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lundi, 31 décembre 2007

日本の旅(7) 等々力、箱崎、成田

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今日は東京を離れる日。仏壇に手を合わせ、目黒通りを挟んだ玉川神社で手を合わせ、水天宮前まで地下鉄に乗り、リムジンバスで成田へ。年の終わりの日、綺麗な晴天に恵まれた中、成田空港に到着。
そして、最終日なのにやってしまいました。財布をバスの中に落としたらしい。。。
スカイポーターの窓口に向かう途中、日本円を入れた財布がなくなっていることに気付く。さては、何故かバスの中までパスポートチェックの人が入ってきた時、シートの上に財布を置いてそのまま出てきてしまったか。全く。。。降車場所まで戻って係員の人に話をすると、「御出発の便は何時ですか?。」「11時55分です。」「まだ時間がありますね。すぐに調べます。携帯の番号を教えて頂けますでしょうか。結果を御連絡いたします。」とまことにキビキビした対応。
結局、まずは荷物をフランスのクレジット・カードで決済して引き取り、チェックインまでを行うことに。キャンペーンを活用して40キロまで増量していたところ、37キロになっていました。書籍類と焼酎鳥飼が効いている。ANAの窓口の人たちの顔にも「重」という活字が刻まれていました。
さて、ここで不思議に思ったのが、チェックインの係の人が当方のパスポートのVISAのページを見て、当方に「これだけでしょうか。何か別にお持ちですか?。」と聞いてきたことでした。当該VISAを受けて発行された当方のフランスでの滞在許可証を示したところ事なきを得たのですが、仮にそれを示すことができなかった場合、一体どうなっていたんだろう。そもそも航空会社の職員の人がそんなことまでチェックしなければならないのだろうか。違法滞在者を運ぶと航空会社にも何らかの責任が発生するのだろうか。それに、フランスの滞在許可証の内容を当該係員は理解できたのだろうか。なぜだかよく分からない身体検査は少々気味が悪いです。
荷物を預けた後、しばらくして携帯に連絡が。「お忘れ物ですが、バスの中で見つかりました。10時30分頃、先ほどの場所においでいただけますでしょうか。」とのこと。この間30分ほども経過していない。あっと言う間に連絡が行き、探査が行われ、発見された、ということなのだろう。大したものです。心から感謝し、受取書にサイン。学校教育と社員教育がしっかりしている国の素晴らしさを感じることができました。身勝手なものです。
携帯を返却し、すぐに金探をくぐりに行きます。ここで再び失態を演じてしまいました。
ペースト状のものはジップロックにまとめて入れておく、という、米国・欧州発のルールが日本でも適用されているらしい。ただ、当該規制の発祥の地により近いヨーロッパで飛行機に乗る際、自分が持っているペースト状のものと言えば歯磨き粉とヘア・ジェル程度のことであり、それがまとめて入っている洗面用具の袋を鞄から出しておけばそれで通過させてもらっていた。それで行けるだろう、と高をくくったのが失敗のもとでした。加えて、今回はおみやげとしてパリで購入しながら、誰にも渡すことができなかったロクシタンのハンドクリームのチューブも加わっていた。
金探出口で係員の人曰く、「洗面用具の袋(片側がメッシュ、片側は黒い布)に入っていては片方しか見えない、これでは本当に歯磨き粉のチューブなのかが分からない、ロクシタンのハンドクリームとあわせ、ジップロックの袋に入れてもらう必要があった、また黒豆の瓶詰めには汁が入っているが液体は持ち込めない、歯磨き粉、ハンドクリーム、黒豆の瓶詰めについては航空会社さんの方で別送していただく必要がある、カウンターで聞いてきて欲しい、別送が不可能な場合、この場で廃棄していただく必要がある。」
はぁ?。何だそりゃ。
歯磨き粉の廃棄程度ならまだよい。ロクシタンのハンドクリームは若干値がはるがまあ仕方がない。ただ、黒豆は大阪から友人が持ってきてくれたおみやげでもあり、別送して貰えない場合の廃棄という処分には納得がいかない。ということで、フランス人に対して時々行うように、強硬に主張を行いました。日本語でクレームを付けることができるというのはなんて素敵なことでしょう。
そうしたところ、先方の言い方が少し変わり、「ジップロックに入れていただけば構いません。」となった。一旦金探をくぐってしまっているのに「戻って右手の薬局があるところの売店で購入いただけます。」と。再び金属類を全部置きつつ、ジップロックを買って戻ってきたら、当該係員はその場におらず、その上司とおぼしき男性がいて、ジップロックに歯磨き粉とハンドクリームを入れるこちらを見ていました。ただ、黒豆の瓶詰めに入った液体は結局許して貰えない。ただ、幸いなことに、液体は廃棄されてしまうこととなったものの、豆自体は無罪放免、機内持ち込みを許して貰えました。「(豆を)落とさないよう注意してくださいね。」と言いながらポリタンクを抱えてくれる男性職員に、「まだ微妙に液体が残ってますから問題ですよね。」などとちょっと絡んだりしつつ、無事液体廃棄作業は終了。そのまま、全てを再び鞄に詰めて金探を後にしたのですが、最後まで得心がいかなかったのがジップロックの袋のことです。わざわざ210円ほどを払って買いに行ってきたのだから、歯磨き粉とハンドクリームをそれに入れてもう一度金探を通す、という位の役人芸は見せて欲しかったところ、何も言われずに終わりました。Dscn3342一体何のためのジップロック購入だったのだろう。210円を使わせるためだったのではないか、と邪推さえしたくなる、不可思議な出来事でした。本場で何故あのような規制が始まり、ジップロックが登場したのか、という点は忘れ去られ、ジップロックが自己目的化しているような印象。本来の目的は忘れられ手段が目的化してしまう、という、我が国によくある光景でした。まあいいや。袋は今後、大切に使わせてもらうこととします。

Dscn3345今度はアップグレードもなく、非常口脇の足が伸ばせる席で12時間の空の旅を過ごすこととなったのですが、少々残念なことに大変寒かった。非常口脇だからなのかどうなのかよく分かりませんが、絶えず冷たい空気が循環しているような感じで、お世辞にも快適な空の旅とは言えません。まあ、おかげさまで本を2冊ほど、読み終えることができたのは有り難かったですが。
それと、往路ではスチュワーデスさんがこちらの名前までとりあえず覚えてくれてサーヴをしてくれたのが、エコノミーの悲しさ、こちらのクラスでの扱いの違いを痛感しました。そして、これは当たり前のことです。払っているお金が全く違うのだから、こうなるのは当然。当然を受け入れると、それはそれで幸福です。

