ヨーロッパの旅

dimanche, 22 mars 2009

合宿最終日

合宿最終日の今日も5時20分に起床していました。そして、まだ真っ暗な中、北西の消波堤の上で寒い時間を過ごして3時間少々。昨夕の子どもが若魚を連続してあげていた場所でやっと1匹、自分もつり上げることができました。ちょうど30センチのレインボー。放流直後なのかどうかわかりませんが、尾びれの丸みが気になります。が、これでOVの連敗記録が止まりました。思えば自分にとってOVでやっと3匹目の魚です。これで厄払いとなればいいのですが。
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その後は曇り空の下、風に吹かれて凍える時間が続き、9時前に釣りを終了。ホテルで朝食の後、10時半過ぎからゆっくりと湖の周りを1周。少なくとも2周しよう、と思っていたのですが、5キロを超えたあたりから左膝にちょっと違和感を覚え始めたため、大事をとって短縮することに。自分が走り出した時には1周を終えて戻ってきた人たちもいましたし、自分が走り終わった時に整理体操をしている人たちの集団もいました。ちょうどよいジョギング・コースになっているようです。
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着替えを終えて12時前に出発。一路、パリを目指します。途中、リールのシェルで給油を行いつつ、ひたすら走った結果、パリには4時間で到着。日本食材屋に直行して肉等を買い込み。いったん自宅に帰り、モンソー公園へ。日が落ちる直前の気持ちのよい時間帯、1時間のスロー・ジョグとしたのですが、さすがに昨日と今朝の疲れが残っているのか、4週目と9週目がきつかったです。でも、これで超回復と相成れば。。。
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キャベツだけのピリ辛スープにカルビ焼き肉を自宅で食べて就寝。合宿は無事終了です。

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samedi, 21 mars 2009

合宿中日

朝、5時20分に鳴った携帯目覚ましを止めながら、「何でこんな時間に鳴るんだろう」と不思議に思った瞬間、目が覚めました。そうだ、消波堤に行かなくちゃ。
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北西の駐車場に到着すると、赤いミニ・クーパーの後ろでMさんが準備をしていました。真っ暗な中自分は左方向に、Mさんは右方向に、それぞれ出陣。そして、すっかり明るくなった後にMさんと再会した際、「当たり1回、ばらし(切られ)1回」と伝えることができるとは、思ってもいませんでした。「可能性を感じる」と最後のOVに明るい希望を託すMさんの言葉。それにしてもあの1匹は大きかった。逃した魚の常で、おそらく60センチ超、70センチだって超えていたかも。10分ほど格闘しても、全く疲れを見せず、水面に顔を出すことも無かった彼を、少し強引に寄せようとしてしまった自分の愚かさが悔やまれます。リールの逆回転とヘッドシェイク、そしてあの重さ。ロッドが満月を描き、左腕が重くなるなど、久しぶりにOVを感じることができました。少しずつ魚のやる気も回復してきている様子です。
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ホテルでMさんと朝食を取り、お別れ。ホテル前を去っていく車を見送るのにも慣れてきました。日本での再会が楽しみです。

そして、主目的である合宿活動に戻ります。今日は少なくとも20キロは走ってやろう、と、アンダーウェアの上から水を腰に巻き付け、その上に長袖のジャージを着、エナジー・ジェルを膝までのタイツに忍ばせ、昨日とは逆に湖を時計回りするようにいざ出発。Air Zoom Vomeroは相変わらず張り付くように路面をとらえてくれます。場合によっては3周してやろう、と思ったのですが、若干左膝と右足首に違和感を覚えたことから、2周で終了。ペース的には1時間54分ですので、かなりいいペース。気持ちよかったです。
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シャワーを浴びて着替えをし、早々に街へ。ハイネケンを2缶、フレンチ・フライをテイクアウトして、北の砂浜へ。ビールを飲みながらケチャップをたっぷりつけたポテトを食べて、日差しの中に居たらつい眠気に襲われて、途中で寒くなったので車の中に戻ったのですが、至福の一瞬でした。


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夕方、北西で悪巧み王さん、スティーリーさんと合流。お二人は北海艦隊として出航されていき、こちらは再びすぐ左の消波堤へ。そして、遅れて同じ消波堤に乗ってきた親子の子どもの方が、続けざまに3匹、30センチほどの若魚を釣り上げるのを隣で目撃していました。いったい何が原因なのか。


あるちゅうさんも合流し、ホテルのレストランで4人の夕食会。ここのレストラン、パンは有料なのですが、このフランス・パンがなかなかおいしかったです。また次回。帰っていかれる皆さんを見送り、部屋に入って爆睡と相成りました。明日は何キロ走ろうかしらん。

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vendredi, 20 mars 2009

春合宿@Oostvoorne

とにかく風が強い一日でしたが、消波堤から見る朝の光景の美しさは筆舌に尽くしがたいOVです。朝日の色は寒色系で夕日の色は暖色系、そんな印象を持ちました。
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朝、消波堤の上に居た時間は2時間程度だったのですが、風の冷たさ故に体の芯まで冷え切ってしまいました。朝9時前に北西の長い消波堤から戻ってきた時、北西の入ってすぐ左の消波堤の上に居た人がやってきて語るところでは、「シンク・ティップを使ったため、今年に入ってから5~6回来てもゼロだったのが、やっと結果が出た」とのこと。広げた両手の幅からすると70センチはありそうでした。仮眠をとっている最中、あるちゅうさんと出会い、この物語をして再度仮眠。昼過ぎ、昼食のサンドウィッチを食べた後、ホテルへチェックイン。その前にお店に行き、今年のライセンスと「インター・ミディエイト」なるものを購入。「シンク・ティップはパイク用だ」と言われてしまいました。

チェックインの後、今回の合宿の主目的である走り込みのため着替えをし、履きおろしとなるエア・ズーム・ヴォメロのクッション性に驚きながら14時45分、サイクリング・コースに出ました。最初はゆっくり走ることとしていたのですが、途中から結構真剣に走ってしまった10キロ・トレイニング。気持ちよく晴れた湖を眺めながら走っていて、ケツメイシの「また君に会える」が流れてきたりすると、砂浜をえびちゃんが走っているような錯覚を覚えます。前回ここを走った昨年5月10日には1時間3分少々を要したのと同じコースを、今回は56分少々で。前回は暑くて仕方なかったことを思い出しましたが、それにしてもずいぶん進化したものです。
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Sp320865817時に再び北西駐車場に到着。「インタミ」を巻き、悪巧み王さんに携帯でメッセージを送り、消波堤の上に立ったのですが、19時30分には再び車に戻ってきました。風が強いとシューティング・ヘッドは押し返されてしまいます。ううむ。。。


プチ・レストランでおなじみのシュニッツェルとビール2本をテイク・アウト。ホテルの部屋でおいしくいただきました。フレンチ・フライがおいしいです。

明日は20キロ走にチャレンジです。

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dimanche, 24 août 2008

シャモニ到着

ようやく5時過ぎくらいから熟睡し、9時頃目が覚めました。列車は定刻にサン=ジェルヴェ駅に到着。清々しい朝の空気、晴れ渡った空。ヴァカンスの始まりです。就職後、夏に5日間(土日を加えると9日間)連続して休みを取れたのは、今回が初めてかも知れません。
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向かいのホームに止まっている列車に乗ってシャモニに向かいます。9時32分、これも定刻に走り始めた列車の窓から山が見える。癒されるなぁ、と思っていたら、「あ、モンブラン。」
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緑に覆われた坂道をじわじわと登っていく列車の車窓を眺めながら、我一人嬉しきことを思い、やがてシャモニ=モンブラン駅に到着。駅のインフォメーションでガイドの小冊子をもらう際、フランス語のものでいいです、と言ったところ大変喜ばれました。田舎というのはいいところです。ホテルまでは歩いて10分程度。感じのいいおねいさん、カリンに受け付けてもらい、荷物をとりあえず置きます。
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昨夜の睡眠不足がこたえてはいるものの、そんなことは言っておれないような好天に早速活動開始。まずはフランスでは唯一、ここシャモニにショップがあるpatagoniaへ。目抜き通りにはスポーツショップがずらりと並んでいて、すれ違う人たちもいろんな言葉をしゃべっています。日本のスキーリゾートの街が国際的になったような感じです。そして、モンブランが見える。大変に美しいところです。
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パタゴニアでは手袋とシャツ2枚を購入。バーゲン価格になっていて、かつ、今の時期のインターネット通販では売られていない手袋が見つかったのは嬉しかったです。その足でSNELLスポーツに入り、ピッケルの石突きと刃を覆うゴム(simond製)、地図入れ(Milletがそんなものも出しています)を購入。日曜日にもお店が開いているのに感動しながら一旦ホテルに戻ってきました。こんなことなら、昨日、慌ててパリでいろいろと探す必要はなかったかも。モノはそのニーズが高いところには質も量も豊富に揃っているものです。それに、シーズン中の観光地ではお店を閉めるなんて選択肢はないのでしょうから。

まだ午後の時間が始まったばかり。駅でもらったガイドを見ながら、まずはAiguille du Midiに行ってモンブランを望み、Plan de l'Aiguilleまで降りてきて歩いて山を下りてみよう、と思い立ち、登山靴を履いて出発。ロープーウェイ乗り場近くのケバブ屋でテイクアウトのケバブを購入、食べながら乗り場へ。「上で2時間待つことになります。行列を作る必要はありません。」との言葉を聞きながら、リフトに乗り込みまずはプラン・ド・レギュイユへ。本当はそこで若干体を慣らしてからの方がよかったようなのですが、そのまま人の流れに乗ってもうひとつのロープウェイに乗ってしまい、結局恐ろしく切り立った崖を這い上がるようにレギュイユ・デュ・ミディまで来てしまいました。パタゴニアのR2ジャケットで寒さをしのぎながら、帰りの便として指定された32番の札をもらい、一歩踏み出したところは木組みの展望台の上。まずもって足が震える以上に、そこから見下ろした光景に唖然としました。ものすごい急坂で、かつ両脇が切り立っているところをいくつものパーティーが上がって来る。ピッケルを付きながら、時には四つんばいになりながら、登ってくる様子を見ていると、果たして自分にこんな真似ができるんだろうか、と不安が再発です。
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いくつもある展望台を周り、エレベーターで上に上がるなど、観光客になって目の前に広がる絶景を楽しみます。モンブランとレギュイユ・デュ・グーテとグランド・ジョラス北壁とモンテ=ローザといったあたりが、既にその名前くらいは知っていた山々でしたが、それ以外にも無数にある山頂を見ながら、その一つ一つに登頂を試みる人たちがいるんだろうなぁ、と、ちょっと人ごとのような感想を持ちました。なんかヘリコプターが飛んでいて、テレビ局のクルーらしき人がカメラで山肌を撮影している。なんかあったのだろうか。
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2時間という時間はあっという間に過ぎてしまい、出発予定の16時15分に。そして、困ったことに、チケットを無くしてしまった。。。係員の人にそれを告げると、「なに、無くした」と怒られ、ただ、そのまま通してくれました。参ったなぁ。これじゃますますもって歩いて降りないと。
ということで、プラン・ド・レギュイユから山道を辿ります。
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Lac Bleu(青の池)まで15分と出ていたので、まずはそちらを見に行きます。赤丸で記された道を辿っていくと、本当にちょうど15分で青の池まで出ました。雪解け水をたたえた美しい湖の周りには大勢の外国人がいて、中にはテントを張っているフランス人2人連れがいたりもする。池の水の温度はだいたい8度くらいでしょうか。魚の気配は全くありません。
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再びプラン・ド・レギュイユに戻り、そこからChamonixの表示に従って降り始めたのですが、これが時々きつかった。結構急な斜面を這うような道だったり、岩だらけの道だったりして、普通の山歩きになるまで所用1時間程度。鹿が突然現れたりして、なかなか楽しめました。
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Sdsc_8600だいたい10分で100メートル高度を下げる山下りを2時間少々続け、1030メートルの駐車場=下界に降り立った時には汗びっしょりとなっていました。心拍計をつけていたのですが、だいたい70%MAX以下の心拍数で、理想的な有酸素運動をしていたことになります。体重も減ったような気が。宿に向けて歩き始めてふと振り返ると、山に囲まれた街のみで見ることのできる、山の上の方だけに残照が当たり街並みには夕暮れが落ちているロマンチックな光景を、ヨーロッパ大陸最高峰の壮大なスケールのもとで楽しむことができました。感動しました。

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ホテルにたどり着いたのが20時30分。ホテルのレストランは既に終了、というのを聞き、仕方なく駅方面のブラッスリーに行き、ステーキで栄養補給をして帰ってきました。ゲームセンターを発見した時にはちょっと嬉しかったです。明日から講習が始まります。
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samedi, 23 août 2008

シャモニに向かう

昨晩、早々に帰宅してたっぷり睡眠を取ったおかげで、危なかった風邪気がすっかり抜けました。11時頃から活動開始。洗濯機を回しつつ、まずは残った道具を入手するためカルチエ・ラタンへ。ゲートル、SIGGボトルのネオプレーン・カヴァーにビドン(吸い口)、眼鏡の上から付ける氷河グラス(Lunettes de glacier)、ハーネス、シュラフの中に使うシーツ、目出し帽を購入し、一旦家へ。床屋で山仕様の髪型(といいつつ、普通に2センチほど切ってもらっただけですが)にしてもらってすっきりして家に戻り、最終的な準備を整えながら餃子・ライスの夕ご飯。その間にも「あれを持って行かなきゃ」というものが次から次へと出てきてくれて、22時26分の夜行に乗らなければならないのに家を出たのが21時30分となりました。P8230001
とはいえ、普通にオーステルリッツに行くには十分な時間的余裕を持っていたのです。が、こういう時に限って問題が発生するのは世の常でしょうか。ワグラムのメトロ駅に到着したところ、次のメトロまでの間隔を示す時計が4分を指して点滅している。ホームの少し先には出発して停車している車両が見える。そして、10分ほど待った時にやっとアナウンスがありました。「ポルト・ド・シャンペレ駅で人身事故があり、一時的に交通は中断しています。」それから3分ほどは待ったのですが、状況は改善せず。そこで、メトロはあきらめ、地上に出てタクシーを探すことにしました。とはいえ、ワグラム周辺にタクシー駅があるところと言えば、シャンペレかサン・ラザールか。そうなった時に、より近いシャンペレには向かわずにサン・ラザール方面に向かってしまうあたりが未熟なところです。「こりゃ乗れないな。明日のTGVに切り替えはきくかな」などと思いながら、重いバックパックとサムソナイトのトローリーを引っ張って走り、汗だくに。ふと後ろを振り返った時にタクシーのランプが。。。気合いで止まってもらい、オーステルリッツまで、とお願いしたところ、気持ちよく引き受けてくれ、土曜日の賑わうパリ左岸を走り抜け、結局列車が出発する10分前に駅構内に入ることができました。
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1等車のクシェットは4人乗り。既に山道具を持った男性が一人、寝る準備をしていました。聞くとアルジャンチエールに登りに行くのだとか。「自分はモンブランへ」というと、びっくりしたような顔で「自分はまだやったことがない。」と言います。これだけ使い込まれた道具を使っているフランス人でも、モンブランは敷居が高い様子。もう一人、あまり話さない男性が入ってきて、結局3人でコンパートメントを使うことになり、22時26分、定刻に列車が走り始めて早々に眠くなってしまいうとうととしてしまったのが運の尽き。1時頃に目が覚めて以後、同じ部屋のいびきに悩まされることとなりました。と同時に、モンブランの重さがずっしりと響いてきて、大いに不安に。彼でさえやったことのないというモンブラン、一体どういうところなのだろう。。。

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vendredi, 15 août 2008

ヘルシンキ観光

P81500109時に起床。パリ時間では8時であり、そんなに朝寝をしたわけでもありません。部屋の窓は二重ガラスになっていて、その向こうに温度計があるあたりに、北欧の宿を感じます。シャワーを浴びてすぐに朝食バイキングへ。ホテルの朝食バイキング、ホテル予約サイトの表記では「complete」と書いてあったので、相当に贅沢なものを期待していたところ、暖かいものはソーセージと卵焼きのみ。あとはハムとかスライスチーズとか、割と簡単で地味なものでした。が、いわゆる「コンチネンタル」とは違います。エスプレッソ・マシーンが使いたい放題になっていたのは嬉しかったです。

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10時過ぎに出発。まず、昨晩、見つけていた宿の前の釣具屋へ。フライ用品も含め、かなり充実した品揃えに驚きました。さすがに海が近く、ラップランドを抱える国の首都です。お店の中にTMCのフックがずらりと並んでいるのを見ると日本人としてうれしく思います。

P8150016iPod Nano充電用のケーブルを探しにデパート・ストックマンを覗き、ワールド・トレード・センターのマックショップを覗いたのですが、ケーブルのみというのは置いてありません。仕方なく、パリから合流する知り合いが持ってきてくれることに期待し、そのまま元老院広場まで歩いていき、同僚が先日旅行した時に見つけたというアウトドアショップを横目に港市場へ。グルッと市を一周した後、遊覧船に乗ることとし、SUNLINES(www.sunlines.fi)のツアーに乗船。無防備に軍艦が停泊していたりして、それはそれで驚きです。隣の赤ん坊が愛想を振りまいてくれたりして、青空の下、気持ちの良い1時間半の航海が始まります。
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ヘルシンキの海にはところどころに水面ギリギリに岩の島が顔を出していたりして、領土問題のことを思い出したり、松島のことを思い出したりしました。ヘルシンキの歴史を紹介してくれるアナウンスは、時々英語が聞き取れるものの、フィンランド語とおそらくスウェーデン語(ドイツ語?)の間に挟まれていて、今一つ、よく分からず、若干寂しい思いもしました。
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いくつか聞き取れたアナウンスの中で感心したのが、別荘地になっているらしい島々の岸辺にある小屋がサウナになっている、とのこと。さすが、サウナの発祥の地、フィンランドです。体を思い切り熱くして海に浸かるというのも誠に贅沢な楽しみでしょう。水上機で乗り付けてくるお金持ちもいる様子。凄いです。
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突然、猛烈に狭い「運河」が目の前に現れ、それを抜けると再び高級な分譲別荘地が見えてきました。太陽の光を存分に家の中に取り込めるような、ガラス張りの家に、ヨーロッパというよりは日本に近いような、そんな印象を受けます。
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P8150049船を下りた後、バルト海の乙女を見ながらエスプラナーディ公園を横切り、デザイン・フォーラムへ。目的はその隣のジョギング・ショップにごそっと被る薄手のパーカを探しに行ったのですが、見つからず、その流れで入ったデザイン・フォーラムで、見つけてしまいました、「ON THE ROCKS」。石のアイスキューブで、冷凍庫で冷やしてウィスキーをオンザロックにする際に入れる、そんな使い方をするアート作品です。日本語で紹介されていたのを見て欲しくなり、パリでは見つからなかった、そんな商品が見つかりました。1つは自分用、1つはおみやげ用に購入。

その後、ストックマン6階の割と品揃えのよいスポーツショップも探したのですが、パーカは見つからず。埋め合わせをするように、5階のおみやげエリアで「SUOMI」(「祖国」)Tシャツとイッタラのシュウェップス・グラスを購入。P8150052デパ地下の食品売り場でバナナとおみやげ用のビール、トナカイの缶詰(1個5.45ユーロ)、熊の缶詰(1個27.50(!)ユーロ)を購入。バナナが少なくなっているのは、明日に向けた需要が急増しているからでしょうか。ムーミン・ガムも多数おみやげ用に購入し、一旦宿へ戻り、購入品を撮影しました。昼食を取ってなかったことを思い出し、バナナとレッド・ビュルでエネルギー補給です。
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ちょっとお昼寝をし、18時に再度出発。目的地は、フィンランドと言えばそう、サウナです。公共サウナで今は市内に3件しか残っていないらしいところに向けてトラムを乗り継ぎ、例によってどこで降りたらいいのかよくわからないものの、この角度のカーブを曲がった次の駅らしいことを地図を見つめながら確認し、適当に下車。てくてくと歩いていき、アジア式マッサージショップなどが並ぶちょっと怪しげな広場から左手に出る道を出たところ、赤いネオンで「SAUNA」の文字が。そして、、、近づいていくと、、、、店の外の普通の住宅街に、、、、、下半身だけをバスタオルで隠した裸の男達がたむろしている。ううむ、すごいなぁ、フィンランド。(写真は帰り際に撮ったものです。車が少々邪魔ですが、日常の中に突如現れた非日常な雰囲気をどうぞ。)
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サウナの存在がこの近辺のアパルトマンの家賃を下げているのではなかろうかなどと余計な心配をしながら、男どもの好奇のまなざしに突き刺されつつ入り口をくぐり、番台のお兄さんに「一人です。」と伝えます。システムは、サウナ入浴だけだと9ユーロ、これにバスタオルを借りると1.50ユーロが追加、それにお尻の下に引く紙を2枚購入し、計10.90ユーロを払って脱衣場に入り込み、木のロッカーに脱いだ服一式を入れて、何やら男どもが大勢で「Happy Birthday」を歌っているのが聞こえてきたのとは別の扉から入っていきます。そうしたら、公共プールのシャワールームのようなところに出ました。バスタオルを掛け、奥に進み、もう一つあった木の扉を押して入った先がサウナです。再び好奇の視線を受けながら入り込んでいき、とりあえず、階段の一番手前を上がっていき、上から2段目に腰掛ける。が、あまり効かない。そこで一番上の段まで上がります。そうしたら、たった一段でここまでも違うのか、と驚き。猛烈な熱さに襲われました。日本のサウナの熱さと比較すると、温度という量的な部分は一緒かも知れませんが、何だか質が違う感じで、肌が突き刺されるように痛・熱い。3分も経たないうちに汗が吹き出してきます。入浴しにくる人たちがレバーを押して蒸気を室内に発散させていたためかも知れません。

