オペラ

samedi, 23 février 2008

ルイーザ・ミラー(Luisa Miller)@バスティーユ

どうも体調が今ひとつ。朝も早起きして久しぶりのジョギングを、とも思ったが、結局起きることができませんでした。体が休みを欲しがっている時に無理は禁物です。
13時30分から日本語のイベントをどうするか、という打ち合わせに出席。17時過ぎまで休憩なしに続いた会合では、様々なことが具体化していきました。このスピードで動いていけば、間に合いそうです。
その後、一旦家に戻り、荷物を置いて、バスティーユへ。今夜は「ルイーザー・ミラー」、ヴェルディのオペラです。

Giuseppe Verdi (1813-1901)
Luisa Miller
Opéra en trois actes (1849)
Livret de Salvatore Cammarano d’après le drame Kabale und Liebe de Friedrich Schiller
En langue italienne

NOUVELLE PRODUCTION
Direction musicale (指揮)Massimo Zanetti
Mise en scène (演出)Gilbert Deflo
Décors et costumes (舞台装置・衣装)William Orlandi
Lumières (照明)Joël Hourbeigt
Chef des Choeurs (合唱指揮)Alessandro Di Stefano

Il Conte di Walter(ワルター) Ildar Abdrazakov
Rodolfo(ロドルフォ) Ramon Vargas
Federica (Duchessa d'Ostheim)(フェデリカ) Maria José Montiel
Wurm(ヴルン) Kwangchul Youn
Miller(ミラー) Andrzej Dobber
Luisa(ルイーザ) Ana Maria Martinez
Laura(ラウラ) Elisa Cenni

Orchestre et Choeurs de l'Opéra national de Paris

新演出のせいでしょうか、幕間含めて2時間45分ほどの演目で、席の値段がいつもより10ユーロほど高く設定されていました。その演出ですが、前奏曲の開始と同時に紗幕に「Luisa Miller」とゴチック体の文字が白く映し出される、まるで映画のような出だし。このやり方はその後も幕の始まり毎に繰り返されました。そして、舞台の方は、チロル地方の山と草原が再現されており、半円形に穴が空いた板が舞台前面に置かれ、半円からのぞくスペースで劇が進行する、というもの。衣装も振り付けも誠に自然で、この間のボブ・ウィルソンのいい解毒剤になります。総じて、好感の持てる普通の演出でした。

歌手の方では、一番がミラー役のドッベル氏。父親の深い情愛を大迫力の声量で表現してくれていました。カーテンコールは正直です。それに続いたのがルイーザ役のマルティネスさんで、派手なコロラトゥーラはないものの適確な歌唱が必要な役で、「きちんと」歌ってくれました。ヴルン役のヨン様はスキンヘッドの悪役をこちらも正しく演じ、歌ってくれました。以前、「トロイ人」と「ルチア」で聴いていたのですが、今日が一番だったかも知れません。フェデリカ役のモンティエルさんは豪華なウェディング・ドレスに終始身を包んでの歌唱。美人で、策略婚でも良いじゃないかロドルフォ、と説得したくなりそうです。そのロドルフォ役のヴァルガスですが、残念でした。音程が不安定で痩せた声に不十分な声量、名前が無ければブーが出てもおかしくないような、そんな歌でした。風邪でもひいていたのでしょうか。2006年12月の「薔薇の騎士」でテノール歌手役で聴いた時の好印象が吹き飛んでしまいました。なかなか難しいものです。

Dscn3630そして、今日一番感心したのが、ザネッティの指揮とパリ・オペラ座管弦楽団の演奏でした。前奏曲から大変に気迫のこもった演奏で、切れば血が出るような音楽作り。「やればできるじゃないか」と繰り返し思った、そんな演奏で、完全に満足です。


終演後、CAFE DIVANに向かったのですが、満席かつカウンターでお酒を飲みながら待っている人の行列に呆れ、結局ファルスタッフでピザを食して帰ってきました。明日はブローニュでジョギングです。

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samedi, 16 février 2008

カルディヤック(CARDILLAC)@バスティーユ

久しぶりに完全にフリーな土曜日となった今日は、ゆっくり朝寝を楽しんだ後、13時前からモンソー公園を10周。BPM83の曲で、前回聴けなかった曲たちを流しながら、すっきりと晴れ上がった真っ青な空の下、快調に飛ばしていたら、なんと52分少々で10周してしまいました。POLARの心拍計の方の距離計では10.5キロを52分15秒で走っており、1キロを4分58秒で走っていたことになっています。全くもって凄いことです。本当かしらん。このスピード、トレーニング用に履き替えたNikeのAIR MAX MOTO+ 5が一役買っているように思います。クッションが強いせいか、AIR PEGASUS+よりもけり出しが強いようです。この程度クッションがある方が、練習時に膝を保護してくれるのだろう、とは思います。ただ、クッションが強すぎて、履き替えた直後にはちょっと違和感を感じました。そのうちに慣れるだろう。しばらく試してみようか、と思います。

綺麗な空の下、梅が見事な花を付けていました。10キロ・ランの後、一度家まで戻ってきて、カメラを手に再び走り始め、撮影したのがこちら。春はもうすぐそこまで来ています。
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さて、夕方からは標記オペラを見に行ってきました。同行予定の友人が急に都合が悪くなった、とのこと。チケットはまずさばけないだろう、との予測のもと、出かけたのですが、案の定、お客の入りはせいぜい85%といったところで空席が目立つ、そんな状況下、余ったチケット1枚は懐に残ることとなりました。仕方ありません。

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(写真:パリ・オペラ座HPより)

Paul Hindemith (1895-1963)
Cardillac
Opéra en trois actes et quatre tableaux (1926)
Livret de Ferdinand Lion d’après la nouvelle d’E.T.A. Hoffmann Das Fräulein von Scuderi
En langue allemande

Direction musicale Kazushi Ono
Mise en scène André Engel
Décors Nicky Rieti
Costumes Chantal de La Coste Messelière
Lumières André Diot
Chorégraphie Frédérique Chauveaux et Françoise Grès
Dramaturgie Dominique Muller
Chef des Choeurs Winfried Maczewski

Cardillac Franz Grundheber
Die Tochter Angela Denoke
Der Offizier Christopher Ventris
Die Dame Hannah Esther Minutillo
Der Kavalier Charles Workman
Der Goldhändler Roland Bracht
Der Anführer der Prévoté David Bizic

Orchestre et Choeurs de l'Opéra national de Paris

豪華ホテルのフロント、宝石職人のアトリエ、舞台となったパリの屋根の上、それぞれの舞台が大変綺麗に作り込まれており、舞台装置作りや照明については感服です。
他方で、やはりそうなったか、との思いを強くしたのですが、正直なところ音楽はさっぱり楽しくありませんでした。自分には、必然性を感じさせて貰えない音符の並び方を味わえるだけの音楽的素養が欠如しているようです。せっかくの大野和士氏の指揮だったのですが、良かったのか悪かったのかよく分からない、そんな音楽であり、大変に残念です。従って、歌手についても、よく分かりません。カルディヤック役のグルントヘーベル氏、その娘のデノケさん、士官役のヴェントリス氏、3人はなかなか立派に歌ってくれたなぁ、といった印象を持ちましたが。
来シーズン、年間予約をする際には、この類の音楽は避けておこうか、と思います。残念ですが、仕方がない。。。
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samedi, 22 décembre 2007

クルミ割り人形@バスティーユ

まだ見ぬ甥を思いながら、クルセル通りのfnac eveilで布の絵本を購入。プレゼントを購入する御両親やらさらにその親御さん(おじいちゃん・おばあちゃん)たちで大変に賑わっていました。「娘が米国人と結婚してアメリカに孫がいるのだが、その孫にフランス語を忘れないようにさせたい。」と言って、店員さんからフランス語パズルを勧められていたおじいちゃんもいたりして、最後のところは言葉なのだなぁ、などと感心することしきり。
続けて、Maison du Chocolatに向かい、必要個数のチョコレートの箱を購入。ヴェリーブで戻ってくると、渋滞が始まりかけたパリの街の中をコンコルド方面へ。広場に車を停め、ロワイヤル通りのBonpointへ。ここで姪の顔を思い浮かべながらコートを購入。日本人の店員さんがいるので、フランス語ができなくても安心です。

さあ、とりあえず今日の買い物は終了。夕方から、久しぶりにパリ・オペラ座でこの時期に上演されることとなった「クルミ割り人形(Casse-Noisette)」を見に行ってきました。ヌレエフの演出のもので、たぶん11年前のこの時期に観たのと同じものだろう、と思います。が、あまりに覚えていないことに驚きました。記憶というのは書き留めてでもしないと、あっという間に消え去ってしまう。ぞっとします。職場の同僚御一家と偶然に隣り合わせの席となったのも楽しく、素敵な観劇となりました。

Casse-Noisette - Rudolf Noureev
Ballet en deux actes
Sujet de Marius Petipa d'après un conte d'E.T.A. Hoffmann
Adapté par Alexandre Dumas

Musique Piotr Ilyitch Tchaikovski
Chorégraphie Rudolf Noureev (Opéra national de Paris, 1985)
Décors et costumes Nicholas Georgiadis

Les Étoiles, les Premiers Danseurs et le Corps de Ballet
avec la participation des élèves de l’École de Danse

Orchestre de l’Opéra national de Paris
Maîtrise des Hauts-de-Seine/Choeur d’enfants de l’Opéra national de Paris
Direction musicale Kevin Rhodes

AVEC LE SOUTIEN DE LA FONDATION RUDOLF NOUREEV.

バレエをずっとやっていたという同行者によれば、通常の演出とはずいぶん違った部分があった様子。第1幕でネズミの大将が王子にやっつけられる時の様子も違っていたようですし、第2幕で招待客達がコウモリとなっている場面の「湯ばあば」のような仮面と衣装も珍しいものだった様子。そういうことを知らない自分は、ただただ舞台の美しさと踊り子達のリズム感、バランス感覚に舌を巻き、息を飲んでいました。それと、子どもが本当に多かった。舞台の上にも客席にも。第1幕が始まる前、おじいちゃん・おばあちゃんに連れられ、階段の踊り場でスカーフを空に浮かべながら踊る女の子の姿は本当にほほえましかったです。第2幕の様々な踊りでは、「中国の踊り」が印象的。踊りというよりは辮髪が印象に残ったのかも知れませんが。ヨーロッパに残る古くからの中国観、滑稽さが先立つ中国観がよく現れていました。とはいえ、こういう中国観も時代遅れのものになりつつあるようにも思います。そして、やっぱりクララと王子様の踊りは綺麗でした。衣装自体がキラキラでしたし、二人とも天の恵みを受け生まれ育った、そんなハンサム・美女でした。バレエはオペラ以上に天分が必要であるようにも思います。
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クリスマス時期に観るには最適な演目を見終わった後、ファルスタッフでピザを食し、ダンフェール経由、ペリフェリックを通って帰ってきたのが0時過ぎ。明日は我が家で忘年会です。

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vendredi, 21 décembre 2007

タンホイザー@バスティーユ(演出つき)

冬至の前日の金曜日、一週間の勤務の疲れもそのままに、バスティーユに2度目のタンホイザーを観に行ってきました。前日の新聞でストは終わり、演出つきでの公演になったらしいことを知り、期待はふくらみます。そして、実際に見終わった時、あ、これはこれまで観たオペラの中で明確に2番目によい公演だったな、と思うことができました。大満足です。


Tannhäuser
Grand opéra romantique en trois actes (1845)
Livret du compositeur
En langue allemande
NOUVELLE PRODUCTION

Direction musicale(指揮): Seiji Ozawa / Pierre Vallet (27, 30 décembre)
Mise en scène(演出): Robert Carsen
Décors(舞台装置): Paul Steinberg
Costumes(衣装): Constance Hoffmann
Lumières(照明): Peter Van Praet
Chorégraphie(振り付け): Philippe Giraudeau
Chef des Choeurs(合唱指揮): Peter Burian

Hermann(ヘルマン):Franz Josef Selig
Tannhäuser(タンホイザー):Stephen Gould
Wolfram von Eschenbach(ヴォルフラム):Matthias Goerne
Walther von der Vogelweide(ヴァルター):Michael König
Biterolf(ビテロルフ):Ralf Lukas
Heinrich der Schreiber(ハインリッヒ):Andreas Conrad
Reinmar von Zweter Wojtek Smilek
Elisabeth Eva-Maria Westbroek
Venus Béatrice Uria-Monzon

Orchestre et Choeurs de l'Opéra national de Paris
Maîtrise des Hauts-de-Seine / Choeur d'enfants de l'Opéra national de Paris

COPRODUCTION AVEC LE GRAN TEATRE DEL LICEU, BARCELONE ET LE TOKYO OPERA NOMORI
(バルセロナ・リセウ劇場及び東京オペラの森との共同制作)

小澤指揮の指揮は、前回と同様、縦のラインがあまりはっきりしていないものの何となく合ってしまう、という不思議な音楽作りとなっていました。リズムを刻むというよりはレガートが主体で、音楽がしなやかにつながっていつの間にか流れていく、そんな感じです。第1幕冒頭と第2幕冒頭では楽団員の足踏みはあまり聞こえませんでした。が、第2幕、舞台の灯りが消えた瞬間に楽団員の足音が響き始めました。これはすごかった。圧倒的な入場行進曲もさることながら、ヴォルフラムの芸術論を否定するタンホイザーの後ろに滑り込むようにヴェーヌスベルクの音楽がすごい色彩感覚で奏でられた時の説得力、改悛するタンホイザーに合唱がかぶさりオーケストラが最大音量となった時、情念が脳天まで充満してそれが急にはじけるような、精神的絶頂感を感じることができました。第3幕冒頭の小澤の登場時には、前回同様の興奮が会場を包んでおり、カーテンコールでも一番の拍手が。再び「彼と同じ日本人であることを誇りに思う」そんな音楽でした。唯一残念だったのが前奏曲の背後のダンスが音楽への集中を散らしてしまったことでしょうか。でも、これは演出なのだから仕方ありません。