煙草を吸っている頃であれば煉獄のようだった12時間のフライト、煙草を止めてしまうとあっと言う間の出来事に変わってしまいます。いつの間にかヨーロッパ上空を飛んでおり、いつの間にかパリ上空、そして、うとうとしていたら着陸してしまいました。ああ、パリだ。

飛行機の扉を出た瞬間、空港職員の人のそれでしょうか、香水の強い香りがして、パリに帰ってきたことを実感しました。ターミナル1の方では、ちゃんとパスポートに入国の判子をついてくれたのが嬉しかったです。
放置された荷物があったせいで、10分程度、機内預け荷物の引き取り所が閉鎖されてしまう、という、パリにありがちな事態も早速経験。荷物をピックアップした後、タクシーで市内に向かいます。ターミナル1よりも10ユーロ近く安く我が家前に到着。汗びっしょりになりながら、荷物を我が家まで運び入れ、2時間程度、仮眠を取りました。

21時15分、年末に日本で会ったばかりの同僚(里帰り中)と合流し、フランス人の友人の友人が主催する大晦日パーティーへ。シャンパンでの乾杯に始まり、一同が揃って食事が始まり、途中、0時を期にビズー(ほっぺたにキスをするあれ)大会となり、その後、再びお酒の立ち飲み。東京にいる仕事のカウンター・パートの突然の訪問などもあったりして、楽しい新年会となりました。その東京から里帰りしている彼がぼやいていたのが、日本に住んでいる彼がフランスに戻ってくるとさっぱりモテない、ということ。なんでも、「日本に住んでいると日本人の彼女がいるだろう、と彼女たちは思っている。そして、フランス人の女性は、日本人の女性にはかなわない、と思っている。だから、こういう場でモテないんだ。」ということらしい。単なる遠距離恋愛に対する警戒心だけではなく、日本人女性にはかなわない、という思いは、確かにその通りだろうと思います。フランス人女性もちゃんとわかってるじゃないか。感心感心。

新年を迎えたパリの通りは大変賑やかです(以下、次の記事へ)

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dimanche, 30 décembre 2007

日本の旅(6) 渋谷、丸の内、目黒通り

帰国前日の今日は、まず渋谷に向かい、Art Sportsでジョギング用の膝サポーターを購入。この商品、フランスのジョギング・ショップで尋ねた時には、「薬局で取り扱っておりジョギング・ショップでは取り扱っていない」とのことでした。「痛み」を対象にするものは、既にスポーツ用品店の対象ではない、ということなのでしょうか。規制によるものなのかも知れず、そうでないかも知れない。いずれにせよ、同商品を日本で買うことができたのは大きな収穫でした。
引き続き上州屋へ。フライ・コーナーの充実振りに驚きつつ、当面のサプライは全て揃っていることから無駄遣いは止め、すごすごとお店を出ました。これでSANSUIまで行ってしまったら衝動買いの危険性もあったのですが、それは意思の力で避けながら東京駅へ。いや、その前に、今回の食べたいものリストの筆頭にあった食べ物を食べようと、ハチ公口の方にまわり、ガード下にオレンジの看板を見つけました。ううむ、懐かしい。2004年2月以来となる吉野家の牛丼です。Dscn3316約4年振りとなるその味は、何ら変わっていませんでした。注文してから1分かからずに目の前に届けられ、5分もあれば食事そのものが終わってしまう。値段は2ユーロ程度。フランスではあり得ない感動的な現実です。ここでしか食べることができないものを食べることができたことで、店を出るときの充実感は筆舌に尽くしがたく、渋谷駅の階段を上がっている最中もぼんやりしていました。マンゾクです。
東京駅で山手線を降り、丸の内OAZOの丸善でいろいろと本を購入。実際に本屋さんに来てみると、amazon.co.jpで探すのとはまた違った本が視野に入ってくるため、衝動買いをしてしまったりもするのですが、まあ、これはこれで仕方がない。パリに戻ってから期待できそうなのは、学参売り場で手に取った山川の「世界史総合図録」で、特にこれについている年表が気に入りました。入浴中の時間つぶしには最高だろうと思います。「ミシュラン東京」の日本語版も1冊ゲット。こちらはとりあえずパリでの話題作りのために。

それにしても、この丸善、行列ができていても、あっという間にはけてしまう。パリの例えばテルヌのfnacなどでは、レジの前の行列を見て一気に購買意欲が失せることがあり、ここでも一瞬そうなりかけたのですが、見ているとどんなに人が多くてもすいすいと流れていく。これは、午後の最後の時間に入った有楽町ビックカメラでも同じでした。事務処理能力の高さ、職員のモラルの高さ、といった理由によるのではないでしょうか。レジの行列が進むスピードはそのまま資本主義度の高さを示しているように思います。