それにしても、どうしてこんなにイタリア人が多いのだろう。サウナの中はイタリア語で満ちていました。公衆入浴の古き伝統を持つイタリア人とは仲良くなれるかも知れません。そしてフィンランド人とも。水風呂がないのは少々残念でしたが、結局1時間で4セッションを実施。終わりには勇気を出して郷に入り、店の外に出てバスタオル一丁でビールを飲みながら涼んだりもしました。
脱衣所の一角には横長テーブルが置かれていて、新聞を読んでいる人がいる、ビールを飲んでいる人がいる、チェスをさしているふたりがいる。一種の社交場です。ビールを自前で持ってきている連中もいる様子。日本の昔の銭湯というのはこういう風だったのではなかろうか、などと、失われた、自分の知らない日本を投影したりしていました。このサウナ、こちらになります。チラシをpdfにしたものはこちら。
Kotiharjun Sauna Oy (Harjutorinkatu 1, 00500 Helsinki, TEL:+358 (0)9-753 1535, 火曜日~金曜日:14時~20時入場(営業は22時まで)、土曜日:13時~19時入場(営業は21時まで))

夕食会場の日本料理屋に20時30分、約束の定刻に到着したものの、現地から来るはずの人が来ない。20分待った後、一人でビールを飲み始めました。21時、昨日一緒だった同志がエストニアから帰ってきて合流。21時半前、パリからの同志が到着・合流。結局、ヘルシンキ在住の人は22時まで仕事だったらしく、合流できずでした。現地の生きた情報を得ることができなかったのは本当に残念です。
P8150080さて、この「古都」という日本料理屋さん、料理は良かったものの、サーヴィスは今ひとつでした。注文を取って欲しい、と日本人の女将さんにお願いしても、「ちょっとお待ちください。」といったまま延々待たされ、その後何度か目が合ってもすぐに目をそらされてしまいます。また、注文した品物が出てきていないのに請求書に記載されていたりもしました。競争が少ないとこういう風になってしまうのかも知れません。他方で、所詮は一見の客だ、と見抜かれてしまっていたのかも知れません。いや、ヴァカンス中で人手が足りなかったのでしょう。フィンランド人とおぼしき人たちは沢山入っていました。世界に誇る日本料理がここフィンランドでも人気であることを知って嬉しく思うとともに、日本流サーヴィスが提供されていないことには心が残りました。とりあえず、エネルギー補給は十二分に行ったので、良しとしましょう。

帰ってきてホテルのパソコンで明日の天気予報をチェックしたところ、今日の晴天とは打って変わって雨とのこと。大丈夫だろうか。不安を抱えた夜が更けていきます。

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jeudi, 14 août 2008

初めての北欧

午前中、当面処理することが必要な事柄を終え、中には9月にならないと会うことのない関係者に挨拶を済ませ、昼休みになるやいなや帰宅。速攻で着替えを済ませると、最終的な荷物のチェックを終え、いざ出発。3番線→2番線→RERのBと乗り継ぎ、チェック・イン締め切り10分前にターミナル2Dのカウンターに駆け込むことに成功。毎度のことながら冷や冷やものでした。深く反省。
P8140001機側まで行くバスの車内で「あ、フィンランド人だ。」輪郭の線がしっかりとしていて、背が高く、目は青く、彫りは深いものの顔のパーツが2次元にまとまっている、そんな感じの人たちが、エキゾティックな言葉を話しながら自分の周りを固めています。留学時代の友人もこんな感じだったなぁ。タラップを上がっていき、FINAIRエアバスA381に乗り込み、さあいよいよ初めての北欧、フィンランドに向けて旅立ちます。

P8140002わずか3時間のフライトにもかかわらず、チキン・ナゲットの軽食が出てきた機内。寝てしまおうと思っていたのですが、2列後ろの赤ん坊の鳴き声に何度も起こされる羽目となり、寝るのは断念。ぼんやりしているうちに機は下降を始め、ずいぶんと揺れる中、無事着陸。窓から見下ろした風景の中に、背の高い木の森が。「あ、ムーミンの森だ。」

P8140003若干わかりにくい出口への道をたどり、預け荷物をピックアップし、出口を出たところ、こりゃ熊本空港の方が立派かも、といった感じの国際空港でした。出口を出て道を渡った左側から出るフィンエアーのバスに乗って市内へ。アナウンスのとおり、見事に30分でヘルシンキ中央駅に到着。あまり「危険」な感じがしないのは、肌が白い人たちばかりだからでしょうか。偏見の力は強いです。

P8140006乗り場を探すのに若干手間取った6番のトラムに乗り、4つめの停車場で降りよう、と地図を見たところ、停車場の名前が書かれていない。。。トラムの車内では停車場の名前が表示されているものの、自分が降りたい停車場がどこか分からない。そのうち、大きく右側に90度曲がったところで察しました。「乗り過ごしたな。」そしてその頃突然、猛烈な暴風雨が襲ってきました。港がものすごく波立っている。おいおい、大丈夫かな。結局、折り返したトラムにそのまま乗り、今度は注意深く停車場の数を数え、降りたところで雨に打たれつつリンナ・ホテルは3分ほどの距離でした。

P8140008チェックインを済ませ、エジンバラからやってきたマラソンに出場する同好の士と合流。「カーボローディングだ。」と地元の人から勧められていたワールド・トレード・センターに入っているイタリアン・レストラン、パパ・ジョヴァンニ(Ristorante PAPA GIOVANNI, Keskuskatu 7, 00100 Helsinki, TEL +358 (0)10 766 4080, www.papagiovanni.fi) に出かけ、カーボならぬビールを大量消費しつつ、おいしいパスタを食べました。「アルデンテ」でおいしく、店員さんの接客も大変気持ちよい。お勧めです。写真は、フィンランドの熊印のビールです。

2時間ほどの夕食の後、帰ってきたところ、時計は24時を指している。ただ、時差が1時間あって、パリでは23時。まだまだ眠れる時間ではないな、と、部屋のミニバーで「フィンランディア」というウォッカを飲んだところ、これがまた気持ちよく回ってくれました。初めての北欧、思った以上に違和感がなく、少々驚きです。

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dimanche, 29 juillet 2007

リド(LIDO)での海水浴とサン=マルコ広場の夜景

再び虫たちに苦しめられた夜、枕を反対側にして眠りました。朝起きてみると、足側のシーツにはパラパラとゴマ粒1/4程度の小さな虫が落ちていて、彼らをつぶした跡とおぼしきところには血が付いていたところを見ると、何か血を吸う奴らなのでしょう。いやはや。
朝食会場は満席で、先客が引けるのを待つ間、広場まで出てみたのですが、昨日の好天が嘘のように曇っている。ううむ。ヴェネツィアも夏が来ないのか。。。
朝食を終えた後、天気のことも考えてまずはアカデミア美術館へ。こんな高い階段橋を重いスーツケースとともにこえたのですから、自分を誉めてあげたくなります。
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アカデミア美術館。ティントレットの「誘惑するイヴ」では、あまりにも妖艶にリンゴを差し出すイヴに対して、アダムが少し腰が引けているのが印象的。ティツィアーノの「トビアスの集金」では、聖天使ラファエルに手を引かれたトビアスがかわいい。第10室のティントレットの連作、「聖マルコの奇跡」はなかなかの迫力。入ってすぐ右手のヴェロネーゼ「レヴィ家の饗宴」は、これに似た絵をどこかで見たような。。。第21室、カルパッチョの「聖ウルスラの伝説」の連作も見事。最後におかれていたティツィアーノの「聖母マリアの神殿奉献」では、かわいいマリア様が描かれていました。
Dscn2617一番印象的だったのがバッカスのお祭りかなにか分かりませんが、皆で楽しく飲ん騒いでいる絵に描かれていた女の人。本当に愉快そうです。

ただ、全体を通しての印象としては、ヴェネツィア派にしてはくすんだ色合いのものが多く、あの見事な青色が出た絵にはあまりお目にかかりませんでした。また、ジョルジョーネの「嵐」を楽しみにしていたのに、展示室が閉鎖されていて見ることができず。ヴェネツィア以外の土地にヴェネツィア派の主要傑作は出てしまっているのではないか、という印象も持ちました。本場だけに、昨日見て回った教会の中に置かれていたりして、「美術館」というところに置かれていないだけなのかも知れませんが。。。何となく、ヴェネツィアという都市が寄せ木細工のようにして組み上げられていった歴史的経緯が、美術館のコレクションにも反映されているような気がします。

絵を見ているうちに空も晴れてきました。「よし、リドに行こう。」「死す」にはまだ早いのですが、時間がない観光客は天候の変化も敏感に捉える必要があります。

ホテルに戻ったところ、フロントの人につかまりました。「お部屋に虫が出ることが分かりましたので、今晩、あのお部屋にはお泊まりになれません。よろしければ、ここから少しのところにあるレジデンス形式のお部屋に同じ料金でお泊まりいただけます。いかがでしょうか。」正直、虫には閉口していただけに、即座にオファーを受け入れました。いや、受け入れざるをえませんでした。

バルサンに向けてシーツやらなにやらが取り払われ、すっかり殺風景になった部屋で着替えをして、海水浴セットを持ち、荷物を再びパッキング。狭い階段を下りていき、フロントの人に先導されて50メートルほど離れた場所にある建物に到着。サロンから木の階段を上がったところの部屋を見せてもらいましたが、低い天井ではあるものの、なかなか気持ちのよいところ。部屋番号は「3B」。トイレとシャワー・洗面所は部屋の外にあるのですが、3B専用とのこと。再び木の階段を下りていった右手に「3A」という部屋がある。サロン+3A+3Bが一つの組み合わせになっている様子であり、子ども連れ家族旅行にはちょうどよいのかも知れません。
荷物を入れるのは午後になる、とのことで、サロンに荷物を残して出発。アカデミアからヴァポレットに乗り揺られることおよそ20分、憧れのリドに到着です。17年前の9月、ストラスブールとエクス=アン=プロヴァンスでの語学研修の後、パリ政治学院の入試を終え、やってきた時以来となるリドは、やっぱり変わっていませんでした。
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島を貫く並木道の途中、スーパーBILLAでオリーヴやら夏野菜のピクルスやらビールやらを購入し、ビーチへ。17年前には無かったかあるいは覚えていない公共ビーチの建築物ができていて、そこは入場料なしで入っていくことができます。暑い砂がサンダルと足の間に入るのを気持ちよく感じながら、バスタオルを置いて設営。そこそこ賑わっています。時刻は14時半。
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オイルを塗って昼食を取り、ビールを飲んでしばらくぼんやり。日差しは強く、光を浴びているだけで汗が滲んできます。夏をやっと探し当てた、そんな気分でした。振り返ると足こぎボートの向こうにはHOTEL DES BAINSが堂々とそびえています。その手前のプライヴェート・ビーチに行けるようになるまでは、「死す」ことはできません。お母さんたちもビキニで、堂々と海遊びをしていました。

暑さがたまらなくなると海に入って体を冷やします。海は遠浅で、かなり遠くまで足がつく。浮き輪に乗っかったりしながらプカプカ。輪の中にお尻を入れて仰向けに浮かぶと自由気ままな感じです。きっとフロート・チューブで釣りをする時にもこんな感じなんだろうなぁ。
Dscn2624戻ってきて昼寝。背中の熱を冷ますためにまた海へ。そんなことを何度繰り返したでしょうか。気がつけば時計は18時を回っている。騒いではお母さんに怒られていたアレッサンドロ君も帰って行った。さて、そろそろ、と、帰り支度をして、今晩の無料コンサートの準備に忙しいBLUE MOON BEACHを後にしました。
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夕日が落ちてきたプライヴェート・ビーチを見はるかした後、HOTEL DES BAINSの正門へ。「ヴェニスに死す」の中で、道化師が出て行こうとした門、それを主人公が眺めていたテラス、そして玄関。中に入っていくのは憚り多く、外側から眺めるだけで済ませることとしました。いずれこのホテルに宿泊できるようになるまでは、「死す」わけにはいきません。
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夕方の柔らかくなった日差しが帰りの並木道をけだるく照らしています。イタリアのガチャガチャ、1ユーロかかります。
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ヴァポレットに乗ってアカデミアへ。
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一旦ホテルに戻って、海水浴セットを置いてから、三脚を持ち出して夕暮れが迫ってきたサン=マルコ広場へ。夜景撮影会です。

ハリーズ・バーは敷居が高く、外から覗くだけ。河岸通りの灯り、スキアヴォーニの河岸の街灯が美しい。
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暮れていくサン=マルコ広場とピアツェッタ。
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紺色の空にそびえ立つ鐘楼とムーア人の鐘。
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カフェ、カルロ・ラヴェーナの楽隊。
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夕食は結局、サン=マルコ寺院の隣り、ムーア人の鐘楼の脇にある「Cafe Americano」でフォカッチャとライス・コロッケの立ち食い夕食。そのままカフェ・フローリアンに入って、メニューの飲み物代+音楽代5.80ユーロを払って、音楽を楽しみました。広場の反対側の2軒のカフェ、クアードリとカルロ・ラヴェーナと比べると客の入りが今ひとつで、立ち見の観光客も少ないのは、そもそもテラス席の数が多いこともさることながら、その中途半端な選曲にあるのかも知れません。Dsc_7161
セヴィリアの理髪師序曲、マイ・フェアレディ、美しく碧きドナウ、ボレロ、椿姫の乾杯の歌、と若干クラッシックでスノッブな感じ。反対側のカフェ2軒で、フラメンコが入ったり、ヴァイオリニストが踊りながら弾いたりしているのと比べると、若干正統的過ぎるのかも知れません。22時40分からの回でやっとポピュラー音楽となり、少し持ち直したところで席を立ちました。

広場のあちこちに水たまりができて、それが次第に大きくなっているのに気付きました。アクア・アルタが始まりつつあるのでしょうか。沈むヴェネツィアに少しだけ触れることができました。水に映った夜景も美しかったです。
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ライトアップされた溜息橋、月に照らされたサン・ジョルジョ・マッジョーレ島。
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そして、再びサン=マルコ広場を通って宿に戻りました。まだまだ賑わいは続いています。
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samedi, 28 juillet 2007

ヴェネツィア逍遙

短い夜、小さな虫が体の上に落ちてくる感触や蚊の羽音に、サイド・テーブルの中にあったイタリア版ベープを取り出してコンセントに突き刺しました。朝は鳩が天井を動く足音で6時頃には目が覚めてしまう。ディスカウントの理由はそんなところにあったのだろうか。そんな邪推をしながらも、ヴェネツィアにいるということだけで気持ちは浮き立ってきます。
朝食は、いわゆるコンチネンタル・ブレックファーストで、地上階から1階に上がったところの狭いスペースに小さな丸テーブルが5個並んでいます。隣りの席に米国の人が降りてきたと思いきや、一旦外に出て戻ってきて、コカコーラ・ライトを3本、テーブルの上に置いた時には驚くとともに納得。国民的飲料なのでしょう。
朝9時半にしてすっかり夏の日差しとなっている中、パリでは実現しなかった今シーズン初の短パンにポロシャツ、サンダル姿で、昨晩、大変な思いをしながらスーツケースをひいてきたサン=ステファノ広場に出て、サン=マルコ広場に向かう細い路地に入り込みました。早くも観光客で賑わっています。湿度もパリに比べれば高いのですが、日本に比べれば低いのでしょう。少しほっとします。
反り橋の上から、建物の隙間に見えるジュデッカ運河を眺めた時、本当にヴェネツィアにやってきたんだなぁ、と嬉しさがこみ上げてきます。
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屋内禁煙が法制化された街のはずが自動販売機は置かれていたりするのを見かけ、フランスとの違いを感じながらサン=モイゼ教会に続く3月22日通りを抜け、ゴンドラ乗りたちが朝の支度をしている反り橋を渡って細い路地を歩き、ルイ・ヴィトンの店舗を左に見たアーケードの向こうにサン=マルコ広場が広がっていました。
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世界で一番美しい広場、サン=マルコ広場は、今日も鳩が歩いています。
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寺院側から見た少し狭まっていく広場とピアツェッタ。
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ムーア人の鐘楼の下から入っていったリアルトへの道は大変な人混みです。両側を建物に囲まれた運河の中、反り橋の下を抜けるゴンドラ。
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リアルト橋はいつも絵になります。
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橋上からの光景。
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杭が立ち並ぶ見事な色彩を放つ船着き場。ペットボトルの水を一杯に積んだヴェネツィアを日常としている船乗りさん。
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サン=ジャコモ=ディ=リアルト教会の大きな時計。運河側には魚市場と野菜市場。ここにも日常が。
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再びリアルトを渡って迷宮の途中、マクドを発見。こちらは裏口。
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再びサン=マルコ広場、ピアツェッタを通り過ぎて溜息橋を見に行くも、ものすごい人の数。
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溜息橋とその脇のマリア像。
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ワグナーが泊まったホテル、ダニエリに詣でた後、ガイドブックのお勧めに従ってサン=ジョルジョ=マッジョーレ教会の鐘楼から街を見下ろすため、ヴァポレットに乗ります。
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サン=ジョルジョ=マッジョーレ島及び鐘楼の上から眺めたヴェネツィアの正面玄関。
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鐘楼から見下ろしたヴェネツィアをいくつか。
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鐘楼を降りた後、サン=ジョルジョ=マッジョーレ島からジュデッカ島に移動し、運河を眺めながら、本島にある傾いた鐘楼、運河の波にぷかぷかと気持ちよさそうに揺られるカモメ、巨大な客船を眺めながら散策。
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途中立ち寄ったスーパーで見つけた蚊取り線香、「nippon」という名のお菓子。イタリアでは犬もパスタを食べます。
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orange cardの強みを生かして、レデントーレ教会を見学。ポンテ・ルンゴ橋からの運河の眺めと対岸のサンタ=マリア=デル=ロザリオ教会。
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ザッテレへ戻り、今度は対岸となったレデントーレ教会を眺めながら、運河上にせり出したテラスで昼食(RISTORANTE-PIZZERIA "ALLE ZATTERE" Dorsoduro 791/A, TEL:041 5204224)。強い日差しにビールが温まるのを防ぎながらピザを食したのですが、やっぱりイタリアのピザは美味しかったです。
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すっかり良い気分になって、orange cardを使って教会へ。そして、orange cardへの疑問。マッジョーレ教会の鐘楼でも使えなかったし、サン=マルコ広場の鐘楼でも使えない。ドゥカーレ宮殿では使えてもアカデミア美術館でも使えない。そして、名前も知らない教会では使える。もしかして、そういうカードなのではないか。一級の観光名所になっていない場所が力を合わせて頑張る、今後の発展を期するカード、あるいは、ヴェネツィアの名所は一通り見終えた人がポイントとなる観光地は楽しみながら、さらにヴェネツィアを楽しむために使うカード。ディープなヴェネツィア・ファンにはよいのかも知れませんが、そうでない人には若干の割高感がある。そのいずれでもない自分としては、もしかするとヴァポレットの72時間券を買う方がよかったのではないか、などとも思いました。

閑話休題。いっそ今日中にセンチメンタル・ジャーニーを終わらせてしまおうという気になり、ムラーノ島へ行くこととしました。ビールが回った体に船の揺れは大変心地よく、およそ45分の船旅で快眠を楽しみ、すっきりした頭で上陸と相成りました。

16年前も使った入り口の駅、Colonnaで降り、運河に沿って島の奥の方へ進みます。途中、スーパー、SPAがあって、その中にいる時にはムラーノ島にいるような気分は全くありませんでしたが、再び出てみるとガラス工芸のおみやげもの屋さんがずらっと並んでいてまさにムラーノ島。ここで日常生活を営む人たちがいる、というのも、観光客の身勝手さながら、不思議な気がします。
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時々土産物屋を冷やかしたりしながら、サン・ピエトロ・マルティーレ教会へ。地球の歩き方によれば「ベッリーニのファン必見」らしい絵があったのですが、猫に小判とはよくいったもの。そのままムラーノの大運河をまたぐ高い橋を渡ってガラス博物館へ。ここもorange cardが機能してくれました。ヴェネツィア・ガラスが歴史を追って展示されているのですが、豚に真珠とはよくいったもの。昔、この先にあったガラス工房で実演を見、高いヴェネツィア・ガラスのワイン・グラスを購入したような記憶があるのですが、そのような場所は見つけられず。サンティ・マリア・エ・ドナート教会では、ゴスペル風の歌声が響く結婚式か何かをやっていて、シャンデリアを見ることができませんでした。強い西日の中、引き返すことに。印象に残ったのが、運河に釣り糸を垂らす親子(えさにはパンのようなものをつかってました)と、「中国製ガラスは扱っていません」という看板が出た土産物屋さん、それに銀箔を散らしたかのように煌めく海でした。綺麗なグラデーションが映えるムラーノ・ガラスの一輪挿しに一瞬心が動かされたのですが、これだと花が生きてこないような気がして、そのまま通り過ぎ、センチメンタル・ジャーニーは大した感興もなく終了です。
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Dsc_69855番のヴァポレットで一路サン=マルコ広場へ。今回の船旅で初めての検札がありました。途中、高層の豪華客船が本島の向こうに姿を見せた時にはビックリ。一個の巨大マンションが移動しています。


さて、海からサン=マルコ広場に到着する、という、表玄関からの到着を今回の旅でやっと実現した後、相変わらず鳩に占領された広場を眺めながら3月22日通りを宿の方に戻り、若干の迷宮探索。
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夕食は、サン=ステファノ広場に面した「Le Café」(Campo. S. Stefano 2797 . Venezia tel. +39 041.5237201、www.lecafevenezia.com)のテラスで。
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パリよりも早い夕暮れがやってきて、広場の街灯に灯りが入り、やがて青い闇が広がっていきます。
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まだまだ宵の口、子どもが走り回っている中、ホテルに戻り、まる一日の逍遙で疲れ切った体を休めることとしました。車がないということがこんなに静かなことなのか、と改めて感動。まだまだ思い出の場所が沢山残っています。