歌手たちは前回と同じような出来で、相変わらずマティアス・ゲーネのヴォルフラムにはしびれました。あんなに優しい「夕星の歌」を聞くことができたというのは、ある意味奇跡的なことです。ヴィロードの声で歌われる諦念の思いを、伴奏に徹したチェロが静かに支える。会場は完璧な静寂に包まれ、音符の一つ一つ、言葉の一つ一つが染み入るように響いてきました。「三夕の歌」の世界にもつながるような、「幽玄」を感じた見事な歌唱。楽団員も盛大に足を踏みならして、その歌を褒め称えていました。
彼に続いてエリザベート、ヴェーヌス、タンホイザーが拍手を浴びていました。エリザベート役のヴェストブルックは先日はあまり拍手を浴びることができなかったのですが、今日は盛大なブラヴォーを浴びていました。舞台姿が映える美人であったこともその原因でしょう。歌声自体はエリザベート向きではないように思うのですが、それでもここまで歌えるソプラノとあえたのは有り難いことです。ベアトリス・ユリア=モンゾンのヴェーヌスの妖艶な歌声には、再びノックアウトされました。この人、カルメンなどもはまり役になりそうです。グールドのタンホイザーは今日の方が出来がよかったです。前回のように歌唱だけで演出を補わなければならない、というプレッシャーがなかったせいでしょうか、のびのびと歌ってくれました。
ゼリークのヘルマンは立派な領主で、前回、悪役声になっている、という印象を受けたところは、実はヴェーヌスベルクを経験したことに対する憤怒の念の表現だったのだ、ということに気づきました。そういえば、領主だけあって、レジオン・ドヌールの赤い略章を付けていました。ちなみに、この人、メトロの1番線に乗り、シャトレで降りて帰って行きました。歌手という職業も大変です。

さて、今日はカーセンの演出を堪能することができました。歌手を画家に読み替えた演出、ということは東京公演の記事を読んで知っていたのですが、「ワルトブルクの歌合戦」なのに何故絵画なのか、という問いは幕が開けてからもしばらく残り、第2幕の歌合戦の場面が本当に心配でした。が、歌を終えると同時にキャンバスを覆った布を取り去って自作の絵を舞台の上の「観客」に見せる、という演出は思った以上にしっくりと来ました。「呪われた芸術家」あるいは「芸術家と社会」というこのオペラの本来のテーマがわかりやすく提示されていたように思います。自分としては好きです。前奏曲および第1幕ではヴェーヌスベルクが象徴しているのは芸術家の創造の現場なのではないか、第2幕ではヴェルニッサージュに集う人々の俗物振り(シャンペンやカナペに殺到)を果たして我々は笑えるのか、タンホイザーはエリザベートの中にヴェーヌスをみているのではないか、第3幕で無数のローマ帰りの人々が持っていた布地が張られていないキャンパスは何を意味するのか、いろんなことを考えさせられた、知的にもおもしろい舞台でした。前奏曲中の振り付けが若干音楽を邪魔したのは事実なのですが、そもそも「パリ版」ではバレエが入っているわけですから、邪魔されたと思う方が間違っているのでしょう。そして、ぞっとするくらい美しかったのが、第3幕でのヴェーヌス登場を予感させる舞台左手から差し込む妖しい赤い光の色。逢魔が時の光とはまさにこの色なのでしょう。
そして、不覚にも涙がこぼれたのが、ヴェーヌスベルクに再び行こうとしていた自暴自棄になったタンホイザーがヴォルフラムの言葉ではっと我に返りエリザベートの名を呼んだ時、エリザベートがヴェーヌスと全く同じ白いシーツに身を包んだだけの姿で出てきたのを目にした時でした。エリザベートとヴェーヌスが、二人で連れ立ってイーゼルの前のタンホイザーを巡るように歩き、舞台から消えていった時、見事にアガペーとエロスが止揚されました。
エリザベートは死なず、ヴェーヌスも滅びず、タンホイザーの芸術が万人に認められ、美術の殿堂に列せられることとなったところで舞台の灯りが消える。各時代でスキャンダルを引き起こしながら「名作」に列せられた作品のなかに、タンホイザーの作品も掛けられることとなる。最後まで客席に向けられることのないキャンバスに何が描かれているのかは、観客一人一人の想像力次第。受け入れられないことの苦悩と、受け入れられずとも自分の信じた道を行くことの大切さを、若干説明的ではあっても見事に視覚化したこの舞台からは、音楽の力とあいまってのカタルシスを得ることができました。
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Dscn3208大満足となった終演後、小澤さんのサインをもらおうと楽屋口でしばらく張っていたのですが、結局寒さに負けました。来年、日仏交流150周年で水戸室内管弦楽団と一緒にいらっしゃった際に、サインをもらいに行きたいです。

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dimanche, 23 septembre 2007

CAPRICCIO@ガルニエ

1週間の疲れを取る12時までの爆睡の後、今日からオペラの新シーズン。ガルニエでカプリッチオを観てきました。

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(写真:パリ・オペラ座HPより)

Richard Strauss (1864-1949)
Capriccio
Conversation en musique en un acte (1942)
Livret de Clemens Krauss et Richard Strauss
En langue allemande

Direction musicale Hartmut Haenchen
Mise en scène Robert Carsen
Décors Michael Levine
Costumes Anthony Powell
Lumières Robert Carsen et Peter Van Praet
Chorégraphie Jean-Guillaume Bart

Die Gräfin Solveig Kringelborn
Der Graf Olaf Bär
Flamand Charles Workman
Olivier Tassis Christoyannis
La Roche Jan-Hendrik Rootering
Die Schauspielerin Clairon Doris Soffel
Eine Italienische Sängerin Elena Tsallagova
Ein Italienischer Tenor Juan Francisco Gatell
Monsieur Taupe Robert Tear
Der Haushofmeister Jérôme Varnier
Acht Diener Jason Bridges, Igor Gnidii, Mihajlo Arsenski, Etienne Dupuis,
Bartlomiej Misiuda, Johannes Weiss, Vincent Delhoume, Mark Richardson

Orchestre de l'Opéra national de Paris

案内係の人から配役表をもらって気付いたのですが、このオペラ、幕間がない。2時間半の間、ずっと見続けなければならないことに気付き、プログラムを買いに行きました。今日の座席は天井桟敷の3列目。前の席との間がそれほどまでは狭くなく助かりました。
開演10分前に「携帯の電源を切ってください。」のアナウンスが流れ、随分早いなぁ、と思っていたらすぐに劇が始まりました。そして開演時間の14時半、シャンデリアの光が無くならない中、弦楽6重奏が始まります。カーセンの演出では「ローエングリン」でも最初から幕が開いていて劇が始まっていました。こういうのが好きな人なのかも知れません。暗い舞台裏で劇が始まり、途中舞台奥にきらびやかなサロンが覗くところも、ローエングリンに似たところがあります。他方、最終シーンへの舞台転換で、一旦降りてきたガルニエのだまし絵の緞帳が再び上がるとそこに全く同じだまし絵の緞帳が下りていたり、鏡の向こうに映るもう一人の伯爵夫人に全く同じ格好をした別人を使っていたり、伯爵夫人が退場していくところでは舞台装置が全て上がっていってスタッフの人たちが待ち受けていて、舞台裏のセットの灯りが全て消えた向こうにバレエの練習をするバレリーナが一人残って練習を続けていたり、と、現実と劇とがいくつも入れ籠になったような構造が作られていたのには感心しました。「オペラは詩(言葉)が先か音楽が先か」という、このオペラの主題の一つである解きようのない問いは、そのまま置くとして、人生と劇との複雑な相関関係をちらりと見せてくれたような、そんな素敵な演出です。
指揮者のヘンシェンの指揮は極めて流麗。ベームのCDでは感じなかった感興の高まりを覚えたのが、フラマンの愛の告白を受けた伯爵夫人が一人舞台に残ったシーン。伯爵夫人の心の高ぶりをそのまま楽譜にしたような音楽は、波のようにうねって次から次へとこれでもかと感情を刺激してきて、その官能的なまでの美しさには舞台が霞んで見えるほどでした。あの部分を聞くためだけにもう一度時間があれば来てみたい、そんな気持ちになりました。
歌手では、誰か一人がずば抜けてはいないものの、チームワークの良さがありました。伯爵夫人のクリンゲルボーンの控え目でありながら確実な歌唱は安心して耳を委ねることができましたし、フラマン役のワークマン、オリヴィエ役のクリストヤニスは伯爵夫人を支える2大衛星といった風。劇場支配人役のロータリングは、ワグナー(例えばバスティーユのローエングリンでハインリッヒ王や、ミュンヘンのマイスタージンガーでハンス・ザックス)では声が聞こえないのですが、ガルニエ程度の箱であまり分厚いオーケストラを背景にしない限り、十分に立派です。伯爵役のベールさん、クレロン役のソフェルさんも、伯爵夫人を立てる堅実な歌唱でした。こういうオペラでは、スーパースターが不在の今日のような配役がちょうどよいように思います。

カフェ・ドゥ・ラ・ペでお茶をした後、日本食材屋で買い出しをして早々に帰ってきました。オペラの新シーズン、幸先の良いスタートを切ることができたようです。

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vendredi, 06 juillet 2007

椿姫(La Traviata)@ガルニエとハードロック・カフェ

今シーズン最後のオペラ観賞に行ってきました。ガルニエの椿姫、新演出です。

Giuseppe Verdi (1813-1901)
La Traviata  Opéra en trois actes (1859)
Livret de Francesco Maria Piave d’après La Dame aux camélias d’Alexandre Dumas fils
En langue italienne

NOUVELLE PRODUCTION(新演出)

Direction musicale(指揮): Sylvain Cambreling
Mise en scène(演出): Christoph Marthaler
Décors et costumes(大道具、衣装): Anna Viebrock
Chorégraphie(振り付け): Thomas Stache
Lumières(照明):Olaf Winter
Chef des Choeurs(合唱指揮):Peter Burian
Choeurs préparés par Alessandro Di Stefano

Violetta Valéry(ヴィオレッタ):Christine Schäfer / Nataliya Kovalova (12 juillet)
Flora Bervoix(フローラ):Helene Schneiderman
Annina(アンニーナ):Michèle Lagrange
Alfredo Germont(アルフレード):Jonas Kaufmann
Giorgio Germont(ジェルモン):José Van Dam
Gastone(ガストーネ):Ales Briscein
Il Barone Douphol(ドゥフォール男爵):Michael Druiett
Il Marchese d’Obigny:Igor Gnidii
Dottor Grenvil(グレンヴィル医師):Nicolas Testé

Orchestre et Choeurs de l’Opéra national de Paris

シェファーがヴィオレッタを歌い、ジョゼ・ヴァン・ダムがジェルモンという配役に、年間予約を入れる時には大いに期待していたのですが、結論から言うと深い失望に満たされた、そんな公演でした。
まず演出です。舞台はオペラハウスのクロークのようなところで始まります。大いに華やかさに欠けます。それはまあいいとして、その奥にさらに小さな舞台が置かれていて、時折その舞台の幕が開くと、ヴィオレッタとジェルモンの愛の巣になったり、合唱団が冷たく物語りを見つめる場所となったり、ヴィオレッタの死の床があったりする。ふうん、まあいいや。でも、何ら必然性が感じられない。必然性という観点では、合唱団の人たちが「どうしてそういう動きをするの?」という、機械仕掛けのような奇妙な振り付けを受けていて、正直なところ不愉快でした。音楽とも筋とも何ら関係ないし。衣装そのものは綺麗なのですが、その美しさをもう少し違う背景と動作で観たいと思わせる、そんな貧相な舞台でした。何故ガルニエでこれを?。
音楽の方も、安全運転でドラマが全く感じられない。起伏がない淡々とした音楽作り。第2幕第1場のヴィオレッタが別れを決意する場面など、身を乗り出してどうなるか聴いていたのですが、全く煽ってくれない。主人公の哀切さを伴奏してくれない。そして、なにより締まりがない。クライバーのCDが原体験だったということを差し引いても、あの「ゆるさ」は今期観たオペラの中でも最たるもの。緊張感に欠けた、昔のパリ・オペラ座管弦楽団が帰ってきた、そんな印象を受けました。
そして、歌手にも失望です。シェファーはもう過去の人なのでしょうか。1月にドン・ジョヴァンニでドンナ・アンナを観た時にも今ひとつ。今回のヴィオレッタには期待していたのですが、期待はずれでした。コロラトゥーラを全力で歌おうとせず誤魔化しが目立つ。手を抜いて終わりだけ合わせようという歌い方をされると、聴いている側の緊張の糸も切れてしまいます。それに、ドラマがある箇所ではもっとドラマティックに歌ってくれてもいいのに。必死に歌ってくれてもいいのに。。。それに輪をかけて、演技の方にも迫力がない。ジェルモンがあらわれても、寝椅子に寝転がったまま歌っていて、これじゃあ、どんなに字幕の上でせっぱ詰まったやりとりが行われていても、ドラマにならない。まあ、こちらは演出のせいかも知れませんが。。。1965年生まれということですので、今年で42歳。歌手としてはまだまだこれからのはずなのですが、シェファーにとってここ数年は大切な時期だと思います。今後どういう方向を目指すのか。ドンナ・アンナの時に感じた声の荒れはそのままでしたし。。。さらに言えば、ちりちりパーマの髪型は、黒いシュミーズを着ていても、とても高級娼婦には見えませんでした。大いに残念です。
アルフレード役のカウフマン氏は、最初、紹介を受けて歌い始めた時、これが本当にアルフレードなのか、と我が耳を疑うほどくぐもった声で、思わず鼻をかみたくなりました。ガストーネ役のブリスサイン氏の方がよほどアルフレード役にふさわしい声の持ち主でした。なにより残念だったのが、第3幕、ヴィオレッタが死んでいくシーンでも、ヴィオレッタを心から助けたい、という気持ちが感じられない、平板な歌唱だったことです。
そして、ジョゼ・ヴァン・ダム。御年67歳、しかも今シーズンも終わり頃の舞台ともなるとさすがに大変なのかも知れませんが、声量にも正確さにも欠けていました。昨年6月にバスティーユで「ファウストの劫罰」、メフィスト役で聴いた時には、その悪魔的な表現力の豊かさを楽しめたのですが、謹厳な父親という役回りの表現も不足している。いや、まてよ。役回りに応じた表現ということだと、シェファーにもアルフレードにも欠けていた。もしかするとそういう演出だったのかも。
淡々と朗読されたような「椿姫」、テレビ・カメラが4台ほど入っていたので、もしかするとDVDになるのかも知れませんが、願わくば発売されないことを期待します。キレもコクもない「ラ・トラヴィアータは広く発信すべきではありません。今回の公演だけで十分でしょう。真実が何ら表現されていないのですから。