Dscn3317引き続いてフランスから日本に留学してきている学生とその旦那さんと3人で、丸ビル6Fのお寿司屋さんへ(沼津 魚がし鮨、http://www.Uogashizushi.co.jp)。先ほど牛丼を食べた直後にもかかわらず、お寿司を頂きながら情報交換を。約2年となる留学生活も順調で、さらに延長を希望している、とか。彼女の方は、携帯メールも日本語でのやりとりができるほど、既に日本語でのコミュニケーション能力が相当高くなってくれていたおかげで、随分と楽をさせてもらいました。とは言いつつ、やはり入り組んだ話題となるとフランス語の方が相互に理解しやすい。
時折「日本社会は外部に対して閉ざされている。」と訳知り顔に言うフランス人と会ったりしますが、最近、そういうフランス人にはフランス語で「日本語を話さない人には閉ざされているだろうね。」と返して落とすようにしています。まずその国で話されている言葉を理解し、使えるようになる、というのが、異国の社会の中に入り込んで生活する上での基本である、といったことを忘れることができるというのは、西洋人が東洋に対して持つ文化的優越感からくる傲慢なのか、それとも単純に同人の教養の水準によるものなのか、よく分からないのですが、まあ、そういうレベルでないフランス人二人と日本語・フランス語の混じったコミュニケーションを寿司屋で行えたのは嬉しいことでした。
そんな彼らと、「どうでもいい話」のジャンルで盛り上がったのが、物価の彼我比較でした。彼らによると、日本の方が高いものとしては「チーズ、メロンを初めとする果物一般、交通費」があるそうです。確かにそのとおりかも。まず交通費。今回の一時帰国でもSUICAにチャージしてもチャージしてもどんどん残額が減っていってしまう。金沢往復の航空運賃もフランス国内での同様の移動費用と比較すると高い。高額な移動費用の裏側には、移動させないようにしよう、という意図が働いているのではなかろうか、などと邪推さえしてしまいます。また、チーズはその通りかも知れません。でも手に入るのだからいいでしょう。こちらはパリでは日本食材をそれなりの値段で購入しています。メロンはよく分かりませんが、果物が高い、というのはそのとおりかも。「でも、普通に生活する分では、パリの方が物価が高く感じる。」と言ったところ、それには同意をして貰えました。「日本は高い」という印象を打ち消していくにはどうしたらいいのか。もうちょっと考える必要がありそうです。
学業成就をお祈りし、「よいお年をお迎え下さい」として、続くアポ地の有楽町へ。
Dscn3321途中、伊東屋で手帳に入れるための日本地図(Ashfordのバインダー用)を購入。手帳に入った日本地図は外国駐在員必携の一品です。加えて出発時に迂闊にも購入していなかった筆ペンも。こちらは、使わないかも知れないが、使う場面が出てきた場合には絶対に使うのがよい、そういう品です。
有楽町まで歩く間、「maison du chocolat」に立ち寄り、心底驚きました。「高い!!!。」一番小さい詰め合わせボックスが8100円もしている!!!。パリだと23ユーロ程度、3700円程度のものが8100円に。2個入りの箱、パリで5ユーロ弱のものが1200円に。チョコレート1個が600円。いくら何でもやりすぎじゃないのか。そこまで日本人はお金持ちなのか。そんなチョコレートを通じて人は分かり合えるのか。
メゾン・ド・ショコラのチョコレートと言えば、虎屋の羊羹の如く、パリでも贈答品として使われていますが、東京でのこの値段はあまりになんです。贈答品ならば、日本には虎屋、鶴屋吉信、亀屋万年堂、赤坂柿山、その他美味しいお菓子がいくつもある。それを使うのがよろしかろう。何故、こんな高いチョコレートが売れるのか。日本のお金の動き方は一体どうなっているのか。まあ、そうはいっても、お金を払う人がいるのだろうからお店が成り立っているのだろうし、自分も東京にいた自分にはここでチョコレートを買った記憶がある。偉そうなことを言うのは止めておこう。ただ、よほどのことがない限り、東京でメゾン・ド・ショコラのチョコレートは買わないぞ。
おそらく日本に帰ってきたらすぐに崩れてしまうであろう固い決意とともにお店をでました。あ、この時期、パリで限定販売となるMarroniは、幸いなことに有楽町にはありませんでした。あっても見るのも怖い値段になるでしょうから遠慮しておきたいですが。

有楽町ビックカメラでは、BOSEのインイヤーヘッドフォン(低音の重量感と音の厚みに圧倒されました。これまで使っていたソニーのインナー型ヘッドフォンから出てくる音が子どもだましのおもちゃのそれのように感じます。)、iPod nano用のシリコンカバー、充電器を購入。さすがに日本の量販店。質量共に充実しています。
混み合った店を出たところで、大阪から一時関東に戻ってきている友人と落ち合い、東京国際フォーラムのカフェで小一時間を過ごしました。何度かパリの我が家にも来てもらったことがあり、いずれパリでの再会がありそうな気配です。地球は小さくなったものです。

年の瀬の有楽町に別れを告げ、大井町線で尾山台まで。ほっとしたのか、電車の中で「爆」睡しました。こんなに寝ていても安全なのですから、日本の治安の良さは世界に誇るべきものかも知れません。言葉が違う人、肌の色が違う人の絶対数が少ない、という点が、世界のその他の国とは違った所与の条件となっているのでしょうが。

さて、今次一時帰国の最終日は目黒通りの「木曽路」で両親としゃぶしゃぶを。その直前、昔は「DAIK」という名前だったホームセンターが「SEIYU」と名を変えていて、そこで弁当箱を買ってきました。アスベルという会社のLABEL CREZなる名前が蓋に彫り込まれたアルミの弁当箱。940ccという容量の大きさを第一に、汁漏れがしないようなパッキンがついて、お箸が中に納められるようなタイプにしました。今後、職場にお弁当を持って行く機会が多くなるような気がします。ちなみに、ネットで見たところ、このSEIYU、明石家さんまさんのお気に入りの店だとか。昔、深沢に住んでいた頃、随分通ったものですが、一度も出会わなかったなぁ。本当かしらん。

さて、しゃぶしゃぶの夕食は、最初に何故かフグが出てきました。刺身と唐揚げ。このフグが美味しかった。その後に出てきた見事な霜降りの印象が吹っ飛んでしまうくらい。というか、しばらく霜降り肉など食べていなかったので、あぶらっぽさの方を感じてしまう羽目となり、味覚とは慣れなんだ、ということを改めて感じることとなりました。
さて、今回の食事、久しぶりに両親と語らう貴重な時間となり、様々な情報交換それ自体は良かったのですが、仲居さんみたいな人のサーヴィスはいただけなかった。鍋に最初のお肉をしゃぶしゃぶしてくれたり、野菜を入れてくれたりするのですが、何とも機械的です。もう少しリラックスして、うち解け、ところどころ会話に入ってくる位の構えでいてくれるとこちらも気が楽なのですが、ただただ機械に徹されると、彼女が部屋にいる間は何となく話をするのも悪いような気詰まり感を覚えてしまいます。人によるのでしょう。それに、こちら側の構成にもよるのでしょう。次回はもっと楽しく食事ができることを期待しています。
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食後、等々力のTSUTAYAへ。書籍販売スペースが大幅縮減されているのに大いに驚きました。以前は地上階部分全てがそうだったのに、いまやその面積は1/6程度となり、残るスペースはCDやDVD、ゲームソフトに占拠されてしまっている。1階部分のレンタル・スペースはそのままなのですが、以前はこちらにもあったカウンターがなくなってしまっており、地上階で一括してレジが行われることになってしまっている。この方が儲かるということなのかもしれませんが、やはり書店というのは近所にあってもらいたいもの。結局何も買わずに帰ってきました。

