨年11月頃、ジョギングを始めたての頃にこの周辺をぐるぐる回って走りました。また、ルートになっている道はパリ・マラソンで走ったり、ジョギングで走ったりしています。ルート・マップを見ていたら、だいたい、この辺で加速して、この辺では押さえて、という組み立てができました。ホーム・グラウンドとしていることの強みです。タイムが出るだろうか。
Départ Route des Tribunes ;
Route de la Seine à la Butte Mortemart ;
Route de Sèvres à Neuilly ;
Avenue de l’Hippodrome ;
Allée de la Reine Marguerite ;
Avenue de Saint-Cloud ;
Avenue de l’hippodrome ;
Allée de la Reine Marguerite ;
Route de la Grande Cascade ;
Carrefour de Longchamp ;
Route de Sèvres à Neuilly ;
Route de la Seine à la butte Mortemart ;
Route des Tribunes.
Départ / Arrivée: Route des Tribunes, devant l’Hippodrome de Longchamp.
バスを降りてみると、さらに赤い人たちの数が増えて、まさにお祭り。地下道まで真っ赤な照明となっていました。すっかりNIKEの戦略にはまった走るアホウどもの一員となって、お祭りを存分に楽しんでみようという気になります。


お馬さんたちの場所が今日はランナーたちに開放されていて、なかなか見ることの出来ない角度からの風景を目にすることができました。ラッキーです。


裏方さんたちも待機済み。ゴールした後に貰えるのであろうものたちは、スターバックスの袋に入っていました。なんだか完全にアメリカ資本のPRの場となっています。


それにしても、壮観とはこういうことを言うのでしょうか。スタート地点には赤いTシャツを着た人々しかいません。そういう「ドレス・コード」になっているのだから当然といえば当然なのですが、妙に心が昂ぶります。赤い色と数による効果故でしょうか。そして、14時30分のスタートはカウントダウン方式。ピストルの音は鳴りませんでした。一斉に赤い軍団が走り出した様は壮観でした。


懐かしい景色を思い出しながら、最初から全力疾走を試みます。あっという間に心拍計が90%を超え、ロンシャン競馬場を見はるかすRoute de Sèvres à Neuillyで愛内里菜の曲に乗って先行者を次から次へと抜いている時には102%となっていました。いずれ上り坂が始まるまでに出せるだけのスピードを出しておこう、という作戦です。それと同時に、先日のヘルシンキ・マラソンでスピードを最後まで維持できなかったことの悔しさを10キロでぶつけ、一体どこまで行けるか試してみよう、という気持ちもありました。やがてAvenue de l’Hippodromeの上りが始まりペースダウン。3キロ地点での給水所には、「水」がなく「Powerade」なるスポーツ・ドリンクが配られていたのですが、これが不味かった。残暑の日差しですっかりあたたまった毒々しい青い色のスポーツ・ドリンクほどリフレッシュ感を与えてくれないものはありません。何かが喉に貼り付いたような感じを受けながら走り続け、夜には姫たちが立つAllée de la Reine Margueriteを下っていきます。続けていつものトレーニング時には下っていくAvenue de Saint-Cloudを今度は上池に向けて駆け上がっていく。パリ・マラソンでは39キロ地点となるこの上りが今回のレースでは一番しんどかったかも知れません。時々目をつぶったまま走りました。今回登ることのかなわなかったモンブランのことを思ったりもしました。ただ、ここを超えれば後は平らか下り。我慢してペースを維持していくうちに2度目の給水所。ここでは水が配られていて、これが本当に助かりました。少しを口に含んで飲み込み、後は頭からかけて体を冷やす。スタートからずっと太陽が照りつけていて、とにかく体を冷やさないと。再びAvenue de l’hippodromeに戻り、Allée de la Reine MargueriteからRoute de Sèvres à Neuillyに戻ってきました。キロを少しずつ稼ぎながら、今回は絶対に歩かないぞ、という決意のもと、最後のRoute des Tribunesに戻ってきました。ロンシャン競馬場近辺に来てから、道ばたで倒れている人が続出。ローラーブレードを履いた救出隊がゴール方面から続々と出動していました。暑さがぶり返した中での過酷なレースとなったことを物語っています。それにしても、8キロ地点を越えたところで、突然、「50分」のペース・メーカーだった電気自動車がラスト・スパートをかけ、あれよあれよという間に追い抜かれ、遠い先に行ってしまった時には大変残念な思いがしました。ついて行けそうにないな。とにかく今日は歩かないで完走することにしよう。
やがてゴールが見えてきてほっとし、とりあえず平常心でゴール。その先にあったスポンジで4度、とにかく水を含ませて頭と首筋、太ももに押しつけて体を冷やしました。これだけ暑い中でのレースは初めて。この暑さを少しでも、先日のヘルシンキに欲しかったです。
ゴールした人に配られるメダル代わりがこちらのリストバンド。まあ、よく分かりませんが、よしとしましょう。