全員が揃って出てきたのは1度だけで、拍手も早々に止んだ醒めたカーテンコールの後、しばらく歩いた先にあるパリのハードロック・カフェで「世界共通レシピで作り上げるボリュームたっぷりなアメリカ家庭料理」らしいハンバーガー(いくつかありましたが、メニューの一番上にあったもの)とビールを存分に楽しんできました。「HARD ROCK CAFE PARIS」と印刷された各御当地もののTシャツも買ってしまったのですが、これが20ユーロ程度。日本だと2415円らしいので、1ユーロ120円というのが自然なのでしょう。そろそろ170円の声が聞こえてきました。。。

ガルニエでの観劇後にハードロック・カフェに行きたくなるような公演に、来シーズンには出合わないことを願っています。

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dimanche, 10 juin 2007

仮面舞踏会(Un Ballo in Maschera)@バスティーユ

昨日の夕方以降の晴れ空が恨めしくも維持された今日は、14時半からバスティーユで「仮面舞踏会」を観てきました。今シーズンの新演出です。そのためなのか何故なのか、チケットの値段が通常の公演よりも若干高め、ワグナーの楽劇の時のような水準にセットされていました。CD2枚分のオペラなのに、不思議です。

仮面舞踏会(Un bal masqué)@バスティーユ
Giuseppe Verdi (1813-1901)
Melodramma en trois actes (1859)
Livret d’Antonio Somma inspiré de Gustave III ou Le bal masqué d’Eugène Scribe
En langue italienne
NOUVELLE PRODUCTION
Direction musicale(指揮):Semyon Bychkov, Paul Weigold (13, 16 juin, 7, 10, 13 juillet)
Mise en scène(演出):Gilbert Deflo
Décors et costumes(大道具・衣装):William Orlandi
Lumières(照明):Joël Hourbeigt
Chef des Choeurs(合唱指揮):Peter Burian

Riccardo(リッカルド):Marcelo Alvarez / Evan Bowers (4 juin, 10 et 13 juin) / Giuseppe Gipali (7 juin) / NN (7, 13 juillet)
Renato(レナート):Ludovic Tézier
Amelia(アメーリア):Angela Brown, Aprile Millo (7, 10, 13 juillet)
Ulrica(ウルリカ):Elena Manistina
Oscar(オスカー):Camilla Tilling
Silvano(シルヴァーノ):Jean-Luc Ballestra
Sam(サム):Michail Schelomianski
Tom(トム):Scott Wilde

Orchestre et Choeurs de l’Opéra national de Paris

本来、マルセロ・アルヴァレスがリッカルド役を歌うはずだったのですが、「風邪をひいている」らしくエヴァン・バワーズ氏が代役を務めることになった旨、会場に貼り紙がしてありました。この人、パリのシモン・ボッカネグラでステファノ・セッコ氏が出ない時に歌っていた人のようです。
さて、そのバワーズなのですが、やっぱり役不足の感は否めませんでした。彼にとっての高音域に入ってくると、無理に声を張り上げているようなところが感じられ、その声そのものも若干荒れている。。。調子が悪い時期だったのかも知れません。カーテンコールでの拍手も代役を務めたことへの労いという感じでした。
それに比べると、レナート役のテジエさんはそこそこ立派でした。レナートという人、リッカルドの親友であり、彼の暗殺計画を事前に察知してリッカルドに忠告をしながら、その彼に自分の妻を寝取られたことに逆上して暗殺に荷担し、ついには自ら手を下す、という少々直情径行で、わかりやすい人物です。聴衆の側に感情移入して聴かせるには、相当の表現力が必要のように思いますが、あるいは、そんなこと無理なのかも知れません。立派な歌声でしたが、表現力は役どころに追いついていませんでした。でも、誰が追いつけるのだろう。。。
アメーリア役は、意表をついて黒人でした。声はどちらかというとメゾ・ソプラノに近いような。不倫妻という役がそうしているのかも知れませんが、若干妖艶な方向に振れすぎていて、大きな違和感を覚えました。HPによれば、アフリカ・アメリカのスピリチュアル音楽を歌ったりしているようですが、そういうことからも、ウルリカ役の方がお似合いだったかも知れません。難しいところです。7月に入ると、この役をアプリーレ・ミッロが歌うとか。そちらにしておけばよかったかなぁ。。。
ウルリカ役のマニスティーナさんは、ロシア生まれの33歳。顔を真っ黒に塗って、魔女的歌唱を聴かせてくれました。カーテンコールでもそこそこ好評を博していました。
歌手陣で今日の一番は、オスカー役のカミーラ・ティリングでした。ガルニエのイドメネオで、イリア役を歌っているのを聴いていて、そのときは余り印象に残っていないのですが、器用にコロラトゥーラをこなす溌剌としたズボン役を演じた今回は、他の歌手に対して比較優位に立ったということもあるのかも知れませんが、大変素晴らしく、カーテンコールでも最大の拍手喝采を受けていました。さらなる活躍に期待です。

新演出の方は、黒と白のモノトーンを基調とし、背景は黒、床も真っ黒な大理石風。第1幕第1場と第3幕第1場の「リッカルドの書斎」では、真っ白な半円形の議場のような階段が置かれ、第1幕第2場は黒い巨大で怪しげな動物の彫刻柱が置かれています。第2幕第3場の仮面舞踏会の場面でも、ドレス、マスクは黒と白、踊りを踊る人たちのアルルカンのような衣装も黒と白。徹底しています。本音を言えば、第2幕第3場の仮面舞踏会のシーンで、それまでのモノトーンから一転、目が覚めるような極彩色の世界が展開されてくれればなぁ(「オペラ座の怪人」の第2幕冒頭のように)と、密かに期待もしていたのですが、それはそれ。シックな演出もなかなかよかったです。ただ、別にこのオペラでそこまでシックにしなくてもいいのではないか、という気もしますが。

オーケストラは、ビシュコフの指揮のもと、リズム感がよく、美しい音色を聴かせてくれました。が、少々コンパクトにまとまり過ぎてしまったかも知れません。欲を言えば、もっと派手に、もっと情熱的に、やってくれてもよかったかも知れません。

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ほどほどに満足した観劇の後は、京子食品で買い物をし、Étoile Marocaineでクスクスを食べて帰ってきました。釣り、買い物、オペラと盛りだくさんだったちょっと早めの夏休みもこれで終了。凱旋門の夕陽が美しかったです。

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samedi, 19 mai 2007

ローエングリン(LOHENGIRN)@バスティーユ

今日は19時から、バスティーユでローエングリンを見てきました。
情熱一杯で、大変ヒューマンなローエングリン、指揮者とタイトルロール、それにオルトルートが今日の殊勲者です。

Wagner (1813-1883)
Lohengrin
Opéra romantique en trois actes (1850)
Livret du compositeur
En langue allemande
Direction musicale(指揮):Valery Gergiev
Mise en scène(演出):Robert Carsen
Décors et costumes(大道具、衣装):Paul Steinberg
Lumières(照明):Dominique Bruguière
Chef des Choeurs(合唱指揮):Peter Burian

Heinrich der Vogler(ハインリッヒ王):Jan-Hendrik Rootering
Lohengrin(ローエングリン):Ben Heppner
Elsa von Brabant(エルザ):Mireille Delunsch
Friedrich von Telramund(テルラムント):Jean-Philippe Lafont
Ortrud(オルトルート):Waltraud Meier
Der Heerrufer des Königs(伝令):Evgeny Nikitin
Orchestre et Choeurs de l’Opéra national de Paris
(オペラ座プログラムよりコピーしたものを適宜加工)

10年前に2度、8年前に1度、バスティーユでこの演出の舞台を見たことがあります。また、この演目自体は、10年前にシャトレ座で行われたベルリン州立歌劇場の引っ越し公演で1度、9年前の新国立劇場のこけら落とし公演で1度、さらに10年前、バスティーユで舞台係のストのため演奏会形式で行われた時に1度、通しで聞きました。今回で7度目のローエングリン観劇となったわけですが、まさにラッキー・セヴン。今回の公演がこれまでの中で一番素晴らしいものでした。

何より、ベン・ヘップナーのローエングリン。第1幕で登場し、白鳥にお礼と別れの歌を歌うその声の純粋な輝きに、一気に劇の中に引き込まれてしまいました。やはり、タイトル・ロールがしっかりしているワーグナーは引き締まります。第2幕でも、合唱を突き抜けて届いてくる声に痺れ、第3幕では音程移動を若干引きずるように歌唱法を変えて、甘いとろけるような歌を聴かせてくれました。もちろん、グラール語りも堂々と歌い上げてくれ、最後の「Sein Ritter ich - bin Lohengrin gennant」でバシッと決めてくれました。演技の方は、特に第3幕で、名前を聞きたい気持ちをほのめかすエルザをなだめるあたり、若干大げさではあり、また、エルザが名前を聞いてしまった後、ブラバントを離れなければならない苦悩をあまりに人間的に表現していたのですが、これも演出ということなのでしょう。こういうローエングリンも素敵です。カーテンコールで隣にいたイタリア人のおばちゃんは、ガッツポーズをしてブラヴォーの歓声を上げていました。満場のうなり声のような喝采、ものすごかったです。
そして、このヘップナーを超える喝采(うぉぉおおお、と、まるで地響きのようでした。すごかった)を受けていたのが、オルトルート役のマイヤーでした。2005年5月にバスティーユでイゾルデを聴いた時以来、およそ2年ぶりの再会でしたが、相変わらず素晴らしい。ちりちりパーマの頭、小柄な体で、合唱の中でも重唱の中でも存在感が引き立つ絹のような声を少し汚して、性悪な魔女役を熱演していました。第2幕のエルザとの二重唱の場面、あまりに美しいメロディーに隠された底知れぬ悪意の歌では、ぞっと鳥肌が立ちました。ローエングリンにおけるオルトルート役の大切さを再認識できました。
エルザとテルラムントは、ともにフランス人のデルンシュとラフォンという、パリ・オペラ座の常連歌手。共に十分主役級を歌える歌手たちです。デルンシュの方は、しっかり通っては来るが金属的ではない声に、若干のヴィブラートを掛けて、若干神経症的なエルザ役を上手く表現してくれましたし、ラフォンの方もアクのある太い声で、悪役の憎々しげな表情付けが小憎らしいくらい決まっていました。
伝令役のニキティンは、第1幕冒頭にはっと驚くくらい、立派な声を響かせてくれました。その後も伝令にしておくには勿体ない歌声で、後述のロータリングと置き換えたいくらい良かったです。プロフィールを見ると、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場にしばしば登場しているらしい。有名な歌手だったんだ。また聴けるといいのですが。
唯一、若干残念だったのが、ハインリッヒ王役のロータリング。彼はいつものことですが、ビロードのような優等生的声質故、歌がオーケストラの音の中に紛れ込んでしまって引き立ってこない、という問題があります。もう少し引っかかりのある声の方がいいのですが。。。ただ、体格は立派でしたし、王様の威厳は十分に保たれていました。

10年前から変わらないこの演出も、結構好きです。
最初から幕が開いていて群衆(=合唱団)がうろうろしている様、第2幕でも幕は最初から開いていて、音楽が始まる前に酔いどれテルラムントが出てきて焚き火をおこす様、第3幕ではベッドメイキングをしながら結婚行進曲が合唱される様など、大変懐かしく鑑賞することができました。舞台装置も衣装も、寒色系のくすんだ色合いのものが使われていて、その中に銀色の甲冑に身を包んだローエングリンが出てきたり、舞台奥の異界とブラバントの結節点にある扉が開いて錦秋の庭に白鳥が出てきたりすると、はっとさせられます。そして、第1幕、名前を問うてはならない、ということをエルザに約束させた後、ローエングリンが「Ich liebe dich」と歌うところなど、上方からの強い白い光に照らされた二人の姿は、神々しいまでに美しかったです。最後に、肩を落として立ち去っていくローエングリンの後ろ姿の切なさ、ゴットフリートが木を植えるところも、また新しい感興を呼び覚ましてくれました。