さて、初日の深夜までの洗礼があり、風邪があり、いろいろと障害もあった今回の一時帰国も、何とか全日程を消化することができました。2年8ヶ月前のパリ行きの時には、3年以内に戻ってくることはないだろう、と思っていたのですが、さすがに4年間、一度も帰らないという選択肢は取り得ず、また、いろいろなことが起きたことも、今回の帰国につながりました。次にここに帰ってくるのはいつになるだろう。

手荷物も何とか詰め込むことができました。明日はパリ行きです。

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samedi, 29 décembre 2007

日本の旅(5)金沢日帰り、渋谷の夜

夜の間、大量の汗がこめかみを落ちていくのを感じました。シャツも交換し、朝には熱が下がりました。おかげさまで、無事金沢往復を行うことができました。

Dscn32862009年の横濱開港150周年キャンペーンが相当程度関係団体の協力を集めていることをコンビニで知ったこと、山の手線からモノレールへの乗り継ぎが大変簡単になっていたこと、羽田空港に第2エア・ターミナルなるものが出来ていたこと、機内でのサーヴィスが大変忙しそうな中にあっても実施されていたこと、が印象に残ったことどもでしょうか。いや、最も印象に残ったのは、薬の飲用のために空港で食べたおにぎり弁当とカツサンドでした。こんな美味しいものを5ユーロ出さずに食べることができる日本、素晴らしい国だと思います。
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曇天の金沢では、日本出発の段階では生まれていなかった甥と初めての対面、今は4歳近くになった姪と対面し、ピザ屋へのおつかい、高い高いで遊んだこと、人形のハウスで遊んでもらったこと、等々、思い出に残る半日となりました。

再び金沢を離れるにあたり、空港の薬局でゼナF-IIでドーピング。その甲斐あってでしょうか、渋谷に到着するころにはすっかり快復していました。栄養ドリンク、恐るべしです。
高校時代の同級生総勢8組での忘年会。「しぶや だだ」なるおでん屋さんでは、普通のおでんから創作風おでんまで、美味しい食事を懐かしい顔ぶれに囲まれながら味わうことができました。高校の同級生というのは大学の同級生とは違って、その後の進路が大いに異なっているにもかかわらず、その違いはそのままに話ができ、どこかしらで分かり合っていることができる、そんな有り難い存在です。忙しい時期に集まってくれた皆、そして連絡係をしてくれた幹事に深く感謝です。
おでん各種、温トマト、刺身わかめ、そして「グレープ・フルーツ・サワー」です。
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新玉川線(田園都市線?)で二子玉川経由、自宅まで帰ってきました。忙しく動いた日々もこれでほぼ終了。今回の一時帰国での最大のミッションを終えることもでき、ひと安心です。

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vendredi, 28 décembre 2007

日本の旅(4) お見舞いとフランス関係者との再会@

Dscn3278今日は10時過ぎに起床。最初の予定はお見舞いです。二子玉川の駅から見た河川敷、子どもが走り回って遊んでいる。年末、河川敷の土手、遊ぶ子ども、この感じ、何だろう。そうか、寅さんだ。何となくノスタルジーを感じる光景というのはあるものですが、それはノスタルジーを感じるべく刷り込まれているだけなのかも知れません。そのまま田園都市線へ。

Dscn3280横浜市北部病院は我が家からは40分程度の場所にあり、また病院自身、駅から目視できる場所にあったため、何ら困難を覚えることなしに到着。それにしても、いろいろなもの(道幅、建物等)が人間の規模を超えて大きいのに驚きます。巨大な駅、長大なエスカレーター、巨大な郵便局、だだっ広い道幅。いろんなものがパリと比較して、いや東京と比較しても、大きいように思えます。

病院では13時過ぎから14時まで、短い間ではありましたが、大変お世話になった先生にお目に掛かることができました。着々と快方に向かわれている、とのことで大いに安心。病院の個室でまで打ち合わせを行っておられるとは、さすがに仕事人だった先生だけのことはあります。それに、新横浜発終電の時間までここで打ち合わせを行われる他の先生方も。確実に一つのことが前進しています。

その後、先生からの示唆を得て、新横浜駅までタクシーで向かい、そこから新幹線に乗ることに。道すがら、IKEAを目撃。何故か懐かしい。値段はどの程度なのだろう。ちょっと心配です。
新横浜駅では自動券売機であっという間に切符を購入することができ、そのまますぐに新幹線に飛び乗ることができました。5分を切る間隔でこういう速い電車が走っているという事実には感動します。TGVをいかに速く走らせることができようと、この間隔で列車を走らせるという芸当はフランス人にはできないのではないか、とちょっと優越感を抱いてしまったりもするのですが、これも必要あっての賜なのでしょう。必要がない場所ではそういうことを行おうという発想すら生まれてこないだろう。狭い国土に大勢の人が集まって住んでいるうちに、様々な発明が必要になり、その発明がシステム化される日本。良い悪いの判断は別として、大変な国だと思います。

上野に向かい散策。この界隈の雰囲気は何時までも変わらずあってほしいものです。そして夕方、昔の職場の同僚と会い、喫茶店でまたもやアイス・コーヒーを。仕事納めの日だというのに、これからまだまだ仕事が続く様子であり、日本の忙しさを垣間見ました。恐ろしいことです。

さて、今夜はフランスで一緒に仕事をした人たち、そしてCercleのシェフとの会食です。場所は銀座のとある居酒屋。7階までエレベーターがあるにはあるのですが、大変な混雑で乗れない。そこで、非常階段を登っていったのですが、なかなか恐ろしい場所です。これで火災でも発生した場合には大惨事になるのではなかろうか。

さて、元同僚のフランス人は忙しい日々を送っている様子。いいことです。元同僚の日本人からは将来の職場環境に関する若干の情報を収集。狭い社会で仕事が行われているということを感じます。そして、シェフからも将来の話を聞くことができました。パリではここのところあまりこういう機会をもてなかったところ、日本でこんな風にじっくりと話をする機会が持てたことは有り難いことです。いずれまた、こういう時があるかも知れません。いや、その前に次回はパリで。