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vendredi, 27 juillet 2007

ヴェネツィアに到着

ゆっくりと朝寝を楽しんだ後、午後にBoissierへ。15時に到着したのですが、貼り紙によると本日16時から約1ヶ月のヴァカンスに入るとのことで、まさにグッド・タイミングでお店に入ることができました。
車のラジオによれば、今日の夕方から高速道路が大渋滞になるとのこと。エア・フラ・リムジンを使いたかったのですが、この情報を受け、18時前に自宅を出発。メトロとRERで少し早めに空港へ向かいました。
空港には19時15分に到着。ターミナル2Fのマキシムで食べたConfit de Canardが美味しかった。軽く夕食を食べて飛行機に乗りたいという方にはお勧めです。
金属探知器を抜けたところ、2Fだけあって免税品店が並んでいます。旅行中の寝酒に、と、ジャック・ダニエルの小瓶を買いに行ったところ、ボーディング・パスを見せてくれ、と言われ、「免税にはなりませんがよいですか。」と問われる。「構いません(C'est bon)」と回答したのに、支払いの直前に改めて「ヴェネツィアが最終目的地ですか。」と再度聞いてくれる。親切な担当者の心遣いが嬉しかったです。
飛行機は定刻の21時05分に出発。パリの夕暮れを愛でながらの離陸となりました。
「ヴェネツィア 栄光の都市国家」(1993年、東京書籍)で陣内先生が書かれていたとおり飛行機の右側の席を確保していたところ、高度を下げた飛行機の窓から真っ暗な海の上に浮かぶ宝石箱のようなヴェネツィアの灯りが見えてきました。ラグーナ内の航行用に海中に突き刺された杭の灯りは、さしずめその箱からこぼれだしたネックレスといったところでしょうか。写真を撮れなかったのが残念です。
夜景を堪能したフライトは定刻の22:40分に到着。
たのですが、機内預けの荷物が出てくるまで時間がかかり、結局23時05分にピックアップすることができました。面白かったのが、荷物が出てくるターンテーブルの上に大きく乗っかっていた看板で、曰く、荷物が出てくるまでの遅れは空港の責任ではなく別の会社の責任である、とわざわざ書いてあります。よほど空港当局への苦情が多かったのが当該看板設置の理由なのかも知れず、イタリア的な遅れが頻発した時期があったのかも知れません。この当局の毅然とした対応のおかげで、待つ人たちも半ばあきらめ顔で待ち続けていました。いや、これはヴェネツィア空港だからなのでしょう。早く本島に辿り着きたいという人々が多すぎるのかも知れません。
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ゲートを出てすぐ左側のALILAGUNAのカウンターで、ネットで注文しておいたorange cardをピックアップ。本島行きのリムジン船は約1時間後の0時10分にならないと出ない、ということを知り、バス乗り場に向かいました。そこで、教えられた5番乗り場に着くと、こちらのバスも0時10分発となっている。。。あれあれ。バスも船も同じじゃないか。と、別の乗り場に向かったところ、こちらは23時40分発のバスがあるようだ。
そうか。会社が違うんだ。
orange cardに加入しているACTVのバスであれば無料で乗れるのですが、ATVO社のバスは3ユーロが必要です。それならば10分1ユーロで時間を購入しよう。早々にチケットを購入し刻印を行いバスを待つこと20分程度。定刻を若干遅れて到着したバスは、バタバタと少ない乗客を詰め込むと、本島に向けて静かに走り出し、一般道を走ること10分程度、「え、もう?」という位の時間で、本土と本島を結ぶ架け橋の上を走り始めました。16年前、ミュンヘンからの夜行列車で眠れない夜を明かし、この橋を渡っている時に持った爽快感とはまた一つ異なる気持ちよさを覚えながらローマ広場に到着。
Dscn2600_2ヴァポレット乗り場を探し当てた先にあった看板がこちら。大運河に4つめの橋を架けるとやらで、最終が出てしまった後らしい。ううむ。駅員さんに聞いてみると、「大運河はクローズドだ。」とのこと。「アカデミアに行くにはどうしたらいいのですか。」「あちらの停留所から51番のヴァポレットに乗ってザッテレに行ってください。そこで降りて歩いてください。」なかなか前途多難です。
ヴァポレット(何故か52番の表示がでていました)に乗り込み、ザッテレへ。船の上を包む湿気に、早くも汗が噴き出します。ああ、ヴェネツィアに来たなぁ、と、ジュデッカ運河の夜景を楽しみながら、ザッテレに到着。そこからアカデミア橋までまず一苦労。アカデミア橋を渡る時も一苦労。そして、ホテルを見つけ出すのにも一苦労しながら、Locanda Art Decoに辿り着きました。1時を過ぎているというのにフロントには人がいてくれて、「ホテルを見つけるのは難しすぎませんでしたか。」と優しい心遣い。「大運河がクローズドだったんです。」というと、大変気の毒な顔つきをしてくれました。
そしてこの日の驚きはフロントの人の次のオファー。「今夜はネットで予約をされていた時の部屋よりも小さな部屋となりました。もしその部屋でよろしければ御案内します。明晩以降、部屋を変わりたいということであれば明日、おっしゃってください。その部屋でよろしければネット予約の時の値段よりも30ユーロ、値引きします。」
とりあえず今夜の選択肢がなさそうなこと、それにそんなに安くしてくれるのなら儲けものであること、なにより疲れ切っていたことから、「構いません。」と伝え、最上階(日本流3階)の部屋に上がっていきました。狭い階段をフロントの人にスーツケース持ち上げを手伝ってもらいながら、辿り着いたその部屋はいわゆる屋根裏部屋。「100号室」と言っていましたが、他の部屋の前に打ち付けてある部屋ナンバーのプレートは付いていません。確かに狭い。でも、ここに帰ってくるのは短い夜の時間だけだろう。「有り難うございます。」
Dsc_6780小さなテレビに小さな机、枕元のサイド・テーブルには、何故か日本への国際電話のかけ方が一番上に表示された紙が置かれている、簡素な部屋ですが、アール・デコで統一された家具が美しい。空港で買ったウィスキーを味わい、何故か虫が多いことを気にしながら、明日からの迷宮歩きを夢に見なつつ寝入りました。

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vendredi, 08 juin 2007

トロワのアウトレット

今日はオルナンからパリに戻る日。チェックアウトをする時にグザヴィエ氏に「24番のニンフで釣りましたよ。」と告げたところ「小さいなぁ」とニヤリ。下流域のプライヴェート・エリアの庭への入り口が針金で固定されていたことを話したら、「壁の方をつたって入っていけばいいんです」とのこと。昨日、特に人目を気にせずに釣りを続ければよかった模様。水量が下がった頃合いを見計らってまた来よう。「例年7月はどうですか?。」「昨年はエクセレントな月でした。」「では、またたぶん7月に。」というやりとりを終えてしばしのお別れ。HOTEL DE FRANCEを後にしたのが9時半。朝から雨模様で若干気分が滅入ります。やっと写真に撮ることができたオルナン名物、街の入り口にある鱒の彫像です。
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ブザンソン中央から高速に乗り、途中、一度の給油を行い、トロワに到着したのが12時前。狭い狭い通路を抜けなければならない駐車場に車を停め、アルザス地方の影響が感じられる街中をしばらく逍遙。一番大きな広場にあったレストラン、Tavernes de Maître Kanter(4, rue Champeaux, 10000 TROYES; Tel : 0325732560)のテラスでランチ。トロワ名物、アンドゥイエット(Andouillette)を注文したところ、ギャルソンに「どういうものか知ってますか。」と確認されました。豚の内臓の腸詰め。確かに臭くて、たっぷりのマスタードが必須の代物ですが、ちょっと癖になりそうな、そんな味です。このレストラン、チェーン店で、パリにもお店を出しているようです。パリでもアンドゥイエットが食べられそう。
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昼食を終えた後、いざ、アウトレットへ。
「地球の暮らし方 フランス編」にも紹介されている「トロワのアウトレット」、一度行ってみたかったところでした。マルヌ・ラ・ヴァレのよく行くアウトレットと比べると、若干見劣りする、という評価も聞いていましたが、自分の目で確かめたい。そんな思いで車を走らせていたのですが、マルヌ・ラ・ヴァレのそれが完全な郊外型店舗になっているのに比べ、こちらは普通の街並みの中にある郊外型店舗となっていることもあって、若干場所がわかりにくく、トロワ周辺をぐるぐる回る羽目となりました。地図も持たずに向かったのが何よりの敗因なのですが。
Dsc_6146結局何とか辿り着いた場所が「MARQUES AVENUE」という店舗群。パリ近郊はサン・ドゥニ島にも同じ店舗があります。フランス国内各所(さらには今後英国にも?)に展開している、アウトレット・チェーンのようです。
いろいろとお店を見て回り、結局収穫は麻のジャケットとル・クルーゼの24センチのココット・ロンド(ホーローのお鍋)ということとなりました(Lacosteで白のポロシャツを買いたかったのですが、さすがにそういう売れ筋のものはありませんでした)。確かにリーズナブルな値段です。ル・クルーゼのココット・ロンドなど、日本でも人気だそうですが、楽天の安いところの半額程度の値段となり、色も日本では入手不可能なものがゲットできます。ただ、正直なところ、「ここに行きたい」という気持ちにさせるブランドが欠如している、決定力に欠ける、そんな印象も受けました。
ただ、そんな感想を持ちながら帰ってきた後、ネットで調べてみたら、「トロワのアウトレット」は別にこの店舗群だけではなく、にも2つあるようです。3つ全てを回れば、パリから2時間の距離も納得できるのかも知れません。。。

さて、トロワを後にしたのが17時半過ぎ。当初予定ではさらにプロヴァンに寄っていくことも検討してはいたものの、さすがに難しいだろうとそのままパリに戻ってきて、「名家」で豚三枚肉焼き肉を前菜に豚の甘辛炒め、牛カルビの焼き肉等を味わって帰ってきました。夏休み3日目が終了です。

明日はフリーガン。天気が若干心配です。

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mercredi, 06 juin 2007

ソルボンヌ文明講座卒業式、ボーヌ、オルナン

今日から早めの夏休み。ではあったのですが、朝は9時から始まるソルボンヌ大学文明講座の終了式典に出席してきました。
青いガウンに四角の帽子を被った「卒業生」たちが建物の中に満ちていました。講堂の壇上には、修了証書を手渡すためにアカデミー・フランセーズの会員の人までいらっしゃってました。今学期の2000名の受講者のうち、今日、修了証書をもらうのが600名。午前と午後、300名ずつに分けて式典が行われます。日本人の修了者は247名いる、とのことであり、大きなプレゼンスを示してくれています。ちなみに、中国は202名だったそうで、同席した中国人と数の見せ合いをしたところ、「あまり変わらないな」との反応がありました。こういうところも中国の人のおもしろいところです。
このソルボンヌ大学の文明講座、「Société des Amis des Universités de Paris(パリ大学友の会)」なる組織が運営しており、100名程度の教授陣に30名程度の事務方がいる、一種の社団法人のようなもののようです。「ソルボンヌ大学」の名前を日本でも有名にしているのが、この文明講座の存在であるような気がします。大学組織との直接の関係はないようですが、事務局の一部は建物の中に入っている様子です。
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今年、ソルボンヌ大学は創設750周年を迎えたそうで、その歴史の重みを感じさせる「Salle des Autorités(大家たちの部屋)」なる講堂で始まった式典は、友の会会長からの挨拶、修了証書の授与(一人一人が名前を呼ばれて、4名いる来賓の人から証書を受け取り、写真撮影)、受講生首席の挨拶(これが立派だった。フランス人も、大変きれいな挨拶だ、と感嘆してました)、教授からの挨拶、集合写真の撮影、受講生合唱団による歌唱、と淡々と進んでいきました。この歌唱が終わったところで、10時半頃、失礼させていただきました。

さて、自由の身となりました。いよいよ夏休みの始まりです。
家に帰って着替えをして、車で出発したのが11時半過ぎ。外環道路は若干渋滞していたものの、A6に入ってからはすいすいと順調に走ることができ、途中のサーヴィス・エリアでサンドウィッチの昼食を済ませ、15時過ぎにはボーヌに到着。これまで高速道路の看板でその名は眺めながら通過してばかりだったワインの街を若干散策しました。

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なにより「オテル・デュー(Hôtel-Dieu、神の家)」を見ようと正面まで行ったのですが、ガイドブックで見ていたカラフルな屋根がない。本当にここなのかな、と入っていったら、「名誉の中庭」に出たところでぱあっと色彩が豊かになりました。入り口でもらった日本語版のパンフレットによれば、「通りに面した側は、内部の豊かさを想像させ盗難の害にあうことをさけるため、故意に目立たない作りにしています。」とのこと。外から隠した豪華な七宝作りの屋根がこちらです。
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病院として使われていた「貧しき者の広場」や、「チャペル」、「薬局」、ロジェ・ヴァン・デル・ヴェイデンの衝立画なども印象的でしたが、一番感動したのが、展示物の前に置いてあるプレートに、仏英独語とならんで日本語が出てきていたことでした。
Dsc_6050_1フランスのある意味、田舎町の観光施設に、日本語版パンフレットがあったことに感動していたのですが、こんな備え付けの立派なプレートにも日本語が出ているとは。そういえば、観光案内所の前には、ワイン畑巡りツアーの日本語の看板も置かれていました。さすがにブルゴーニュ・ワインの中心にある町だけあって、日本の資本も随分と入っているのかも知れませんが、その資本も日本語による表記を実現したということで、世界の中の日本に貢献しています。感動しました。

土産物屋を冷やかしたりしながら、小さな町での滞在を1時間少々で切り上げ、16時半に出発、一路オルナンへ向かいました。途中、雨に降られると高速走行で汚れたフロントグラスがみるみる綺麗になってくれるので助かります。

ブザンソン中心部を目指すインターで高速を降り、町を横切ることになったのですが、夕方のブザンソンは渋滞がひどい。青信号があっという間に赤信号に変わってしまうため、交差点によっては50メートルほど走って交差点を抜けるために3度も信号が変わってしまう。後で知ったのですが、もう一つ遠い方の出口で高速を降りていれば、町をかすめるように走ることができた様子です。次回はそれでいこう。
途中、クレロンのお城を再訪したりしながら、オルナンに到着したのは19時少し前。昨年9月以来のHOTEL DE FRANCEです。狭い中庭駐車場に車を停め、フロントに向かう途中、コック服に身を包み厨房で作業をしているグザヴィエ氏と目があい、手を振って挨拶。グザヴィエの弟さんと思われる人から鍵をもらう間に聞いたところでは、やっと釣りになる状況になってきた、雨、晴れが連続し、水位も高く、ここしばらくの間、釣りは大変難しかった、とのこと。そんな中でも大型を含め短時間で2匹を釣られたfffさんには敬服の至りです。2週間前に予約をキャンセルしたことを話し、お礼を告げておきました。
Dsc_6066夕食を待つ間、早速川を見に行ったのですが、確かに若干水位が高い。昨年8月の濁流時とは比べものにはならないものの、川の流れにも重そうな勢いがあり、水の色にも濁りが入った余韻が残っています。手を差し入れた感じからすると10度くらいの若干冷たい水に、不安は高まります。でも、下流側の橋の上から巨大な鱒の姿を拝んでしまったりすると、気持ちが浮き立ってきます。
さて、昨年8月、Bさんと運命の出会いをした時以来となるホテルのレストランでのディナーは、「春のコース」を注文。鱒のムース、ウサギのテリーヌ、メインは、より安い価格設定となっているビジネス・コースのメインディッシュ(ホロホロ鳥)にかえて貰い、チーズにプロフィット・ロールのフルコースを堪能しました。堅実に美味しい。「トラディション」という、3種類ほどのブドウをブレンドしたというジュラ・ワインの赤もよかったです。
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チーズを待つ間、ギャルソンに断りを入れ、レストランを飛び出して橋の上からライズを確認しに行ったのですが、残念ながら見つけられませんでした。ただ、カゲロウのハッチが凄かった。期待がふくらみます。
食後、宵の明星とオルナンの夜景を愛で、酔いさましの散歩を終え、ノッテド・リーダーを作成し、早めの就寝。明日が楽しみです。
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dimanche, 03 juin 2007

ジヴェルニー訪問

今日は、日本でフランス語のアシスタント・ティーチャーをしたり、自治体で職員として勤務したりしたフランス人青年たちが主催する交流会で、自分にとっても初めての経験となるジヴェルニー訪問をしました。モネの家と「睡蓮」の庭があるところです。
9時45分に集合、バスが出発したのが10時10分、ジヴェルニー到着が11時30分、それから芝生の上でピクニック、14時50分のモネの家見学開始まで、ペタンクを教えてもらったり、お子さんたちとバドミントンをやったりサッカーをやったり、といったことで時間が過ぎていきました。ピクニックに際しては皆で分け合えるものを持ってきて欲しい、という注文が主催者から付いていたのですが、それを事前に準備する時間と気力がなかったので、コールマンのストーヴとコッヘルを持ち込み、フリーズドライのおみそ汁と出前一丁みそラーメンを適宜作って参加者に配ったところ、好評を博することができました。よかったよかった。
ピクニックを行った広場の脇にあった斜面ではひなげしが咲いていました。モネの絵にこんな斜面を女性が歩いて降りてくる絵があったような気がします。立ち入り禁止となっていたのもそのせいでしょうか。
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さて、モネの庭ですが、大変な人出で、個人受付の方は16時半頃になっても行列が出来ていました。池の周りも人人人。英語を話す人が随分大勢いたのが印象的です。若干の睡蓮の花と太鼓橋(Pont japonais、「日本橋」)を見て、家のある側に向かったのですが、ここでは浮世絵コレクションが飾られていたりして、そこそこ楽しめました。今回は滞在時間が長めに設定されていたのですが、モネの家と庭とでせいぜい1時間、長くて1時間半、といった時間設定をしておけばよい、そんな観光地だろうと思います。
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ジヴェルニーを17時30分発、パリには19時過ぎに到着となりました。夜は自宅で冷やしうどんと冷しゃぶと、すっかり夏メニューに舌鼓を打ちました。
それにしても、昨日といい今日といい、釣りに行けない日に限って晴れ渡るのは何故なのか。深く自らを省みる必要があるのかも知れません。。。

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jeudi, 17 mai 2007

ルロワール(Rouloir)とF1ホテル

本当は昨夜から出発してルーに向かうはずが、結論から言えばルロワールに落ち着きました。釣果は1匹、20センチほどのブラウントラウト1匹のみです。ペゾンのシュリーで釣った初めての魚は、20番のフェザント・テイルに食いついてくれました。浅瀬の梅花藻の切れ間を流していて、インジケーターが止まったのに合わせたら釣れてしまった、というもので、随分あっさりしています。場所はため池横から上がっていき、水車小屋の釣り禁止区間のぎりぎり手前のところでした。
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朝、ボーさんから聞いたところでは、ため池の横で川が大きくカーブするところから水車小屋までの間に大物が潜んでいるとのこと。一昨日は13匹、昨日は5匹、釣った人がいたようなのですが、やっぱりテクニックのせいなのでしょう。いつも1匹は釣っている区間最上流部の浅瀬のところでは、午後、1度だけフライにアタックがあったのですが、空振りに終わりましたし、モンカゲロウのニンフを流していた時にもインジケーターが吸い込まれたのですが、合わせが強すぎたのか切れてしまいました。なお前にも聞いていたのですが、ボーさんによると、例年5月20日前後にモンカゲロウの大量羽化が始まるとのことであり、それを機会にマスたちの活性も上がってくるのだそうです。ちょっと早かったかな。
ポストに釣果カードを書いて、小屋の鍵と一緒に入れておくのがルールなのですが、皆、このカードになにがしかの情報を書き込んでいて、それでボーさんが情報通になることができるようです。昨日の人が書いていたのは、「若干のモンカゲロウの羽化があった、他方風と雨が大変強かった」という程度のことなのですが、これでも少しは情報を仕入れることができるわけで、今回は、「モンカゲロウの羽化があったが、魚は関心を持ってない様子。もう少し後にはきっと。」とメッセージを残しておきました。6月になればきっと楽しい釣りができることでしょう。
以下、本日の風景を何枚か。
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お昼はフランスのレトルト食品、クスクスを食しました。味のことは忘れてカロリーを補給するにはよいだろうと思います。日本のフリーズ・ドライ食品の素晴らしさを痛感します。
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今夜はエヴルー(Evreux)南にあるF1ホテルに投宿しました。初めてのF1ホテルです。ネットで予約しておいたのですが、夜着いてみると鉄柵が締まっている。インターフォンがなく、入り口はどこか、と探していたらそのうち、気付いたのか開けてくれました。チェックインは、予約時に番号を教えてあるクレジット・カードで行い、支払いもその場で済ませます。部屋の鍵は6桁の暗証番号となっており、入り口脇の操作盤に入力するとカチッと音がして開きます。その一瞬を捉えて開けないとすぐにしまってしまいます。部屋の中はダブルベッドとその上に3人でも大丈夫なようにシングルベッドがあり、机と小型テレビ、それに洗面台があるのみ。トイレとシャワーは共同です。家までは約1時間。ノルマンディーを往復すれば2時間程度は必要ですので、その時間と体力を一泊29ユーロで購入している、といったところです。それ以上、望むものはありません。
モンカゲロウのニンフと18番のフェザント・テイル、計9本を巻き、テレビでやっていた「機械仕掛けのオレンジ」を見て寝入りました。明日はどうしよう。

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mardi, 01 mai 2007

プロヴァンの昼下がり

メイデーの今日、パリ市内では随所で労働者のデモ行進が行われるそう。美術館等も全滅で、アウトレット・モールさえ閉まっています。そんな今日は、出張者の方と一緒にプロヴァンに行ってきました。パリから車で1時間程度の場所、中世の町並みがそのまま残っている、ユネスコ世界遺産にも登録されている町です。
10時に出発し、11時過ぎに到着。観光案内所そばの駐車場に車を停め、観光案内所で地図をもらいます(日本語版もある)。この地図がなかなかに優れもので、町の見所、見せ物、イベント、お店、レストラン等がわかりやすく整理されている。小列車(petit train)は1日乗り放題、乗り降り自由で5ユーロ。それに乗って30分ほどで一周してしまえる、そんな小さな町です。
2年前の5月だったか、一度、日本で仕事をしたフランス人青年と日本人とからなる集団で、ここを訪問したことがありました。町を見渡す塔(セザールの塔)と地下道の他、特におもしろい遺跡があるわけではなかったことを覚えています。あるサイトでは酷評されてもいました。そもそもユネスコの世界遺産指定を受けたのは、中世の町並みがそのまま残っていたという事実によるものであり、町並みがそのまま残ったのは、シャンパーニュ地方とされていたこの町がある時期、王領に編入され、その関係でこの町で作られる発泡ワインに「シャンパン」という名前を付けることができなくなり、その影響もあってこの町が経済的に停滞してしまったがためである、という説明も受けました。歴史の本によれば、「シャンパーニュの大市」で栄え、中世にはフランス第3の人口を誇った街だったが、シャンパーニュ伯領のフランス王領併合、外国人商人に対する高率関税の賦課、百年戦争の影響等により衰退した、とのことです。
小列車で町を一周する間も、目新しく面白いモニュメント等が次々に現れるなどということは全くありません。城壁、背の低い民家、木組みを漆喰で固めた家、石を積んで間をセメントで固めたような家、広場、塔、教会、病院といった現在も機能している施設等が見えてきますが、それだけのことです。ただ、こういった施設等に今も生活のにおいがしている。そして、そういった施設等を使って様々なスペクタクルが開催されている。文化財の保存と活用がちゃんと実践されている、そんな街です。
6月半ばの週末には「中世祭り」が開催され、街が中世の格好をした人たちで賑わうそうです。その時期には、よそ者が街に入るのに入場料が必要になる、とのことなのですが、中世の格好をしていけば無料で入ることができる、とのこと。いろいろな工夫を行っているのですね。
それと、この街は赤いバラをシンボルとしていて、6月にはバラが随所で花開く美しい光景を見ることができるそうです。メイデーであっても開いているお土産屋さん(LES COMPTOIRS DES COLPORTEURS, 4, rue Jean Desmarests)ではバラの香りのオイル、石けん等々が取り扱われていました。