こちらの筒には、「TOKYO」の代わりに「Mt.FUJI」と書かれていました。印刷が間に合った、ということなのかもしれません。ただ、こういうところで「TOKYO」を主張しておけば、オリンピック招致にも好影響を与えたのではなかろうか、などと思ったりもしました。東京マラソンの時にも、道を封鎖されて稼ぎが経るタクシーの運転手さんの声やら、立ち小便をする人々のモラルの問題、それに某テレビ局の女子アナさんたちのことの方がメディアで大きく取り上げられてしまうようなところですから、NIKEなる一企業が開催するイヴェントのために10キロ分の道を封鎖するのは相当に難しいことなのでしょうね。それに、リオ・デジャネイロもマドリッドも名前が出ていないのですから、仮にMt.FUJIの隣りに「CHICAGO」が出ていてもそう気にする必要はないのかも知れません。各都市の名前が看板になっていた荷物置き場で「TOKYO」を探しても見つからなかったのは、そういった事情もあったのかも知れません。そういえば、上海のレースの様子は早速ヴィデオになって会場で流れていました。「日本」や「東京」が少しずつ忘れられている、そんな印象を受けました。それとも、アピールしようという意欲が薄れている、といったところでしょうか。
完走者に対する無料コンサートは17時開始、とのことであり、ゴールをしてから1時間半ほど待っていたのですが、同じロンシャン競馬場の芝生の上に作られた仮設舞台への入り口が開門したと同時に、こちらは家に向けて帰ってきました。あんまり名前を聞くアーチストでもないし、とにかく早く帰ってシャワーを浴びたい。
帰り際も少し走ってみたのですが、ねっとりとした汗が出てくる。この夏はビールを飲み過ぎたかも知れないな。
明日からとうとう9月が始まります。忙しくなりそうです。が、走り続けようと思います。
お昼に打ち合わせの会食を表記ブラッスリー(151 Boulevard Saint Germain)で行ってきました。サンジェルマン=デ=プレにある老舗で、伝統的フランス料理がメニューとなっています。同じものを頼んだ場合、2人分ずつくらいが一皿に出てきて、それを取り分ける、というあたりも伝統的な感じです。自分は長ネギとラムステーキとしたのですが、まあ普通です。いずれにせよ、観光で来たりするのには良い場所なのでしょうが、真面目な打ち合わせに使う場所ではない、ということは確実でしたが。
明日、やらなければならないことを書き出して、就寝。明日からシャモニ行きです。
なんやかやと忙しく、エネルギー不足を痛感した木曜日の午後となりました。マラソンもある程度響いている様子。夕方、突然呼んでいただいた食事会に行く前に食べた元祖柿の種の美味しかったこと。明日が終わればシャモニー行きです。
昨日に増して忙しくなりました。来週のヴァカンスを確保するためには仕方ありません。皆が本格的に仕事を再開する時期に休むのですから、皆が中途半端に休んでいる今のうちに稼いでおくことが必要です。
そんな午前中を過ごした後、覚悟を決めてシャモニー往復の国鉄チケットを発券してしまいました。クレディ・リヨネの自動発券機を使い、若干の問題をフォーブール・サントノレ通りのSNCFブティックで解決し、再びクレディ・リヨネの自動発券機で最終的にチケット購入を終わらせ、旅心が一応定まりました。次に定まるのはモンブランの稜線を歩いている時かも知れません。
この旅に向けて発注したパタゴニア製品が今朝、届きました。前日に「発送しました」メールが入って、翌日朝には届くというのが、このパタゴニア通販のよいところです。素材や厚さを微妙に変えてインナーにもレイヤードにもなるものを複数購入しておいたのが出発前に届いてくれてひと安心。他方でパタゴニア製品の問題。それぞれの品物が「何か」ということがタグに書かれていません。素材はタグに書かれているのですから、厚さの違いも記入してもらいたいところです。明日、油性ペンを調達して注記しておこうと思います。
そろそろヴァカンスも終了に近づいてきたのか、少しずつフランス社会の側も動きが見られるようになりつつあって、受話器を取るとフランス語が聞こえてくる比率が増えてきました。おまけに、日本が仕事を再開し始めた模様で、いろいろな発注が入るようにも。一時に大量の仕事が降りかかってくると、いまだに少し焦りを覚える瞬間があるのですが、これも午前10時から11時までの間の出来事であり、淡々とメモをして午前の残された時間と午後の時間に片付けることとします。「TO DO」の項目が再び激増しつつあるのが気がかりではありますが。それでも、今日のところは21時30分には職場を出て帰ってきました。さすがにマラソン明け3日目だけあって、疲れが抜けません。
WESTONで旅行用のスリッパと雨の日用の靴を購入してしまいました。ゴム底の靴は日本に帰ってからも長く履くことが出来そうです。また、スリッパの方は、生産が終了しているとのこと。シャモニの宿で使い初めの予定です。
若干の筋肉痛が残ってはいるものの、前回と比べれば遙かに楽なのは、やはりちょっとは成長が見られたのかも知れません。様々な事務を行った後、夜20時から、今度日本に帰ることになった同僚、ザンビアに行ってしまう同僚、ここに残る同僚、同じくここに残る自分の4人で、スージーで送別夕食会=同窓会を行いました。二人が去ってしまうと、同時期に引っ越し前のオフィスで仕事をしていたのは上記最後の2名のみとなってしまいます。食事が終わった後、いろいろな思いが詰まった旧職場のところまで行き、同じ窓を見上げながら別れを惜しみました。「同窓」とは良い言葉だなぁ、とつくづく思った次第です。
世の中はすっかりヴァカンスになりました。サルコジ大統領はロシアに行ったりグルジアに行ったりして、仕事で輝いていますが、世の中はすっかり減速気味で、メールを送っても返事はなく、電話をしても応答はありません。こうなってくると仕事という点ではお手上げです。
いつもはぎっしり詰まっている路上縦列駐車帯もがらがらです。レストランもカフェもサンドウィッチ屋も閉まっているところが多い。驚くべきことに、あのスージーでさえ、一週間の休みとなっている。そんな中、お昼はマラソン前のお昼御飯用に「赤いきつね」の買い出しに行き、そのはす向かいの丼屋で昼食。カツ丼定食が本当に美味しかったです。夜はカルフールに買い出し。自宅近所のフランプリが大改装工事中で締まっているため、わざわざ買いだしに来たのですが、さすがカルフール安いです。そしてさすがヴァカンス、お店の中も何となくガランとしていて、全く待ち時間無しにレジを済ませることができました。
明日は午後からヘルシンキ。初めての北欧です。マラソン用品+食料を鞄に詰めて準備はOK。最低気温13度・最高気温18度の涼しいフィンランドに行ってきます。
日本もお盆休みに入ってくれたためか、朝、出勤した時にメールボックスに入っているメールの数が激減しています。そんな中、9月に入ってから怒濤のごとく押し寄せる行事の準備のため、顔色を変えて仕事してました。世間様がすっかりお休みモードの時に18時30分から20時30分まで打ち合わせしたりしています。今週末のヘルシンキ・マラソン、8月最終週のモンブランに向け、少しは距離を稼げだだろうか。
外部から仕事が降りかかってこない間を活用して次々に溜まっていたレポートを作成・送付し、随分すっきりとしてきました。そんな今日はザンビアに行ってしまう同僚の送別会。月曜日からカラオケ4時間コース。このカラオケ屋さん、最初はママさんがいる飲み屋、次は中華料理屋だったのが、今日行ってみたところ何もなくなってしまっていました。結構大変なのだなぁ、と思います。そして月曜日から飲み放題。シド・ヴィシャスのMy Wayの当座の聞き納めができ、満足です。
帰りのメトロでは同僚と一緒に新橋のサラリーマン状態でしたが、乗り換えのホームの薄暗い様子を見ると、さすがに緊張感が走ります。
朝、モンソー公園を5周ほどして、帰ってきたところで午後の予定がキャンセルとなり、結局、終日、インターネットでドラマを見ながらブログの整理をする、落ち着いた一日となりました。久しぶりに作って食べたペペロンチーノ・スパゲッティ、美味しかったです。
午後一番でヘッドランプとピッケルのストラップを購入した後、大学の時の同級生と一緒に15時30分にカルチエ・ラタンを出発、コクトー終焉の地、ミイィ=ラ=フォレに行ってきました。パリからA6で40分程度でしょうか。町の入り口を少し入ったところで車を駐め、歩くこと約15分でコクトーが装飾し、その墓がある礼拝堂へ。生け垣に囲まれた小さく簡素な建物が待っていました。入場料を払って生け垣の内側に入っていくと、庭は薬草園になっていて、静かな空気が流れています。礼拝堂の中に入っていくと、コクトーのタッチの壁画が広がり、床にはコクトーのお墓が。断続的に流れるテープのガイドに耳を傾けながら、静かな贅沢な時間をコクトーと分かち合います。



その後、コクトーが17年間住んだという家に向かうも、こちらは改修工事中で中には入れず。将来的には美術館にもするようです。



ゴシックとロマネスクが混在している、左右対称になっていない大聖堂を見て、市庁舎の掲示板の貼り紙でエッソンヌ県の釣りカレンダーを確認し(緑ガエルと紅ガエルは7月5日から9月21日が解禁期間、だそうです。)、古い街並みを抜けて駐車場へ。およそ2時間の散歩を楽しむことができました。フォンテーヌ・ブロー、バルビゾンあたりと組み合わせて、少しだけ立ち寄るにはよい街です(狭い道を沢山の車が走り回っており、少々歩きづらいところではありましたが。。。)。



ODORIで韓国焼き肉を満腹するまで食べて帰ってきました。時々こうやって肉を食べておくと体が復活するようです。8月31日のHUMAN RACE、広告がどんどん増えてきました。さすがナイキ、です。