この飲み屋さんでは、日本のサーヴィス産業がこの時期、対顧客という意味でフランス以上に強い立場にあるのだ、ということを痛感しました。元々予約をしていたグループに混ぜてもらう、という少々強引なことをしたこちらにも非があるのですが、そのグループの席が満席になりそうだという時に新しい席を追加で準備してもらおうとしたら、それができない。どうしてだろう、と聞いたら、チャージが発生する、とのこと。別にその位は構いませんよ、と伝えたところ、元の席にいるグループのところには行かないでくれ、とのこと。なかなか厳しいルールがあるようです。「そういうことはやっておりませんので。」というのがフロア・マスターの言葉だったのですが、「そういうことをやって欲しい。」というリクエストに対して「そういうことはやっておりません。」では会話も交渉も成立しようがありません。他方で、こういう客の要求に屈してしまうと、次から次へと無理難題が発生する、ということなのかも知れない。匿名の者同士が匿名のままにすれ違って生きていこうとする場所では、非人間的なルールの支配に任せるのがよいのでしょう。フランス人の友人が「日本のサーヴィスは表面的だ」と多少の価値判断を込めて言っていた言葉を思い出しました。少々残念ではありますが、まあ仕方がありません。東京という街で生きていくにはいろんなものを捨てる必要がありそうです。

Dscn3285今夜の締めは今回の「食べたいモノ」リスト中の一品、新橋ガード下の立ち食い蕎麦屋「ポンヌフ」の春菊天蕎麦。前述の飲み屋さんとは全く異なるおばちゃんの親しげな声に、やっぱりこういうところの方がいいなぁ、とほっとします。思い出の蕎麦をフランス人の友人、シェフほかにも食べてもらいました。相変わらず美味しい。これで340円ですから2ユーロ少々。フランスでは存在し得ない食べ物屋さんでの締めを終え、「よいお年を」というおばちゃんの声に送られ、関係者とお別れ。またパリで。また東京で。

家に帰ってくる途中、強い氷雨に打たれることとなりました。風邪薬を飲み、汗を掻く準備を周到に整えて就寝。明日の金沢往復が危ぶまれます。。。

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jeudi, 27 décembre 2007

日本の旅(3) 職場訪問2日目、丸の内の居酒屋

日本の旅3日目は、再びもとの職場への挨拶回り。まずバスで自宅から職場近辺まで出かけたのですが、さすがに年が押し迫ってからの目黒通りや国道1号線は混んでいる。1時間半近くを要してしまい丸の内に到着。そこで、職場の先輩に時間をいただき二人でお昼御飯を。自分が取り組んでいる方向性についての相談ができるというのは、代々ポストが引き継がれていることの良さだと思います。Dscn3270「郷どり 燦鶏 明治安田生命ビル店」でおろし鳥天丼定食を頼んだのですが、頼んでから3分くらいで出てきて、お店を入ってからお勘定を済ませて出るまで15分も要しない。パリだとマクドのテイクアウトで並んでいるだけで過ぎていってしまう時間になるのですから、この効率の良さには感心しました。今の職場ではお昼の時間が1時間半あるのですが、まず食事ができる場所に行くのに時間がかかり、注文を取ってもらえるまでに時間がかかり、頼んだものが出てくるまでに時間がかかり、支払いをするのにテーブルで依頼→伝票を持ってきてもらう→お金を置く→それを持って行ってもらう→お釣りが帰ってくる、と様々な時間が必要です。要するに東京でのお昼休みの方が体感時間が長く感じられる。便利であるということは、人やら手間やらが介在しないことで各人が好きに使える時間が増える、そういうことなのかも知れません。

Dscn3271お昼の後は丸ビル地上階のカフェ、「ease」で、これまた日本的な飲み物である「アイスコーヒー」を頂きました。「パリでもスターバックスに行けば飲める」飲み物ではあり、またエスプレッソを氷の詰まったシェイカーで振って冷やした「café frappé」なるものはあるのですが、この焦げ臭くない、キリッと冷えた飲料は、たとえ冬であっても飲みたくなる一品です。

さて、昨日に続いて職場訪問を行ったのですが、今日は今の仕事と若干の摩擦を生じている部署への挨拶回りとなり、必然的にギリギリと詰めた打ち合わせを行うことにもなりました。「休暇」とは言っても、やはりこういう時間がないと何となく落ち着かないあたり、フランス人にはなれない所以です。ある先輩からは、廊下で偶然ばったり出会った際、「ちょっと部屋に行って待っていてくれ。」とおっしゃっていただき、お時間を頂戴しました。また、別の先輩からも「ちょっと待っていてくれ。」と言われ、仕事の大変重要な情報をもらったりもしました。有り難いことです。そして、帰国したフランスの職場の同僚が何故かそこにいたり、そこに12年前の同僚が居て覚えていてくれたり、と嬉しい出会い・再会もありました。また、2年8ヶ月前に、「君が帰ってくる場所はここなんだからな。」と言ってくれた先輩にも御挨拶申し上げることができました。心残りなく御挨拶ができた訪問を終え、今夜は丸の内での食事会、パリで一緒だった諸先輩・同期が集まってくださっての飲み会でした。そこで開けていただいたBatard Montrachetの白、こんな美味しい白ワインは初めて飲みました。フランスの思い出話で盛り上がる中、障子を挟んだ通路の向かい側では、同じようなグループの宴が開催されていたりして、随分と賑やかでした。
都営三田線で多摩川まで戻ってきて、そこで先輩とお別れ。大変に混み合った急行電車に乗って帰って行かれました。また4月に、パリでお目に掛かることになりそうです。

今夜は早々に家に戻ってきました。さすがにこういう日々が続くと体調に響きます。パリから引っ張ってきた風邪がここになって体の表面に辿り着きつつあるようで、若干熱っぽい。まだ日本の旅も折り返し地点前。要注意です。

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mercredi, 26 décembre 2007

日本の旅(2) 職場訪問、銀座、新橋、大井町

昨晩の飲み会から受けたダメージを癒すように11時まで眠り、13時に昔の職場の前で友人と待ち合わせ。そこに向かう間、東横線のホームで見掛けた標示に、大変な驚きを受けました。Dscn3253噂には聞いていたが、実際にこういう車両が導入されているのか。なるほど。妙な嫌疑を掛けられたくもない相手から掛けられるおそれがあるらしいから、むしろこういう車両に乗り込んでおいていただく方がいいかも知れない。それにしても、社会が妙な方向に向かっているのかしらん。よくわかりませんが、まあ、こういう車両が設けられない社会の方が健全ではあるように思います。少々残念です。