そして、何よりゲルギエフの指揮が素晴らしかった。CD(ケンペ、アッバード、カラヤン、クリュイタンス)あるいは過去の公演(バレンボイム、コンロン)で聞き慣れたものとはひと味違う音楽に触れることができました。
結構テンポが揺れます。第1幕の最後の場面ではオーケストラがついてこれないくらいのスピードで加速していましたし、第3幕の前奏曲も同様(こちらではオーケストラもしっかりとついて行っていました。相当練習したのでしょう。周囲の人も乗り出してオーケストラ・ピットを覗き込んでいましたし)。第3幕のエルザとローエングリンの二重唱の場面では突然のレガートに、タメきることができなかったエルザがフライング気味に声を出してしまったり、といったこともありました。ただ、そういった表現が、何か計算したもの(バレンボイムがこれをやると何故か計算を感じてしまいます。主観の問題なのでしょうが)ではなく、指揮者の体の内側から出てきているように感じられ、そうなると説得力を持ってきます。あまりに人間的な音楽でした。
第1幕の青と銀の前奏曲では弦楽器の息の長い輝き、第2幕前奏曲の木管のべっとりと粘り着くような響き、第2幕終わりの審判のライトモチーフを吹き上げる金管の運命的な響き、第3幕前奏曲の軽快さと結婚行進曲の祝典的雰囲気等々、様々な箇所で、そうそうこれこれ、と思わせてくれる表現振り。今回は、合唱が少し先行してオーケストラを引っ張っていくようなところもありましたが、「のろまな」パリ・オペラ座合唱団をしてここまで持っていくとは、相当程度、合唱指揮のブリアンさんが訓練したのでしょう。
昨年のトリスタンでも、官能的な音楽を聴かせてくれたゲルギエフ、今回のローエングリンでも同じ路線で素晴らしい音楽を聴かせてくれました。今度はいつ聴けるだろう。もう一度、この演目を見に来ようかな。久しぶりにそんな気になった公演でした。
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終演後、興奮を冷ますためバスティーユ脇のカフェで一服していると、合唱団の人たちが入ってきて音楽談義を始め、やがてエルザ役のデルンシュさんも入ってきました。さっきまで2700名の人の前で歌っていた人たちも、ふつうの姿に戻ってふつうにカフェでビールを飲んだりしている。なんだかうらやましいような気分になりながら、1時半頃、帰りつきました。
明日は6時50分起床、4連休の最後を締めくくるフリーガン行です。

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mercredi, 18 avril 2007

サンドリヨン(シンデレラ)@ガルニエ

チケットを譲ろうと思っていた人が体調が悪くなったとのことで、業務に追われながら、ガルニエにサンドリヨン(シンデレラ)を見に行ってきました。1986年に振り付けと演出が作られたヌレエフのバレエ。イオネスコの舞台装置に森英恵の衣装です。それにプロコフィエフの音楽。この日はこの演出になってから82回目の公演だそうです。

Musique(音楽) Serguei Prokofiev
Adaptation, chorégraphie et mise en scène(翻案、コレグラフィー、演出) Rudolf Noureev (Opéra national de Paris, 1986)
Décors(舞台装置) Petrika Ionesco
Costumes(衣装) Hanae Mori
Lumières(照明) Guido Levi

Cendrillon(サンドリヨン) Agnès Letestu
L'acteur-vedette(売れっ子俳優) José Martinez
Les soeurs(姉妹) Mélanie Hurel, Nathalie Riqué
La marâtre(継母) Stéphane Phavorin
Le producteur(プロデューサー) Karl Paquette
Le professeur de danse(ダンス教師) Emmanuel Thibault
Le père(父親) Cyril Fleury

Orchestre de l'Opéra national de Paris
Direction musicale(指揮) Koen Kessels

バレエを見るのは10年前の年末にここで「胡桃割り人形」を観て以来、2回目です。今回の滞在では初めて。舞台が始まってからしばらく、音楽が流れているのに声が聞こえないことに違和感を覚えたりもしましたが、やがてそれにも慣れてしまいました。
物語は、ハリウッド・スター誕生のいわゆる「シンデレラ・ストーリー」となっていて、魔法使いはプロデューサー、という翻案がなされています。「HANAE MORI」と書かれた衣装ケースが出てくる。カボチャの車は当初カボチャの形で出てくるのですが、裏返って空気が入って、アメリカのクラッシック・カーになる。ボディコンのウェイトレスが振りかえる姿の巨大な人形が舞台上方から降りてくる。キング・コングが出てくる。ネオン煌めく夜の街が出てくる。1986年制作ですから、初演から20年の時が過ぎていることになります。既に「古典」と言ってもよいような舞台装置に演出なのでしょうが、とてもお洒落で素敵なものでした。森英恵の衣装も美しかったです。
ダンスの方は、とにかく緊張感があって、見ているこちらが汗ばんでしまいました。どんなに激しく動いても、顔には絶えず笑みを浮かべているダンサーたちに、プロの姿を見ました。と同時に、バレエ・ダンサーになるには、体の柔軟性に瞬発力、リズム感などの運動神経に加えて、容姿端麗であることも必要なのだなぁ、とつくづく思いました。様々な天賦の才に恵まれた人たちの舞台は19時半に始まり22時20分に終了。2度の20分の幕間を挟んでの3時間弱、最後まで舞台に目が釘付けになった、そんな貴重な経験をすることができました。
食事をして一旦職場に戻り、メールチェック等を終えて帰ってきたのが深夜1時。明日からの出張の荷造りをして就寝です。

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mardi, 17 avril 2007

シモン・ボッカネグラ(Simon Boccanegra)@バスティーユ

先日、舞台装置担当の人たちのストで延期したシモン・ボッカネグラをみにいってきました。同行してもらう予定だった知り合いが体調が悪いとのことでキャンセル。チケットを持ってきてもらって、バスティーユの前で15分ほどチケットをかざしながら待っていたのですが、既に当日券窓口には誰も並んでいない。同じような境遇の人たちと情報交換したのですが、「昨年の新演出だが、演出があまり綺麗なものではなく、人気がないということなのだろう」という分析でした。「それにしてもおかしい。」というのが別の人の言葉。19時20分を過ぎた頃、「Bon courage (頑張ってください)」と言い残して、売れ残った1枚の券とともに2枚を持って入っていった同じ境遇の人の後を追い、1枚を懐に温めながら入場です。

Simon Boccanegra
Melodramma en un prologue et trois actes (1881)
Livret de Francesco Maria Piave et Arrigo Boito d’après la pièce d’Antonio Garcia Guttierrez
En langue italienne

Direction musicale(指揮) James Conlon
Mise en scène(演出) Johan Simons
Décors(大道具) Bert Neumann
Costumes(衣装) Philippe de Saint Mart Guilet
Lumières(照明) Lothar Baumgarte
Chef des Choeurs(合唱指揮) Peter Burian

Simon Boccanegra(シモン・ボッカネグラ) Dmitri Hvorostovsky
Jacopo Fiesco (Andrea)(フィエスコ・アンドレア) Franz Josef Selig
Maria Boccanegra (Amelia Grimaldi) (アメーリア)Olga Guryakova
Gabriele Adorno(ガブリエーレ) Stefano Secco / Evan Bowers (26 avril, 10 mai)
Paolo Albani(パオロ) Franck Ferrari
Pietro(ピエトロ) Nicolas Testé

座席はフランス風2階席の2列目11番、見下ろしてみると空席が目立ちます。大体8割5分くらいの入りということでしょうか。それと、自分の前の列は修学旅行のような南欧系の高校生たちが、精一杯お洒落してずらっと並んでいます。一体どういうことなのだろう、と舞台を見やると、選挙に使うような巨大なポスターが貼られた台がどこんと置いてあって、ポスターには一面の顔写真に「Fiesco」という字が。思わず呆然と見やってしまいました。実際にパリの街中は大統領選挙に向けたポスターが随所に貼られている。何かのメッセージなのだろうか。
会場が暗転し、音楽が始まったのですが、最初から会場内に散漫な雰囲気が満ちています。私語が止まない。客席からフラッシュが光る。携帯の液晶画面の明かりがちらちらする。当初、私語に対して「シー」という声が聞こえたりもしたのですが、やがてそれもなくなり、ついに終了までボソボソという響きが音楽の響きの下の方に聞こえてました。ヴァカンス中のパリ・オペラ座はオペラを見に来る場所ではないのか。
「演出があまり綺麗ではない。」という話を聞いていたのですが、確かに単純な舞台装置です。序幕で「Fiesco」だったのが第1幕以降「Boccanegra」になるのは、平民出身のボッカネグラ政権になったからなのでしょう。シモン・ボッカネグラの服装も、序幕ではTシャツの上にシャツを羽織ったジーンズ姿だったのですが、第1幕以降は立派な背広姿となってました。モードは優れた記号です。議会で争いが起きかけた時に、台の前に並んだ簡易椅子を持って戦いが始まった時には会場内から苦笑が漏れていましたが。。。ただ、舞台を囲み、あるいは第1幕の冒頭、舞台の前面に降りてきたスパンコール幕の煌めきは、大変美しいものでした。総じて言えば、舞台係がストをしたくなるのも分かる、そんな演出だったように思います。
オケの方は、当然のことながら(?)、先日、ウィーンで聴いた時ほどの流麗な感じはありませんでした。第一幕冒頭の木管楽器も高温部がキンキンするような感じで、また、全体が溶け合っていない。もこもこと夢のような優しい響きを聴かせてくれたウィーン国立歌劇場管弦楽団とは比較になりません。ただ、金管が派手に吹き上げるところの迫力はウィーンでは感じることができなかったもので、ことによるとこういう派手な部分はパリの方が上手かも、などと思いました。指揮者のジェームズ・コンロンは数年前までここの常任指揮者だった人で、ある意味、オーケストラも慣れていたのかも知れません。大崩れすることのない、無難な音楽を聴かせてくれました。
歌手では、今日の一番は期待通り、ガブリエーレを歌ったステファノ・セッコでした。散漫な雰囲気だった会場も第1幕、幕の向こう側からセッコの歌声が響き始めると若干ではあっても締まってくれました。小柄な体躯に似合わず声量があって、声の質もヒーロー的です。おそらく役柄次第ではもっと甘い声を聴かせてくれたりもするのだろうなぁ、と思わせてくれるところもあって、満足できました。少なくとも、ウィーンの時のサバティーニよりはよかったです。
それとならんで、フィエスコ役のゼーリックもよかった。立派な体躯に太い声のバスは、脇役にしておくのが勿体ないくらい。今度は主役級の役回りで歌ってくれる場面に立ち会いたいです。
黒Tシャツに黒ジャケットにオールバックで、杖をついていたパオロ役のフェラーリはいかにも悪役らしく、こちらも立派。アメーリア役のグリャコヴァさんは若干ヴィブラートがうわずる場面もありましたが、唯一の女声で舞台をほっとさせてくれる。シモン・ボッカネグラ役のホヴォロストフスキー氏は、ちょっとくぐもった声質だったのですが、よく声が通っていたのは声質故なのでしょうか。主役らしい歌を聴かせてくれました。
若干散漫な雰囲気に興がそがれる部分はあったものの、粒が揃った歌手たちに派手なオーケストラ、ほどよく満足できる公演となりました。
公演終了後、一旦職場に戻り、メールの処理を行って帰宅。改めてネットでこの演目のことを再確認していたら、「Les élections présidentielles et Simon Boccanegra(大統領選挙とシモン・ボッカネグラ)」という項目がHP上に設けられているのに気付きました。モルチエ総裁のヴィデオ・レターまで付けられています。その要旨と思われれる文章を以下、貼り付けておきます(オペラ座HPより)。
L'Italie de Verdi est déchirée par des guerres intestines. Le pays connaît des inquiétudes comparables en bien des points à celles qui existent aujourd'hui en France. Grand défenseur de la démocratie, le compositeur a lutté pour l'unité italienne : il est déçu par cette situation politique. C'est dans ce contexte qu'il va composer - ou plutôt recomposer - son Simon Boccanegra, où deux partis s'entretuent et se réconcilient finalement autour d'une affaire privée, mais aussi dans l'intérêt du pays.
A l'instar de Verdi qui avait réécrit la première version de son opéra pour le rendre plus frappant, la mise en scène et les costumes ont été entièrement retravaillés pour cette reprise. Le rôle de Simon Boccanegra sera tenu par l'un des plus grands barytons d'aujourd'hui : Dmitri Hvorostovsky. A ses côtés, la fille du héros sera interprétée par Olga Guryakova que beaucoup de nos spectateurs connaissent déjà comme Rusalka, ou Tatiana dans Eugène Onéguine. Dans notre contexte électoral, la mise en scène très contemporaine de Johan Simons va révéler toute son actualité.
ヴェルディの時代のイタリアが内戦で分裂状態にあり、その社会不安は現在、フランスにあるものとよく似ていること。民主主義者だったヴェルディはイタリアの統一のために戦ったが、イタリアの内戦状態にがっかりし、そんな時にシモン・ボッカネグラをかいたこと。その中で、2つの勢力が殺し合いをしつつも、最後にはある個人的な事柄及び国益のために和解すること。
そういった背景があって、今回のシモン・ボッカネグラはこの時期、バスティーユで上演されることになった様子です。さらに、公演に際し、このオペラを見たことのない若者に対して、1席10ユーロで1000席を売り出した、とのこと。あの散漫な会場の雰囲気の一因が、この措置にもあったのかも知れません。
オペラの演目にまで影響を与えてしまう大統領選挙、第一回投票は今度の日曜日です。

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mardi, 10 avril 2007

シモン・ボッカネグラ@バスティーユのスト

午前中の打ち合わせ、昼の大家さんと先輩との会食、午後の事務を終え、19時半からの「シモン・ボッカネグラ」のため、バスティーユに向かったのですが、やられてしまいました。大道具・舞台係のスト、です。「半コンサート形式」なる、衣装を着た歌手が演技もしながら歌うが、舞台装置はない、という、考えれば前衛的な演出でもある形式で上演は行うので観てもよい、とのことでしたが、別の日に振り替えてもらいました。休暇の真ん中にある今期初演というのは格好のストのターゲットだったなぁ、と、10年前のことを思い出しながら、レバノン料理を食べて帰途についた次第です。