昨晩、パタゴニア通販にメールを送っておきました。「領収書に書かれていた製品が届いていない。新たに送るか払い戻しをするかしてください。」そうしたところ、早速メールが返ってきました。曰く「誠に申し訳ございません。払い戻しいたします。」フランスでは珍しい、自らの非を全面的に認めた回答でした。
明け方5時頃から、ものすごい雷の音で目が覚め、そのまま6時過ぎまで眠ることができないくらい、大荒れの空となりました。雨量も相当なものだったようで、朝、通勤する時に車道と歩道の間の溝が濁流と化していました。職場でも皆睡眠不足気味だった様子です。こういう雨と一緒に秋がやってくるとのこと。急に涼しくなった空気が気持ちよかったです。
今朝、パタゴニア・フランスの通販で購入した物品が届きました。暑い季節を迎え、これまで使っていた半ズボンが汚れてしまったことと、モンブラン用の機能ズボンが必要になったことから、パタゴニアHPの直販で注文したものです。月曜日の夜に注文して早速届くというのは、フランスでは文字通り有り難いことではあるのですが、注文して領収書にも記載がある品物が一つ入っていない、といった事態があるのはフランスではよくあることかも知れません。早速、クレーム・メールを出しておきました。ただ、やっぱりパタゴニアは好きです。せっかくフランスなのだからAIGLEで、という考え方もあるのですが、どうもちょっと違う感じがして。この違和感だけはなんといったらいいのか、よく分かりません。
昨晩はよほど酩酊していたのか、目覚めたら先日購入したピッケルと仲良く眠っていました。いろんなことがあるものです。
思った程仕事メールの蓄積はなく、コントロール可能な状態となった今日は、夜、マダガスカルから来た友人と「ひょうたん」で飲み会となりました。で、「ひょうたん」に到着する前「BOWLER」というイギリス・パブ(13, rue d'Artois, 75008 Paris TEL: 01 45 61 16 60)でビールを一杯やったのですが、このパブ、なかなか雰囲気もよくていいところでした。また来ようと思います。
BOWLERでビール1杯、「ひょうたん」でビール1本に「いいちこ」を2/3ボトル程度飲んで、良い気分になって帰ってきて、友人が泊まっているホテルの前のカフェでさらにビールを一杯飲んでしまうと、もうこれは酩酊状態で、猫じゃ猫じゃを踊りたくなる気分も少しわかるような気になりましたが、そこは押さえて無事帰宅。そのままいつの間にか寝てしまっていたようです。
ここのところ控えていたジョギングを再開しました。左足のアキレス腱のあたりに、またちょっと痛みを覚え始めたのが月曜日。30キロがこたえたのでしょうか。ヘルシンキまで3週間を切った時にこの状況。少々焦りは覚えつつも、月曜日から水曜日まではたとえ朝目が覚めても筋トレをするなどして走るのを我慢していたのですが、さすがに今日は我慢できず、また何よりも痛みがほとんどおさまっていたことから、軽く7周しておきました。痛みが再発しないまま走り終えることができたのが嬉しかったのと、30キロ・ランをやった効果が思いの外大きいようで、心拍数の上がり方もゆっくりだったし、スピードも乗り始めると楽なままに維持することができたのが嬉しい発見でした。他方、曇り空とはいえ、気温22度の中で30分以上走るのはなかなかしんどかったです。走る前に73キロちょっとだった体重が、600グラムほど減っていたのも暑さのせいかも知れません。
午前中は東京からの調査を片付けるため、ボルドーにある機関に電話をし、1時間以上、電話で質問。回答を得て、それを日本語にして報告書の空欄を埋める、という作業でした。フランス語で、電話で、余り詳しくない事項について質問をし、その回答を理解するのは、なかなか骨が折れましたが、無事終えることができてよかったです。お昼は一旦帰ってきて昨晩の残り物で昼食とし、午後は行われていなかった仕事の処理のための会議でスクリーブ・ホテルの向かいのオフィスへ。帰ってきて上司への説明を行った後、夜はビジネス夕食会。10月28日の行事に向けて解決すべき課題が多数見つかりました。22時半過ぎに一旦職場に戻り、メールの処理等をして23時15分、職場を出ました。起伏に富んだ生活です。少しオーヴァーヒート気味だったのですが、、、
明日から第1次夏休み。金曜日と月曜日にお休みをいただき、Goumoisで釣りをしてきます。ここ2日ほど最高気温が32度まで上がっていた様子なので、魚の活性には若干の不安が残るものの、明日の午後少し雨が降り、それで気温が下がる様子。「聖地」で1匹でも釣ることができれば望外の喜びです。
ヘルシンキでのマラソンはセットされており、8月末のモン・ブラン研修も実現に向けて動き始めています。80'sクラブ見学も目途が立ちました。仕事にヴァカンスに、忙しい8月となりそうです。
午前中は、昨日知ることとなった2ヶ月の無作為を取り戻すために関係者総力を挙げての取り組み。スージーでの昼食を済ませて午後は会議で揉まれ、夕方からは再び細かな事務となりました。それでも22時には切り上げ終了。金曜日からのGoumois釣行に向け、ウェイダーの補修やらシルク・ラインへのグリスアップやらを行い、豚キムチ炒めを作って食べて、ブログの整理を行いました。暑い日々が続きますが、あと1日で4連休、第1弾夏休みです。
昨日、尋常でない運動をしたためでしょうか、あまり夜の睡眠が深くなく、それでもしっかりと体は休まった感覚を得つつ、朝を迎えることができました。体の隅々まで酸素が行き渡ったような、そんな感触、毛細血管が隅々までちゃんと機能しているような感覚、みずみずしい感覚というのがあって、驚きです。
そんな今日は、朝の会議中に昼食会に出るよう言われ、それが終わってからカフェで大急ぎで書類を読んで調査へ。仏独の交流を担っている機関、オファージュでいろいろと調べ物をしてきました。先方が優れて頭が切れる人である場合、こういう調査も大変楽しく、スリリングです。日本から送られてきた紙に書いてある無味乾燥な事柄を先方に回答して貰えるように質問し、有機的にかみ合った回答が得られ、そこからさらに質問したことが実は紙に書いてあることだった、というような、知的体操にも似た1時間を送ることができました。
帰ってきてからは、本来予定されていた飲み会をキャンセルし、23時まで仕事。ヴァカンスに入る前の一がんばり、という以上に、今日偶然見つけたポスターで、明晩、Chicagoのコンサートがパリである、ということを知ってしまったためです。我が青春のシカゴ。ここしばらく、ChicagoXXXをiPodでずっと聴いていたのですが、こんな出会いのためだったのかも知れません。本当に楽しみです。
今朝は朝8時から30キロ・ラン。ブローニュのいつものところまで走っていった後、同僚と合流。いつもの10キロコースを反対周りに回ったところ、だらだらと上りが続く嫌らしいコースになっていることに気付き驚きました。1周した後、パリ・マラソンコースを。ローランギャロスの上りは、特段大したこともなく登り切っていたのですが、それは17キロ少々しか走っていない中での感想です。本番では35キロ走ってからの上りだから。。。ただ、最後の上池下池のところに向かう上りではキロ6分を切って走ることができたりして、少しだけスタミナが付いてきたことを実感しました。同僚と別れた25キロ地点から自宅までの間は、なかなかしんどかったのですが、ぼんやり走っていけばそれなりに何とかなるもので、やがて到着。3時間14分で30キロちょっとを走っていました。理想的な有酸素運動ができたためでしょうか、出発前74.8キロだった体重が、走り終わった後は72.4キロに減っている。ここのところ少し膨れかけていたところ、いいダイエット走になりました。それにしても、なかなか上手くいっていない仕事を、どうやって解決しようか、と考えながら走っていると、いつの間にか結構な距離を稼いでいたりした時間帯があったりして。肉体の苦しさを精神の苦しさで紛らわせるこの方法、今後も使えるかも知れません。
キムチチャーハンを昼食とし、1時間程度昼寝、その後、モンソー公園にノートパソコンを持って出かけ、太陽に焼かれながらのブログの整理。熱い日差しが心地よかったです。
その後、17時に市営プールに到着。ロッカーが一杯で使えません、という標示を指さされつつ、それでも良いですよ、と入ったところ、空いたロッカーが見つかり事なきを得ました。そこで、500メートル強をたらたらと泳ぎます。心拍数は一番早かった時でも127で、こちらもよい有酸素運動心拍数。
そして、今日のトライアスロンの最後を締めくくるのがVelib。まず19分、凱旋門までの坂を上って広場を走り抜けエッフェル塔の方に下っていって目指す松ちゃんへ。そこでたらふく焼き肉を食べてスタミナをつけ、帰りは25分かけてやはりVelib。早速脂肪が燃えだしているのを感じました。帰り際に見たエッフェル塔(EU議長国なので12の☆が掛けられ、ライトはブルーになってます。)と凱旋門です。


今日でNike+iPodで走り始めて1000キロを超えました。証書がこちら。
久しぶりに朝まで騒いでストレス発散した翌日、昼過ぎまで眠り、カップラーメンを食べてからまた眠り、夕方ジョギング店に買い物に行き、スーパーで少々の食材を購入し、夕ご飯を食べ、シャンゼリゼのNIKE STOREに買い物に行き、と、極めて平穏な休日を過ごしました。明日は30キロランに挑戦です。
新しいセラミック冠が入り、歯の治療が一旦終了。これで15年以上はもつらしい白い歯となってくれました。
夕方から徒歩10分程度のところに打ち合わせに行き、1時間程度打ち合わせ。歩いて帰ってくる時に随分暑いなぁ、と思っていたら、ついに30度を超えていたそうな。そのせいもあるのかも知れませんが、最近、妙に眠いです。夏バテ気味なのかも知れません。いや仮にそうなのであれば日本に帰ることができなくなりそうです。
21時頃からモンソー公園を軽く5周。少しずつ短くなっていく日中時間を惜しむかのように、芝生の上では、家族連れ、カップル、グループが何時までもたまっています。
やっとパリにも夏がやってきました。とはいえ、30度に満たない最高気温ではありますが。空が青く晴れ、白い建物の外壁が太陽の光を照り返してまぶしく、目の色の薄い西洋人にはサングラスは必要だなぁ、と、ベビーカーに乗っている赤ん坊のサングラスをほほえましく眺めます。ただ、まだ思い切った薄着にはなっておらず、これも朝の最低気温が13度とか14度とかいっている関係からかも知れません。
朝9時30分からオルセーで打ち合わせ。9時15分頃到着してしまったのですが、9時30分のオープンに向け、既にして行列ができていました。お昼は衣川で会食。人の心に届けるように言葉を紡ぐのはつくづく難しいと思い知らされます。夕方は早々に帰宅してモンソー公園を10周。気温は20時過ぎでも28度程度あったようで、なかなかペースが上がりませんでした。ちょっと夏ばてかも知れません。
ザンビアに行くことになった同僚と昼食会。ザンベジ川なる川でタイガーフィッシュなる魚が釣れるそうで、見るからにどう猛なルックスに、フライ対象魚ではないんじゃないか、というのが直感。しかしながら、「FIFTY PLACES TO FLY FISH BEFORE YOU DIE」なる本の最後を飾っているのが、このザンベジ川のタイガーフィッシュでした。何でもよく走りよく跳ねるそうです。ワイヤーリーダーは不可欠のようで、2番フックに巻いた魚を模したパターン(フラシャブーを必ず交えるように、とのこと)が有効だそうです。9フィート8番のロッドでよい、ということになると、シーバスと同じタックルになりそうで、少々悩みます。死ぬまでにフライフィッシュをしておくべき50の場所の一つでもあるし。午後は再び仕事のスコールに遭いながらも、何とか切り抜け、夜はニース市の関係者の方と夕食会。親日家という言葉の意味を思い知らされる、嬉しい会となりました。