さて、懐かしい駅で地下鉄を降りて、階段を上がっていくと、晴れた冬の日差しが差し込む大通りが広がっていて、昔の職場は昔の職場のまま、忙しそうな蛍光灯が全館に灯っています。待っている間、熊本時代の同僚や旧職場の同僚とすれ違ったりして旧交を温めることができました。立っているだけでこの成果。誠に便利な場所です。
さて、待ち合わせていた友人とは、何があったのか連絡を取ることができず、結局一人で食事会場に予定していた場所に向かう途中で、今度はパリの後輩とばったりであい、しばしの情報交換。将来のことなどもしばらく話すことができなかなかに有益でした。14時から打ち合わせが予定されている、と聞くと、忙しいのだなぁ、とつくづく感じます。

Dscn3256今日の昼食は、今次一時帰国時「食べたいものリスト」の一つにリストアップされていた、「よかろう」の「ザーサイだんだん麺」。自分にとってベストなおいしさである「中辛」でいただきました。ゆずが効いたスープのおいしさといったらありません。こんな美味しいものをいつでも食べにくることができるとは、日本に住むということは本当に素敵なことです。しかもラーメンに半ライスがついて1000円とは、6ユーロ少々でこの満足度が極めて高い食事を取ることができるとは。注文してから出てくるまでの時間も短く、店員同士のおしゃべりでこちらの時間がつぶされることもない。日本という場所、忙しいビジネスの合間を縫って食事をするには、そして、安く食べるには、天国のような食環境が実在するように思います。

さて、よかろうでの食事の後は千代田線で二重橋前まで。昔よく使った路線で、昔の職場まで。
建物はまったく変わっていない。見覚えがある守衛さん。古い身分証を見たらすでに期限が切れている。パスポートは家においてきてしまった。仕方がない。フランスの滞在許可証を見せて事情を説明。中に入れてもらう。そして本籍がある部署に入っていき、変わっていない関係者には少々照れくさい2年8ヶ月振りの挨拶を。先日パリで出合ったばかりの人、メールで何度もやりとりをした人、電話でしじゅう話している人とは、プラスαの感興無しに話すことができるのが有り難い。それにしても、なんだか忙しそうだなぁ。年末というだけではない事情があるにせよ、こんなに忙しそうで果たして大丈夫なのだろうか。

この日は、現在の自分の職場の仕事で問題が生じているわけではない部署への挨拶回りが主目的で、昔、一緒に仕事をした同僚との再会、昔自分のポストにいた人のところへの報告、パリで一緒だった方のところに御挨拶、昔からいろいろとお世話になった方に御挨拶、といった、柔らかい訪問が中心となりました。
多くの人から、変わっていない、と言われましたが、そういう向こうも変わっていない。2年8ヶ月というと随分時間が経ったような気もし、実際に経っているのですが、さすがに10年が過ぎたわけでもなく、また幸いなことに頭髪方面にあまり変化が発生していないということもあり、また体重も出発時点でのそれを維持していることから、仮に使用前使用後の写真を対照しても見分けが付くのは眼鏡の変化くらいでしょうか。いや、そう思っているのは本人だけ。「変わっていない」という社交辞令を信じることは、自らの老化に気付かないふりをしているだけなのかも知れません。
一人、とある先輩から、1時間半ほどお話をいただき、今後の生き方・進み方について考えさせられました。「つぶし」のきく人材となっていくにはどうしたらいいのか。「国際」というところで生き抜いていけそうなのか。環境への適応力向上のため何をすべきか。今後、どういう方面を向いて仕事をすべきか。何となく先細り傾向がある中で、その逆境を突破していくために何が必要なのか。。。

夜は当初「大納会」とされていた会合が銀座1丁目で開催されているのに参加。「Loco's TABLE MAHANA銀座店」なるお店で、ハワイアン・ショーを見ながら料理を食し語り合う、という、脱力感に満ちた催しでしたが、ここでも住所表示の在り方がネックとなり、場所がよくわからない。結局、ふらふらと会場を探すこと30分、銀座にフランスのブランドショップのビルが建ち並ぶ様に感嘆の思いを抱き、そういえばエルメス銀座店ってパリの本店よりも床面積が大きいんじゃなかったっけ、と、以前聞いた話を思い出し、最後は「交番」で道順を教えてもらって何とか辿り着いた会場では、これまた懐かしい顔と再会することとなりました。ショーは終わってしまってましたが。

一次会終了後、お店の前で遅れてきた同期と遭遇。そのまま数人で新橋に向かい、カラオケ・ボックスに入ったのですが、予約から音量調整からキーの調整まで一台で出来るリモコンがカラー化されていたのに驚きました。こういうところは進歩しています。そして、ここまで来る間、安全に歩いてくることができる、ということも驚きです。写真は地下鉄の改札が通過できてしまう携帯と飲み屋の伝統色を受け継ぐカラオケ屋さんの看板とハイテクリモコンです。
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結局、カラオケは最大6名のこぢんまりしたものとなり、1時間半で終了。大井町まで出たところで終電がなくなりました。タクシー乗り場に行列が。この寒い中、屋外で待つのも何だなぁ、と入り込んだのがマンガ喫茶。「難民」まで生まれているらしい場所とはどのようなところなのか、興味津々で1時間だけの訪問を行いました。そして、確かにこの場所ならば生活を行っていくことも可能だろう、そんな印象を持ちました。「難民」という言葉遣いは、平和ボケに由来する、多いに間違ったもののように思いますが。
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結局、ここでは最小限必要な仕事の返信メールを送信し、マンガを数冊ざっと読んで1時間。タクシー乗り場に行列はなくなっており、待ち時間無しで乗り込むことができました。自宅そばまで30分少々の道のり、ほとんど寝ていても大丈夫、というのはやっぱり凄いことです。