以下、町中散歩の様子です。
城壁の外側、堀の上を巡り、門をくぐっていく小列車
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古い町並みを抜ける小列車と停留所の選挙ポスター
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セザールの塔から望む町並みいくつか(小列車も)
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セザールの塔外観、聖キリアン教会内部、孤独なオルガン奏者
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食事を取ったブラッスリー、道ばたの道標、巨大なパン
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土産物屋の軒に下がる藤、深紅のバラ
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こんなところですので、単に町中をぶらぶらするだけであれば、食事の時間も含めて3時間もあれば十分です。この後、フォンテーヌ・ブロー方面に向かうことだって可能でしょう。ただ、せっかくの中世訪問なのですから、少しゆっくりしたい。そんなのんびり観光客のために、16時からスペクタクル、「騎士伝説」が用意されていました。この街に伝わる伝説を再現するという催しで、城壁の外側に作られた野外劇場で劇が演じられます。
十字軍から凱旋したシャンパーニュ伯、ティボー4世が、悪のモルヴァルク一族を倒して、愛するブランシュ・ド・カスティーユ姫を取り戻すまでが演じられる、そんなスペクタクルです。ちゃんとした劇団がやっている催しで、乗馬もあれば槍さばきもあり、様々な動物が飛び出してきたりもして、なかなか見応えがありました。観光パンフには「新演出」と書いてあります。悪はいかにも悪な感じで、子ども達がブーイングをしている様子も微笑ましかったです。

開演前の舞台と客席
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ティボー4世とブランシュ姫の前を凱旋する騎士たち、悪の一族の登場
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プロヴァンの精霊による悪の無力化、カーテンコール
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その後調べたところでは、ブランシュ・ド・カスティーユはルイ9世(サント・シャペルを作った聖王ルイ)の母親で、フランス王家の支配権を着実に伸張した人物であり、シャンパーニュ伯ティボーの反乱を退けたのがこの人、とのこと。筋書きが少々分からなくもなるのですが、まあよいでしょう。楽しめたのだから。
楽しい観劇を終えた後、プロヴァンを後にしたのが17時過ぎ。東からパリに入って渋滞につかまることを避けるため、A6を通って南からパリに入り、スージーのお店の前に到着したのが19時前。夕食を終え、職場を御案内し、ホテルまでお送りしました。昼下がりのプロヴァン、6月に再訪してみたいです。

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dimanche, 29 avril 2007

ボーヴェ、ピエールフォン、コンピエーニュそしてサンリス

今日は朝から、パリ北方の上記4カ所の観光地を巡る旅に出かけました。
旅のお供は、同僚が持ってきたヴィア・ミシュラン(VIA MICHELIN)のポータブル・ナヴィゲーション・システムです。これがなかなかの優れもの。150メートル前からどちらの方向に進むべきかを指示してくれ、ロータリーを回っている時にも絶妙のタイミングで「次の出口を出ろ」と指示してくれたりします。大変精度が高い。GPSの技術も進化したものです。まれに、ちょっと違う方角を指示されることもあります。ロータリーの出入り口など、頻繁に工事が行われているのか。そういう時にはこれまで通り看板で確認することになりますが。
欧州全域をカバーするものが299ユーロ、フランスだけだともっと安い、とのことで、緑ミシュラン(旅行ガイド)と赤ミシュラン(レストラン・ホテルガイド)のデータも入っているそうです。また、パリ市内を徒歩で動くような時にも使えるとのこと。自分が来た時にこれがあれば、すぐに買っていただろうなぁ、と思わせる代物でした。バッテリー駆動の場合2時間程度しか動かないそうなのですが、基本的に車で使用するものでしょうから問題なかろうと思います。
Dsc_5492さて、パリを9時に出発し、ボーヴェ(BEAUVAIS)のサン・ピエール大聖堂前には10時半頃到着。途中まで作りかけたが資金が底をついたため完成しなかった、ヨーロッパ最大の身廊部の高さ(48.5メートル)を誇るゴシック大聖堂は、たしかに中途半端な印象です。中に入ると、太い木の骨組みで補強がなされているあたり、地震がない国だからこその文化財です。立派なパイプオルガンが轟音を立てていました。ここでは、天文時計(Horloge Astronomique)の「スペクタクル」が1日に5回行われることになっていて、その11時40分からの回を待つこととしました。
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いざ始まったスペクタクルは、、、要するに天文時計の各部位の説明と、「最後の審判」の物語が各部位によってどのように表現されているかが解説される、というもの。これで4ユーロというのは。。。まあ、いいでしょう。時計自体は立派なものでした。

12時過ぎ、ボーヴェを後にし、一路ピエールフォンへ。13時前に到着の後、お城を見上げる軽食屋の芝生のテラスで昼食。13時半過ぎから坂道を登ってお城の中へ。パリのノートルダム寺院やヴェズレーの大聖堂を修復したヴィオレ=ル=デュックが手がけたお城は、「地球の歩き方」にあるとおり、外観はまだしも、内装は「ううむ。。。」となる内容。そういえば、彼が修復したヴェズレーのタンパンは、ある本では「粗悪品」と切り捨てられていたなぁ。と、ロベールの固有名詞辞典を見ると、彼の修復は同時代の人から激しく批判されたりもしていたらしい。さもありなん。いや、ここはとにかく外観を楽しもう。
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ここでは、半日ほど時間があるようならば、ミニ列車に乗ってぐるっと街中を一巡するというのもいいかも知れません。綺麗な池からお城を見渡したりもできて、気持ちのいい観光地です。

さて、15時半過ぎにピエールフォンを出発した後、コンピエーニュまでは30分程度。宮殿はガイド・ツアーと一緒でなければ見られない仕組みになっているそうで、ちょうど16時の回が出発してしまったばかりだ、とのこと。結局、中は見ず、文化遺産になっているという市庁舎(これもヴィオレ=ル=デュックの改築だそうな)を外側から眺め、ジャンヌ・ダルクが捕まえられる日の朝、祈祷を捧げたという教会へ。ここにも立派なパイプ・オルガンがありました。
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駆け足の旅は16時半にはコンピエーニュを出発、最終目的地のサンリスには17時過ぎに到着。先日訪れた時には結婚式をやっていた大聖堂は、今日は静まりかえっていて、ここにも立派なオルガンが据え付けられています。大聖堂外が妙に騒がしい。しばらく歩くと、移動遊園地から聞こえる歓声だったことが判明。前回、車を停めた緑地が遊園地になっているのかしらん。中世の街並み、狭い路地の向こうに大回転する絶叫マシーンが見えたりすると、ちょっとどきっとします。
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大聖堂の裏側のカフェでザクロシロップ入りのペリエを飲んで、18時過ぎにパリへ向けて出発。パリには19時半前には到着。今夜の夕食会場は、「Ambassade d'Auvergne」、「オーヴェルニュの大使」なるレストラン。何故か前回、10年前に滞在していた時にも一度来た覚えがあります。お店に入る直前から大粒の雨が落ち始め、おかげさまでお店のすぐ近くに駐車できたにもかかわらず、お店に駆け込んだ時にはお店の人から笑われる位、びしょ濡れになりました。料理の方は、大変素朴なオーヴェルニュ料理を食べることができ、満足です。また来てみたい、そんなお店でした。

パリ北方の名所を回った一日でした。

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lundi, 09 avril 2007

ウィーンの休日(最終日)、プラター遊園地

朝、何気なくフランス語のテレビ(France 5)をつけていたら、急にCercle du 17emeのシェフが出てきてびっくり。そういえば、テレビに出演した、と言ってたのがこれだったのか。再放送されていたのでしょう。今度会う時に「ウィーンでもやってたよ。」と報告しておこうと思います。
綺麗な朝食会場にフランス語が聞こえると何故か少しほっとします。
10時前にチェックアウト。ここ数日、本当に規則正しい生活となっています。
Dsc_5409今回滞在で初めてとなる地下鉄に乗車し、プラターシュテルン(Praterstern)駅へ。シュテファンスプラーツ駅から3つめということもあって、宿を出てから15分ほどで到着。大観覧車を眺めながら会場に入っていくと、イースターのお休みということもあって、ぼちぼちと人出があります。

まず、小観覧車へ。一人でこれに乗っていく壮年男性は何を思うのか。
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Dsc_5422その後、真っ暗闇のお化け屋敷の中をぐるりと回る乗り物に乗った後、「SPACE SHOT」へ。16年ほど前に北九州のスペース・ワールドで乗ったフリーフォールだろう、と思って乗り込んだところ、これが大きな誤算。文字通り宇宙に打ち上げられるようなものすごい勢いで上昇し、その後下降するのを3回繰り返す、という代物でした。頂上では一瞬体が浮き上がる。その一瞬に目に映ったウィーンの街並みはしっかりと目に焼き付いています。

Dsc_5423ふらふらになって入った「JACK THE RIPPER(切り裂きジャック)」のお化け屋敷では、残酷博物館系のギミックな仕掛けにその真っ暗闇振り、悲鳴の音響効果と何時までも降っていくイメージを植え付けるエレベーターを楽しませてもらいました。そして、とりあえずの中締めとして乗ったジェットコースターが怖かった。そんなに急降下があるわけでもなし。回転する訳でもなし。普通のジェットコースターであるはずなのですが、なによりの問題点が、体がしっかりと固定されていない、という点。横Gがかかると体が放り出されそうになって、必死に座席前の鉄棒に腕を伸ばしてつかまっていなければならない。つくづく、こういう系統の乗り物では体を固定する装置が必要であることを痛感しました。それと、絶叫するとちょっと怖さが忘れられる、というのも学びました。
12時、ビールでかすれた喉を休めた後、ついに大観覧車へ。「第三の男」を思い出しながら、行列を待って乗り込んだのが26番の籠。その前、24番の籠の中ではランチが行われていました。この大観覧車が売り出している行事であるらしく、メインディッシュが運ばれ、ワインの追加が行われている間、約5分程度、あと5名ほどのところで待つこととなりました。パリでこういうサービスが展開された場合、どうなるだろう。大衆的になったはずの場所に、突然そうでないものが現れたことから生まれる違和感は、その後同じ籠に乗ったアメリカ人達にもシェアされていた様子で、籠が降りてきた時、デザートの搬入のために再び待たされた時には、「デザートが出てきた。」と笑っている。こうした違和感を笑いに変えてしまうのもまた楽しいものです。
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観覧車を降りてシュニッツェル・バーガーの昼食とし、「ドナウ・ジャンプ」なるボート(途中2カ所でジェットコースターのように降りてくる)に乗った後、念願のアイスクリームを食べながらプラター遊園地を後にしました。復活祭の晴天のもと、緑の芝が大変心地よかったです。
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地下鉄でホテルに戻り、タクシーに乗って空港へ(ホテルからは37ユーロと言われていたのですが、チップは含まれていないのか、40ユーロを渡したら「サンキュー」と言って去っていってしまいました。まあいいか)。
空港内のショップの充実振りに感心しながら、緻密な検査をする金属探知器を抜けていざ飛行機に乗り込みます。Dscn2345Dscn2344
遊園地の乗り物のおかげで少々の揺れは全く気にならず、パリには17時45分に着陸。地下鉄を乗り継いで我が家に辿り着いたのが20時前と少々時間を要したのは、滑走路からターミナル2Dまで延々と飛行機が地上を走り続けたことと、荷物が出てくるまで若干の待ち時間があったこと、それに北駅の長い通路のせいでしょうか。家で食べた鳥唐揚げ丼が本当に美味しかった。ウィーン料理もいいのですが、やはり日本人には御飯とおみそ汁が一番です。
大変に充実したウィーンの休日もこれで終わり。イースターは復活祭。明日からの活力が生まれてきます。

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samedi, 07 avril 2007

ウィーンの休日(初日)、シモン・ボッカネグラ@ウィーン国立歌劇場

ウィーンの初日、少しだけ雲が出ていますがいい天気です。まずはぶらぶらと町歩き。
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グラーベンで見かけたペスト記念塔にウィーンのゴミ収集車、ヨーゼフス広場の怖い像(雨のせいでできたと思われる顔に入ったすじが怖い。。。バビル2世の悪役みたい)の写真です。
お上りさん気分を一気に頂点まで高めるため朝食からいきなりザッハー・トルテを。
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そう甘過ぎもなく上品なチョコレートの甘さを、ほとんど甘くない生クリームが包んでくれて、おいしかったです。朝からザッハー・トルテを食べる人たちも周囲に結構多くて、観光気分を共有することができました。

Dsc_5346王宮の周辺、歌劇場界隈を散歩していると、ロココ風衣装を着た客引きの人から、「Concert, Tonight ?」とか「コンサート ハ イカガデスカ?」と話しかけられます。「予約してます。」「ザンネン」とかいった会話に、オーストラリアでも日本語が浸透しつつあることを感じました。ちょっと嬉しいです。写真は美術史美術館前にいた客引きの人。
こういう「コンサート」、モーツァルトやらバッハやらを、ロココ風の衣装を纏い、銀色のカールしたカツラをかぶった楽団員たちが、いかにもそれらしい雰囲気の会場で演奏し、そこにはバレリーナも登場するなど、観光客に「音楽の都」を数時間で満喫させるといった趣のものらしく、ちょっと冷やかしてみたい気にもなったのですが、ザンネンながらチケットは2日分とも確保済み。またの機会に。
そうだ、チケットの確保を行わねば、と、劇場内に入っていき、正面階段の脇にあるチケット売り場に向かったところ、縦15センチ、横40センチほどの黄金のプレートが壁に打ち付けられていました。そこには黒字で大きく「LEXUS」と書かれています。ここまでの大きさのプレートを劇場内に打ち付けたのだから、トヨタのメセナ戦略もたいしたものです。そういえば、チケットにもLEXUSとプリントされていましたし。
窓口でインターネット予約を行った際のパソコン画面のコピーを見せたところ、「17時に来てください。」とのこと。そこを後にし、劇場のショップに併設している窓口で改めて尋ねたところ、劇場裏手のブッキング・オフィスで引き取ることができますよ。」とのこと。ちょっと安心し、ショップを物色していたら、ウィーン国立歌劇場でカラヤンが指揮したパルジファルのCDが見つかりました。クンドリーが2人一役、第2幕後半、パルジファルを誘惑するクンドリーをクリスタ・ルートヴィッヒが歌っている、というもので、ショップの人によれば、リリックな歌声をカラヤンが求めたことからこういう配役になった、というものらしいです。ルートヴィッヒがヴェーヌスを歌ったタンホイザーにおけるあの妖艶な歌声を思い出してわくわくしながら、早速購入してしまいました。
劇場をぐるっと回ったところにある、近代的な内装のブッキング・オフィスで2公演分のチケットを無事引き取って一安心。美術史美術館に向かいます。
美術史美術館、10年ぶりの名画たちとの再会は、ティツィアーノから始まり、ラファエロで最初の頂点を迎え、その後ブリューゲル、そしてやっぱりルーベンス。それにそれに、フェルメールが唐突にあらわれたりする。大した美術館です。正面階段を上がっていったところで見える、クリムトが描いた柱と柱の間の絵画の数々にも感心。「ロト」の物語と「ユディット」の逸話を何枚か見て、古典名画の鑑賞には聖書を知ることが必須であることを再認識。
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鑑賞の合間に美術館内のカフェテリアで野菜スープとフランクフルト・ソーセージのメニューで簡単な昼食としたのですが、このレストラン、なかなかにおいしく、鑑賞の一休みにもなり、よかったです。
美術館を出た後、マリア・テレジアの像の前で一休み。王宮を抜けてホテルの方へ向かいます。時々春のそよ風にのって運ばれてくる馬糞の香りが、ウィーンの光景に分かちがたく結びついて記憶化されていきます。それにしても馬車の多いこと多いこと。信号が電柱ではなく空中のケーブルに取り付けられているのも面白い。
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改装を拒んでいるという古いカフェ、HAWELKAのテラスでビールを飲んで一旦宿へ。F1・マレーシア・グランプリの予選風景を音を消して流しながら30分ほど仮眠をとり、オペラに備えました。

途中、若干雨がぱらつく中、ウィーン国立歌劇場までケルントナー通りを歩いて15分ほど。10年ぶりに内部に入り込んだのですが、パリのガルニエ宮に比べれば落ち着いている、というのが印象でした。ガルニエ氏は、パリのあれを作ってしまったことでそれ以後あまり建築を頼まれなくなった(敬遠されてしまった)、という逸話もあるらしく、さもありなんという感じです。
今晩は2階席の桟敷席最前列、舞台を左手に見下ろし、オーケストラ・ピットのほぼ上、といった場所(座席番号は、1.RANG LOGE LINKS Loge3 Platz3)でした。ここの桟敷席は、桟敷同士を区切る柱が少し奥まっているため、最前列であればほぼ難なく舞台の全容を見ることができるのがよいところです。各個人用の字幕装置が付いているのも新発見。私の席の前のものは接触が悪いのか機能していませんでしたが。。。
この個人用の字幕装置というのは、以前、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場でお目にかかったことがありますが、なかなかよく出来ています。何より舞台上方の字幕と舞台とを目を上げ下げしながら追わなくてもよい。老眼の方には若干辛いのかも知れませんが。そういえば、日本でも文楽劇場で導入されたそうです。「LEXUS」はこれだったのだろうか、などと想像をふくらませながら、いよいよ公演開始です。


Simon Boccanegra
Dirigent(指揮): Nicola Luisotti
Inszenierung(演出): Peter Stein
Bühnenbild(大道具): Stefan Mayer
Kostüme(衣装): Moidele Bickel
Musikalische Studienleitung: Jendrik Springer

Simone Boccanegra, Erster Doge von Genua(シモン・ボッカネグラ): Thomas Hampson
Fiesco, Haupt der Adelspartei(フィエスコ): Ferruccio Furlanetto
Gabriele Adorno, junger Edelmann(ガブリエーレ): Giuseppe Sabbatini
Amelia(アメーリア): Tamar Iveri

象徴的な演出の中、淡々と舞台が進行していきました。演出自体は、特に好き嫌いが分かれるようなものではなかったように思います。音楽を邪魔しない、ちょうどいい加減でした。
歌手では、やっぱりトーマス・ハンプソンのシモン・ボッカネグラ役に脱帽です。トーマス・ハンプソンという名前に影響されているから、という部分も多少はあろうかと思います。が、その圧倒的な存在感と、堂々とした舞台姿に演技力・表現力。毒が体に回って死ぬ直前のシーンでは、涙がこぼれそうになりました。11年前にミュンヘンでのマイスタージンガー、ザックス役できいた時よりは、声が荒れていましたが、その方がかえって情感がこめられているようにも聞こえたりして。大満足です。
次によかったのがフィエスコ役のフルラネット。カーテンコールではハンプソンと並び花束が投げ込まれたりしていました。バスがよいと歌劇も締まります。
パオロ役は、「カイ」さんという日本人。ただ、演技に若干抑制が利いた感じで、もっと悪役になりきってくれる方がよかったかも。ただ、声は立派。寅さんシリーズのヒロシに似ている。カーテンコールではかなりの喝采を浴びていましたが、喝采の盛り上がりが最高潮に至る前に去っていく姿に日本人を感じました。
残念だったのがガブリエーレ役のジュゼッペ・サバティーニ。高温域が荒れていて、歌い方も若干雑。次期「3大テノール」の一人である彼には、もう少し頑張って欲しかったです。「箱」のおかげか、さほど硬い感じがしない歌声ではありましたが。
アメーリア役のイヴェリさん冒頭、音程が若干フラットしていたのが気になり、その後、その気分がずっと消えることがありませんでした。サバティーニとの二重唱では、サバティーニの方が歌いにくそうだったし。
ただ、今晩の主役はウィーン国立歌劇場管弦楽団でした。久しぶりに上手いオーケストラに聴き惚れる、そんなことができました。銀の粉がきらきらと舞うようなヴァイオリンの高音、腹の底に切り込んでくるように響く弦楽器の低音、夢見るように柔らかい木管と、激しくはあっても決して派手にならない金管、メロディーをじゃますることなくしっかりと下支えする打楽器。特に、第1幕第1場の終わり、感動的な父娘の再会の場面の直後には、いとも美しいメロディーを奏でてくれました。年配のチェリストが若い後輩に指示したり、時々話しかけたりしながら、演奏している様子が見て取れたりして、ほほえましかったです。
そして、そんなすばらしいオーケストラを見事に指揮していたのが、指揮者のルイゾッティ。指揮姿が情熱的で、時々舞台を忘れて指揮台に注目してしまいました。やはりヴェルディはこの程度のオーバー・パフォーマンスでオーケストラをあおってくれるのがよいです。抑制がきいたヴェルディーはヴェルディーではありません。
大満足の観劇の後は、国立歌劇場そばの「アウグスブルガー」なるワインケラーでの夕食。
ウェイトレスさんを呼んではならない(呼んだら最初ちょっと不機嫌そうでした。おとなしく席まで来てくれるのを待つのがウィーン流なのかも知れません)という、あの人にだけ通用するのかも知れない教訓を得たり、サーヴィス料が込みではないシステムに久しぶりに出会うという経験をすることができました。ウィーン・ワイン(Wien Wein)を楽しみつつ、黙々と巨大な肉片を刻みながら食事をする御夫妻の姿に圧倒されながら、Wiener Tafelspitz(牛のもも肉を煮込んで薄くスライスしたもの)を食して宿に戻りました。
明日はとうとうパルジファルです。