7月14日から1週間経ってフランスが眠り始めたこと、「海の日」の日本から仕事のオーダーが何も入らなかったこと、先週、いろいろと詰めて作業を行っていたこと、これらのおかげで、目の前の仕事はだいぶコントロールができる状況となってきました。9月に入ってからの行事の仕込みはあっても、身の回りにヴァカンスの息吹を少しずつ感じ始めた今日この頃のこと。
珍しく20時には帰宅。モンソー公園を10周、50分切りを達成することができましたが、心拍数的にはかなりの運動量となっています。ヘルシンキ・マラソンまで残すところ4週間を切りました。ヘルシンキで4時間を切ることができるか。もう3年3ヶ月近く経験していない「サウナ」も楽しみです。これが唯一の長期ヴァカンスにならぬよう、時間を作り出していくことが必要になりそうです。
スージーのネギもやし麺です。
相変わらず追われた一日で、電話がかかってくる度に仕事が増えていきましたが、とりあえずTO DOリストに書き込むことで終わりとしました。それと、東京にいる先生とメールでのやり取りでありながら、しっかりと手を握り合って対応できている事務があって、嬉しかったです。
今日はもうひとつ別のエネルギー・ドリンク、「BURN」を試してみました。真っ赤な毒々しい着色料の色とは裏腹に、味はこちらの方が上かも知れません。ただ、これも子どもと妊婦には薦められない、とのこと。こういうドリンク剤はいずれもそうなのでしょうか。ただ、これなどはフランスでさえ普通にスーパーで売られている。日本だとコンビニで売られているようなものなのでしょう。では、日本の薬局で売られている栄養ドリンクというのは、よほど効果が強いということなのか。よく分かりませんが。
早めに帰ってきて早めに就寝。週末はオルナンのルー川でプチ・ヴァカンスです。
昨日からフランスでも販売が解禁されたエネルギー飲料、レッド・ブルを、同僚からプレゼントされました。日記のような報告書やら人間国宝の事業やら武道の事業やら、いろいろあって疲弊していた夕方、体勢を立て直そうと、一缶を3人で割って味わってみました。忘れかけていた懐かしい匂いと懐かしい色、そして懐かしい味がしました。オロナミンC、リポビタンD、リアル・ゴールドといった系統です。タウリンが入っているということが問題視され、フランスでは過去10年以上にわたって販売が禁止されていたようなのですが、このたび、「妊婦や子どもにはよくない」という趣旨の注意書きが付け加えられることで、販売が許可されたようです。が、保健大臣はレッド・ブルをボイコットするよう呼びかけているそうです。何でも、ウォッカをレッド・ブルで割ると「爆発的な explosif」カクテルになる、とか(フィガロ紙)。あまりやってみようとは思いませんが。。。
今朝、さらに深まり行くVelibの罠にはまりました。タイヤ、チェーンに問題はない、と借り出したところ、乗ろうとして片方のペダルがないことに気付くなんて。。。Velib事業、やはり修理費等のコストが相当かかっているようです。
歯の治療は順調。今日は冠の型を取ってもらいました。来週で一旦終了、ということになりそうです。歯医者さんも8月はヴァカンスらしいですし。
それにしても、日記のような報告書を見ながら、つくづく、パブリックになる文書である場合、「自分」をどこまで押さえることができるか、という点に、それを書いた人の社会的成熟度が現れているように思いました。
各種事業に加えて、いろいろな要素が発生しつつあり、本当に忙しくなりそうな今年、とりあえず23時に仕事を切り上げて帰ってきました。明日が終われば週末です。
朝は国民教育省を訪問、帰ってきてすぐに会議に出て、昼は2日連続のケバブ。午後は先日来振り回されてきたある展覧会の案件に再び振り回されました。ただ、22時前には職場を出て、一杯やって、日付が変わる前に帰ってくることができています。
人と人との関係を切り結ぼうという時には必ず交渉的要素が入ってきます。ただ、他人を上から見下ろすことに慣れてしまった場合、交渉がきわめて不得手になる。そういう人に限ってあらゆる点で自分は他人より上だ、という思いが作用してしまうのでしょうか、他人に任せておけず、その場の文脈と全くかかわりのない自己顕示欲を満たすためだけのような自分が知っている限りを尽くしたプレゼンテーションをしてしまう。相手からは「その点については自分たちは議論しようとは思いません。」と言われてしまったりもするのですが、その言葉を聞いて優越感を持ってしまうのかも知れません。はたで聞いていると、単純に馬鹿にされただけのように聞こえてもくるのですが。
まずは自分を無にして、謙虚にかつ本気で人の話を聞き、限られた時間の中で争点をどのように戦わせ、どのようにして新たな価値を生み出していくのか、双方がいい話し合いができた、と思えるような落としどころをどのように見つけるのか、ということを考えることは、対等な人間関係を作っていこうという意思がなければできないことのように思います。
お昼はジョギング仲間とケバブ屋へ、夜は22時30分に切り上げて自宅で冷蔵ピザを。革命記念日を含めた3連休が明けると、さすがに仕事が溜まっています。
ここ数日、仕事の夢で深夜に目が覚める、そんな日が続いています。だいたい3時から4時頃に目が覚めて、そのまま2時間から3時間ほど眠れない状態となるのですが、その後は再び眠りに落ちていくことができます。最終的に眠れるのだから、不眠症ではありません。ただ、いろいろと上手くいかないことが続いているせいで、少し精神が高揚しているということなのでしょう。あの程度のことでこの状態だと、もっと大変なことが起きた時に大変だ。精神の修養に励む必要がありそうです。と同時に、ジョギングを再開し、肉体を疲れさせておくといったことも、必要になって来るように思います。早速明日から、走れるだろうか。とりあえず、野口健さんの「落ちこぼれてエベレスト」、モンブランの場面を読みながら、寝てしまおうと思います。