そして、本日の締めくくりに、今回の旅行で楽しみにしていたことの一つ、深夜のコンビニ訪問をついに実現しました。夜中の2時過ぎにお店が開いていて、ちょっとしたものを買って食べることができる、ということは凄いことです。そして歩きながら食べたおにぎりの美味しかったこと。「コンビニの感動」というのは、フランスで駐在した日本人が日本に帰った時に決まって覚えるものだ、と聞いたことがありますが、自分もご多分に漏れずその一人となることができました。フランスにもこういう場所があれば、通い詰めることになるだろうなぁ、と思います。と同時に、こんなお店を可能にするためには、よほど治安がよくなければ無理だろうなぁ、とも思います。少なくともフランスの「93」番の地区では絶対に無理だろう、と思われる営業形態です。

本日も3時前就寝。時差ボケと戦うにはちょうどよいかも知れません。

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mardi, 25 décembre 2007

日本の旅(1) 成田、東京、銀座、日本橋、等々力

成田には定刻を少し早く14時前に到着。飛行機の扉を一歩出た時に、「ああ日本に帰ってきた。」そんな気持ちがしました。長い廊下を歩いていてもゴミが落ちておらずとにかく明るく綺麗。パリの薄暗さやゴミっぽさを思うと凄いことです。荷物が出てくる場所までの距離が延々と長いのには少々閉口し、また、動く歩道やエスカレーターのどちら側が立ち止まる側だったか、をすっかり忘れてしまっていたのに気付いたりしながら、機内預け荷物をピックアップする場所へ。そこではクルーの人たちの荷物の方が早く出てきたことに少々びっくり。日本でもこういうことが起きたりするのか。同じ便で帰ってきていた先輩と二人、ちょっと驚きながらも、やがて自分たちの荷物が出てくると慌ただしい時間が始まってくれます。外国の外交官とクルーの人たち用出口なるものも存在しているのも初めて意識して見ました。

さて、ゲートを出ると懐かしい日本が広がっていました。なんと言っても第一印象は明るくて清潔できちんとしている、というものでしょうか。床は綺麗だし、ゴミが落ちていたりしないし、銃を担いだ軍人が巡回していることもない。やっぱりほっとするなぁ、と思っていた矢先、早速に日本の壁が。HPからプリントアウトしてきた、携帯電話を借りる場所が描かれた絵図が大変わかりにくい。パリに来た当初、フランス流に描かれた絵図が大変わかりにくく感じていたのにいつの間にか慣れてしまっており、今はフランス流の方が理解しやすくなっているらしいことに気付きました。こういう図面の書き方というのは、HPの構成や道の案内の仕方同様、極めて文化的なものであるように思います。結局、関連会社の窓口の人に教えてもらって事なきを得ましたが、この体験は少々驚きでした。

携帯電話を借りると、リムジンバス乗り場へ。わずか10分程度の待ち時間でバスが到着してくれるのは有り難いことです。バスのお腹に入れる荷物の引き替えタグをちゃんとくれるあたりは、パリにはないサーヴィスで、これがあると自分が降りる終着点まで安心して寝ていることができる。早速、メールを送ってくれていた今夜の会を仕切ってくれている友人に到着の一報を送ろうと携帯を操作しはじめてみてビックリ。ちょっとちょっと、使い方知ってる。メーカー名を見ると「Panasonic」と書いてある。確か日本を出てくる前に使っていた携帯がパナソニック製だったな。全体の操作性は似ているのかも知れない。で、多分日本に帰ってからもパナソニックを買うのだろうなぁ。それにしても、日本の携帯の薄さは凄い!。ここまで薄くしてどうなるのだろう。。。

懐かしい東京がフロントガラスの向こうに見えてきました。東京と言えば東京タワー。あれっ?。高い建物が沢山できていて、東京タワーが隠れてしまっている。あんなに高い建物ばかりたててしまって、東京は大丈夫なのだろうか。東から差す日がやがて水平線でなく摩天楼でできた壁の向こうから上がるようになるのでは。もう一つ気になったのが、走行車線と追い越し車線の区別があまりちゃんとしていないことで、追い越し側が詰まっていると走行側からどんどん抜かれてしまう。そうなると大変危ない。こういったところはフランスの高速の方が秩序があるかも。結局、T-CAT到着が16時20分。成田から一時間半か。少々、、、遠いな。

そこからさらに東京駅まで乗ったのですが、信号の間隔がパリと比べると大変に長く、また、ちょうど夕方の渋滞が始まった時間にあたっていたが故か、なかなか車が進みません。ただ、そんな中でも皆静かに順番が来るのを待っている。一台だけ、右折時にショートカットしてきた車がいましたが、強引に割り込んでくることはない。こういうところでは秩序が守られています。パリであれば交差点に突入した車が横の流れを止めてしまい、大混乱が発生しているでしょうから、こういったところは大したものです。

東京駅で降りて懐かしい八重洲口から駅改札に向かいます。2年8ヶ月前まで使っていたSUICAがそのまま使えたことに感心。他方で、混んだ通路を大きな荷物を引っ張って歩く間、大勢の人がその進行ルートに敢えて入ってくることとなり、結果、荷物を持っているこちら側が相手を避けたり、あるいは行き過ぎるのを待たなければならないようなことがある。要するに、荷物を持った人に対する配慮がない。人混みの中でスムーズに行き来するためのマナーが忘れられている、あるいは存在しないところは、今回の滞在の最後まで気になった点でした。ミーイズムがより一層進展しているということなのか、それとも「田舎モノ」が増えているということなのか。日本的ではないような気がします。もちろん年の瀬が差し迫っていた、という事情は差し引かなければならないのかも知れませんし、そんな混んだ中に大きな荷物を持ち込んでくるこちらの方がよほど「田舎モノ」なのかも知れませんが。。。

京浜東北線から大井町線への乗り継ぎの際に、噂に聞いていたとおりSUICAがそのまま使えたことに感動。そしてそこから尾山台駅までの旅程、尾山台駅からの坂道は、2年8ヶ月前から、あるいはそれ以上前から全く変わっていない。実家に到着。こちらも何も変わっていない。懐かしさとは、何かしらの変化に対して抱く感情なのかも知れません。「懐かしい」という感傷は一切ありませんでした。そのこと自体、大変よいことだと思います。