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samedi, 31 mars 2007

サンリス逍遙、ホームパーティー

今日は昼からパリ北方の古い街、サンリスに行ってきました。
友人とその同僚をピックアップし、空港を超えてから20分程度で到着。古い石畳の上を走り、カテドラルの駐車場に車をとめようとしたところ、警備の人から今日は駄目、と言われ、少し先の芝生の駐車場へ。街中の散策もそこそこにカテドラル広場に面したレストランに入りました。Le Scaramouche(4 place Notre-Dame, TEL 03 44 53 01 26)というこのレストラン、小綺麗な外装に赤ビロード張りの贅沢な内装、カテドラルを見上げながら適度に美味しい食事を楽しむことができ、サンリスにお客様を御案内する時にはよいかもしれません。
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Dscn2253食事をしている時から、妙に立派な帽子を被った御婦人方が広場に出てきているなぁ、と思っていたら、結婚式が行われる、とのこと。コーヒーを飲む頃にはクラッシックカーに乗ったウェディング・ドレス姿の新婦が登場、大聖堂内に吸い込まれていきました。それを見届けてから、街中散策へ。ちょうど庭市(Salon du jardin)をやっていて、教会周辺が大変賑やかです。
教会の中までも市が立ち、ガラスのランプ傘(写真を撮ろうとしたら止められました)、自然商品(食品やらエッセンシャル・オイルやら)、ピザを焼けそうな竈、花、諸々の物品や動物たちが集まっていて、楽しめます。個人的には、ちょっと拗ねた顔をした天使の置物が気になりました。
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それにしても、何故か「カエル」を模した物品が多い。どうしてだろう。
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Dscn2263庭市をぐるっと巡ってカテドラルの中に入っていくと、まさに結婚式の終盤、何故かゴスペルの歌声が響くなか、関係者のサインが行われている場面でした。なぜだか分かりませんが、新郎は「ニコラ」、新婦は「セヴリン」という名前であるような気がします。セヴリンの方が堂々としていて、ニコラはちょっと頼りなさそう。
やがて司教さんが皆を広場に追いやり、新郎新婦を待っているように、という指示を出します。反対側の扉から出て、ぐるっと回ってきたら、扉の前で新郎新婦が皆の祝福を受けているまっただ中。幸福な二人はクラッシック・カーに乗り込んで出発したのですが、こういう時に特段拍手が湧き起こる様子もないあたり、案外ドライなものなのかも知れません。そういえば、街の人たちが「久しぶり~」と握手しあっている光景も目にしました。一種の社交の場なのかも知れません。ともあれ、末永い幸福をお祈りしています。

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その後、迷路のような古い街並みを逍遙し、3世紀につくられたという城壁の名残を発見しながら、降り始めた雨の中、車まで戻り、パリに向かいました。今日は我が家でのホームパーティーです。

手伝ってもらいながらオニオン・スライスとワカメのサラダ(生姜とすりゴマとノンオイル青じそドレッシングで味付け)の準備を終え、到着する人々を迎え入れ、19時半頃からは本格的にスタートと相成りました。「春めいたもの」を持ってきてもらうべく依頼していたこともあって、ロゼのシャンパンにロゼのワイン、ちらし寿司、インゲン豆のサラダ、桜エビのお好み焼き、枝豆に桜餅等々、大変に充実した食卓をお子さん2名も含めた13人で囲むという、盛大なパーティーとなりました。今日、日本に帰国するという後輩からは、九州大学醸造の日本酒などという貴重なものまで貰い、彼が我が家を去っていった後、美味しく頂戴しました。「黒ひゲイ危機一髪」で盛り上がり、ピアノを披露したりダーツに興じたり、ひとしきりの歓談を終え、とろろ蕎麦、桜餅に桜茶で締めくくりとし、去っていった後輩がもう遙か上空に飛び立った新年度を迎える頃散会。久しぶりに我が家に活気が充ち満ちました。明日はアンデル行きです。

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dimanche, 11 mars 2007

ヴェルダンと春の夕暮れ

昨日読んだ「手紙」の影響というわけでもないのですが、今日はヴェルダン(Verdun)に行ってきました。パリの当方約300キロのこの街、第一次世界大戦の激戦、「ヴェルダンの戦い」が行われたところです。高速道路を降りて「VERDUN」と書かれた標識に従って6キロ、途中には春を迎えた緑の沃野の中をとっぷりと流れる川も見えたりして、激戦とはほど遠い平和な光景が広がっていました。
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道路標識に従って街の中心部に突入していく際、確かに砦のようなものがあり、これが「要塞」の壁の一つだったのだろうなぁ、と車を進めると、普通の街並みが続き、やがて川の手前の広場に出ました。何かの像が何かを指さして立ちつくしています。
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映画館に行列する人を横目にそのまま川沿いに車を走らせたのですが、「いかにも要塞」といった砦は見えてきませんでした。後でミシュランの緑で調べてみたら、ヴォー要塞(Fort de Vaux)というものが郊外にあったようなのですが、残念ながら道路標識に頼っては行き着けませんでした。多分、どこかのロータリーで見過ごしたということなのでしょう。ちゃんとVia Michelinで調べておけばよかったです。
あまり永居も出来ない旅、とにかく道路標識だけを便りに、HLMのような地上5階建てくらいの真新しい建物がぽつぽつと並ぶ道沿いを走り、何かモニュメントのようなものがあるらしい先に向かっていったところ、そこには墓地がありました。柔らかな西日が差す中、綺麗に手入れがされた芝生の上に無数の十字架が立ち並んでいる。
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200メートルほど向こうの高速道路を走る車の排気音が響く中、ひっそりと静寂に包まれた墓地にしばらく立ちつくし、十字架に打ち付けられたプレートの上の記号となった無数の人たちとの時間を共有しました。「1916年○月○日、フランスのために死んだ○○」という記述から目を上げると、三色旗が風になびいています。
戦争で亡くなるというのはこういうことなのでしょう。手を合わせ、墓地を後にし、ヴェルダンを後にしました。

時間は18時を少し過ぎたあたり。もこもことしたヴァイオリンの調べのような夕靄が、広い草原から立ち上ってくる優しい夕暮れ時、裸になった立木をレースのように見せてくれる大きくまん丸なオレンジ色が右に行ったり左に行ったり。地上のモノトーンから深い紺色、紫色、オレンジ色、黄色、緑色、そして再び深い青色となっていく空には飛行機雲が何本も輝いていました。
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やがて空も真っ暗になった頃、ランスの街の灯りをバックミラー越しに眺め、若干の渋滞につかまりながらもパリ市内に入ったのが20時半。半日のドライブ、春の穏やかな夕暮れを楽しむことができた旅でした。

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dimanche, 28 janvier 2007

ディジョン散策、ヴェズレー再訪

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Dsc_4745瀟洒なカフェテリアでバイキング形式の朝食を取り、愛想の良いレセプショニストに送られながらホテルを後にしました。車に荷物を積みこんでディジョン市内の散策に出かけました。


雪が残る旧市街、冷え切った空気の中、細い迷路のような通りを抜けて急に目の前が開けると、そこはブルゴーニュ公の宮殿。そこの東側をしめる美術館に入りました。
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Dsc_4734雪による雨漏りのためフランス風2階部分から先へは入れず、主として1階部分の展示をぐるっと見て回ったのですが、ブルゴーニュ公国の首都だった土地の美術館だけあってなかなか充実したコレクションとなっています。有名どころではヴェロネーゼ、ルーベンス、モロー(Le cantique des cantiques、「雅歌」)といったあたりが目に止まりました。他方、展示方法には脈絡のなさも感じ、もう一工夫が必要であるように思います。
Dsc_4737何故か、「入浴する日本女性」(1864年、TISSOT)なる絵がおかれていましたが、随分と彫りの深い、色白の日本人女性が描かれていました。1858年に国交が結ばれてから8年後の日本人女性というのは、このように豊かな想像力をもって描かれていたということなのでしょう。エキゾティックで美しかったです。

11時45分、ホテルの駐車場を出て、12時丁度に高速道路A38に乗りました。ブルゴーニュ運河が凍り付いているのを眺めつつ、A6との合流点まで来た時、一瞬オータンに行ってみようか知らん、と思ったのですが、案外距離があることを知り断念。北上することに。
Dscn2015_1高速道路を降りてから先の道は、車がほとんど走っていない中、時折道路の中まではみ出している雪に足を取られないように注意しながら、ブリューゲルの描いたような白銀の農村風景の中を走り、13時過ぎ、ヴェズレーに到着。8月に来た時に行ったレストラン、L'Entrevigneが開いているかしらん、と思って、St-Pèreの街まで降りていったのですが、あいにくの休業。Uターンする場所を探していたら、何とも美しい清流に出くわしました。
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フランスの田舎、ヴェズレーの足下を流れるこの川、あとで調べてみたところCureという川らしい。ネットで調べたら釣りもできるようです。この辺ではなくもう少し上流の方のようですが。
Dsc_4749再びヴェズレーへの道をとって返し、途中、すっかり雪化粧された丘の上にそびえる大聖堂を眺めやりました。冴え渡る空気の中、立ちつくして900年以上もの間、ずっとそこにある建物を見上げていると、同じような日に大聖堂を眺めた大勢の誰かと話をしたい、そんな気にもなりました。

さて、寒い寒いヴェズレー、以前9月に来た時に車を停めた駐車場にはすっかり雪が積もっていて、こんな日に来る人たちもいないのか押し固められてもおらず、駐車困難な状態。それにどうせ日曜日でもあり、お店もあいていないだろう、いっそ大聖堂前まで車で、と、参道を車で駆け上がる横着をしてしまいました。

中世の彫刻職人達の想像力に改めて感嘆しながら、冷え切った内陣の柱頭彫刻を一つずつ見て歩きます。高いところにある彫刻用にオペラグラスが必要だったことを思い出し、ちょっと反省。さすがに訪問者も夏に比べると少なく、静寂に包まれた明るい堂内の散歩を楽しめるのですが、白とピンクがリズミカルに交互する柱も、大きな窓から差し込んでくる冬の白い光に照らされると寒々しく見える。いや、本当に寒い。30分ばかりの観賞を終えて、14時半、ヴェズレーを後にしました。

その後、時折フロントガラスを叩く雨の音を聞きながら、高速へ。A6のパーキングで遅い昼食を取り、オーセールを超える辺りからすっかり雪が無くなったのを眺めつつ、18時にパリに到着しました。この間、ミスチルの「帚星」を何度聴いたことか。もうカラオケで歌うことが出来そうです。
週末の小旅行、雪景色も含めて堪能することができました。

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samedi, 27 janvier 2007

ディジョンへの旅

久しぶりの完全オフな週末、午前中からマドレーヌ界隈に出かけ、ソルドをいくつかひやかしたもののあまりぴんと来るものがなく、ヴィニョン通りのポトフ専門店、「Le Roi du Pot au Feu(34, rue Vignon, Paris 75009, TEL:01.47.42.37.10)」へ。13時に入店したのですが、大変な賑わい振りでした。おそらく予約はとってないのでしょう。運良く10分程度の待ち時間で座ることができたのですが、あとからあとから人が入ってきます。お店の扉には様々なグルメ情報誌のステッカーが貼られていて、JALの機内誌のものと思われる日本語の紹介エッセーが壁に貼ってあったりもしました。ブイヨン、ポトフ、タルトタタンと食べたのですが、一冬に一度来て食べるにはちょうどよい。体が温まります。
その後、ちょっとフォションに寄った後、パリ市内を抜け、15時半前にA6に入りました。快適に高速を飛ばし、いつものガソリンスタンドで給油も行い、17時頃、オーセール(Auxerre)に到着。水曜日からの豪雪の名残が残るカテドラル前の広場・駐車場に車を停め、駆け足でカテドラル見学と街の散策を行い、「地球の歩き方」に「夕暮れ時に川越しにカテドラルを望むのがよい」という趣旨の記述があったことを受けて、それを実践しました。
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Dsc_4677残照の中カテドラルの姿を浮かべたヨンヌ川に鴨のつがいが泳いできました。残雪の白さと冬枯れの間にある枯淡な情景のなか、オレンジ色の街灯が人間的なぬくもりを感じさせてくれます。
18時、オーセールを後にして一路ディジョンへ。残すところ146キロ。しばらく走ると、既に暗くなった高速道路の両側の草原が一面雪に覆われている様子が微かに見えたりします。時折ものすごい靄に包まれたりしながらも、ディジョンには19時半頃に到着。道路標識に従ってホテル(Hotel Philippe le Bon、18 Rue Sainte Anne, DIJON 21000, TEL:03.80.30.73.52)を見つけ出し、狭い入り口を苦労して入った中庭の駐車場は雪で固められていました。
到着早々、レストラン、Hostellerie du Chapeau Rougeに電話。一つ星だというのに雪のせいでしょうか、21時からの予約ができたのに驚き。しばらくの休憩の後、三脚と一眼レフを担いで向かいました。
Dsc_4685ホテルからは徒歩5分ほど、雪に滑らぬよう気をつけながら、レストランに到着。レストランそのもの、それに向こうに見えるカテドラルが美しくライトアップされています。夜景撮影用に入手したレリーズが早速効果を発揮しました。


せっかくの星付きということで、「menu dégustation」という、少量が少しずつ出てきて全7品(前菜2つ、肉料理、魚料理、チーズ、デザート2品)というコース(80ユーロ)を頼みました。
以下、印象に残った皿の写真たちです。
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このほか、前菜1つ、メインの肉料理1つ(鳩肉)がありました。お味の方はさすがにミシュランの一つ星、フレンチを堪能させてもらえました。シェフに感謝したい、そんな気分です。他方、量の方は少し多すぎたかも。4皿目を過ぎる頃から、次に出てくるものが少し怖くなってくる、そんな体験をすることになりました。お昼を抜きにして、20時頃から来てゆっくり楽しむのが、日本人にはよいかも知れません。
ところで、よくよく考えると何故か8品となっているのです。写真の6品に加えて2つ。どうしてだろう。
おそらく、上段左から3つ目の写真の料理が、特別に日本人に対して振る舞われた、ということなのだろう、と思われます。かつおのタタキ・ポン酢風味、(少し乾いてはいたが)エノキ、椎茸、蕎麦添え。全料理の中でも、これが一番感動的でした。日本人に対する心尽くし。こういったところに、星が付いている理由、誇りといったものがあるように思います。ごちそうさまでした。
何かの会合が行われていたのか、大変にぎやかな声が響く中、24時過ぎ、レストランを後にしました。大聖堂、ホテルそばの小径を撮影し、小都市を満喫し、ホテルに帰ってきました。地元の人たちが連れ立って歩いているのに幾度も出くわしたのですが、男だけのグループが多かったのが印象的。それぞれの都市に文化があるのかも知れません。
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lundi, 01 janvier 2007

ランス大聖堂再訪

喧噪から一夜明け、静かな新年を迎えました。
Dsc_4623午後、少し市内を歩いたのですが、レーマー広場は昨晩の騒ぎが嘘のように静まりかえっていて、また、驚いたことに花火の残骸や発射台の瓶等々の名残がすっかり綺麗に清掃されてしまっていました。さすがにドイツ。シャンゼリゼはどうなっているだろう。
二晩続けて雨の中、路上駐車をしたおかげもあってか、すっかり綺麗になった車に乗り込み、18時、フランクフルトを後にしました。暗くなったアウトバーン、一番右側の走行車線であっても150キロが巡航速度で、それよりスピードを緩めて走っていると後ろから飛ばしてくる車との関係でかえって危険を感じます。
国境の町、ザールブリュッケンにさしかかる前、「PARIS」の方向を示す道路標示が見えました。やはり嬉しいものです。その直後、「パリまで437キロ」と示されているのを目にし、時速140キロ平均で走れば3時間少々、今が19時半だから23時頃か。ヨーロッパの諸都市の意外な近さを感じました。
昨年のこの時期はヨーロッパを寒波が襲っており、雪の中を必死に帰ってきた記憶があるのですが、今年は一昨日の雨も上がっており、外気温も6度あまりあって、安心です。
途中、フランス領に入る前に10リッターだけ給油追加を行い、マールボロ・ライトが1箱4ユーロとフランスより1ユーロも安いことに気付きました。ドイツの高速道路には、パーキング・エリアがあるにはるのですが、駐車スペースとゴミ箱とトイレだけがあったりするところが多く、給油所も含めたお店がある場所がフランスに比べると少ないような気がします。アウトバーンが無料で乗り降り自由なので、高速道路の中に閉鎖された給油所を作ることに意味がない、ということかも知れません。いざ給油したくなれば適当なインターで降りて街の中の給油所でガソリンを入れて、再び高速道路に乗ればよい。高速道路のユーザー限定の店を作る必要に乏しい、ということでしょうか。真相はよく分かりませんが。
さて、ザールブリュッケンの手前の見慣れたメルセデスの標識を超えると、「フランクライヒ 1200メートル」との標識が。ジャンクションを超え、税関の名残へ。国境の直前直後が高速道路扱いになっていないことに気付きました。EUとなっても、まだまだ何かしらこういう部分が残っているものです。
国境を超えてフランスに帰ってきたのが19時56分。道路標識がフランス語に戻り、ほっとします。パリまで386キロ。ここまで来れば安心です。
走っていると様々な場所で昨年の雪道のことが思い出されます。それから比べれば、今年は何の不安もなく走ることができている。有り難い有り難い。
Longevilleのパーキングでガソリンを満タンに給油し、チュッパチャップスを大量購入し、あとは1月1日の夜故かガラガラに空いた高速道路をパリに向けてひた走ります。メッスの分岐通過が20時40分。光の島が遠方に広がっているようで、船乗りの人たちが昔覚えたであろう感興を追体験することができました。
このA4という高速道路、ヴェルダンの古戦場跡を抜けるのですが、そういう場所を通り抜ける時は何となく気持ちが悪いものです。前にも後ろにも車がいなかったりすると、なおさら。ヴェルダンを過ぎたあたりから道は緩やかな丘陵をゆったりと蛇行するようになり、まるで飛ぶように走ることができます。
こういう何もすることがない時間には、オペラの予習をするに限る。改めてドン・ジョヴァンニを聞き始めたのがドイツ領の中だったのですが、第3幕を聞いていたらランスが近づいてきました。雨が少し降り始めたのですが、あまり大したことはない。よし、ランスの大聖堂の夜景を撮ってやろう、と、勢い込んでランスで一旦高速を降りるまでは良かったのですが、雨が本降りになりはじめました。ただ、こういう氷たい雨にけぶる大聖堂のライトアップも大変美しい。道路の真ん中から、時々入ってくる車を避けつつ、三脚にカメラを固定して写真を撮り続けました。全部で21枚撮った中の一番が次の写真です。静かな威厳が感じられました。
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22時30分、ランスを後にし、パリへ。順調に道は流れていて、23時47分に外環道路に入りました。新年ということもあって、一応洗車場へ。再び500キロ以上の走行を行ったせいか、やっぱり汚れていて、気持ちよく汚れを落とすことができました。それに、他に人もおらずガラガラだったので、ついでに車内掃除も行ったりして、すっきりした気持ちになり、我が家の駐車場には0時40分に帰着しました。
疲れがほとんどないのも、ヨーロッパの高速道路だからかも知れません。自動車の旅を満喫し、新年初日を送ることができました。明日からは少しずつ仕事です。