今日は何もしない1日とし、夕方、若干のジョギングをしたほかは家に籠もっていました。あんなに晴れていたのに、勿体なくはあっても、時々はしっかり体を休めておくことも大切です。昼寝をしていると仕事の夢が出てきたりするあたり、あまり健全ではありません。
寒いのか暑いのか分からない妙な天気が続きます。今年も体調管理が難しい夏となりました。明日は革命記念日です。
降りかかってくる仕事を片付けながら、お昼は職場の同僚と「ひょうたん」で会食、夜は今度日本に帰る学生さん2名の送別会をCercle du 17eで行い、シェフともお店がはねた後、久しぶりにビールを飲みながら話すことができ、有意義な一日となりました。夏の日差しではあってもちょっと涼しい、妙な気候です。
オーナー本人から、トゥールの店に移る、という話を聞きました。ついにその時がやってきたか、と感慨深いです。
朝の気温が14度、予報では20度までしか気温が上がらなかった今日、夏背広を取りやめ合い物に戻りました。昨年も思ったのですが、これで地球温暖化が進んでいる、と説明するのは無理がある。より大きな物語を紡ぐ必要がありそうです。
そんな今日は、夕方から10月の地理学国際フェスティヴァルの打ち合わせ。17時30分にウォーム・アップを始め、18時30分から全員が揃っての打ち合わせ、20時に一旦終了した後、マン・ツー・マンでの打ち合わせを続け、21時30分からは日本食レストランに場所を移しての打ち合わせ、終了したのが23時。一旦職場に戻ってメール処理をした後、帰ってきました。こんなに長い間、フランス語でコミュニケートしたのは初めてかも知れません。自分の言いたいこと=求めていることを、自分の手持ちの言葉で十分に表現するにはどうすればよいのか、ということを言葉を発する瞬間瞬間に学ぶことができました。大変よい勉強をさせてもらっています。
朝の会議、各種打ち合わせ、お昼は同僚と「会食」、夜は残念会及びスージーでの会食を経て、帰ってきました。忙しくはあっても仕事がコントロール可能になってきたことはいいことです。日本で開催されているサミットの様子も、ちょっと醒めた目で報道されています。要するに、沢山の課題はあっても解決のための方策を提案できず、それでも成果のまとめは提出される、といった論調でしょうか。フランス2の20時のニュースでも、3番目か4番目のニュースとして、ちょこちょこっと扱われていました。
再び歯医者さんへ。右下の歯が数ヶ月前から冷たい水に触れると痛むようになっていたことから、前回、欠けた歯の治療をしてもらった際、思い切ってアポを取っていたものですが、見るなり歯医者さんから言われました。「以前のものと同じです。インレイの下に○○(よく聞き取れないが、「cal」で始まっているようなので、歯石とか石灰質とかいった言葉だと思う。)が入り込んでいる。そのせいです。」麻酔を受けた後、少し歯医者さんが先のとがったものを差し込んだところ、インレイは簡単に外れてくれました。歯医者さんから言われるがままに手鏡で口の中を覗き込んだところびっくり。大きくあいた穴に石灰質のものが詰まっていて、歯医者さんの扱う先のとがった道具で少し擦るとボロボロと取れてくる。結局、この石灰質を除去してもらい、仮詰め。今後の方針として、やはり被せて保護することが必要だろう、とのことでしたので、今回滞在で3度目となるセラミックの被せモノをつけてもらう、ということになるのでしょう。再び財布は傷むものの、日本に帰るともっと高い、と聞きますし、治療の時間もないかも知れない。今のうちに済ませておくのがよさそうです。歯科医療の水準はフランスの方が高い、という話も聞きますし。もう一カ所、前の方の歯で中学・高校生時代にインレイの詰め物をされたところが痛んでいる、とのことであり、ここも同様にインレイを外して洗浄し被せなければならないようです。ただ、こういう話をちゃんと聞かせてくれ、裏付けをデジカメ・レントゲン(診療台一体のパソコンのモニターで状態を見ることができる)と手鏡とで見せてくれます。なんだか分からないけど削られて詰められた、という、自分が中学生の時に受けたような治療とは多いに違う。当面、歯医者さん通いが続きそうです。七夕だというのに。。。
朝5時に起床。着替え・準備を整え、駐車場を出たのが6時ちょうど。A6→A10→A71→D944と飛ばし、4番出口を出て、8時ちょうどにNeuvy sur Barangeonという村に到着。「La Sologne Classic」というクロス・カントリー・レースへの出場のためです。
何故、このレースに出ることとしたか。1ヶ月に1度程度、レースに出ることとすると、目標をもってトレーニングを行うことができる、というのが一つ。暑くなりはじめ、レースが無くなっていくこの時期、若干長めの距離のレースがたまたまこれだった、というのが一つ。そして、何より決め手となったのが、「ソローニュの森」を走る、というキャッチフレーズでした。ソローニュの森と言えば、学生時代に留学していた時、通読したアラン・フルニエの「ル・グラン・モーヌ(「モーヌの大将」)」で、主人公が彷徨った森であり、何時かはそこに行ってみたい、と思っていたところ、たまたまその森を走るというレースがある。飛びつくように、申し込みをしていました。ここ3週間ほど、風邪だったり、アキレス腱周囲が痛かったりと、あまり走れていなかったので心配ではありましたが、せっかく申し込んだレースですです。ゼッケンは、NYで活躍する日本人野球選手と同じ「55」番。これで走っておかないと後悔するだろう、と思い、やってきました。
レースは9時30分スタートとあって、ゼッケン引き取り場はまだまだ閑散としています。ゼッケンについてきたものは、NBのTシャツ、クロスカントリーを走るときに背負うような小型ザック、その小型ザックの中にも諸々の栄養ジェルが入っていて、登録料が諸費用を含めても8.8ユーロであることに照らしても、元が取れているんだろうか、一体どういう運営になっているんだろう、少しは寄附でも募ればいいんじゃなかろうか。大変不思議に思います。
雨がポツポツと落ちてきたりもしたのですが、9時過ぎには雨があがり、晴れ間も覗き始めました。少しウォームアップをして、出発の10分前にスタートラインへ。事前登録者が260名程度、当日受付もやっていましたので、多分300名を超える登録者数になっていたのではないか、と思われます。9時25分、こういうレースの通例に従い、最初は障害を持つ人たちのスタート。うん?障害を持つ人って、山道を走るんだよな。どうなるんだろう。
と深く考える間もないままに、28分過ぎ、唐突にピストルの音が鳴って、こちらもスタートとなりました。慌ててiPodと心拍計を作動させます。


最初のうち、街中を走っているのですが、2キロを超えるあたりから舗装がない村道を走るようになり、じわじわと上りが始まります。緑のトンネルが出来ていたりして、その中を抜けて走るのは、上りではあっても気持ちがよいです。



やがて5キロの給水所。規模が規模だけに本当に手作りで行われています。そして、障害を持つ方のレースというのは、一輪車をヴォランティアが押すという、面白いやり方が採用されていることに気付きました。これは多分「レース」ではなく、障害を持つ人にもクロスカントリーの醍醐味を体験してもらうための取り組みなのではないか、とも思います。レース開始1時間、約10キロ走って猛烈な下りもあったのに、また上りです。その途中には、映画「Le Grand Chemin」に出てきたような家があったりします。のんびりとヴァカンスを過ごすのには良さそうな田舎です。



突然の石や木の枝やでバランスを崩すことがあり、転ばないように再びバランスを取り戻すための重心移動や急なステップなど、舗装路やモンソー公園だけ走っていたのでは勉強できないことを学ぶことができます。それにしても日差しが暑い。森の中や木陰を走っている分にはまだ涼しくて気持ちがよいのですが、日向に出るとじりじりと太陽が照りつけてきて、汗が噴き出す。やはり夏のレースは辛いです。



健脚家ばかりが参加しているのでしょう。パリのハーフ・マラソンの時などは16キロを過ぎたあたりからはごぼう抜き状態だったのですが、今回は抜かれっぱなしです。慣れない未舗装の道で、時々草に脚を取られたりするのに耐えながら、突然左に折れた先は、湿原の中、一本木橋の上を走っていく道となっており、それは気持ちよかったです。



今回はお腹に巻いた「手榴弾」的水筒で水分補給をしました。5キロ毎の補給所でペットボトルをもらってしまうと、それを捨てなければならない。どうも、自然の中にペットボトルを捨てるのに抵抗があり、水筒を持っていき、15キロまではそれで事足りていたのですが、20キロ地点ではさすがにペットボトルをもらいました。半分くらい飲んで、1/4位を頭からかぶり、また残りを飲み干したあたりで舗装路に出ました。このあたりに来るとゴールの歓びに対する期待が現在の辛さを乗り越えてくれるようになり、また、沿道の人たちの応援にも引っ張られるような感じで、ラストスパートが可能となります。心拍数は106%MAXを表示していました。ラルクの「Driver's High」が作用していたのでしょう。そのおかげもあって、途中では無理だろうと思っていた2時間切りを達成。1時間59分25秒でゴールすることができました。