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samedi, 07 avril 2007

ウィーンの休日(初日)、シモン・ボッカネグラ@ウィーン国立歌劇場

ウィーンの初日、少しだけ雲が出ていますがいい天気です。まずはぶらぶらと町歩き。
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グラーベンで見かけたペスト記念塔にウィーンのゴミ収集車、ヨーゼフス広場の怖い像(雨のせいでできたと思われる顔に入ったすじが怖い。。。バビル2世の悪役みたい)の写真です。
お上りさん気分を一気に頂点まで高めるため朝食からいきなりザッハー・トルテを。
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そう甘過ぎもなく上品なチョコレートの甘さを、ほとんど甘くない生クリームが包んでくれて、おいしかったです。朝からザッハー・トルテを食べる人たちも周囲に結構多くて、観光気分を共有することができました。

Dsc_5346王宮の周辺、歌劇場界隈を散歩していると、ロココ風衣装を着た客引きの人から、「Concert, Tonight ?」とか「コンサート ハ イカガデスカ?」と話しかけられます。「予約してます。」「ザンネン」とかいった会話に、オーストラリアでも日本語が浸透しつつあることを感じました。ちょっと嬉しいです。写真は美術史美術館前にいた客引きの人。
こういう「コンサート」、モーツァルトやらバッハやらを、ロココ風の衣装を纏い、銀色のカールしたカツラをかぶった楽団員たちが、いかにもそれらしい雰囲気の会場で演奏し、そこにはバレリーナも登場するなど、観光客に「音楽の都」を数時間で満喫させるといった趣のものらしく、ちょっと冷やかしてみたい気にもなったのですが、ザンネンながらチケットは2日分とも確保済み。またの機会に。
そうだ、チケットの確保を行わねば、と、劇場内に入っていき、正面階段の脇にあるチケット売り場に向かったところ、縦15センチ、横40センチほどの黄金のプレートが壁に打ち付けられていました。そこには黒字で大きく「LEXUS」と書かれています。ここまでの大きさのプレートを劇場内に打ち付けたのだから、トヨタのメセナ戦略もたいしたものです。そういえば、チケットにもLEXUSとプリントされていましたし。
窓口でインターネット予約を行った際のパソコン画面のコピーを見せたところ、「17時に来てください。」とのこと。そこを後にし、劇場のショップに併設している窓口で改めて尋ねたところ、劇場裏手のブッキング・オフィスで引き取ることができますよ。」とのこと。ちょっと安心し、ショップを物色していたら、ウィーン国立歌劇場でカラヤンが指揮したパルジファルのCDが見つかりました。クンドリーが2人一役、第2幕後半、パルジファルを誘惑するクンドリーをクリスタ・ルートヴィッヒが歌っている、というもので、ショップの人によれば、リリックな歌声をカラヤンが求めたことからこういう配役になった、というものらしいです。ルートヴィッヒがヴェーヌスを歌ったタンホイザーにおけるあの妖艶な歌声を思い出してわくわくしながら、早速購入してしまいました。
劇場をぐるっと回ったところにある、近代的な内装のブッキング・オフィスで2公演分のチケットを無事引き取って一安心。美術史美術館に向かいます。
美術史美術館、10年ぶりの名画たちとの再会は、ティツィアーノから始まり、ラファエロで最初の頂点を迎え、その後ブリューゲル、そしてやっぱりルーベンス。それにそれに、フェルメールが唐突にあらわれたりする。大した美術館です。正面階段を上がっていったところで見える、クリムトが描いた柱と柱の間の絵画の数々にも感心。「ロト」の物語と「ユディット」の逸話を何枚か見て、古典名画の鑑賞には聖書を知ることが必須であることを再認識。
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鑑賞の合間に美術館内のカフェテリアで野菜スープとフランクフルト・ソーセージのメニューで簡単な昼食としたのですが、このレストラン、なかなかにおいしく、鑑賞の一休みにもなり、よかったです。
美術館を出た後、マリア・テレジアの像の前で一休み。王宮を抜けてホテルの方へ向かいます。時々春のそよ風にのって運ばれてくる馬糞の香りが、ウィーンの光景に分かちがたく結びついて記憶化されていきます。それにしても馬車の多いこと多いこと。信号が電柱ではなく空中のケーブルに取り付けられているのも面白い。
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改装を拒んでいるという古いカフェ、HAWELKAのテラスでビールを飲んで一旦宿へ。F1・マレーシア・グランプリの予選風景を音を消して流しながら30分ほど仮眠をとり、オペラに備えました。

途中、若干雨がぱらつく中、ウィーン国立歌劇場までケルントナー通りを歩いて15分ほど。10年ぶりに内部に入り込んだのですが、パリのガルニエ宮に比べれば落ち着いている、というのが印象でした。ガルニエ氏は、パリのあれを作ってしまったことでそれ以後あまり建築を頼まれなくなった(敬遠されてしまった)、という逸話もあるらしく、さもありなんという感じです。
今晩は2階席の桟敷席最前列、舞台を左手に見下ろし、オーケストラ・ピットのほぼ上、といった場所(座席番号は、1.RANG LOGE LINKS Loge3 Platz3)でした。ここの桟敷席は、桟敷同士を区切る柱が少し奥まっているため、最前列であればほぼ難なく舞台の全容を見ることができるのがよいところです。各個人用の字幕装置が付いているのも新発見。私の席の前のものは接触が悪いのか機能していませんでしたが。。。
この個人用の字幕装置というのは、以前、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場でお目にかかったことがありますが、なかなかよく出来ています。何より舞台上方の字幕と舞台とを目を上げ下げしながら追わなくてもよい。老眼の方には若干辛いのかも知れませんが。そういえば、日本でも文楽劇場で導入されたそうです。「LEXUS」はこれだったのだろうか、などと想像をふくらませながら、いよいよ公演開始です。


Simon Boccanegra
Dirigent(指揮): Nicola Luisotti
Inszenierung(演出): Peter Stein
Bühnenbild(大道具): Stefan Mayer
Kostüme(衣装): Moidele Bickel
Musikalische Studienleitung: Jendrik Springer

Simone Boccanegra, Erster Doge von Genua(シモン・ボッカネグラ): Thomas Hampson
Fiesco, Haupt der Adelspartei(フィエスコ): Ferruccio Furlanetto
Gabriele Adorno, junger Edelmann(ガブリエーレ): Giuseppe Sabbatini
Amelia(アメーリア): Tamar Iveri

象徴的な演出の中、淡々と舞台が進行していきました。演出自体は、特に好き嫌いが分かれるようなものではなかったように思います。音楽を邪魔しない、ちょうどいい加減でした。
歌手では、やっぱりトーマス・ハンプソンのシモン・ボッカネグラ役に脱帽です。トーマス・ハンプソンという名前に影響されているから、という部分も多少はあろうかと思います。が、その圧倒的な存在感と、堂々とした舞台姿に演技力・表現力。毒が体に回って死ぬ直前のシーンでは、涙がこぼれそうになりました。11年前にミュンヘンでのマイスタージンガー、ザックス役できいた時よりは、声が荒れていましたが、その方がかえって情感がこめられているようにも聞こえたりして。大満足です。
次によかったのがフィエスコ役のフルラネット。カーテンコールではハンプソンと並び花束が投げ込まれたりしていました。バスがよいと歌劇も締まります。
パオロ役は、「カイ」さんという日本人。ただ、演技に若干抑制が利いた感じで、もっと悪役になりきってくれる方がよかったかも。ただ、声は立派。寅さんシリーズのヒロシに似ている。カーテンコールではかなりの喝采を浴びていましたが、喝采の盛り上がりが最高潮に至る前に去っていく姿に日本人を感じました。
残念だったのがガブリエーレ役のジュゼッペ・サバティーニ。高温域が荒れていて、歌い方も若干雑。次期「3大テノール」の一人である彼には、もう少し頑張って欲しかったです。「箱」のおかげか、さほど硬い感じがしない歌声ではありましたが。
アメーリア役のイヴェリさん冒頭、音程が若干フラットしていたのが気になり、その後、その気分がずっと消えることがありませんでした。サバティーニとの二重唱では、サバティーニの方が歌いにくそうだったし。
ただ、今晩の主役はウィーン国立歌劇場管弦楽団でした。久しぶりに上手いオーケストラに聴き惚れる、そんなことができました。銀の粉がきらきらと舞うようなヴァイオリンの高音、腹の底に切り込んでくるように響く弦楽器の低音、夢見るように柔らかい木管と、激しくはあっても決して派手にならない金管、メロディーをじゃますることなくしっかりと下支えする打楽器。特に、第1幕第1場の終わり、感動的な父娘の再会の場面の直後には、いとも美しいメロディーを奏でてくれました。年配のチェリストが若い後輩に指示したり、時々話しかけたりしながら、演奏している様子が見て取れたりして、ほほえましかったです。
そして、そんなすばらしいオーケストラを見事に指揮していたのが、指揮者のルイゾッティ。指揮姿が情熱的で、時々舞台を忘れて指揮台に注目してしまいました。やはりヴェルディはこの程度のオーバー・パフォーマンスでオーケストラをあおってくれるのがよいです。抑制がきいたヴェルディーはヴェルディーではありません。
大満足の観劇の後は、国立歌劇場そばの「アウグスブルガー」なるワインケラーでの夕食。
ウェイトレスさんを呼んではならない(呼んだら最初ちょっと不機嫌そうでした。おとなしく席まで来てくれるのを待つのがウィーン流なのかも知れません)という、あの人にだけ通用するのかも知れない教訓を得たり、サーヴィス料が込みではないシステムに久しぶりに出会うという経験をすることができました。ウィーン・ワイン(Wien Wein)を楽しみつつ、黙々と巨大な肉片を刻みながら食事をする御夫妻の姿に圧倒されながら、Wiener Tafelspitz(牛のもも肉を煮込んで薄くスライスしたもの)を食して宿に戻りました。
明日はとうとうパルジファルです。

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vendredi, 23 mars 2007

歌舞伎@ガルニエ

便宜上、カテゴリーを「オペラ」としました。

パリ・オペラ座における初めての歌舞伎公演に行ってきました。
Dscn223819時半の開演にあわせて職場を飛び出し、ガルニエ宮前に到着したところ、日本人がわんさといる。ガルニエ宮の中、チケットのもぎり場の前でしばらく同僚と話をしていたのですが、その間も和服姿の女性が次々と大理石の階段をのぼっていく。日本からの観賞ツアーがあった様子で、自分の桟敷席にも、既に4名、日本からとおぼしき方々が座ってらっしゃいました。舞台前の3色幕にびっくりです。

当日購入したプログラムの表紙、及び配役表です。「kabuki_programme.pdf」をダウンロード

以下はオペラ座HPからプログラムの貼り付けです。

COMPAGNIE INVITÉE(招待公演)
Kabuki
Répertoire et interprétation de la famille Ichikawa(市川家のレパートリーと上演)

Kanjincho(勧進帳)
La liste des donateurs(寄贈者リスト)

Kojo(口上)
Cérémonie rituelle pour l'arrivée du printemps(春の到来を迎えての儀式)

Momijigari(紅葉狩り)
Dans le contemplation des érables

Palais Garnier (ガルニエ宮)
Première 23 mars 2007 19h30 (プレミア 2007年3月23日)
Représentations 25 (14h30), 27, 29, 30 mars 2007 19h30
Durée du spectacle 3h10 avec 2 entractes (公演時間:3時間10分、2度の幕間あり)
Prix des places 130€, 110€, 65€, 39€, 21€, 10€, 7€

お恥ずかしながら、日本人であるにもかかわらず、歌舞伎を生で観るのは生まれて2度目です。ポラスキーがクンドリーをやる、と聞くと目の色が変わるのに、弁慶を団十郎がやる、とか、富樫を海老蔵がやるとか聞いても、ふうん、くらいの感想しか持てないのですから、日本人失格です。聞いてみたら、このような豪華キャストで歌舞伎が行われることはまずないんだ、とか。オペラも日本公演の時の方が豪華キャストが並ぶのですが、それに似た現象が起きているということなのでしょう。引っ越し公演の魅力かも知れません。

というわけで、ほとんど初めて歌舞伎を観るフランス人と同じ状態での観賞となったのですが、退屈することなく最後まで見続けることができました。一つ一つの動きが見事に様式化されている。しめやかな情感が込められた静の部分と、その情感が吹き出すような動の部分とのコントラストに、絶えず緊張感を持ちながら接することができました。字幕のおかげで、舞台の上で何が起こっているのかを知ることができたのもよかったです。「日本一」のかけ声が見事に決まってました。
口上をほぼ全てフランス語で行った一座には、役者魂を感じました。凄い。仮に自分に対して、あれだけの文書を覚えろ、という義務が課されたとしても、多分できないんじゃなかろうか。いや、人に見られることを前提に覚えるのだから、あれだけ覚えられるのだろうなぁ。いや、それにしても。脱帽です。ここでのフランス人の拍手が一番凄かったです。
慣れないカーテンコールは紅葉狩りの舞台装置の前で、です。盛大な喝采が送られていました。
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日本人が3割ほどいた場内、幕間に出入り口の扉を押さえたりする動作や、人と人との距離感(フランス人よりも遠い)にほっとしたりして、ああ、やっぱり日本人っていいなぁ、と思いつつ、改めて日本の古典芸能を知らないことを大変勿体ないことに思ったりもしました。