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dimanche, 31 décembre 2006

ハイデルベルク逍遙、フランクフルトの新年騒ぎ

大晦日の今日は、ハイデルベルクに出かけました。アウトバーンの巡航速度が時速180キロになっているのに気付き、師走が大詰めであることを感じます。
フランクフルトからわずか1時間弱、14時30分に、「地球の歩き方」によれば、日本の京都、奈良に該当するような古都、ハイデルベルクに到着。すぐにお城に登っていきます。車をとめ、午後3時前なのに山の端に日がかかりつつあるハイデルベルク城の庭を見下ろすと、随分大勢の人たちがそぞろ歩きを楽しんでいる。
ライン川を見下ろすバルコニーから古都の様子を見下ろすと、広場にはクリスマス市が出ている。中央通りにはクリスマス・イリュミネーションが残されている、川向こうにはいかにもドイツ風なメルヘンチックな家が並んでいる。夕暮れが近づいてくる中、美しい光景を楽しむことができました。
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お城に降りていくと、今日が大晦日であるせいか、それとも日曜日がそうなのか、よくわかりませんが、入場券売り場が閉鎖されていて、入場無料となっている。有り難いことです。赤石の城門をくぐると中庭はフランス人の団体様が3組、日本人の団体様が1組、その他個人旅行者等でごった返していました。フランス人はパリでは日本人団体ツアーのことを冷笑したりしているのに、こういうところに来たら自分たちもツアー旅行をしているじゃないか、などと、パリの仇をハイデルベルクで討ったような気になり、また、直径8メートルの大樽の間の壁に多数の落書きにまじって日本人カップルの名前が記されているのに心を痛め、自分レーベルのワインのボトルを作ることができるらしいことがドイツ語・英語に加えて日本語でも書かれているのに気付いたりして、と、なかなか発見に富んだ観光となりました。最後にお城のテラスから眺めた街並みが本当に美しかったです。
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車に戻るために再び庭に出たのですが、どうもヨーロッパの庭の造りというのは大きすぎる。小さいところにいろいろと細工がしてあるイスラムの庭の方が自分的には好みだなぁ、などと思いながら、車に乗って旧市街へ降りていきました。
中央通りの近くのパーキングに車を止め、城から見えたクリスマス市が開かれているとおぼしき広場に向かって散歩。途中、大学の建物の前でテイクアウトのピザを食べるドイツ人学生たちを微笑ましく眺め、日曜日ということで閉まっている商店のウィンドーにあった水タバコの道具やケバブ屋の数にトルコ系移民のことを思い、ハードロック・カフェがこんなところにもあったことに驚きを覚えつつ、広場に辿り着きました。
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そこには特設のスケートリンクが設置されていて、着ぶくれした子ども達、大学生らしき若者達が小さなリンクの中を言葉通りところ狭しと滑っています。ホットドッグ、クレープ、フィッシュ&チップス、焼き栗、ホットワイン等々の屋台が出ていて、ついついRoastbratwurstのホットドッグを間食してしまいました。これから深夜にかけてさらに人出があるのでしょう。そんなハイデルベルクに思いを残しながら、車へと向かいました。
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17時30分、すっかり日の暮れたハイデルベルクからフランクフルトに向けて走り始めました。パリよりも東にあるせいか、日の暮れるのが少々早いのに若干とまどいつつ、「第9」を流し、途中、道に迷ったりしながらも第4楽章が終わる頃、無事到着しました。
大したもので、JSTVでは大晦日、二度にわたって紅白が流れています。昼間は前半部を観ることができ、帰ってきてからは後半部を見ることができました。DJ OZMAの場面では、確かに女性の上半身ヌードが見えたような気もして少々驚きましたが、その後に入った三宅アナからの釈明の方に驚きました。ハレの場であるはずなのに、そうしきれないのがNHKの宿命なのでしょうか。あの程度のことは別になんら構わないんじゃないか、たとえ本当に上半身裸だったとしても、と思うのですが、そんな感受性は、街角の雑誌スタンドにべたべた貼られている胸を露わにした女性が表紙を飾る雑誌の広告に目が慣れてしまっているせいかも知れません。難しいところです。
白組の勝利を見終わった後、23時半過ぎ、市内にふらりと出かけました。果たして0時をどのように迎えるのか、パリとの比較のためにも見ておきたかったためです。
中央通りを駅の方に歩いていくと、既にHauptwacheのあたりでは花火が上がっている。どうやら個人的な花火のようだ。街の随所で爆竹が鳴り始めています。人の流れはレーマー広場へ。若者達の手には花火が握りしめられていて、早くも空いて道に転がっているシャンパンのボトルを発射台用に調達する若者たちがいたりして、期待が高まります。
そして、辿り着いたレーマー広場では、期待通りのお祭りに遭遇することができました。
Dscn1871まだ年明けには10分弱の時間が残っているというのに、随所から花火が打ち上げられていて、巨大なクリスマス・ツリーも、広場を挟んだ向かいの木組みの家々も、既に硝煙に煙っている。続々と人が押し寄せてくる。火花が散る中、果敢にも広場を通り抜けていく人たちがいる。いろんな国の言葉、いろんな顔がいる。2分近く続く爆竹の音が聞こえたりする。誕生日のケーキに刺さっているような線香花火を顔のレベルでかざし始める人々がいる。蒲のような打ち上げ花火を手に持って打ち上げる酔っぱらいドイツ人の姿には、後ろにいた見物のアメリカ人の女の子達が悲鳴を上げていました。そして、ここもパリと同様、カウントダウンは行われず、いつの間にか新年となっていた様子です。ただ、新年を迎えたとおぼしき時間を境に、一段と砲撃が盛んになりました。随所でシャンパンを抜いて乾杯している人たちがいたり、ビールの瓶をぶつけて乾杯している人たちがいるのもパリと同様。以下、花火が打ち上げられている様子です。
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初めて、動画もアップしてみます。
「DSCN1876.MOV」をダウンロード
年を越してから10分程度、レーマー広場にいたのですが、シャンパン・ファイトが始まったり、ますます火力が強まってきたりしたため、早々に引き上げることにしました。ホテルに向かう目抜き通りでは、これまたいたるところで花火が打ち上げられ、爆竹が鳴り響いている。それを避けるために通った裏道でもそこここで発砲されています。しかも、随分と高いところまで連続で打ち上がる花火が使用されている。一般人に普通に与えるには少々火力が強すぎるような気もします。途中で見かけた花火の残骸が印象的でした。少々小さく写っていますが、20カ所ほど火が出る筒が備わっています。Dscn1877

ホテルのすぐ脇でも硝煙が上がっていたため、若干の回り道を余儀なくされましたが、無事辿り着くことができました。中庭側にあり、遮音性に優れた部屋からも、時折砲火の音が聞こえてきていました。宴はまだまだこれから、といったところかも知れません。

パリとの違いのをいくつか。
1.秩序の番人の姿がほとんど見えなかったこと。レーマー広場でも、ほんの入り口のところにしかいなかったことと、暗さに紛れてしまっていたことによるのかも知れませんが、警官は一人も見かけることがありませんでした。これだと、あまり安心して新年の騒ぎを楽しむことはできなさそうです。
2.打ち上げ系の花火が個人のイニシアティヴによって多数打ち上げられていたこと。パリでは爆竹は多くとも、あれだけ打ち上げられてはいなかったように思います。
3.上記2.とも関わりがあるのですが、ある場所に集まって中央集権的に楽しむ、というよりは、道の辻々で個人的に楽しむ人たちが多いような気がしました。分権国家・ドイツ故か。そんな印象を持ちました。

新年明けましておめでとうございます。2007年が良き年となりますよう。

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samedi, 30 décembre 2006

メッスのしめやかな年の暮れ

今日からフランクフルトへ向かいます。10時55分に我が家の駐車場を出た時には、走行計が16826キロを指していました。さて、フランクフルトに着く頃には何キロになっているだろう。
雨の外環道路を走り、11時15分にA4に到達。外気温は7度と表示されていて案外寒くはありません。若干車が多いことを感じつつ、やがてモーの街を過ぎ、車線数が2車線になる頃には快適なドライヴを楽しめるようになりました。窓の外には緑の草原が広がっていて、ヨーロッパの冬のやさしさを感じます。
ランスの手前のシェルのスタンドで最初の給油。高速道路のお伴、「チュッパチャップス」を大量購入し、今後に備えます。ランスの大聖堂を横目に走り抜けたのが12時半。その後も単調な道を走り続け、14時25分、メッス(METZ)に到着しました。
この街には、第2ポンピドゥー・センターが日本人建築家、板茂(ばん しげる)さんの設計により、2008年のオープンに向けて建築されることとなっており、つい先だって、11月7日に定礎式が仏文化大臣の出席のもと、行われたばかりです。どんな街なのか見ておきたく、若干の回り道をして立ち寄ってみた次第です。
Dsc_4530雨に濡れた石畳、しっとりと落ち着いた街並みを見上げながら、モーゼル川の脇の舗道をまずプロテスタント教会へ。というのは、事故のようなもので、本当は大聖堂に行ってシャガールのステンド・グラスを見たかったのですが、当初は大聖堂が目に入らず、川の中州のこの教会がいわゆる「大聖堂」ではないか、などというとんでもない勘違いをしたために、辿り着いたのがこの教会、と相成りました。教養不足を感じます。折しも、ユグノーの歴史に係る展覧会が行われていたため、そちらを見物することに。
ルターが描かれた絵画が数枚並んでいましたが、その頑固そうな目の光に、何もそこまで頑張らなくてもなぁ、などと思ってしまう。どうもプロテスタントは苦手です。見学ツァーの人たちで通り道が埋められてしまっていて、思うように先に進むことができなかったことから、アンリ4世の改宗・ナントの勅令のことやら、サン=バルテルミの虐殺のこと、ルイ14世によるナントの勅令の廃止のことなどを、実際の資料や映像(「王妃マルゴー」が流されてました)に基づきながら学ぶことができ、教養を少しだけ豊かにすることができたのは良かったのですが、15時を過ぎてしまうと光の加減でステンドグラスが見えにくくなるのではないか、との不安が先立ち、ある段階で思い切ってツアーの人々をすり抜け、出口へと急ぎました。

Dsc_4539_1その後、道路標識に従って大聖堂へ。こんな時にミシュランを持ってこなかったことを反省したりします。大聖堂は、これが当初目に入らなかったのが嘘のような巨大な建物でした。広場を挟んだ向かいは市役所になっている様子ですが、第2ポンピドゥーが描かれた布ですっかり覆われています。
そして内部へ。入っていく人たちが水の入った聖水盤に手を付けて十字を切ったり、内陣に向かって膝を折って挨拶していたりするのを見ると、この場所が単なる観光地ではない実際の信仰の場所であることを思い出させられ、あまり派手に写真を撮るのもはばかられるような気分になります。が、やはり自分と同様の観光客はいた。それにも励まされながら、あまり目立たぬようはしゃがぬようにシャガールのステンドグラス、巨大なオルガン、そしてこの時期、ヨーロッパの随所で見かけるキリスト誕生の場面を再現した人形飾りなどを楽しみました。
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大聖堂を出て、若干の市内散策を楽しみ、この街がドイツ領だったりフランス領だったりした歴史を街並みの中に感じ取りながら、降りしきる雨の中を車まで戻り、15時50分、メッスを出発しました。およそ1時間弱の楽しい観光となりました。
ドイツ領に入ったのが16時43分。昨年見かけたメルセデスの標識を懐かしく思い出しながら、急に道路標識がドイツ語表記になったことに若干の心細さを覚えつつ、ひた走ります。
アウトバーンというところ、高速走行向けに道路を直線にしてくれていて、おかげさまで巡航速度をどんどん上げることができるのはよいのですが、単調すぎて眠気が押し寄せてきたりして、チュッパチャップスが大活躍することとなります。インターが近づいてくると130キロ制限になるのが、インターを過ぎるとその制限がはずれる、というのも今回の発見でした。
結局、雨の中、18時30分にフランクフルトに到着。長いドライブを終わってみたら、走行計が17440キロとなっていました。600キロ超。雨の中、よく走りました。車の随所に黒い煤のようなものがこびりついているのに、走行距離の長さを感じます。

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dimanche, 10 décembre 2006

スペイン旅行の予約サイト

金曜日の午後あたりからやっと天候が回復してきて、今日も一日、晴れ渡っていた様子です。
昼過ぎまで寝て随分回復してきました。部屋の片付け、時候の御挨拶のための情報整理を行い、一旦職場へ。同僚も出てきていたりして、さすがに師走の忙しさを感じます。

以下、スペイン旅行予約の際に使ったサイトたちです。

http://www.vueling.com/EN/index.php?mode=
スペインを中心とした格安飛行機会社のサイト。パリ・バルセロナ間55ユーロ、グラナダ・マドリッド間30ユーロ。便数はAF等と比べれば少ないですが、それでもそこそこあって、選択の余地があるので便利です。

http://www.easyjet.com/fr/reserver/index.asp
ヨーロッパの格安の飛行機会社。マドリッド・パリ間54.99ユーロ。

https://w1.renfe.es/vbi/indexu.html
スペイン国鉄のサイト。
なお、スペイン国鉄のサイトに行く前に、日本語でチェックを行ったのが次のサイトです。
http://www.spainservice.com/japanese/renfe/renfe-jp.html

ホテルの予約には、通常、以下のサイトを使っています。
http://france.hotels.com/
こちらはフランス語になっていますが、各国語での表示が可能です。
ただ、今回は各ホテルに直接コンタクトしました。

アルハンブラ宮殿内のパラドールの予約は以下のサイトから行いました。
http://www.paradores-spain.com/spain/pgranada.html

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mercredi, 06 décembre 2006

ローヌ川のほとり

今日はリヨン第3大学に出張でした。朝8時30分のTGVで10時25分にリヨン・パール・デュー(Lyon Part Dieu)駅に到着。パリでは降り止んでいた雨がこちらではまた降っています。
文学・語学系大学であるせいか、女子学生の数が大変多いのが印象的でした。午前・午後と日本語科の学生さん達相手に説明会を開いたのですが、またまた驚いたことに、日本語で話しても理解をしてくれているようでした。自分の母国語を分かってくれる人にはやっぱり親近感が湧きます。
Dscn1628この大学の建物は、昔のタバコ工場だったらしく、工場の遺物である柱をそのまま使っていたりするのが印象的でした。中庭にはタバコを模したベンチが。こういうのはなんだか嬉しくなってしまいます。

説明会を終えた後、ペラシュ駅側にインターネット予約をしたホテルへ。ただ、何故かインターネットのセンターとの連絡が悪かったらしく、ローヌ川をこえた別のホテルに行くこととなってしまいました。
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20時から別の大学の先生と会食。諸情報交換を行い、有意義な時間を過ごすことができました。場所は、Brasserie Georgesという「地球の歩き方」にも載っている、1836年創業の有名なブラッスリー。だだっ広いホールで大変にぎやか。誕生日を迎えた人がいるテーブルには、花火がついたケーキが持って行かれたりしてました。が、普通に一人で食事を取りに来る人もいたりして、なかなかおもしろいところです。肝心の料理は1品だけ、Saucisse Pistacheというものを頼んだのですが、これはなかなかおいしく、また軽くてよかったです。
22時30分に食事を終え、先生をお送りしてホテルへ。
16年前、確か12月、グルノーブルにスキーに行く前に、ということで少し観光をしたような記憶があります。そのときも歩いたローヌ川の畔を少し歩きました。橋のイリュミネーションが寒空の下に震えているようで、大変美しい。
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永井荷風の「ふらんす物語」に「ローン河のほとり」というタイトルの短編があります。
渡仏後2週間経った荷風が、ローヌ川のほとりで、昔愛した人の面影を瞼の裏に思い浮かべながら、「あわれ、過ぎにし夢、仇なる思出。何という美しい優しい悲哀であろう。」と慨嘆する。永遠の思い、夢、といったことに想いを馳せる黄昏の終わり時、若い男女の声が聞こえてくる。旅立っていく男に啜り泣きながら問い掛ける若い女の「心変わり」という言葉に、荷風が自らの心の弱さ頼りなさを思い浮かべ、石垣の石の上に額を押し当てて泣くところで短編は終わっています。
この短編の「しかし、人の心は何を頼りに何時までも変わらずにいると断言することができるのであろう。もしや雲のよう、水のよう、自分の心が我にもあらず移り変わって行ったら一度心の底に宿った恋しいその面影はどうなってしまうのであろう。面影は何時か一度消え失せる時がありはしないか。自分は四辺に盗人でも居るように、両手で再び胸を押さえた。」という部分が、いかにもローヌ川のほとりで夕空を見上げながらの内省らしく、また美しい。今回の夜景も美しかったけれども、この情景の美しさも何時までも変わりません。
ローヌ川のほとりの夜景を存分に楽しんだ後、早朝からの旅に疲れた体を早々に休めました。明日は再びパリです。

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samedi, 07 octobre 2006

グルノーブルからの帰還、日本文化との遭遇

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今日はグルノーブルにお別れをする日。
出張者の方々とグルノーブルの旧市街を散歩し、お店を眺めたり、古本屋に入ったり、チューインガム配りの女の子に写真を撮ってもらったり、と清々しい澄んだ空気の中、グルノーブルの街を満喫しました。スタンダール記念館は2004年12月31日以来、ずっと閉鎖されてしまっているようでこちらは残念。
ノートルダム広場のAu Bureauなるブラッスリーのテラスで昼食。本日のお勧めを注文したところ、出てくるのが大変早く、あわただしい旅行者には有り難かったです。ウェイトレスさんの対応もパリとは異なり笑顔を絶やさないキビキビとしたもので感心。昨晩、グルノーブルの人が言っていた「パリはフランスではない。」という言葉を思い出します。
同じ広場にあるLa Noix de Grenoble(6, bis Place Grenette)というお店は、グルノーブルの観光案内所でもらえる地図にも出ていますが、この地方の名産品であるらしいクルミを乗せたチョコレートやらボンボンやらを買うことができ、お土産購入には最適です。
一旦ホテルに戻り、荷物を引き上げて駅へ。14時14分発のTGVは夕方にまた一仕事ある身には都合がよい。また、20時のANA便で東京に帰られる出張者の方にもちょうどよい。別々に行動していた出張者の方々数名とも一緒の列車となりました。
2階建てのTGV、グルノーブルを出発する時にはガラガラだったのですが、リヨン・サン・テクジュペリ駅で大量に客が乗ってきて、ほぼ満席となってパリへ。この便は要注意です。偶然向かいの席になった日本からの出張者の方といろいろとお話し、次回この会議での日本開催の際に留意しなければならない事項などにつき整理ができたのは収穫でした。
パリ・リヨン駅までは3時間。電車を降りる時のフランス人の行動パターンを見越して、到着10分前には扉のところに行ったところ、人が密集する直前でした。ホームで出張者の方と合流し、車に乗ってまず19区市役所へ。そこで自分は降り、出張者の方は空港に向かう、というあわただしいオペレーションも無事終わりました。

今日はパリ19区の区役所で、日仏協会21なる日仏交流の団体が主催する日本伝統フォーラムの初日でした。お琴の演奏や尺八の独演、日本舞踊の実演に自分自身、初めて接する機会となったのですが、これはまた凄いものです。100名超の日仏両国人が集まる中、すっかり堪能して帰ってきました。
Dscn1378「春の海」など、お正月のテレビ番組でよく使われていたりして、多分学校の音楽の時間に聞いたこともあったのでしょうが、いざ実演を聞いてみるとその印象派的な音楽の作りに感心。琴の音の純粋さにも打たれました。あと、内面に沈潜しながら情感が直接的に吐露される、そんな尺八の響きが圧倒的。琴でヴィヴァルディの「四季」より「春」を演奏する、というのが最もフランス人を喜ばせていたようです。
Dscn1415第2部の日舞では、「新鹿の子」という演目が舞われました。豪華な西洋的サロンの中での舞い、何ともちぐはぐな感じもしましたが、一瞬のうちに衣装が替わる「引き抜き」なる手法が印象的でした。それにしても、日本の伝統芸能についてはそれをほとんど知らないことに、赤面の至りです。
フランス人も拍手喝采。スタンディング・オベーションもありました。大変異なっている両国の文化ではあっても、美意識の点では相当程度似通った部分があるのでしょう。これでまた少しでも日本文化の人気が上がってくれればよいなぁ、と思います。
家に帰ってきて、疲れ切って爆睡です。なんだか大学受験が終わった後のよう。月曜日がお休みで本当に助かります。

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samedi, 02 septembre 2006

ロマネスク聖堂@ブルゴーニュ(ヴェズレー、フォントネー)

(後日書いています)
今日は、熊本で勤務していた時に大変お世話になった先生御夫妻と一緒に、ブルゴーニュに行って来ました。ヴェズレー(Vezlay)とフォントネー(Fontenay)の修道院見学です。
8時半、聖オーギュスタン教会前の広場で1年半振りにお目にかかった先生は、全くお変わり無く、大変懐かしく、また嬉しい気持ちになりました。
早速出発。高速道路A6は約3週間前にフランシュ・コンテに向かった時よりも若干車が多い。今日は渋滞情報が「オレンジ」の日で、(子どもの新学期にあわせて?)最終的にヴァカンスから帰ってくる車で少々混み合う日、とラジオは言っているのですが、休日にパリを出る車もそこそこ多かった模様です。
途中、前回も給油したシェルのスタンドに立ち寄り、快適に飛ばして22番出口で降り、ヴェズレーへ。ちょっとした山道(丘道?)を走っていき、ヴェズレーの村に到着したのが11時。参道と思われる登り道と自動車道のぶつかるところにある駐車場に車を止め、坂道を上がっていくと、途中、土産物屋、観光案内所、ロマン・ロランが晩年を過ごした家(現在は博物館)などがあり、やがて1つの鐘楼を備えたヴェズレーの修道院の正面が見えてきます。
Dsc_3621今回の旅のために持ってきた「大聖堂のコスモロジー」(馬杉宗夫、1992年、講談社現代新書)と「フランス ロマネスクを巡る旅」(中村好文、木俣元一、2004年、新潮社とんぼの本」)を取り出して活字を辿ると、この広場で聖ベルナルドゥスによって第二次十字軍の必要性を説く演説が行われた、とか、サンチャゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼者たちが集合していたとか、いろいろな蘊蓄が出てくる。そういう書物からの発見と、この広場まで車で上がってくることができたんだという実用的発見をした後、ファサードの彫刻を眺めるのですが、このタンパンの彫刻は「後代の粗悪品」(中村、木俣、31ページ)らしい。中に入っていくと、ナルテックス(入り口の間)となり、そこのタンパンについては両方の本が絶賛している。有名な彫刻なのでしょう。ただ、その先の堂内の方が魅力的で、ずんずんと進んでいきました。Dsc_3627神の国を表現する広い堂内、ゴシックほどではないが窓が広く取られ、太陽の光が入って来やすくなっている。時代的にもロマネスクからゴシックへの移行期の建造物らしく、天井が交差穹窿にされていることにこの建築が次代への発展性をはらんだものであったことが示されている、とのこと(馬杉、86ページ)。身廊部のアーチは2色の石が交互に積まれ、教会にしては妙に瀟洒なのですが、本によるとどうやらこの聖堂を建設したクリュニー派は信徒からの寄附を募るのが上手かったらしく、かなり潤沢だったお金にものを言わせてこれを作ったらしい。
この聖堂は柱頭の彫刻群が有名らしく、最初は「フランス ロマネスクを巡る旅」のいくつかの写真図版を眺めていたのですが、やがて物足りなくなり、彫刻について紹介を行っているガイドブック(フランス語版。写真中央の冊子。全40ページ。尋ねたところ、英語版はないそうです)を入り口まで戻って購入。見て興味が湧いたものを読んで歩きました。Dsc_3689「フランス・・・」で書かれているように、残虐シーン、誘惑シーンの彫刻が多いのは確かなのですが、気になったのはギリシア神話のシーン(ケンタウロスによるアキレスの教育)などもあったこと。聖堂彫刻というものが字の読めない民衆にとっての物語の伝達の場だったことを再確認できました。「アダムとイヴ」の彫刻で、リンゴのかわりにブドウが彫り込まれているのも楽しかったです。さすがブルゴーニュ。これらの柱頭彫刻、もっとたっぷり時間をとって、また、聖書の物語を旧約も含めてもう少し詳しく知ったあとで改めて見に来たら、一層の発見と奥行きが出てくるだろうと思います。あと、オペラ・グラスがあった方がいいかも。「マグダラのマリアの聖遺物がある」という虚偽広告で人気を博した教会だけあって、聖遺物入れ(19世紀のものらしい)もクリプトに飾られていました。
およそ1時間の見学の後、12時50分、ヴェズレーと別れ、「地球の歩き方」にも出ている隣町にあるレストラン、ラントルヴィーニュ(L'Entrevignes)へ。「歩き方」に書かれているとおり聖堂に入る前に予約をしておいたのが正解でした。25ユーロ、30ユーロ、35ユーロのメニューがあり、ワインもふんだんに揃えられていて、カジュアルな雰囲気のレストランでした。おいしかったです。隣には、子ども達だけで囲まれたテーブル(その隣は大人達だけのテーブルがありました。法事でもしてたんだろうか)もあったりして、子ども連れでも入ることができるんじゃないか、と思います。
レストランを15時半頃出て、次はフォントネーへ。モンバール(MONTBARD)方向へ県道を走り、モンバールからは「フォントネー修道院(Abbaye de Fontenay)」の看板を頼りに人里を離れていき、ヴェズレーからはおよそ1時間のドライブで到着。
この修道院、クリュニー派の世俗化に反発し、清貧、貞潔、従順をモットーに、労働と瞑想の生活を送ったというシトー派のもの。シトー派の修道院では現存する最古のものらしいです。ヴェズレーと同様、ユネスコの世界遺産に登録されています(1981年指定)。フォントネーとは、「泉」というラテン語を語源としているようですが、小川の流れる豊かな自然の中、質素な建物が建ち並んでいました。
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Dsc_3636そもそも、これが聖堂のファサードか、と思われるような、彫刻を一切廃した質素さ。随分とヴェズレーとは違います。中に入っていくと、暗い堂内に砂利の地面、窓は有れども装飾がない。大変内省的な空間です。
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唯一の装飾物がこの聖母像。入り口でもらった日本語のパンフレットによれば、当時のシトー派の指導者、聖ベルナルド(=聖ベルナルドゥス)の死後、修道士達の願いで作られたものらしいです。若干脇道にそれますが、聖ベルナルドという人、「視覚より来る必要以上の想像をかき立てるものはすべて排した」(パンフレット)らしく、クリュニー派のことはさんざん批判していたようなのですが、ヴェズレーの聖堂前広場で第二次十字軍の必要性にかかる演説をぶった時には、その聖堂の装飾振りには一切批判めいたことを言わなかったらしい。「後のヨーロッパ精神界の総帥」(馬杉、87ページ)にもなった、なかなかの人物だったようです。
この薄暗い空間から回廊に出た時、なぜだか分かりませんが大変な感動に襲われ、黙々と写真を撮り続けました。
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庭を取り巻く柱のリズム、白い石肌、太陽の明るさ、芝生の色彩、そういった視覚的な要素もさることながら、おそらく20メートルほどであろう四辺に閉ざされたこの空間の静謐さと広がり。こんな場所で瞑想に耽っていたであろう修道僧たちが本当に羨ましい。どんなところまで自分を深めていけただろう。
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大いなる惜別の念とともに、回廊を後にしました。
ヨーロッパ最初の鉄工所である鍛冶作業場、修道僧たちのための製パン室、病室、牢屋などを見学しながら、自給自足で閉じた社会だったのだろうなぁ、とつくづく思いました。こういう場所が「サティアン」にならずに済んだのは、中世という時代にあったからだろうか。ただ、ここの創設者である聖ベルナルドは第2回十字軍の精神的主導者だった。やはり外敵を求めざるを得なかったんだろうか。ぐずぐずと物思いに耽ることが許される素敵な場所でした。18時には売店も含めた全ての建物が閉められたのですが、1時間半の訪問を存分に楽しむことができました。
この修道院、「フランス ロマネスクを巡る旅」では紹介されていませんが、ミシュランではヴェズレーよりも高く評価されています。自分としては、こちらの方が気に入りました。シトー派が好きです。
その後、県道を通過しながらシャブリのブドウ畑、閉店してしまったドメーヌ毎の即売所を横目に見つつ、オーセール(Auxerre)で高速に乗り、21時過ぎ、パリに帰ってきました。Lac-Hongで春巻きにフォーを食べ、先生御夫妻をホテルにお送りしてしばしの別れを告げ、我が家に帰り着いたのが24時前。この上なく充実した一日となりました。