さすがにパリまで戻ってくる道は辛く、途中、パーキング・エリアの木陰に車を停めて爆睡したりもしました。夕方に1時間うたた寝、夜は早々に寝入るなど、様々に大変だったレースですが、実に楽しめました。
(以下、7月7日記)
小さな村のレースでしたが、月曜日にはその結果がHPに掲載されました。自分の心拍計のタイムより20秒少々長いタイムとなっていましたが、公式記録で2時間を切っていたことを嬉しく思います。ただ、それでも全走者346人中、248位。やはり訓練は必要です。。。
あまりに忙しいので電話の声もついつい不機嫌になってしまい反省することしきりだった今日は、上半期の各種行事を行ってくださった諸機関の長が参加される夕食会に出席させていただきました。本当に光栄なことです。そして、その大晩餐会ではフランス学士院長が締めくくりにスピーチをされ、文化多様性についてお話をされるなど、凄い人たち集まりというのは凄いなぁ、とつくづく恐れ入っていました。アメリカが独立した日、あるいは地球が宇宙人の侵略をはね返すであろう日に、忙しかった一週間がとりあえず終了。明日も仕事です。。。
何故ここまで、というくらい、次から次へと仕事の矢が降りかかってきましたが、まあ何とかマネージ可能な状態にはなったのではないか、という22時45分には切り上げて帰ることとしました。ヴァカンスの季節の始まりに向けて、ラスト・スパートです。
湿布のおかげでアキレス腱周囲の痛みはほとんどなくなったものの、一応まだ大事をとって走っていません。週末のソローニュ・クラッシック・22キロ走に黄信号が灯っています。。。
午前中に打ち合わせと会議を終え、12時にパリ国際大学都市日本館に向けて出発。日本に行って仕事をするフランス人を対象としたオリエンテーションと壮行会のためです。
日本館の向かいのスペイン館地上階にあるレストラン・カフェテリアでそこそこ食べることができる食事を7ユーロ少々で取り、フランス語と日本語がチャンポンになる説明会は14時30分から17時前まで。実際に日本で仕事をしたことがあるフランス人に語らせると、言葉に重みがあります。結構、当初予定の時間よりも早く会議が進行したおかげで、少人数でのグループ討論の時間を長く取ることができました。
その後、18時からは同じ場所で壮行会。藤田の大作を背景にした、大変贅沢な壮行会です。日本食、日本酒、日本のビールと、一瞬、自分はどこにいるのだろう、と思ってしまったりします。出発者それぞれに伝えるべきことを伝えることもでき、一応満足。なぜだか迷い込んできたブラジル人と、「移民100周年だよな。」とか言って盛り上がったのは御愛敬。そこそこお客様も来て下さって、大変暖かい雰囲気で壮行することができました。
日本のファンを増やしたい、という気持ちで過去4回、このオリエンテーション・壮行会を経験してきました。次回は日本にいて、来る人たちを迎えることができれば、なんてことを考えています。
諸々の文書の作成に追われ、出張者の方の視察に御一緒して先方の対応に少々精神的に疲れてしまい、夕方には上手く進んでいない仕事の上手く行っていない理由を総括して伝え、そのまま23時まで再び食事もできない仕事となりました。この忙しさもとりあえず今週いっぱいです。
ジョギングがない朝、思い立ってスーパーに買い物に行き、当面必要なものを購入し、帰ってきてから出勤するという新しい境地を開拓することができました。これで土日に買い物に行けない時も大丈夫。朝の買い物で気付いたのは、出勤先に持って行くのであろうちょっとしたものを、まるでコンビニ感覚で買いに来る若い女性が多いことでした。週末あるいは夕方に行列をして買い物をすることを思えば、この朝買い物、癖になりそうです。
今日の主題は「エステライト」。歯の充填物です。
土曜日に欠けた(?)らしい歯の治療のため、昨日歯医者さんに電話をしたところ、偶然、来れなくなった人がいて、ちょうど今日、空き時間がある、とのこと。諸々の仕事はさておき、とにかく早急に治療を受けたい、と、アポをお願いしました。「詰め物が外れた」のか「詰め物が欠けた」のか「歯が欠けた」のかがよく分からないため、一応全てのヴァージョンの単語を調べておき、歯科助手さんに説明。先生にも説明し、診てもらったところ、単純に歯が欠けた、との診断でした。案外「欠けた」というのは凹むものです。
いずれにせよ、そのまますぐに治療に入ったのですが、ここでやっぱり感心するのが、残った詰め物を外し、少し歯を削った後、レジンの詰め物をして、そのまま光で固め、噛み合わせの調整を行って、という治療が僅か40分弱で終わってしまうことです。インレイを作ってもらう作業があると、少なくとも1週間先には同じ歯の治療に来なければならないことを思うと、このスピードには感心します。治療台の上に「エステライト」とカタカナで書かれたチューブが置いてありました。「日本のものですね。」「そうです。」
この白い充填物、美観を損なわず、カメレオン効果(元々の歯の色に同化する効果)もある、とのことです。日本では保険適用外なのだそうですが、どういう経緯でそうなっているのか。「皆が食べていけるシステム」のためなのか。医療の世界は奥が深いです。
昨夕の6キロジョギングが響いたか、今朝はアキレス腱痛となっていたことから、朝のジョグは諦め、ゆっくりと朝寝を楽しみました。1匹も成果を上げることができなかった「1切れ」OVの精神的ダメージはそれなりではあるのですが、仕事が沢山待っていてくれるので、特に思い出として噛み締める必要もありません。明日の出張者対応、水曜日の会議、土曜日の行事、来週月曜日の出張、9月に入ってからの行事等々、盛りだくさんな諸準備を進めていたら、何時の間にやら食事もとってないのに23時30分となっていました。文字通り書き入れ時です。
今朝の会議で、米国に住み、学んだ人で、初めてヨーロッパでの滞在を経験した、という方が、フランスを去るに当たっての挨拶の中で面白いことをおっしゃっていました。「物事を見る時には日米の尺度だけで見るのではなく、日米欧の3点を基軸に据えた三角測量が必要だ、とある方がおっしゃっていたが、それがその通りであることを今回の滞在を通じて確信した。日本の社会経済の基盤は、米国のそれよりもフランスのそれに極めて似ている。」米国のことはよく分からないのですが、そもそも150年前に日本が欧州から学んだのにはそれなりの理由があったからではなかろうか、と思います。そして、古いヨーロッパの体質は古い日本の体質と似ているように思います。コネ社会であることや根回しが必要であること等々、様々なところで「古い」が故の共通点が見いだされるように思います。綺麗な競争社会にはなりきれないのは、古い文明圏にあるが故なのかも知れません。「直球高め」だけでは勝負ができないような。いずれにせよ、単に鏡に映すだけではない三角測量、これからも大切にしていきたい考え方です。
8時24分のTGV東線に乗ってストラスブールへ。日仏共同博士課程を利用して日本に行く学生さんたちを相手にオリエンテーション。行きの電車の中で話すことを考え、オリエンテーション中も日本語ができるフランス人学生に単語を教えてもらったりしながら、1時間、なんとかフランス語で話すことができました。
その後、昼食会に出た後、パリにとんぼ返りし、同僚と暑気払いのテラス・ビール&スージーでの夕食会。明日は半ドンとしています。
朝、9時から、学生時代によく通った「カフェ・フロール」の日本式2階で、地理学国際フェスティヴァル(サン=ディエ市にて10月2日~5日にかけて開催)の記者発表会に参加。日本が招待国となっているため、突然、主催者である市長(元大臣)の隣に座らされ、これまた突然一言話す機会も与えてもらえるなど、在仏3年2ヶ月の時間が過ぎてはじめてあまりびくつかずに対応できる、そんな一幕もありました。この関係でもまた忙しくなりそうです。その後大急ぎで職場に戻ってきて3日間続いた面接の最終日を締めくくり。午後は15時からレンヌ第一大学の日仏経営センター(Centre Franco-Japonais de. Management)の方からお話を聞く機会があり、その取り組み(毎年15人ずつ大学院レベルのフランス人学生を1年日本に送り、6ヶ月日本語研修、6ヶ月企業内研修をさせる、というプログラム)に感心しました。夜は日本から来た元同僚とCafé du Marchéのテラスにて気取らない夕食会となりました。予報通り30度を超えたらしく、大変暑い一日でした。
面接の時に聞いたことなのですが、日本語で言う「まちづくり」に当たるような概念がフランスの場合には存在しない、らしい。フランスの場合より「Politisé(政治化)」されてしまう、すなわち政治が出てきて上からの活動になる、ということであるようです。それにしても、「住民主導のまちづくり」はフランスには存在しない、というのは本当だろうか。いわゆる1901年法に基づくAssociation(団体)は沢山あって、それが「新しい公共」と言われる分野を担っているのではなかろうか。それとも、やはり「公共」は「公権力」が担うべき領域なのだろうか。道路への煙草のポイ捨てが平気で行われているのは、公共の場所を綺麗にするのは公共の仕事であり、そのために税金を払っている、という意識があるからなのだろうか。確かにフランスにおける公権力の強さは日本の比でないように思います。そういったことも理由の一つなのだろうか。いろいろと面白い研究が進められていくことで、社会的な意識の在り方についての考察も生まれてくるのではないか。楽しみです。
人文科学と社会科学の境界線をどこで引くのか、というのは難しい問題です。「Jロック・バンドのファンについての社会学的考察」というのはどうなのだろう。フランスのバカロレアの分類だと文化系は「L(série littéraire 文学)」か「ES(série économique et sociale 経済社会)」に分かれていますが、上記のような研究テーマである場合、「文学」に分類されるようです。ただ、分析の手法は「文学」ではないような気がするが。。。不思議です。まあ、日本の東京大学の学部学科分類に照らした場合、文科Ⅰ類=法学部や文科Ⅱ類=経済学部で対象とする学問ではなく、文科Ⅲ類=文学部のスコープに入ってくるのでしょうから、「L」の分類なのかも知れませんが。よく分かりません。
日本に行く高校生の親御さん達と話をする機会があったのですが、親御さんの心配を取り除くには、似たような経験を持つフランス人に語らせるのが一番だ、ということを、改めて思い知らされました。
23時過ぎまでの仕事となりました。夜、職場を出たら、妙に蒸し暑い空気に包まれました。明日は30度を超えるそうです。
今日からフランス人学生の面接が始まりました。自然科学の分野の学生が相手であっても、当方は専門分野で勝負するのではないのでいいのですが、質問内容は精査する必要があり、それなりに疲れます。それでも、3年前の最初の面接の時と比較すれば、疲れ方もずいぶんと軽減されたような。
丸一日かかった面接が終わり、週末から今日のフランス時間の夕方までに蓄積していたメールの処理を終え、今週の仕事に目鼻を付けて職場を出たのが23時前。空はまだぼんやりと明るく、そんな時間まで残業していたことに気付きませんでした。明日も面接が続きます。
二日酔いの重い頭を抱えて起きた後、18時に家を出てアンデルへ。
外気温は27~28度といったところでもうすっかり夏です。ラジオのニュースを聞きながらA15~D14をひたすら走り、19時40分に到着。既に一台車が止まっていて、先行者が下流の方に歩いていくのが見えました。おにぎりの夕食を食べて準備をし、いざフィールドへ。自分は上流方面に向かっていきます。
相変わらず、全く魚の気配がしないアンデル、20時30分現在の気温が18度、風があって少し肌寒いくらい。川辺を歩き始めてから30分の間、モンンカゲロウのハッチが1匹だけ見えました。早くも多難の予感です。水は前三回に比べて一番透きとおってはいるのですが、まだ去年7月の澄み方には至っていない感じ。もう一人いた先行者もぐるりと一巡して帰って行ってしまいました。水温は16度。前回より1度ほど高くなっています。
このファリオ・クラブの竿おろしも終わったのでいいだろう、と、ライズが全く無い中、インジケーター・ニンフの釣りを試みるも、こちらにも全く反応がありません。上流部に見切りをつけ、下流部に移動するも、カモメが多数飛ぶ川面に魚の気配はない。持ってきていた「奥の細道」のページを開いて、夏至の2日後、長い日の中で読書をしながら何かを待ち続けます。