テレビ・カメラもNHK、読売テレビを初めとして各社が入っていて、終演後はフランス人のインタビューをとったりしていました。

ともあれ、歴史的な公演に触れる機会を得た幸運を噛み締めながら帰途につきました。良かった良かった。

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mardi, 06 mars 2007

LA JUIVE

今日は仏外務省で15時から2時間程度の打ち合わせ。その後、標記オペラのガラに行ってきました。某ブランドに勤務する友人からの招待です。

ユダヤの女(La Juive)
ジャック=フロメンタル・アレヴィ作(Jacques Fromental Halévy (1799-1862))
新演出

5幕、ユジェーヌ・スクリーブ脚本、フランス語
(Opéra en cinq actes (1835), Livret d’Eugène Scribe, En langue française)

指揮:Daniel Oren
演出:Pierre Audi
大道具:George Tsypin
衣装:Dagmar Niefind
照明:Jean Kalman
劇作法:Willem Bruls
ダンス振り付け:Amir Hosseinpour
合唱指揮:Peter Burian
合唱練習:Alessandro Di Stefano

王女ユードキシー(La princesse Eudoxie):Annick Massis
ラシェル(Rachel):Anna Caterina Antonacci
エレアザール(Éléazar):Neil Shicoff
ブロニ枢機卿(Le cardinal de Brogni):Robert Lloyd
レオポルト(Léopold):John Osborn
ルッジエロ(Ruggiero):André Heyboer
アルベール(Albert):Vincent Pavesi

パリオペラ座管弦楽団・合唱団(Orchestre et Choeurs de l’Opéra national de Paris)

アムステルダム・オランダ・オペラとの共同制作、ジョルジュ・メイヤー女史による支援
COPRODUCTION AVEC DE NEDERLANDSE OPERA, AMSTERDAM
AVEC LE SOUTIEN EXCEPTIONNEL DE MADAME GEORGES MEYER

生まれて初めてのガラ・コンサートへの招待、ということもあって、ダーク・スーツに紺のネクタイで職場へ。そこで招待状を改めて見直したら、「ブラック・タイ着用のこと」と書いてある。こりゃまずいか、と思い、招待してくれた友人に問い合わせたところ、その格好なら問題ないであろう、とのこと。ちょっとほっとしつつバスティーユへ。近辺の席が招待席になっているのか、ロングドレスの女性から蝶ネクタイの男性まで、日頃のバスティーユの雰囲気とは随分異なります。座席も前から8列目だったりしましたし。ガラの招待状をアップしておきます。「la_juive_gala_programme.pdf」をダウンロード


ミラノの大聖堂、あるいは鉄道のターミナル駅を思わせる舞台装置の上で、劇が進行していきます。鉄の段組を上がったり下りたりしながら歌うのも大変でしょうが、この舞台装置自体は、キリスト教会の権威であったり、ユダヤの金融力に支えられた産業であったりと、様々なものを象徴的に想起させてくれ、好きでした。
衣装は、大体19世紀末といった風情。司祭は司祭のガウン、父親はチョッキを着た町人風、警官たちは秘密警察風。唯一違和感があったのが、黄金バットのバレエ団の奇妙な踊りでしたが、まあ一瞬だったのでよしとしましょう。
音楽の方は、これぞグランド・オペラといううねりうねる派手な音楽をダニエル・オーレンが作り出してくれました。指揮台の上で飛び跳ねながら情熱的に指揮する姿の方に目がいったりすることもあって、なかなかに印象的。
さて、歌手については、王女役のマシスが今日の一番でした。舞台姿、声量、音程の正確さ、表現力、どれを取っても一番です。ヴィオレッタ、ルチアもレパートリーにしているそうで、いずれそういった馴染みの深い役どころできいてみたい歌手です。
アントナッチのラシェルの方は、歌手の持つ色気が押さえられてしまっている役柄で、若干残念。声も若干掠れ気味でした。マシスの方が総合点では高かったのですが、ネームヴァリューなのでしょうか、終了後の拍手喝采はマシスよりも大きかったです。
枢機卿役のロイド氏は深い悲しみを湛えながら、その役割を果たす立派な枢機卿でした。その他、脇を固める人たちも粒が揃ったよいキャスティングです。
そして、なによりニール・シコフ。エレアザール役というのは、少し年を取ったテノールに好まれる役柄だそうですが、シコフがこんなにおじいちゃんになっていたことに最初は戸惑いを覚えました。10年前、バスティーユにシコフが出るというと、ずいぶんとチケットが取りにくかったものですが、そのころのシコフはまだ若々しい雰囲気があったのに。。。いや、役作りだったのかも知れません。輝かしいよく通る声はそのままだったのですが、ちょっと驚きです。
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十分に満足がいくオペラ観劇もさることながら、今夜のメインは幕間及び終演後です。
幕間は地下のスペースでカクテルが行われ、それにも招待されています。向かってみると、カクテル・ドレスに身を包んだ貴婦人達、ビシッとダーク・スーツに身を固めた紳士達の社交の場となっており、あのファニー・アルダンも来ていました。他方、こういう場所だとなんだかちょっと堅苦しい。2度目の幕間は上の階で一般客と一緒にアイスクリームを食べたりしてしまいました。ほっとします。
そして終演後、23時過ぎから、7階部分にあるスペースでビュッフェ形式の夕食会。セレブな雰囲気が充満している場所に、やがて歌手達もやってきて、シコフはモルチエ総裁からレジオン・ドヌールの勲章を授与されていました。レジオン・ドヌールの授与権がオペラ座総裁にまでおりているというのは面白いやり方です。
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24時過ぎ、会場を後にして帰ってきました。いい経験をすることが出来ました。持つべきものは友人です。

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samedi, 03 février 2007

日仏友好協会総会  ホフマン物語(Les contes d'Hoffman)@バスティーユ

今日は15時からの日仏友好協会総会に参加するため、13時に職場へ。その後15時からの会議に写真係として参画しました。会議の終了後、カクテルの最中に、フランスに訪問されているロサンゼルス五輪柔道金メダリストの山下先生が会場に顔を出されました。御挨拶を申し上げつつ、熊本県の話などをすると、にこやかな顔がさらににこやかになられて、やっぱりふるさとっていいものだなぁ、と痛感。
もう一つの痛感事は、自分のD100内蔵のストロボでは、光量が足りず、少し離れたところからだと写真がうまくとれないことと、記念写真を撮る際にはめがねに直接光が当たって反射してしまうため、めがねを掛けた人がうまくとれないこと。そこで、ストロボを購入することとしました。
さて、半日の仕事が終わった後、バスティーユに向かいました。「ホフマン物語」です。数日前のル・モンドで、ドン・ジョヴァンニに続き劇評が載せられていて、タイトルロールが絶賛されていました。ただただ、ヴィラゾンが風邪などひいていないように、祈るような気持ちででかけ、終わってみたらヴィラゾンの歌声にただただ打ちのめされ、カーセンの演出のおしゃれさを満喫し、おそらく過去に観たオペラすべてを通しても10位以内に入るであろう、そんな素晴らしい公演に立ち会うことができました。

Les Contes d'Hoffmann  Jacques Offenbach (1819-1880)
Opéra fantastique en un prologue, trois actes et un épilogue (1881)
Livret de Jules Barbier
d’après le drame de Jules Barbier et Michel Carré
En langue française

Direction musicale(指揮) Marc Piollet
Mise en scène(演出) Robert Carsen
Décors et costumes(装置・衣装) Michael Levine
Lumières(照明) Jean Kalman
Dramaturgie Ian Burton
Mouvements chorégraphiques(ダンス) Philippe Giraudeau
Chef des Choeurs(合唱指揮) Peter Burian

Hoffmann(ホフマン)Rolando Villazon
La muse/Nicklausse(ミューズ・ニクラウス) Ekaterina Gubanova
Lindorf, Coppélius, Dr Miracle, Dapertutto(リンドルフ・コッペリウス・ミラクル博士・ダペルトゥット) Franck Ferrari
Andres, Cochenille, Frantz, Pitichinaccio(アンドレ、コシュニル、フランツ、ピティキナッチオ) Christoph Homberger
Olympia (オランピア)Patricia Petibon
Antonia(アントニア) Annette Dasch
Giulietta(ジュリエッタ) Nancy Fabiola Herrera
La mère d’Antonia(アントニアの母) Marie-Paule Dotti
Nathanaël(ナタナエル) Jason Bridges
Spalanzani(スパランツァーニ) Christian Jean
Hermann(ヘルマン) Sergei Stilmachenko
Schlemil(シュレミル) Yuri Kissin
Luther, Crespel(ルター、クレスペル) Alain Vernhes

Orchestre et Choeurs de l’Opéra national de Paris
パリ・オペラ座管弦楽団・合唱団

ヴィラゾンは過去2回、このホールで「ラ・ボエーム」のロドルフォを歌ったのを聴いています。その前、ミュンヘンでグノーの「ファウスト」のタイトル・ロールで聴いたこともありました。その時の印象としては、ちょっと固くて細い声、若干頼りないなぁ、という程度だったのですが、今回は文字通り打ちのめされました。平戸間で舞台から近く、歌手の声がオーケストラにかぶらずに直接届く席だったことにもよるのかも知れませんが、その朗々と響き渡る美声と表現力は素晴らしいの一言です。クラインザックの歌の滑稽な歌声、失恋時の絶望的な歌声、ステラに思いを馳せる夢を追うような歌声、その時々に心が揺さぶられるような、貴重な経験ができました。歌唱の表現力に比べれば演技の方はまだ少し足りないように思えた部分もありましたが、それを補ってあまりある歌声。カーテンコールでも大変な喝采を浴びていました。
フランク・フェラーリの一人4役のバリトンもこれまた素敵でした。堂々とした太い声で圧倒的な存在感がある。全ての悪役を立派に演じ、憎々しいが素敵な、そばにいたら絶対に友達にはなりたくないが、いかにも女性にもてそうな、そんなフェラーリ氏にも盛大な喝采が送られていました。
女性陣は、3人のソプラノをそれぞれ別の歌手が歌う、という、ある意味で贅沢な配役となっていました。
3人の中で一番印象的だったのが、ナンシー・ファビオラ=ヘレラのジュリエッタです。歌声はそこそこでしたが、妖艶な雰囲気には吸い込まれそうになりました。高級娼婦ジュリエッタが舞台の上に降臨したといった感じで、仮にまたこの演目に接する機会が持てたとしても、これほどまでに目が釘付けになることはないであろう、そんな素敵な女性でした。
3人の中で一番印象が薄かったのがアントニア役のダッシュでした。歌唱は平均的に上手かったと思うのですが、なにか一つ突き抜けたものがないように思われ、逆に父親のクレスペル役のヴェルンヘスのバリトンが印象に残ったのですが、これは、疲れの蓄積故、この幕、こくりこくりとしてしまったせいなのかも知れません。
そして、3名中、歌が一番だったのは、それを平均的に歌うだけで会場をうならせてしまうロココ・コロラトゥーラがあるオランピア役のパトリシア・ペティボンでした。デッセイのCDで予習してしまっていたため、もとより期待値はすっかり高まってしまっていることもあって、比較はしないようにしていたのですが、ちょっとハスキーな声ながらもしっかりと音程を捉えながら機械的な歌を聴かせてくれました。ホフマンに跨りながらの下ネタコロラトゥーラは会場の爆笑を誘っていました。歌手もなかなか大変です。
歌手達には満足、これをちゃんと支えた指揮者とオーケストラと合唱団にも満足。そして、それをさらに高めてくれたのがカーセンによる演出でした。
冒頭、何もない真っ黒な舞台の上に、舞台袖から真っ白な強い光が差してきて、ホフマンとミューズとのやりとりが行われる様は、詩情に満ちています。やがてバーカウンターがせり上がってきて酒場の場面となる舞台転換の方法もお洒落でした。そして、オランピアの物語は舞台後方からの視点、アントニアの物語はオーケストラ・ピットから舞台を見上げる視点(第2幕のカーテンコールは、その舞台上舞台の上のカーテンを使って行われる)、第3幕は舞台上から客席を観る視点、と、3つの物語がいずれも舞台の上での物語であることを暗示する演出となっていて、各幕毎にうならされました。こういう統一されたメッセージがある演出、大好きです。で、プログラムを見てみたら、この演出は2000年に制作されたものだ、とのこと。そのときには、デッセイとアンドレア・ロストが出ていたらしく、なんて贅沢なんだろう、と思わずため息が出てしまいました。
大満足の観劇後は、INDIANAで食事をして帰宅。もしまた機会があるようなら、絶対に観に行きたい、そんな物語でした。

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samedi, 20 janvier 2007

DON GIOVANNI(ドン・ジョヴァンニ)@バスティーユ

昼近くまで寝て体調も随分と回復しました。
友人と一緒にVilla Panjabで昼食、突然の雨の中、クルセル通りのウェストンを覗きに行ったのですが、人の多さに辟易してそのままマドレーヌ方面へ。再びMADELIOSのソルドを冷やかしたのですが、欲しいものもなく、結局、OLD ENGLANDで2本だけ残っていた真っ黒のマフラーの一つを購入。LANCELの鞄も今ひとつでした。来年に期待したいところです。
バスティーユまで車を走らせ、今シーズンのプレミアとなる「ドン・ジョヴァンニ」を観てきました。

ドン・ジョヴァンニ@バスティーユ
Il dissoluto punito ossia il Don Giovanni
Wolfgang Amadé Mozart (1756-1791)

Dramma giocoso en deux actes (1787)
Livret de Lorenzo da Ponte(台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ)
En langue italienne(イタリア語)