一人では行く気になれず、ただ、誰かと行って必ず楽しくなれそうでもないブルゴーニュの修道院。内陣で、庭園で、先生方から伺ったお話の数々は、またここを訪れた時にプルーストのマドレーヌのように思い出されるだろう、と思います(それに、何となく親孝行のようなことを出来たような気持ちになりました)。お土産でいただいた焼酎3種、味噌豆腐は、大切に楽しんでいこうと思います。この場を借りて、御礼を申し上げます。ありがとうございました。次回は九州で。

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dimanche, 13 août 2006

オルナン、ブザンソン、ビエンヌそしてパリ

さて、今回のヴァカンス最終日の模様です。

昨夜は隣の部屋から壁を通して聞こえる鼾に目を覚まされたりして、十分眠れなかったものの、8時には起床。シャワーを浴び、朝食はカロリーメイトを車の中で食べることとして、チェックアウト。グザヴィエも少し気の毒なような顔をしていたが、「また」と握手して別れる。
9時15分に出発。雨が降り続いている。これまでの走行距離は674キロ。昨日はいつの間にか74キロも走っていた。さて、今日、パリに辿り着く頃には何キロになってるだろう。
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まずブザンソンに向かう。外気温は12度。30分ほどでブザンソンに到着。とりあえず、最大の観光地らしい城塞の方に向かうが、雨が強く、車の中から眺めるにとどめる。
その後、N57をポンタリエ方面に走り、D471へ。ローザンヌ方面に向けて走っているうちに、ビエンヌ湖の隣町、ヌーシャテルの標識が出てくる。これでほっと一息。土砂降りの道路を高速で飛ばす。それにしても、こんなに雨が続いて大丈夫だろうか。オルナンが水浸しにならないだろうか。ちょっと心配。途中、国境付近の街でガソリンを補給。20リットル入れたら30ユーロ、ということは、4500円か。リッター225円もしてる。たっかいなぁ。
やがて川が見えてくる。ドゥー川だ。ルー川ほど濁っていない。多分、雨が降っていなかったら少し竿を出したであろう、草原の中を平坦にとっぷりと流れる川に、こちらも再訪を誓った。
今夜の宿は我が家なのでゆっくりしていける。あ、「ドゥーの滝(Saut du Doubs)」の標識だ。せっかくだし観光していこうか。
冬はアルペン・スキーで賑わうらしい標識を横目に再び少し高台に登っていった先、駐車場まで行ってみるが、車はキャンピング・カーが1台止まっているのみ。人は誰もいない。車でいける限界のところまで行ったら歩行者用の標識が出ているが、ドゥーの滝までは徒歩30分って書いてある。こんな雨の中で30分も歩けるか!。悪天候を呪いながら帰ろうとすると、牧場の真ん中を走っている道の木陰に、いかにも善良そうな牛たちがいて、思わず車を戻し、写真を撮った。癒される。
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少し機嫌をよくして走り、そろそろ道の看板にスイス国旗が入り始めたなぁ、と思っていたところにゲートが現れた。税関だ。以前、フランクフルトに行く途中に国境越えをしたので、今回で2度目となるが、パスポートを見せて国境越えするのは、今回のヨーロッパ滞在で初めて。ちょっと緊張しながら、パスポートを用意し車ごと税関に入っていく。
担当の職員から、行き先、働いている場所、商品の有無を尋ねられ、特に問題もなく「良い一日を」と言われ無事通過。スタンプも特に押されず、11時45分、スイスに入った。
道路標識の色だとか活字だとかが変わるので、少々とまどうが、フランス語で字が書かれているのでとりあえずのところ安心。市街地の道路の最高速度、高速道路の最高速度等が表示されていて、特に高速は120キロに制限されているようだ。ロータリーへの進入の仕方はフランスの田舎と一緒で、中を走っている方に優先権があるようだ。赤信号から青信号に変わる時に、赤→赤+黄→青、と変わるあたりは、ちょっとレースのスタートのような風情があって楽しい。
Dsc_3596さすがにスイスだけあって、Tissotはこちら、TagHeuerはこちら、Cartierはこちら、という看板が随所に見られる。街並み自体は、少々雑然とした雰囲気で、古いものと新しい建物が混在している風。新しいのか古いのかよく分からない。車の運転の仕方は大変おっとりしている。走っている時の緊張感は日本で走っている時のそれに近い。速度がフランスよりも低くに制限されているせいかも知れない。やがて「Bienne/Biel」という標識が出始めて一安心。そちらに向かって走るのみ。突然、携帯にメールが届き驚くが、これはフランスのSFRからスイスのswisscomに、電波供給が変わったことを知らせるもの。vodafone系列はこういうところが便利だ。
Dsc_3599それにしても、折からの雨に加えて今日が日曜日ということも影響しているのか、街は死んだように静まりかえっていて、人が全然歩いていない。少々気味が悪い。

落に近づくと制限速度が50キロとなり、その集落を出ると50キロ制限が解除される、という道を走り続け、途中、高速道路っぽい道を走って「ビエンヌ/ビール」に到着。そのままヌーシャテル方面に向かう。商店の看板を見ていてもドイツ語とフランス語が混在している。ずっと何気なくかけっぱなしにしていたラジオからも、いつのまにかドイツ語が流れている。ただ、別の周波数にあわせるとフランス語が流れている。ちょうど言語圏が変わる地域なのかも知れない。
左手に湖が見え始めた。これがビエンヌ湖だろう。思ったよりずいぶんと大きいな。あ、あれがサン・ピエール島だろうか。
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ただ、車を降りて確認しよう、という気が一切しない風雨の強さ。せめて島が陸続きになっている場所までは行ってみよう、と、それらしきところで一度車を止め、外に出てみたりはしたものの、孤独な散歩者の夢想も覚める荒天。こんな天気の中、ボートの上で自然と一体になろうとしたら、本当に自然と一体になってしまいそう。
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13時半、車の走行距離が888キロを示しているのを確認。朝食として食べようと思っていたカロリーメイトをやっと口にして、パリに向けて走ることとした。早く帰りたかった。またいつか来ることもあるだろう。

ヌーシャテルからポンタルリエ経由でブザンソンに行き、高速に乗って変えることにしよう。
ルソーも不発だったなぁ。このヴァカンス、前半は充実したものの、後半は不満が残る展開となった。何より、ルソーという、このヴァカンスのもう一つのテーマに浸りきることができなかったのが残念。雨雨雨。3日連続でたたられるとは。。。それにしても、朝から雨が一瞬たりとも止んでいない。おかげさまで車はすっかり綺麗に洗われているが気が滅入る。。。
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スイスからフランスに向かう道は神経をつかう山道となった。まるで矢部から熊本市内に帰る時のよう。速い道なのに、時々急減速しなければならない。で立ち上がりの加速はあまり期待できない我が愛車。運転がしんどく思われる。
14時35分、税関通過。フランス側には誰も係員がいない。スイスから変なモノを持って入ってくる人もいないだろう、と高をくくっているのだろうか。ちょっとはチェックする方がいいんじゃないかなぁ、とちょっと心配。
国境を越えてフランスに帰ってくると、標識も見慣れたものに変わるのでほっとする。Dsc_3611
ちょっと気分がよくなって走るが、窓を開けるとずいぶん空気が冷たい。車の温度計を見ると、外気温は9度。8月だというのに、昼のこの時間にこの寒さとは。ブザンソン方面に向けて走る途中、ちょっと雨が小降りになる中、フロントグラスに当たる固い音を聞き、窓から手を出してみたら、雹だった。さすが標高850メートル地点。でも、8月に雹とは。。。
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やがて朝と同じ場所を走っていることに気付いた。街から離れた道路沿い、岩を刳り貫いてつくったかのようなディスコを再び通過し、走る車内からシャッターを切る。
15時半、ブザンソンの市内を通過。この時点で走行距離は1000キロちょっと。そして、15時43分、ブザンソンの料金所からA36に入った。さて行こう。
すぐに、「パリまで425キロ」の表示がでる。全ての道はパリに通ず。これだから帰る時は安心だ。行きはA6で来たが、帰りはA5で帰ってみよう。ディジョン方面に向かう途中のシェルで給油し、サンドウィッチを食べてさらに走る。途中、少し小降りになった雨がまた激しく降り始めた。フロントグラスが割れるんではないか、というような降り方はいただけない。Dsc_3619
途中、ノルマンディーの釣り場の管理人さんに電話をし、次の土曜日、ルロワール(Rouloir)に釣りに行く予約を入れ、少し落ち着いた。
ガラガラな高速道路を雨の中走り続け、やがてTGVと併走するようになった、と思っていたら、18時35分、イル・ド・フランス地域圏に入る。この辺になってくると車の量も少し増えはじめ、また、マナーも荒くなってくるため、運転に注意が必要になってくる。
料金所を越えてしばらく走ると、分岐路が現れた。どちらもパリ方面と書いてあるので、そのまま直進したが、これで高速でないN6に入ってしまったため、信号に捕まり続けることとなってしまい、結局、途中からA4に入り、パリ外環道路に入ったのが19時半。ブザンソンからおよそ4時間だった。
パリも荒天。交通事故もあったりして渋滞に捕まる。ヴァカンス時期が道路工事には都合のよい時期であるとはいえ、リラ門のところ、外回り側を全部止めて両方向8車線を4車線にして工事していたりするのは、若干無理があるような気がする。案の定、道が狭まってるところで交通事故をやっていた。ニュースで事故情報を流しているまさにそのときに、実況中継を聞きながら通過した。
そして、懐かしい我が家の駐車場には20時に無事到着。全走行距離は1461.3キロとなっていた。今日一日で800キロ弱。よく走ったものだ。
また来週釣りに行くのだから、と、釣り竿やヴェスト等を残し、最低限の荷物だけ持ち、家の玄関を開けた時には、一気に疲れがこみ上げてきた。ただ、思い返せば充実した、成功した夏休みになったように思う。

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samedi, 05 août 2006

トルヴィル

涼しくなってきたにもかかわらず、海へ行きたい、という気持ちを抑えられず、職場の同僚とドーヴィルの隣町、トルヴィル(Trouville)に出かけてきました。
朝8時にパリを出発。ラジオではまたまた600キロの渋滞、ということが言われています。先週同様、chassé-croisé(すれ違い、行き違い、の意。舞台用語「シャッセ・クロワゼ(パートナーが位置を交換する動作)」のようです)の日であり、ヴァカンス地を出発する人、ヴァカンス地に入る人等々で、大渋滞が見込まれているようであり、少々滅入りながら雲に覆われたパリを出発しました。やがて目的地が近くなってくるにつれて晴れ間が覗き始めました。トルヴィルには10時半に到着。前回渋滞していた高速道路終点付近の2車線が1車線になる合流地点も全く渋滞がなく、大変スムーズな旅でした。
駐車場から海に向かってすぐのところから砂浜と海が広がっています。トイレに近いところ、ということでビーチのちょうど中央付近を確保。ぼつぼつと人が出てきていますが、空は雲に覆われていて肌寒い。Dscn1043
そんな中でも、子ども達は波と戯れていてちょっと尊敬。午前中からビールを飲み、リラックスしてうたた寝してしまいましたが、12時頃、目を覚ますと太陽が差し込み始めました。パニーニ4.5ユーロに缶ビール2.5ユーロの昼食。行楽地にしては割とふつうの値段です。Dscn1046

午後になると人が湧き出してきて、ビーチも大変賑やかになりました。「荷物をみていてくださいますか。」と頼み、海に出て行く二人連れのまぶしいビキニ、海から上がってきた子どもにバスタオル代わりに被せられたTシャツ、色とりどりのパラソルに、2.2ユーロで借りることができるビーチ用の長いす、遠くに引いていたのにいつの間にかすぐそばまで満ちてきた海、Dscn1048
強い日差しをさましてくれる海からの湿った風、相変わらず緑茶色の海水。時々意識が薄れつつ、結局夕方6時まで砂の上でくつろぎました。まだまだ日が高い中、風が肌寒くなってきたのを契機に、主のいなくなった海水浴客用テントを眺めつつトルヴィルを後にしました。Dscn1050
肌もこんがり小麦色です。
パリまでの道のり、渋滞を恐れていましたが、渋滞は主としてアルプス方面の話題なのか、2時間かからずにパリまで戻ってくることができました。パリ・トルヴィル間はおよそ200キロ。東京の世田谷から湘南に行こうと思ったら、これでは無理だろうと思います。平原が続き、人口密度がさほど高くなく、車が多くないからこそ可能な仕業です。韓国料理屋「名家」で焼き肉定食を食べて帰宅し、ぬるいお風呂で体を冷ましました。
このトルヴィル、ドーヴィルから1キロほどの隣町。ドーヴィルが作られた海水浴街ならば、トルヴィルはよりauthentique(「本物の」の意)な海水浴街、と剣道の人が言っていましたが、確かに古くからの街並みが残っていて、風情があります。ビーチはドーヴィルに比べれば狭く、客層は家族連れやお年寄りが多いです。ひろーいビーチで若いプリプリした雰囲気を楽しみたいならばドーヴィルの方がよいでしょう。
日がずいぶん短くなってきました。このまま涼しくなっていってくれれば、来週の釣りヴァカンスでの釣果に期待が持てそうです。

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samedi, 29 juillet 2006

Paris Plage

今日は職場の同僚と「パリ・プラージュ」に行ってきました。
まず、再来週に予定されている釣りキャンプに向けて日本食材屋佳苗でカップラーメンやらレトルトのカレーやら乾物やらを120ユーロ分、大量購入。ご主人から「山ごもりですか」と尋ねられました。「こういうものって便利なんですよねぇ。」などと言われ、「ボン・ヴァカンス」と声を掛けられながらお店を後にしました。
タワーに住む同僚と落ち合い、カルチエ・ラタンへ。次はAu Vieux Campeurで、フランスのフリーズドライのキャンプ用食品、ウィスキーを入れるためのSIGGボトル、救急セット、毒虫に咬まれた時の毒吸い出しキット、オピネルのナイフ、UCOのキャンドルランタン用のロウソク等々を購入し、こちらもおよそ120ユーロ。もうこれで買い出しの方は大丈夫そうです。
で、パリ・プラージュへ。
Dscn1035
ノートル・ダムの正面の門が開いているのを眺めつつ、4.5ユーロ(!)のホットドッグを食べながら、パリ市庁舎の脇の道を降りて河岸通り「Voie George Pompidou」へ。ノートルダム橋とアルコール橋の間に、ちょっとした砂浜ができています。河岸通りの一車線分に砂を盛ったといったところでしょうか。そこで海パン姿、ビキニ姿の老若男女が思い思いに日光浴を楽しんでいます。Dscn1039
我々も場所を見つけてそこでゴザをひき、シャツを脱いで日光浴を開始しました。曇りがちの空から時折じりじりと焼けるような日差しが降り注いできます。砂の台の向こうは歩行者用道路となっていて、パリの人、観光客、様々な肌の色の人たちが散歩しています。Dscn1038
大変賑やかな中、東洋人が二人、いい場所に陣取って日光浴を楽しむ様を、彼らにも観てもらえていたと思います。
結局15時半頃から19時半頃まで、4時間ほど太陽の下で、汗をかきながら眠ったり、砂で遊ぶ子ども達のほほえましい様を眺めたり、砂浜で日光浴する人たちを観たり、本を読んだりして過ごしました。砂でアートを作っている人の周りには人だかりができていました。Dscn1042
パリにいながらにして海辺気分を味わうことができました。来週は本当の海に行きたいです。
来る途中のニュースでやっていたのですが、パリ・プラージュでmonokini(モノキニ)とstring(ストリング)が禁止された、とのこと。それを巡って賛成派・反対派それぞれに現地インタビューが行われ、意見が戦わされていました。プラージュでも、テレビカメラが隣のカップルにインタビューしたりして、ちょっとした世論の対立が生み出されているようです。
さて、「mono」は「一つ」を意味し、「bi」が「二つ」を意味する、ということは。。。、と思って、帰って辞書を引いたらその通り。「monokini」は「トップレス」ということでした。ちなみに、「ストリング」は「露出度の高いビキニ」とのこと。いかに砂浜と言えども、ここはパリの中心部であり、すぐ脇には市庁舎がある。そんなところで胸やらお尻やらを露出するのは駄目、というのが当局の判断なのでしょう。妥当な判断だと思います。それにしても、こういうことさえディベートの材料にしてしまうあたり、フランスらしくて感心しました。それと、やっぱり平和なのでしょう。
ニュースでは、ヴァカンス地へ向かう車の渋滞の話がトップニュースになってます。