21時45分、やっとパラパラとカゲロウの羽化が始まったものの、水面には何も起きない。22時になっても、3センチくらいの小魚がジャンプしているのをのぞき、一切ライズはなく、出るのは溜息ばかり。ここまでライズがないとお手上げだ。心が折れ、凹み、22時20分に釣りを終了、車に向かって歩き出しました。これくらいの光量の時がまさに祭りであるはずなのですが。ここまで何も起きないアンデル、魚はいるのだろうか、いくらフィッシング・プレッシャーが高いとはいえ、この状態は酷い。アンデルの連敗記録、いつまで伸びるんだろうか。
まだまだ残照が残る中、22時40分に車を出してパリを目指しました。途中、交通事故で道路が通行止めになっていたりはしたものの、無事24時過ぎに自宅に到着。しばらくアンデルとは距離を置こうと思います。
朝のジョギングは行わず。昼を我が家で食べて再びベッドへ。十分体を休めた後、天台宗を専門とされているフランスの学者の方のお話を聞きに、18時からパリ国際大学都市日本館で行われた講演会に行ってきました。フランスで日本の宗教を初めて紹介したのがGuillaume POSTELという人だったこと、大乗仏教はその書き方のとおり「Bouddhisme de grande véhicule」と言うこと、サンスクリットから日本語に直接訳された仏典もあったが、仏教の現場にはほとんど影響を与えなかったこと、等々、全く知らない分野のことだったので表層的なところばかりに気を取られることとはなりましたが、いろいろと学ぶことができました。フランス人から次々と質問が出て、質疑応答が30分以上続いたあたりに、フランスにおける日本学の本流が宗教学である理由が隠されているような気がします。
簡単なカクテルの後、松ちゃんで焼き肉を食べ、来週火曜日に日本に帰ってしまう友人と23時に合流。その送別飲みをバスティーユまでわざわざ出かけて行いました。今夜はFête de la Musique。街の至る所で音楽が流れていて、路上ダンス・パーティーなども開かれている。夜の街に浮かれ出るには最適です。


時々、殴り合いの喧嘩が発生していたりして、随所に待機しているPOLICEの皆さんも大変そう。救急車やパトカーのサイレンも音楽の一部なのでしょうか。大変賑やかです。蓄積された(あるいは鬱屈した)エネルギーを発散することができる機会になっています。しかも、今年は週末にかかっている。このままつき合っていたら、朝まで騒ぐことになりそうだ。
送別会は26時半頃お開き。バスティーユから我が家までVelibに乗って帰ってきました。途中、同じ方角に向かって自転車をこいでいる人から話しかけられ、そのまま英語で会話しながらおよそ30分。楽しい夜となりました。
出張の方が帰って行くと、同行の間に蓄積した諸事務が待っています。それが次に出張で来られる方のお世話計画だったりしますが。
「仕切る」ということは大切です。全体調整が行われずに、パーツ・パーツの詰めだけが求められるような状態、いわば「仕切り」がない状態になってしまうと、全体が迷走してしまいます。
午前中、職場で明日の会議の準備やら同僚からの突然の質問への回答作成やらで追われ、お弁当を掻き込んだ後、出張の方々と一緒にフランスのスポーツ・クラブ事情の調査へ。17500ほどスポーツ・クラブがあって、うち1600のクラブに国家公務員身分の指導者が派遣されているらしいことなど、いかにもフランス的中央集権をスポーツ行政の中にも感じることができました(なお、本省スポーツ局には130人程度の職員がいる、とのことであり、こちらも規模が大きいです)。ちなみに、17500のスポーツ・クラブのうち2/3が単一スポーツのクラブで、1/3が複数のスポーツができる総合型、その総合型の4割が学校のクラブになっている、とのことでした。単一スポーツが多いあたりが各人の指向としては分散主義的なフランスを表しているようでもあります。それにしても、学校のクラブなどというものがあるんだ、そういえばルイ大王校(高校)のパンフにスポーツAssociationのことが紹介されていたが、そういうことなんだろうなぁ。
夜はL'EVASIONで夕食会。ちょっと高くはあっても、ここのワインは何を頼んでもはずれがないし、ステーキ肉は本当に美味しかったです。やっぱり良いお店が職場の近くにあるのは嬉しいです。
フランスにとってのユーロ2008が終わりました。ここまで無惨な予選落ちとなると、同情さえしたくなってきます。
日曜日に仕事をしている人たちからのコピー・メールが続々と入っていて、朝からバタバタ。お弁当のお昼御飯の後、午後は打ち合わせ。夕方から出張者を迎えに北駅へ。ホテルまで御案内の後、職場に戻ってきて22時まで事務仕事。家でお弁当の残りの御飯を食べました。1日3合はちょっと多いかも知れません。明日の体重が少々心配です。
昨晩、釣りから帰ってきて眠りについたのが2時頃、それが今朝7時には目が覚めてしまい、7時30分には起きだすこととしました。BPM86のちょっとテンポの速い曲でトレーニングを意識して走り、6周を29分切り。快調です。それにしても、昔は朝の早起きほど苦痛なものはなかったのに、最近は頭も体も勝手に目覚めてくれるようになってきました。ジョギングを始めた当初は「意志の力」で起きだして走っていたのが、最近は自然に走っているようになっている。習慣は凄い。明日は少し距離を伸ばします。
朝一番から同僚の旦那さんと2人で、今シーズン2度目のルロワールに出かけました。16区のフェラーリ代理店前で待ち合わせし、それから一路ルロワールを目指して走り、9時ちょっと過ぎに川のところでボーさんと合流。小屋まで行って支払い等を行い、いざ準備。のはずだったのですが、ソフト・クーラーに入れた缶ビールを開けてしまったのが良くなかった。アルミテーブルを広げ、ポテチの袋を破り、サーヴィス・エリアで購入したミニ・チョリソを出してしまうと、あとはワインを開けるのみ。朝10時からの酒盛りです。
2本目のワインの栓を抜くのは我慢し、11時頃から釣りを開始。最上流部でエルクヘア・カディスに2度、モンカゲ・パターンに1度、綺麗なアタックがあったのですが、掛けることが出来ませんでした。本当に下手です。下流に下りていきS字のところでもエルクヘア・カディスにアタックが。ただ、これまた掛けることができず。水車小屋禁漁区のところで1匹掛けたのですが、15センチ弱のチビ・ブラウンはスレだったため、公式記録には参入しません。ずっと川の流れを見下ろしながら小屋のところまで歩いて戻ってきたのですが、その途中、結構魚が走るのが見える。魚影は濃い。ただ釣れない。ファリオ・クラブでの最初の一匹は是非ドライで釣りたい、といった妙なこだわりもよくない。こんなに水が澄んだルロワールは初めてで、サイトフィッシングも十分可能。魚を遠くから見つけ、鼻先にニンフを流し込む、といった作戦だって採りうるだろうに。。。いや、でも、やっぱり最初の一匹はドライで。。。
釣れないまま時間を送るのも勿体ないので、椅子を広げてお昼寝タイム。14時頃から寝始めたのですが、途中、寒くなってきて小屋の中に入ったりしつつ、結局18時前まで熟睡してしまいました。
その後、インスタント・ラーメンで早めの夕食とし、釣りを再開。上流部は全く反応がなくなってしまったことから、下流部へ。橋の少し上流、木が被さったところに数匹のブラウンが見える。慎重にモンカゲ・ニンフを流したところ魚がふわっと泳ぎ上がり口を使った。が、合わせが強すぎたせいか、ティペット切れ。くっ。。。でもいい、このロッドの最初の一匹はドライで釣るのだから。。。
妙なこだわりがスランプという状態を招くと、そこから自由になるのは結構大変なことであるように思います。途中から、こだわりを捨てていろいろと挑戦したのですが、どうも気が乗りきらない。あたりはどんどん暗くなってくる。が、ライズの嵐は訪れない。さて困った。またボウズか。今シーズン、フランスの川で魚を釣っていない歴がまた伸びてしまうのか。。。
ライズがない水面をモンカゲロウ・パターンでトレースしていた22時過ぎ、S字の水車小屋禁漁区直前のところで1匹、ついに、モンカゲ・ドライで、ちゃんと口にフックを掛けて釣ることができました。15センチほどのブラウンです。