今夜は10年前、日本に帰国した直後に着任した職場でお世話になった方々に囲まれての夕食会。スタートが19時というのも早ければ、ラスト2時まで3軒お店を回ったというのも久しぶりの経験で、一気に時間が10年ほど巻き戻されたような錯覚を覚えました。1次会の場所は「鹿児島の黒豚しゃぶしゃぶを食べたい」という勝手なリクエストに応えて、「我流風 東京銀座店」(銀座ファイブ地下1階)。ここで再び日本への違和感。「番地標示が難しい。」通りに名前があって、それが一定方向に増えていく、というわかりやすいヨーロッパの表示方法にいかに慣れてしまっていたかを痛感しました。ムラ的な構造がそのまま大きくなっていった都市構造なのでしょうか。
といったことはさておき、懐かしい面々との再会、皆変わっていない。唯一、元同僚が赤ちゃんを連れて現れたあたりに2年8ヶ月の月日を感じたくらいでしょうか。皆の髪の毛に変化がなかったことも、「変わっていない」という印象を与えてくれた要素かも知れません。
さて、そんな中、懐かしい日本料理の数々。薩摩揚げ、キュウリの甘辛漬け、豚しゃぶ用の野菜(肉の方は撮影忘れ)、そしてやっぱり生ビールは日本のそれが一番美味しい。追加で日本のテクノロジーへの驚き。
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ちなみに、このお店、最後にお鍋でゆでるラーメンを出してくれるのですが、その付け汁がなんとも言えず美味でした。黒豚しゃぶしゃぶといえば鹿児島遊楽館123もよいのですが、こちらのお店も大いに気に入りました。次回帰国時には必ず来ようと思います。

Dscn3247二次会会場に向かう途中、千鳥足で大声で会話しながら手を組んで歩いてくるサラリーマンを見て年末の日本にいる臨場感をさらに高め、ビルの縦にずらりと連なった看板を見て繁華街にいる臨場感をさらに高め、狭いエレベーターで上がって辿り着いたバー(Coffee Bar K, 銀座店)のメニューに並んだ数字(150万円、とか言うのもあったが。。。)と年の釣り合いがどうみても取れないカップルの存在に銀座にいる臨場感をさらに高めて、三次会会場に向かったのが既に0時を過ぎる頃。
Dscn3252そして、最後のお店はチェーン系のお店だったのですが、ここで再び驚きが。1次会のお店でも気になったのですが、店員さんはほとんどがいわゆる外国人になっていて、言葉が通じない。それを解消するためなのでしょうか、こんな機械で注文ができるようになっている。もとより機械に置き換え可能なサーヴィスしかしていなかった、ということなのかも知れませんが、それにしてもここまでコストを下げて一体どうしようというのだろう。パリでよく、東京はウルトラ・モダンな都市だ、という言葉を聞くことがありますが、確かにそのとおり。こうやって人を極限まで削り取っていった先に何が待っているのか。時代遅れになりつつある自分としては、若干否定的な印象を受けました。もう確立した流れなのかも知れませんが。。。

タクシーで日本橋近辺から世田谷区等々力までの道を走って約1万円。ユーロ換算すれば60ユーロ程度。CDG第2ターミナルから17区の我が家まで走ってもらって40ユーロであることを考えると、東京の方が高そうです。そして、ここでもう一つ新発見、というか、これは明らかに東京側に分がないことなのですが、タクシーの運転手さんが道を知らず、客にいろいろと尋ねてくる。これには驚きました。プロフェッショナリズムの欠如です。パリの運転手ならば仮に知らない通りを告げた場合、黙々と地図で調べ、乗客に聞いてくることはありません(番地を聞いた上で、「だいたいどのレベルですか?(どの通りとぶつかっているあたりか)」と聞かれることはありますが)。パリは所詮は山手線の内側程度の地域であり、東京の方が物理的に遙かに広いエリアである、ということはあるかも知れないが、それにしてもだいたいどのルートを通っていけばその地域にたどり着けるか、という程度のことは頭の中に浮かべることができるのが、それを生業とする人のマナーだろう、と思います。いや、時代は変わっているのかも知れず、また、ある道を選んだら客の側から文句が出る、ということがあるのかも知れず、一概に決めつけることはできそうにありません。が、自分としては、行き先を告げたらそれでちゃんと行き先までたどり着いてくれる、そんなタクシー運転手さんの方が職業人として優れているようにも思います。

といろいろあった久しぶりの日本。初日の夜は3時半頃にやっと就寝となりました。明日から、また忙しくなりそうです。

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jeudi, 13 juillet 2006

Île de Ré のビーチ

9時から朝食を取り、そのまま島の先の「Phare des Baleines(鯨灯台)」に向かってドライブ。
この島には全長100キロ程度の自転車コースがあり、自転車で回るのがヴァカンスの王道であるせいか、時々自転車との緊張関係が生じたりもしますが、そんなことも楽しみに変え、いらいらしないのもヴァカンスの王道なのでしょう。
途中、堤防が見えてきた時、16年前に自転車を止めてずっと海を眺めていたことを思い出して途中下車。また、砂浜を探すために途中下車。結局1時間ちょっとかけて灯台に到着。ここは16年前には到達できなかったところですが、10年前に来たことがある。その時はもう夕方で、夕陽の中、皆で写真を撮ったような記憶があります。灯台のおみやげもの売り場で地図を購入し、やっと島の全容を把握できるようになりました。
そしてビーチへ。
さらさらでふかふかの砂、遠浅の海、あまり高くない人口密度、波音と青空、あまりぎらぎらとはしていない太陽。日本から持ってきていたパラソルにやっと活躍の機会を与えることができました。
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こんな天国で、缶ビールを飲みながら「ダ・ヴィンチ・コード」を読みました。ちょっと昼寝をしてしまったり、焼けた体をさますために海につかったり(水がとっても冷たい!)、また本を読んだり、太陽の光に目を細めたり、またちょっと昼寝したり、としているうちに、いつの間にか海が近くに来ている。遠浅の海というのは満ちてくるのも早いです。Dsc_3450
16時を過ぎた頃からずいぶんと人が大勢砂浜に押し寄せてきました。波も高くなってきて、サーファーも出現。あまりにごみごみしてくるとヴァカンスぽくなくなるので、18時頃、ビーチを後にし、再び買い出しを行い、ホテルの部屋で夕食としました。
ヴァカンスというのは、頭の中を空っぽ(vacant)にする、というのが語源だ、と何かの本で読みました。本当にこの一日だけで頭の中が空っぽになりました。肌がひりひりと痛く、水風呂につかって推理小説の続きを読む羽目にも陥りましたが、とりあえずのところ大満足のヴァカンス初日です。

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