Direction musicale (指揮):Michael Güttler
Mise en scène (演出):Michael Haneke
Décors (装飾):Christoph Kanter
Costumes (衣装):Annette Beaufaÿs
Lumières (照明):André Diot
Chef des Choeurs (合唱指揮):Peter Burian

Don Giovanni (ドン・ジョヴァンニ):Peter Mattei
Il Commendatore (騎士団長):Mikhail Petrenko
Donna Anna (ドンア・アンナ):Christine Schäfer/Carmela Remigio ( 24, 27, 31 jan., 2, 5 fév.)
Don Ottavio (ドン・オッターヴィオ):Shawn Mathey
Donna Elvira (ドンナ・エルヴィーラ):Arpiné Rahdjian
Leporello (レポレッロ):Luca Pisaroni
Masetto (マゼット):David Bizic
Zerlina (ツェルリーナ):Aleksandra Zamojska

Orchestre et Choeurs de l’Opéra national de Paris
(パリ・オペラ座管弦楽団・合唱団)

※ パリ・オペラ座HPの記述を元に加筆

昨年、新演出がガルニエで行われたもののバスティーユ再演版です。大いに期待して見に行き、期待が十分過ぎるほど満たされた後、ちょっと居心地の悪い思いになる、そんな公演でした。

完全に現代に置き換えた演出は、高層マンションらしき1フロアのパブリック・スペースなのか、プライヴェート・スペースなのか、よくわからない場所を使って物語が展開します。広いガラス窓の向こうには、同じような高層ビルの灯りが見えています。
ドン・ジョヴァンニ、レポレッロはスーツにネクタイ、サスペンダーの出で立ちで、まるでウォール・ストリートのエリート証券マンのよう。逃げた夫を追うドンナ・エルヴィーラはちょっとくたびれた茶色のコートを羽織って専業主婦風。ドンナ・アンナは清楚な白いブラウス姿、ドン・オッターヴィオはコート姿、ツェルリーナとマゼットのコンビはビルの清掃員(村人たちもビルの清掃員で、ドン・ジョヴァンニ邸のパーティーに呼ばれた時にはカーキのダウンジャケットにジーンズといったカジュアルな服装でした)、と、舞台がかなりなまなましく現代に置き換えられています。
ドン・ジョヴァンニは騎士団長を小型ナイフで刺し、彼が征服した女性達の名前はPDAに電子情報として登録されていて、最後の宴ではフォションの紙袋からテイクアウトのサラダが出て来る。ここまで現代にしてくれると嬉しくなってしまいます。と同時に、物語の内容が、神々が登場しない、あまりに人間的なものであることを改めて知らされました。ドン・ジョヴァンニは、おそらく実在したのだろう、と思わされます。
レシタチーヴォの前に長い静寂があって、役者が演技をしていたりする、劇を重視した今回の演出。演出家であるハネケ氏は映画監督として有名な方だそうで、何かの機会にその映像を見てみたくなりました。
オーケストラのピットはすかすかで、音量もすっきり軽やかなものとなっていました。指揮者のギュットラーは大変若々しい人で、バーンスタインやチェリビダッケ、ゲルギエフらのマスター・クラスを受講したことがあるらしく、ゲルギエフの代役で2003年にリング及びパルジファルを振った時から国際的に注目された人だ、とのこと。代役でリングを振る、というのもたいしたものです。素直な音楽作りで、かなり速いパッセージでもオーケストラと歌とがバラバラになることがなく、なかなかの健闘ぶりでした。他方、序曲や最終章の和音に「デモーニッシュ」な雰囲気は一切漂わず、少々物足りなく思えたのも事実ですが、これはフルトヴェングラーで予習をしてしまったのが失敗だったのかもしれず、むしろ、モーツァルト本来のイメージに近かったのかも知れません。
歌手陣にも満足させてもらえました。
ペーター・マッテイのドン・ジョヴァンニはまさにはまり役。すらりと背の高い苦み走ったイケメン・バリトンです。第1幕最後、皆に囲まれた時には、Yシャツを脱ぎ捨てて、その肉体美に見とれる包囲網を難なく突破していましたし、ねっとりとまとわりつくような甘い声で口説かれれば、ツェルリーナでなくともなびいてしまいそうです。カーテンコールでも怒濤の大拍手の中に黄色い嬌声が上がっていたのが印象的でした。
そんなドン・ジョヴァンニになびかなかったドンナ・アンナ役がクリスティーヌ・シェファー。96年11月10日、ミュンヘンの「アリアドネ」でツェルビネッタ役を観た時にファンになり、翌年5月の「ティトーの慈悲」のセルヴィリアでさらに好きになった人だったのですが、今回は正直なところ期待がはずれました。少々声が荒れてしまっており、また、コロラトゥーラにもあまり自信を感じることが出来ませんでした。年齢的なこともあるでしょうから、そろそろ違う路線に向かっていくのがよいような気がします。と思っていたら、この6月~7月にかけてガルニエでの「椿姫」でヴィオレッタを歌うことになっていることを発見。大いに期待が持てそうです。なお、シェファーと入れ替わりで数日間、ドンナ・アンナを歌うCarmela Remigioは、プログラムで見る限り真実のイタリア美人です。アッバードの「ドン・ジョヴァンニ」でドンナ・アンナを歌っているようで、ある意味、こちらの方が当たりだったかも知れません。
ドンナ・アンナが最後の最後になっても煮え切らず、求婚するドン・オッターヴィオに「あと一年待って」などと言っているのは、ドン・ジョヴァンニに対して心が動いたせいなのかしらん。気の毒なドン・オッターヴィオ役のマテイ(?)は、男声コロラトゥーラを無難にこなし、好感が持てました。オーケストラが薄かったせいもあって、声量的にももってくれました。「コジ」のフェルランド役で聴いていたのですが、その時よりも今回の方がコンディションがよかったような気がします。
ツェルリーナとマゼットのばカップル(失礼)は、ともにそこそこの出来で、舞台を盛り上げてくれましたし、レポレッロ役のピザローニはいずれドン・ジョヴァンニ役で聴いてみたいバリトンでした。騎士団長役のペトレンコについては、冒頭は少ししか現れず、終盤はマイクが使われている様子だったので、よくわかりません。
さて、ドンナ・エルヴィーラ役のラージャン(?)には少々がっかり。「誇り高く、高貴で、情けが深い女性」、「自分の意志で最後まで彼(ドン・ジョヴァンニ)と向き合う唯一の女性」(「オペラ・キャラクター解読事典」、音楽之友社)であるこの女性の役作りは大変難しいのだろう、と思います。シェファーよりもドラマティックな声ではあり、その点では的確な配役だったのですが、今の段階ではまだまだ表現力が足りないように思います。どうしてだろう、と、我が家のドン・ジョヴァンニのCD2つ(フルトヴェングラー、ジュリーニ)を調べたところ、ともにシュヴァルツコップが歌っていたことを知り、予習の弊害がこんなところにも、とは思いましたが、それだけこの役には思い入れがあるだけに残念。なかなか難しいところです。
歌唱面では満足も半ばな今回の歌手陣、ルックス的には最高でした。以前、モルチエ総裁が、「ルサルカにルネ・フレミングを登用し、DVDも作っているが、彼女はルックス的にルサルカではない。ルサルカは妖精なのだ。」と語っていたのが思い出されました。そういう意味では、ストーリーが十分に納得できる今回のドン・ジョヴァンニは、演劇としても、十分に期待を満たしてくれるものでした。
そして、、、居心地が悪かったのです。「あまりに生々しかった」ということが一因だろうと思います。
ドン・ジョヴァンニが村娘の清掃服をはぎ取って胸が露わになった時には、「あ、DJ・OZMAだ」という程度で済みましたが、さらにパンティを引き下ろした時には「ちょっとちょっと。。。」自宅でパーティーをやって、そこに集まる全ての女性と関係を持つぞ、などと言っていた直後にこんなシーンを観てしまうと、某サークルの○○サンを思い起こしてしまう。レポレッロが村娘の両足を開いて体を割り込ませていった時にも「ちょっとちょっと。。。」薬屋の歌を歌いながらマゼットと絡んでいくツェルリーナを観た時にも「ちょっとちょっと。。。」孫と一緒に観ていた訳ではないのですが、性描写はなかなかに直裁的で、若干閉口しました。
ただ、この程度のことなら、歌詞自体に生々しいところがあるこのオペラ、安楽に見続けることもできたのでしょうが、最後のシーン、ドン・ジョヴァンニの地獄落ちが、直裁に、ナイフによる一刺しと集団リンチと高層マンションからの放擲によって表現された時、石像の寓話が言外に語っていた真実の瞬間が目の前に生々しく差し出されたように感じ、一気に疑問符が渦巻きました。おとぎ話の解説を、それもあまり気分のよいものではない解説を聞かされたような、そんな気分です。おそらく実際に起きた事件を石像による復讐というフィクションに昇華した歴史の知恵を、舞台という場で表現するのは大変難しいことだろう、とは思いますが。
バスティーユ広場に面したメキシカンで友人と食事をし、夜のパリのドライヴを楽しみながら帰ってきました。行きしなの雨が止んでいて、そのかわり、寒くなってきました。冬本番が待ち遠しいです。

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dimanche, 24 décembre 2006

薔薇の騎士@バスティーユ

まだまだ本調子ではない中ではありましたが、クリスマス・イヴの薔薇の騎士を堪能してきました。

キャストは、オクタヴィアンが変わっていたのと、ファニナル役の人が風邪のため代役になっていたのと、それにテノール歌手があのヴァルガスに変わっていたこと、大きく3点の変更がありました。その他は前回の人たちでした。備忘録として、オペラ座HPに出ていたキャスト表等を以下貼り付けておきます。これを見ると、公爵夫人にも代役が出ていたことがあったようで、12月という季節が歌手のコンディション維持に大変難しい月であることが見て取れます。それにしても、ヴァルガスがテノール歌手役とは。大変にラッキーです。

Comédie en trois actes en musique (1911)
Livret d’Hugo von Hofmannsthal
En langue allemande

Direction musicale Philippe Jordan
Mise en scène, décors et costumes Herbert Wernicke
Lumières Werner Breitenfelder
Chef des Choeurs Peter Burian

Die Feldmarschallin Anne Schwanewilms, Solveig Kringelborn (5 déc), Angela Denoke (10 déc)
Der Baron Ochs Franz Hawlata
Octavian Anke Vondung (2, 5 déc), Daniela Sindram (10, 24, 27 et 30 déc), Elena Garanca (14, 21 déc)
Herr von Faninal Olaf Bär, Peter Sidhom (21, 24, 27déc)
Sophie Heidi Grant Murphy
Marianne Leitmetzerin Michèle Lagrange
Valzacchi Ales Briscein
Annina Helene Schneiderman
Ein Sänger Tomislav Mužek, Ramon Vargas (21, 24 déc), Martin Homrich (27déc)
Ein Polizeikommissar Scott Wilde
Der Haushofmeister bei der Feldmarschallin Wilfried Gahmlich
Der Haushofmeister bei Faninal Mihajlo Arsenski
Ein Notar Lynton Black
Ein Wirt Christoph Homberger

Orchestre et Choeurs de l’Opéra national de Paris
Maîtrise des Hauts-de-Seine/Choeur d’enfants de l’Opéra national de Paris

Coproduction avec le festival de Salzbourg
AVEC LE SOUTIEN D'EURONEXT

オクタヴィアン役のシンドラムさんは、水も滴るいい男。凛々しい顔立ちで舞台を引き締めてくれていました。歌唱もなかなかよかったです。ファニナル役のシドホム氏は、前回の歌手に比べるとコミカルさを押さえた演技で、父親の揺れる想いを上手く表現していました。オックス役のハヴラタ氏も相変わらず素敵な脂ギッシュさを見せてくれ、素敵な公爵夫人と双璧をなしてくれました。
今回は公演の回数を経たためか、オーケストラが指揮者の要求をかなりの水準まで飲み込んでいたようで、上手くノッていたような印象を受けました。少なくとも、あまりぎくしゃくすることがなく、安心して聴いていることができました。
そしてヴァルガスのテノール歌手。前回、イドメネオ出演時には舞台の上で咳をするようなコンディションの中、危ない綱渡り的歌唱に冷や冷やしていたのですが、今回はその美声を朗々とバスティーユに響かせてくれました。十数年後には、なんて贅沢な経験、と思うようになるのかも知れません。素敵な一期一会でした。
今回はなんと言っても最後の三重唱の美しさにとどめを刺します。突出した歌手がいない、ということが最大の原因なのでしょう。一つ一つの声が綺麗に混じり合って、それはそれは陶酔的でした。3つのモノローグが公爵夫人の退場によって愛し合う二人のデュエットとなっていく様子も、必然的な美しさを備えていて、再びぽろりと涙がこぼれてしまいました。そして、最後の最後にピエロが銀の薔薇を赤い薔薇に取り替える、大変お洒落な幕引き。何時までも続いて欲しい音楽と演出を、再び堪能しきることができ、大満足の観劇となりました。
劇場からはき出されると、辺りはすっかり日も暮れて、クリスマス・イヴの静けさが広がっています。

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samedi, 02 décembre 2006

DER ROSENKAVALIER(薔薇の騎士)@バスティーユ

今日は12時過ぎからモンソー公園を4周走ってきました。帰り際、さあっと時雨が落ちてきて、汗と雨で濡れた体をバスタブへ浸すと、大変気持ちがよい。
夕方、noosの機器をやっと返しに行ってきました。指定を受けた電気屋さん(普通の町中の電気屋さん)に返しに行くと、前の人も解約して機器を返しに来ているところでした。偶然とは言え、人気がないようです。
そして、渋滞のパリをバスティーユに向けて走ります。今日は、待ちに待った「薔薇の騎士」。あらゆるオペラの中で一番好きなオペラです。