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samedi, 15 juillet 2006

センチメンタル・ジャーニー

イル・ド・レにお別れです。ホテルの周囲を巡り、ブドウ畑、海を眺め、いざ出発。Dscn0954
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今度はいつ来れるだろうか、と思っていたら、突然センチメンタル・ジャーニーもいいんじゃないか、という気になり、パリに戻る途中、数カ所に立ち寄ってみました。まず、橋を渡った先のラ・ロシェルで途中下車です。
ここには16年前と10年前、イル・ド・レとセットで来たことがあります。特に10年前にはFort Boyardという、「冒険者たち」という映画の舞台にもなった軍艦島を見るクルーズに出かけました。車をヴェルダン広場の地下駐車場に止め、立ち並ぶマルシェを横目で見ながら、薬局へ。そこで禁煙用のニコレットを購入。4mgの96粒入りが9ユーロと、かなり格安になっています。
観光案内所で地図を入手し、10年前には見なかった水族館へ。かなり充実したこの水族館、場所柄故か淡水魚はほとんどいませんでしたが、十分に楽しめました。どこでもそうなのかも知れませんが、サメの水槽の前では子どもの群れができています。また、全般に食用の魚の水槽の方がそうでない熱帯魚系の魚の水槽よりも人気が高いのは、親しみの度合いによるのかも知れません。2フロアくらいをぐるりと周り、屋外に出たところにピラニアやらフロリダ亀やらがいて、若干の緊張感の高まりとともに会場を出る仕掛けとなっています。どこにどういう魚を置いて、どういう順路で見せるか、ということにも工夫が感じられました。出口で「お楽しみいただけましたか」と係員が聞いてくるあたり、フランスのサービスもずいぶんと向上してきたものです。いい施設を作ったものです。さすがに、1時間半の時間制限付きで12.50ユーロを取るだけのことはある。楽しめました。Dscn0962
水族館を出て旧港に向かう途中、ユースホステルの方角を示す道路標識が見えた時、16年前の訪問の折りにこの方向に延々と歩いてユースに泊まったことが突然思い出されました。その時の心の形も、何となく思い出されたよう。
旧港の2つの塔はいつも変わらずそこにありました。Dscn0963
この時期、ラ・ロシェルでは「フランス狂音楽祭」が行われています。22回目となる今年も熱が入っているようで、昼食の場所を探して旧港を抜ける間も、街の随所に作られた特設ステージからギターの調律の音が聞こえてきたり、ひずんだベースの音が聞こえてきたり、と夜に向けての盛り上がりが着々と作られている様に接することができました。祭りの季節です。Dscn0967
市内を一巡し、旧港に面したレストランでピザを食べ、地下駐車場に車をとめることができたことを神様に感謝しながら、暑い日差しの中、センチメンタル・ジャーニー第1幕となったラ・ロシェルを後にし、ポワチエに向かいました。
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ポワチエに入ると、その城壁に囲まれた街並みを眺めるにつけ、アラブを押し返したカール・マルテルの偉業に思いを馳せ、いくつかの教会を見るうちに、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路に当たっている「世界遺産」にある街であることを知り、前回、10年前に訪問した時に友人夫妻と別れた広場、大学の同級生と歩いた道を思い出すなど、1時間半ほどの短い滞在で様々なことを思い出し、また、学びました。
そして、16年前に勉強のために通っていたトゥールがセンチメンタル・ジャーニー最終幕です。
ポワチエからは1時間ほど、19時半には市場(Les Halles)の脇に車を止めていました。何となくの土地勘で、こちらじゃなかったかなぁ、と歩いていくと、16年前からあった「YakiTours(ヤキトゥール)」なる焼鳥屋があったり、トゥール大学の学生達とコンパをしたレストランがあったりと、土地に染みついた記憶を呼び覚まされながら、最大の広場プラス・プリュムロ(Place Plumereau)に出ました。Dscn0992
時間が16年間ほど戻ったようです。相変わらず、広場一杯に広がったテラスに人が満ちている。この土地は、フランスで一番綺麗なフランス語が話されている、と言われていますが、確かに土地の人たちのフランス語を聞いていると、パリのガサガサしたようなフランス語とは違って、ゆったりとしたなめらかで抑制された音が並ぶ発話をしています。これもまた懐かしい。木と漆喰でできた建物、Dscn0985_1
昔知り合いが住んでいた家、Dscn0984
ディスコ・エクスカリバー、大学寮、お世話になった学食、住んでいた隣町から毎週通ったコインランドリーなどを見て回り、学校Institut de Touraineを見に行きました。確かこちらの方向だった、と思いつつ、所々に見覚えのある建物を眺めながら歩き、直前で駆け出した先に、「Place du 14 Juillet(7月14日広場)」に面した事務棟、教室の入った旧貴族の邸宅のような建物、たむろした中庭、カフェテリア、グラン・ブルーを初めて見た教室が。Dscn0987
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鉄柵の下のコンクリートに腰掛けた友人と出会ったのがつい昨日のことのようです。
写真を何枚か撮って、学校を後にし、たまり場の一つだった「カフェ・サン・マルタン」がまだ残っているだろうか、あのオーナーはまだいるだろうか、と見に行ったのですが、カフェの名は変わり、オーナーの姿も消えてしまってました。16年の年月の流れを感じながら、再びプリュムロ広場へ。そして、あのとき、贅沢で食べに行った中華料理屋に入り、夜の定食の値段でいいから、と言いつつ、あのころよく食べた昼の定食の一皿(ビーフを甘辛く炒めたものが米の麺やモヤシの上に乗っかっていて、甘酸っぱいスープをかけて食べるもの。今から思えばBo-Bum。)を注文。Dscn0990
懐かしい味に、これまた月日が巻戻されるような気持ちになりました。
そんなトゥールを後にしたのが21時30分。トゥールを出る直前に、昔、お世話になった日本人の先輩が住んでいたマンションの前で写真を撮りました。Dscn0998
1990年12月31日にグルノーブルで財布をすられ、翌1月1日、無一文でトゥールに帰ってきた自分を快く泊めてくださったこと、御自宅をたまり場のように提供してくださったこと等々を思い出し、改めて感謝の思いがこみ上げてきます。
パリまではおよそ2時間で到着しました。長距離ドライブの結果、フロントガラスやバンパーを含めた車の前面に張り付いた虫の死骸、海辺で付着した砂埃を取り去るべく、クリシーの洗車場で車を綺麗にし、家に到着したのが24時。
短い夏休みではありましたが、波音で頭の中を綺麗に洗浄できたこと、思い出巡りで脳の奥の方を刺激することができたこと、それとタバコの摂取をほぼ押さえることができるようになってきたこと、この3点故に、大変充実した休暇となりました。

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vendredi, 14 juillet 2006

島の革命記念日

今年の革命記念日はイル・ド・レで迎えることになりました。
ホテルでテレビをつけて朝食をとっていると、閣僚が続々とコンコルド広場のパレード終点の観覧席に集まってくる様子、やがてエリゼ宮からシラク大統領がパレード出発点である凱旋門広場に向かう様子が見えてきます。警護のオートバイ及び警護車の隊列が整然とすすみ、シャンゼリゼのそばで大統領が軍用ジープに乗り換え、前後を騎馬隊に守られながらシャンゼリゼを降りていくと、パレードの始まりです。
そこまで見て、ホテルを出て、7月14日の島の様子を視察に出かけました。
今日は昨日以上によい天気。抜けるような青空に白壁の家、緑の鎧戸、煉瓦色の屋根瓦、まさにヴァカンス気分を満喫できそう。
まず、La Flotteの近くの修道院跡、アベ・デ・シャトリエ(Abbaye des Châtelier)へ。12世紀に建造されたが、宗教戦争時代に荒廃してしまった廃墟が、真夏の日差しの中、静かに佇んでいます。そういえば、セミの声が聞こえない。観光客の靴音と低い声での会話が静寂さを際だたせます。Dsc_3458
この修道院跡、ちゃんと歴史的モニュメントに登録されているようです。Dsc_3461

次はラ・フロット(La Flotte)へ。ここではマルシェのぷらぷら歩きを楽しみました。やはり海産物がよさそうです。ヴァカンス故か大盛況でした。Dsc_3464

その後、この島の最大の街であるサン・マルタン・ド・レ(St.Martin de Ré)へ。旧い港町。Dsc_3469
停泊している船がひっくり返るんじゃないか、というくらいの引き潮で、ボラのような魚が泳いでいるのが見えます。
こんな旧い町でも、映画館が。Dsc_3471
「ニュー・シネマ・パラダイス」がそこにあるような錯覚に襲われました。
港から少し坂を上ったところに教会を発見。鐘楼に上れる、とのことで、観光客としての礼儀を果たしました。見渡すと、何か監視が厳しそうな建物があり、調べてみると監獄がある、とのこと。リゾート地で刑に服している囚人の人たち、罪の支払いは高くついています。Dsc_3475

とりあえずレストランでサラダを食べて、イル・ド・レの地ビールを飲みました。青空が抜けるようです。
で、一旦ホテルに帰って休み、夕方、再びSt.Martin de Réへ。7月14日と言えば花火です。
旧港のそばのクレープ屋で簡単な夕食を取り、少し高台になった堤防に向かいました。ヨットハーバーに夕陽が暮れていきます。Dscn0919

堤防の向こうは大西洋に沈んでいく夕陽、Dscn0931

振り返れば灯火の入ったサン・マルタン・ド・レの港、Dscn0944_1


紫色の堤防には、時間を追うにつれて続々と人が集まってくる。
そして、日がとっぷりと暮れた23時頃から、やっと花火が始まりました。
海の向こう、随所で花火が上がっているのが見えましたが、ここの花火は若干小振りで、遙か彼方の花火の方が立派だったりしましたが、打ち上げているところからおそらく200メートル程度のところで観ただけのことはあって、そこそこの迫力でした。
監獄のそばを通る道が渋滞となりましたが、そこを抜けてしまうと宿までの道は快適そのもの。時々、自転車軍団の反射板に緊張したりもしましたが、無事に帰り着くことができました。イル・ド・レ最期の夜は、大変充実したものとなりました。

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lundi, 02 janvier 2006

ロンドンのバーゲン

朝起きた時には、まだ酔っぱらっていました。A型の後輩は自分が作った朝ご飯を勧めてくれましたが、とてもそのような気分にならず、お茶を飲みながらしばらくだらだらし、11時頃出発です。
まず、ボンド・ストリートのバーバーリーへ。Saleはクリスマス明けから始まっていたようで品数は減ってしまっていましたが、サイズが合った明るいベージュのジャケットを購入。
その後、「Saville Row」(「背広」の語源らしいですね。)をウィンドー・ショッピングしながら、ピカデリーサーカス方面に向い、リージェント・ストリートのAquascutumでダブルのチェスター・コート(チャコール)を購入。FOXの傘を三越で見たのですが、気に入ったものが見あたらず、こちらは先送りに。
そして、旅行の最大の楽しみである御当地料理を味わいに、パブに入りました。
そして、ここはイギリスであることを改めて実感しました。本日一つ目の教訓。イギリスでは旅行の楽しみをパブでの英国料理に求めてはならない。DSCN0456
気を取り直してショッピングへ。
LIBERTYという老舗のデパートは西武百貨店のヤング館のようでした。Marks & Spencerはイトーヨーカドーのよう、オックス・フォード・ストリートは渋谷のよう(以上2点は後輩の談)で、特段めぼしいものもなく、2階建てのバスに乗ってハロッズへ。そして、次の教訓。年始のデパート・バーゲンは初心者には厳しい。日本の年始のバーゲンに比べたら全然問題ないのかも知れませんが、それに行ったことのない自分にはハロッズの人混み、少々きつかったです。モノを買おうという気持ちも萎えて人混みを何とか離脱し、一旦後輩の家に戻って荷物を置いてから、今日も御一緒してくれる後輩の同僚と合流しました。
しばらく一人でぶらつこうと、レスター広場に行き、フランスよりも早く回るメリーゴーランドのスピードにめくるめき、キッチュなおみやげ屋でキッチュなおみやげを購入し、いざ食事へ。
今晩はABENO TOO(http://www.abeno.co.uk)というお好み焼き屋です。少し怪しいがしっかりした日本語を話すイギリス人が、銀色の鉄板の上でお好み焼きを焼いてくれました。その後、レスター・スクエア駅上のパブで、せっかくロンドンに来たのだから、とスコッチ(グレンフィディッチ)を賞味し、帰宅しました。
三つ目の教訓。旅先でのお酒はよく回る。

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dimanche, 01 janvier 2006

元旦のロンドン

悲劇は新年早々から始まっていました。
我が家を見学したいと言う後輩が、パソコンが置いてある居間のメイン電源にあたるスイッチを押してしまい、パソコン駆動中に「ばちっ」と激しい音を立てて電気が落ちました。その時、何かしらのことがあったらしく、シャンゼリゼを脱出して帰ってきた後、スイッチを入れたら、「システムファイルが壊れています」という趣旨の表示がされ、パソコンが起動しなくなってしまったのです。
夜3時頃まで掛けて作業をしたのですが、どうにも回復できず、翌朝、久しぶりにDOS画面で修復ツールを動かしたりしましたが、その途中で出発の時間が。パソコンの電気を入れたままにして出発しました。
1月1日、新年のパリは昨夜の喧噪とうってかわって静まりかえっています。13時04分発ロンドン行きのユーロスターに乗るために北駅に向かったのですが、地下鉄の中も疲れた風情が漂っている。つまり、正月の華やぎは一切ないのです。「日本での正月はこちらのクリスマス」というのは、なかなか言い得て妙な言葉です。
北駅構内にはフランス側とイギリス側双方のパスポートコントロールがあって、フランス出国とイギリス入国のスタンプ2個を律儀に押されてしまいました。少しパスポートがにぎやかになったのはよかったです。
ユーロスターに乗るのは8年ぶり。最初に乗った頃のような感動もなく、やがて静かに電車が動き出しました。フランス国内を走っている間はTGVと同じように300キロで疾走するこの電車も、国境トンネルを抜けてイギリスに入ると在来線並のスピードに落ちてしまいます。途中で遅れるのもこのユーロスターの宿命になりつつあるらしく、ロンドン・ウォータールー駅に到着したのが出発から3時間半後。ただ、通貨統合を拒むイギリスは、時間でも独自性を発揮していて、パリより1時間遅れで一日が始まります。よって、イギリスに行く時には、途中で1時間時計の針を戻す。1時間得をする勘定になります。
タクシーに乗って後輩の家に行き、荷物を置いて、彼の同僚達と夕食を一緒にとるため、Picadelly Circusに向かいました。テイト・ギャラリー、国会議事堂、ビッグベン、テムズ川の大観覧車(1回乗ると3000円ほど取られるそうですね)、ウェスト・ミンスター寺院、ダウニング街、トラファルガー広場、と観光名所をすっかり観光客になって歩きました。赤い色をしたポストに感動したり、通貨統合を拒むイギリスらしく左側通行する車にシンパシーを覚えたりしながら、ピカデリー・サーカスに辿り着きました。ここの「SANYO」のネオンを見ると、ロンドンに来たなぁ、という感慨が深まります。リージェント街も綺麗に電飾されていました。DSCN0444
ただ、感慨だけでは駄目なので、まず、パブでギネス・ビールを飲んで、イギリスに来た実感を高めました。地元の人と一緒だと、ガイドブックを見たり、周りの人を見たりして、注文や飲み方の作法を予習しなくてもよいのが助かります。パブから外を見やると、あのアクアスキュータムが「sale」をやっている!。何より、1月1日からお店が開いている!。物欲が沸々と高まるのを感じながら、明日の訪問を期しました。
後輩の同僚2名と落ち合い、計4名で新年早々、ロンドンで中華料理を食べましたが、これが安くて美味しかった。接客もよかったですし。こんな中華料理屋さんが出来ていたのですね。感心しました。ちなみに、「大江南北(CHINESE EXPERIENCE)」というお店で、所在地は118 shaftesbury avenueです。http://www.chineseexperience.comで御覧いただけます。
その後、エルトン・ジョンの国にすっかり適応したのか「ゲイ」ネタでいじられ続ける後輩の家に皆で押しかけ、焼酎を飲んだり、後輩手作りの小豆掛け抹茶アイスを食したり、焼酎を飲んだり、音楽を聴いたり、焼酎を飲んだりしているうちに、会がお開きとなったようでした。大切に記憶しておきたいロンドンの元旦でした。

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samedi, 31 décembre 2005

大晦日のこと

1.スキー
昨日の反省をふまえ、行列ができる少し前にチケット売り場に出かけたのですが、ほとんど人がいない。バスも空席だらけ。到着してみるとリフト券売り場も行列がない。さすがに大晦日だけのことはあります。
昨日と違う店でスキーを借りて、その対応の良さに感動(ちゃんと体重を聞いてスキーの調整をしてくれました。昨日はクレジットカードで払っているのに身分証明書を預けろ、と言われましたが、今日は、「クレジットカード払いなので、身分証明書はお預かりしません」とのこと。)。ちなみにこのレンタル屋、グルノーブルからのバスが止まるところ、ゴンドラ乗り場から見て、よりゲレンデに近いINTER SPORTです。
今日は昨日の午後がそのまま続く粉雪が時折混じる曇天でした。ゴンドラで頂上に向かったところ、20メートルほど先を滑っている人の影が辛うじて見えるような濃霧に包まれていましたが、下ってくると視界はクリアで、なにより人が少ない。おかげさまで、初心者・中級者コースで、昨日のアドヴァイスを時折雪まみれになりながら確実に実践することができました。最後、昨日ズルズルズルズルと降りていった中上級者斜面に出たのですが、足も疲れておらず、なにより上手に転ぶことに慣れたせいか、無事滑り降りることができました。こうやって少しずつ上達していくものなのでしょうね。
リフトの上から何組も、親が子どもを教育する姿が見えました。ここを降りるぞ、と言って、まず自分が率先して滑り降ります。その後をこわごわ下っていく子ども。中には泣き叫びながら降りていく子も。こうやって育った子どもはさぞかし上手くなることでしょう。しつけにも似たスキー教育に、リフトの上から感嘆していました。
今日は12時30分に終了。気持ちよくスキーを返し、バスにも余裕で乗り込みました。ヴァカンスをゲレンデのホテルで過ごした人たちが大勢いました。帰りの車内も静寂そのもの。サルのように滑ろうと夜遅くまで粘るから、昨日のような羽目に陥る。悠々とヴァカンスを楽しむ秘訣を学びました。

2.アイリッシュ・パブでの昼食
チェックアウトしたホテルに戻り、荷物置き場で着替えをしてしまい、駅に向かいました。明日からロンドンに行くにもかかわらず、駅構内の「アイリッシュ・パブ」でTGVの時間待ちと食事をします。
真剣に「SUDOKU(数独)」を解いている若者と我々の間の席におばあちゃんが座りました。座りやすいように机を少しずらしてあげたら大変喜んでくれ、立ち去り際、「よいお年を。楽しんでね。」といった言葉を掛けてくれました。お勘定をすませてしまった後、レシートに注文していないものが計上されているのに後輩が気づき、それを言いに行ったら「そうだ、レジ係が間違った」と、慌てて払い戻しをしてくれました。ビールの助けもあって、気持ちが和らぎます。

3.TGVの車内
そして、帰りのTGVはヴァカンスを終えてパリに向かう人たちの優しさでいっぱいでした。何より子どもたちが多い。合計特殊出生率が1.9を超える国だけのことはあります。自分たちが座る予定だった向かい合いの席を家族連れに譲る若者がいました。本物のフランス人形のような目をしたよちよち歩きの赤ん坊がニッコリと微笑みかけてきて、さらに向こうに一人で歩いていくから何があるかと見やったら、向こうにも同い年くらいの赤ん坊がいて、二人でコミュニケーションしていたり、その赤ん坊が歩いている間、通路の両脇の乗客が頭をぶつけないよう手すりのところを手でカバーしていたり。親はお絵かきの道具やシール式絵本をちゃんと持ち込んできて、子どもたちを退屈させないようにしています。優しい気持ちになって、パリに到着しました。いよいよ新年を迎えます。

4.シャンゼリゼでの新年
パリは地下鉄が乗り放題になっていました。地下鉄の中も何かしら華やいだ雰囲気です。
帰ってくると、やっぱりここがいいなぁ、と思うのはフランクフルトの時も今回も同じです。
パリに帰郷している後輩と、ロンドンの後輩と3人で、我が家での釜揚げうどんを今年最後の夕食とし、シャンゼリゼに向け出発しました。
23時15分頃、シャンゼリゼ大通りに到着したところ、すごい人だかり。花火が上がるであろうチュイルリー公園を望むには中央分離帯からの方がいい、と、人の群れと凱旋門に向かう大渋滞の車をかき分けて横断歩道を渡ると、反対車線はすでに車両通行止めになっているようで、スムーズにGEORGE Vのあたりまで下ってくることができました。これだけ人が多いと若干不安です。この晩のためにパリ市内だけに4500人配置されたという公権力行使者の方々のそばか、「I LOVE PARIS」と書かれた帽子を被っている平和な観光客のそばがよさそうです。様々な言語と車のクラクション、時折暴発気味に炸裂する爆竹やロケット花火の喧噪に囲まれて、シャンパンのボトルを持って2006年を待ちました。チュイルリー公園の特設大観覧車にカウントダウンの電光表示がされ、それが「0」になったとたん向こう側から花火が上がり、それと同時に随所からシャンパンを派手に抜く音が聞こえ、「Bonne Anneé !」の声かけをしつつ見ず知らずの周囲の人たちと握手をしたりほっぺにキスをしたりして、シャンパンを飲む、予定のために。
が、いつになっても大観覧車に照明はつかず、カウントダウンの音も聞こえてこない。。。やがて凱旋門の方で個人の仕業と思われるちっぽけな花火が上がり始めました。それに「フォー」という叫声が続いていて、おかしいなぁ、と時計を見たら、どうやら既に2006年になっている様子。とりあえずシャンパンを明け、3人で飲み始めました。やがてチュイルリー公園の方でも花火が上がり始めましたが、とても「カウントダウン」といった風情ではありません。握手もキスも盛大な花火もない、乾いた年明けとなりました。
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それにしても、この夜のシャンゼリゼはお祭りです。明治神宮に参拝する人並みが、そのまま夏祭りに入ったようなもの。シャンパンかけもある、ロケット花火の人垣への打ち込みもある、爆竹は人混みに放り込まれる、おかげさまで足下で爆発したりする、輪を作って踊っている外国人たちがいる、火花だけが出る花火も随所で焚かれている、踊る阿呆に観る阿呆のごとくカメラを回すテレビクルーがいる、皆本当に晴れ晴れとしています。
そんな中、雄叫びを上げながらシャンゼリゼを下り降りてくる集団が出現した時には、モーゼが割った海のように、人波がすすすーと割れました。一瞬とはいえ、身の危険を覚えながら、無事割れる人垣の流れに乗りましたが。こういう時、公権力の行使者の方々の側にいると本当に安心します。
シャンパンの瓶が砕ける音が随所で響き始めた1時頃、退却を開始しました。凱旋門に向い、箱乗りの車などで詰まりきったエトワール広場を横目に、後輩を家まで見送り、もう一人の後輩と帰ってきました。
美しい人情にあふれているフランス、「何でもあり」のフランスを一日で体験することができ、2005年が充実したものとなって過ぎていきました。心から満足しました。

明けましておめでとうございます。今年が皆様にとってよい年となりますよう。

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vendredi, 30 décembre 2005

グルノーブルでスキー

グルノーブル・シャムルース・スキー場に15年ぶりに行ってきました。
前回はまだ学生だった頃、同じ学校に派遣されていた社会人の方と二人でした。その方がまだ30歳を超えたころだったでしょうか。自分がやがて37になろうとしていることを思っても、ずいぶん年月が過ぎていったことを思います。また、「地球の歩き方 フランス版」にシャムルース・スキー場への行き方が既に掲載されていなくなっていたことにも年月を感じました。1968年の冬季オリンピックの舞台、クロード・ルルーシュ監督の「白い恋人達」、フランシス・レイの音楽、という連想も、15年の年月を経るとずいぶん風化するのかも知れません。トリノ・オリンピックも間近いです。
バスのチケット売り場はあのころのままでした。鉄道駅からバス駅に足早に向かう、スキーを担いだ人影の連続に悪い予感がしたのですが、これが的中。8時発のバスだったのですが、7時35分から並び始め、チケットが買えたのが8時。乗れるのかと思いきや、こういう客が多く、我々は2台目のバスに乗ることができました。ほっと一安心。すると、さらに乗れなかった乗客のために追加のバスが準備されてました。こういう柔軟さは大いに見習うべきかも知れません。いや、そもそもあらかじめ市場調査・予測をしておくべきかも知れませんが。
1時間程度つづら折りの坂をのぼる途中、向こうの山肌に曙光が当たりピンク色に染まっているのが見えました。荘厳な雰囲気に息をのみます。到着したスキー場には、真っ青な空が広がっていました。まだリフ