今シーズン最初の1本が出たことで、大変気が楽になりました。この1匹で釣りを終了。暗くなりかけた小屋を後にし、急いでパリまで帰ってきました。16区で同僚の旦那さんとお別れし、凱旋門広場を抜けようとしたところ、なんだか妙に騒がしい。
警察も随分出動している。何が起こったのだろう、と見ると、トルコの旗を振りかざした集団が広場中央を占拠している。ラジオは「ユーロ2008でトルコ勝利」を報じている。あ、そういうことか。「ユーロ」で「トルコ」か。ううむ。それに、こんなにトルコ系移民がフランスにも居たのか。ドイツではもっと賑やかなんだろうなぁ。フランスはどうなってるんだろう。あまりうるさくならないことを祈るのみです。
朝のブローニュ往復+森の中計20キロ走の後、今日はフランス人の友人の結婚式に行ってきました。
ブッシュ大統領訪仏の関係でか、凱旋門広場や外環道路が突然ブロックされてしまい、A6に出るのに東回りを強いられ、時々スコールのような雨に襲われたりもしたせいで、パリの南方約100キロの小さな村の教会に到着したのは式が始まってからおよそ50分が経過した後、となってしまいました。
教会そのものは結構大きく、既にセレモニーは佳境に入っています。神父さんの声に続いて参列者が声を揃えて何かを唱える様子に、宗教の力強さを感じました。フランスがカトリック国であることも。寄附集めの可愛らしい女の子が帽子を持って回ってきた後、聖体拝受の儀式があり、アヴェ・マリアの歌があったりした後、ちょうど1時間半でセレモニーは終了。新郎新婦が皆が待ちかまえる教会の階段を下りてきてオープンカーで去っていきました。つばの大きな帽子を被ったご婦人達が沢山いる。新郎新婦ともに姓に「ド」がついている人たちだけあって、招待された人たちの間からも控え目なノーブル感が底光りしています。これに比べたら「セレブ」はメッキ程度でしょうか。大変勉強になりました。


レセプションは少し場所を変えた修道院跡の中庭で。後にここで大ディナーが開催され、通例では深夜過ぎにはディスコ大会になっていき3時4時まで騒ぐのだそうな。それにしても、絵に描いたようなレセプション。将来の伴侶を捜す男性グループと女性グループが遠慮がちに、やがて大胆に、交流を深めていく様が展開され、日本の結婚披露宴2次会と同じノリの人々が見られる一方で、新郎の親と知り合いでレセプションに呼ばれたので来た、新郎新婦は全く知らない、という人たちもいたりして、なかなかに興味深かったです。そう言えば、式もレセプションも、双方の親の名前で招待状が作成されていました。68年が多くのものを壊したのでしょうし、「個人主義の国フランス」も事実ではあるのでしょうが、古いフランスも脈々と息づいているように思います。
19時過ぎ、新婦にお礼とお祝いを告げて辞去し、パリまで約1時間の道のり。韓国焼き肉レストラン「ODORI(18, Rue Letellier , 75015 Paris, Tel : 01 45 77 88 12 )」で夕食を取りました。3年ほど前に一度来たことがあって、それ以来となりますが、お店は満席。豚の三枚肉は非常に美味しく、サーヴィスのお兄ちゃんもにこやかです。ちょっと贔屓にしたい、そんなお店を今頃になって発見しています。パリは奥深いです。
祭りの後のけだるさの中、午前中は会議。お昼におかめの鉄火丼をテイクアウト。それにしても、お店から溢れるくらいお客さんがずらっと行列していて、おかげさまで品物が出てくるまで20分程度の時間を要してしまいました。日本食人気は凄いです。午後もとにかく仕事仕事。来週、出張者対応であまり時間がないにもかかわらず、事件は次々と起きてくれることから、その整理のための資料作りを延々と行うこととなり、金曜日の夜、23時まで職場でパソコンを叩いていました。折しも「ユーロ2008」の予選リーグの最中であり、今夜はフランスvsオランダが中継されていました。1-4でフランスは負けてしまいましたが。
「乳首ずれ」の防止のため、お昼にテイクアウトの品が出てくるのを待つ間、薬局に行ってきました。絆創膏を入手するためです。どこかに箱があるだろう、と探して回っていたのですが、なかなか見つからない。そのうち、マドモワゼル薬剤師につかまってしまいました。「絆創膏が欲しいのですが。」「どこに貼るものですか。」「(乳首に、とはちょっと言えないなぁ)例えばこの手の甲のようなところです。」「手の甲ですか???(不審な眼差し) 平たいところ、ということでいいのですか?。保護するだけでいいのですか?。」「(とにかくモノを見せてくれたら済むのに)見せてもらってもいいですか。」「こちらです。」と連れて行かれた先には、もう一人、今度はマダム薬剤師が居て、マドモワゼルから詳細な引き継ぎが行われました。そして、やっといくつか箱を見せてもらうことができ、その結果、購入したのがこちらの絆創膏。切り取って貼り付けるタイプです。これで当分、快適なジョギング・ライフを送ることができそうです。


朝、7時25分に家を出て、今日の職場となるクレベールに向かいました。Velibを返却するためにちょっと遠回りを強いられはしたものの、7時50分には職場入り。「早すぎる」との指摘も受けながら、一通り会場の下見を終え、一旦退出してシャンゼリゼのホテルへ。こんな豪華なホテルがあるんだ、と知ったホテルから関係者を引率。曇り空に時々ポツポツと雨が落ちてくる肌寒い天候の中、会議場に入りました。
午前中、山場は全くなく、同僚と地下でコーヒーを飲みながら議論しているうちに行事が終了。ブリストルに戻ってサンドウィッチの食事をし、13時50分に再びクレベールへ。そして、15時からの一大行事を終え、再び待機。時々携帯が鳴っては続々とキャッチホンが入るといった修羅場もありましたが、総じて無難に終了。東京から来た方をマリアージュとメゾン・ド・ショコラに案内したりする余裕もありました。割とあっさりと祭りは終わりました。
溜まったメールの処理を終え、21時30分に職場を退出。同僚2人とスージーで食事をして帰宅です。明日は走るぞ。