「薔薇の騎士(Der Rosenkavalier, Le Chevalier à la rose)」(1911年作) リヒャルト・シュトラウス (1864-1949)、台本:ユーゴー・フォン・ホフマンシュタール

指揮:Philippe Jordan
演出・大道具・衣装:Herbert Wernicke
照明:Werner Breitenfelder
合唱指揮:Peter Burian

公爵夫人:Anne Schwanewilms
オックス男爵:Franz Hawlata
オクタヴィアン:Anke Vondung
ファニナル:Olaf Bär
ゾフィー:Heidi Grant Murphy
侍女マリアンネ:Michèle Lagrange
ヴァルツァッキ:Ales Briscein
アンニーナ:Helene Schneiderman
テノール歌手:Tomislav Mužek

パリ・管弦楽団・合唱団
Maîtrise des Hauts-de-Seine/Choeur d’enfants de l’Opéra national de Paris

ザルツブルク音楽祭との共同制作

結果は、最高でした。
薔薇の騎士は10年前に2度、ミュンヘンで観たことがあります。オットー・シェンクの演出と、クライバーに鍛えられたバイエルン州立歌劇場の管弦楽団、それにフェリシティ・ロットの公爵夫人と、今から思えば大変な贅沢をしていたのですが、このときはドイツだったこともあって字幕がなかった。今回は字幕を追って台詞の一つ一つまで理解しながら楽しむことができた、というのも大きかっただろう、と思います。
ただ、それを超える何かがあった。今回の歌手、オーケストラの出来からすれば、ケチを付けようと思えばいくらでも付けられるものなのでしょう。オーケストラが時々出す奇妙なくらいザラザラとした音、ワルツに見事に現れるリズム感の悪さ、ゾフィーのミュージカル的な発声、急遽代役で登場したオクタヴィアンのキャラクターの薄さ、公爵夫人の気高いとまでは言えない品格、時にあまりに露骨に下ネタ的だったオックスの演技。。。そういったものをクライバー・ウィーン国立歌劇場のDVDを引き合いに出しながらこきおろすことだってできるかも知れません。ただ、実演の持つ力は、そういった媒体を経て経験できるものとは次元が違う。まさに音楽がそこで生まれている、そんな現実がもたらしてくれる興奮は何物にも代え難い。そんな当たり前のことを感じたのは、家に帰ってきてからでした。粒の揃った歌唱陣による三重唱・二重唱がピエロによる幕引きで終わった直後は、脳みそが火照っているような感じでした。
ヴェルニケさんの演出は、舞台の上まである高く大きな鏡を何面も使い、それを斜めにしてその鏡よりも前にある鏡の裏に描かれていると思われる書き割り映し出して客席に見せてくれる、という趣向。角度の調整はさぞ大変なのでしょう。二階席から見ていると、舞台の上に複数の鏡位置を決めるための複雑な印が付けられているのが見えました。
書き割りが鏡を通してみると何故か書き割りらしくなくなり、幻想的な世界を作り出してくれる。「銀の薔薇」というこの歌劇の象徴とも共鳴している部分があるように思います。そういえば、プログラムの表紙も帯の部分を除いて銀一色、というおしゃれなものでした。第2幕のオクタヴィアンが銀の薔薇を携えて登場するシーンは、その鏡が中央から割れて開いていく中、使者であるオクタヴィアンを乗せた黒く高い階段がせり出してきて、観てもいない宝塚を思い起こすとともに、大晦日の小林幸子の登場を思い出したりしましたが、そんな気持ちの余裕を持てたのはその時だけでした。第一幕の全面鏡張りの公爵夫人の寝室が鏡の角度の変化によって広々とした接客用の居間になるシーンの転換にはあっけにとられましたし、第三幕の怪しげなレストランのシーンは、5つ星のホテルのような豪華さ。同じく鏡が開いて、襟に白いファーの付いた黒のコートをまとって伯爵夫人が登場した時には「本物のセレブがやってきたっ!」、そんな高揚感を覚えました。この演出、噂にその良さをきいてはいたのですが、本当に素敵です。オットー・シェンクの演出はスタンダードなものとしていつまでも残されていくべきものだと思いますが、こちらも残されていって欲しい。。。DVDになってくれないかなぁ。。。
音楽の方は、先ほど急逝したArmin JORDAN氏の息子さん、Philippe JORDAN氏が堅実な音楽を作ってくれました。1974年生まれ、ということですから、32~3歳。父親が10年前、バスティーユで指揮した「パルジファル」はいまだにこれまでみたオペラの実演のベストであり続けており、4度目観た後に楽屋口から出てくる彼にサインをもらいに行ったくらい、あれを超える演奏には出会えないかも知れない、という凄いものでした。いまだに当時のプログラムとサイン、そしてル・モンドの切り抜きは大切に保管しています。指揮者が入ってくるときにパリ・オペラ座の楽団員が足を踏みならして歓迎の意を表していたのが強く印象に残っているのですが、おそらく、あの時ピットにいた人で、今回ピットにいる人も少なからずいるのでしょう。父親を歓迎したように、息子さんを支えている雰囲気が感じとれました。時々既述の欠点もありましたが、全体として美しい音楽作りをしてくれました。銀の薔薇のモティーフは、チェレスタをフルートがフォローしているのでしょうか。精妙な音色が作られている時のピットを覗き込んだら、そのように見えました。新しい発見です。
薔薇の騎士といえば、第一幕と第三幕に登場し、始めと終わりを締める公爵夫人(マレシャリン)が中心人物なのですが、シュヴァーネヴィルムスさんの公爵夫人は当たり役でした。キリッとした風貌で上背もあって舞台映えする上、エレクトラもレパートリーにしているだけあって、声が大変よく通る。そして、オクタヴィアンとの別れの際の車での退場。凛とした中に切なさが溢れ出しそうな後ろ姿が素敵でした。クライバーのDVDでは、フェリシティ・ロット演ずる公爵夫人が後ろ手に差し出した手の甲にオクタヴィアンがキスをしてお別れとなるのですが、今回のような決然とした別れの方が素敵であるように思います。
このシュヴァーネヴィルムスさんと並ぶ本日の主役はハウラータさんのオックス男爵でした。直接に性を連想させる振る舞いをしたりして、ちょっと白けてしまった瞬間が二度ほどあったのは事実ですが、それを除けば俗っぽい脂ぎった落ち目の貴族を上手く演じてくれていました。歌唱面での表現は大変上手く、第2幕のワルツの鼻歌は、それが始まっただけで客席から笑いが漏れていました。直後の幕間に、ワルツの鼻歌が随所から聞こえたのは、彼の功績でしょう。
オクタヴィアンは当初のキャストではVesselina Kasarovaさんで、HPでみるとまさにズボン役の風情に溢れているのですが、何故か初演の今日と5日はフォンドゥンクさんに変わっていました。突然の代役だったのでしょうか、通常は公爵夫人が最後に登場するカーテンコールでも彼女が最後に登場する、そんな扱いでした。公爵夫人と比べて背が低いとなかなか上手く行きませんし、ちょっといっぱいいっぱいな雰囲気が見えたりすると「がんばれっ」と声を掛けたくもなる。ただ、歌唱の方はずば抜けてはいないがなかなかのもので、それが第3幕の三重唱・二重唱で溶け合うような効果を発揮してくれます。よくやってくれた、そんな拍手がカーテンコール時に響いていました。
ゾフィー役のマーフィーさんは、11月19日にアディーナ役で聴いたばかり。今、見返してみて、アディーナ評を書いていなかったことに気付きましたが、今回もミュージカル風な発声でした。ちょっと残念ではあっても、オクタヴィアンとの二重唱になると気にならなくなる。まん丸に大きく裾が広がるスカートが印象的でした。
ファニナル役のベールさんは、歌はよかったのですが、第二幕での演技がちょっと。貴族の血筋に連なりたいという欲望が強すぎて、オックスへの擦り寄りかたがあまりに露骨な、極めて底の浅い人物となってしまった。おかげで、第三幕の最後に最愛の娘ゾフィーに心からの「おめでとう」を告げながらオクタヴィアンに「娘をよろしくおねがいしますぞ」と挨拶をする慈愛に満ちた父親、公爵夫人に「若い者はこんなものでしょうか」と問い掛ける微笑ましい父親の奥行きとの差が激しすぎて、本当に同じ人物なのだろうか、という印象を受けてしまいました。歌がしっかりしていただけに、ちょっと残念です。
そして、やっぱり大好きな第一幕のテノール歌手の歌。クロアチア出身のミュゼックさんは、艶のあるビロードのような歌声を朗々と響かせてくれました。この場面は素晴らしかった。歌声に聞き惚れているうちに、顔があつくなって頭に血が集まってくるのを感じ、汗をかいてしまいました。同じような気分になった人がいたのでしょうか。いやに扉の開け閉めの音がする、人のささやき声が聞こえる、と思ってそちらを観たら、連れと客席案内係に支えられながらホールを出ていく初老の男性が目に入りました。本当にこの場面、うっとりしてしまいます。若かりし頃のパバロッティが歌ってくれたりしていたら、自分も卒倒してしまったかも知れません。
ヴァルツァッキとアンニーナの怪しげなイタリア・カップルも、その演技力を遺憾なく発揮してくれて楽しかったです。
そして、最後に再び演出に戻るのですが、召使いの黒人の少年を顔を黒く塗ったパントマイムのピエロとしたアイディアには脱帽でした。第一幕の前奏曲の途中、黒幕の前にスポットを浴びた彼が出てきて幕を開けた時には、その後ろに広がった鏡面世界の美しさと相俟って思わずため息がでました。公爵夫人とオクタヴィアンの関係を知っているのも彼、銀の薔薇をオクタヴィアンのもとに届けるのも彼、そして、第三幕の幕を締めるのが彼。大変お洒落な演出でした。ゾフィーが落としたハンカチで顔を拭いて、黒い靴墨を落とす仕草に、いつまでも続いてもらいたいこの音楽がいよいよ終わるんだ、そんな切なさを感じました。
1994年のカルロス・クライバー、ウィーン国立歌劇場の日本公演を聴いていないことは、かえって幸せだったのかも知れません。今日は今シーズンのこの演目の初演でした。来週日曜日、マチネがあります。そしてクリスマス・イヴの24日には1階席2列目の中央という座席を確保してあります。銀の薔薇が何度でも輝いてくれる、そんな気がします。

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dimanche, 19 novembre 2006

愛の妙薬(L'Elisir d'amore)@バスティーユ

冬空には珍しく晴れ渡った休日、バスティーユで標記オペラを観てきました。昨シーズンの最後、7月7日に観た演目です。

「愛の妙薬」(L'Elisir d'amore) Gaetano Donizetti (1797-1848)  (1832年作) @バスティーユ

指揮:Edward Gardner
演出、衣装:Laurent Pelly
大道具:Chantal Thomas
照明:Joël Adam
合唱指揮:Peter Burian

アディーナ:Heidi Grant Murphy
ネモリーノ:Charles Castronovo
ベルコーレ:Laurent Naouri
ドゥルカマーラ:Alberto Rinaldi
ジャンネッタ:Aleksandra Zamojska

14:30開演、全2時間50分 第1部(第1幕):1時間20分、幕間30分、第2部(第2幕)1時間
座席:PARTERRE PORTE 2 ALLÉE D RANG 30 PLACE 8 70

今回気付いたのですが、この演目、コヴェント・ガーデンとの共同製作らしいです。演出、衣装、大道具といった人たちが英国系の名前になっているのがそのあたりの事情を表しているのか。今日は平戸間舞台真正面の席でした。おかげさまで、役者達の演技を存分に楽しむことができました。
とはいえ、今日の一番は指揮者、エドワード・ガードナー氏でした。この人、前回も指揮していたはずなのですが、何か印象が薄かった。舞台に負けてしまっていた、といったところでしょうか。いや、事前にオペラ座HPで情報を入手していた、というのも印象強かった最大の要因であるような気がします。プラセボ効果が働いたのかも知れません。その情報によれば、今年32歳(!)。甘いマスクのイギリス人です。例の「トロイ人」をザルツブルクでやった時の指揮助手だったらしく、その頃からモルチエ総裁に目を付けられていたのでしょか。昨年、この演目のほか、「7つの大罪」という演目でオペラ座に出たことがあるようですが、普段はイギリスを中心に活動しているようです。この人の何がよかったか、というと、とにかくその誠実で自然な音楽作りでした。極端なところがなく、合唱も、難しいベルカントの歌唱がオーケストラによく乗っている。前回はここまでの一体感がなかったような気がする。いや、何か指揮者がセカセカした音楽作りをしているなぁ、というマイナスの印象しかありませんでした。こなれてきたのかも知れません。カーテンコールでも歌手チームと和気藹々といった感じでした。こういった自然な雰囲気を大事にしながら、大きく成長してもらいたい指揮者です。
次によかったのが、ネモリーノ役のカストロノーヴォ氏でした。イタリア系アメリカ人と思われるこの人、いかにも純朴過ぎるイタリアの田舎の若者を公演してました。頭を掻いたり、踊ったり、アディーナが告白する場ではズボンのお尻のあたりをぐっとつまんでいたり、と、コミカルな所作が散りばめられていて、演出家の仕込み振りに感心。同時に、コミカルと思われる仕草にも何らかのルールがあって、チャップリンの時代から変わっていないのかも知れないなぁ、などとも思いました。ただ、歌声はロマンチックでした。第2幕第2場のロマンツァ「人知れぬ涙」の場面では、とっぷりと暮れかけた夜に瞬く星たちを表すかのように小さなライトがいくつも舞台上方から降りてきて、隣に座っていたイタリア人の女性がため息を漏らす中、ハープの伴奏に合わせて情感溢れる歌声を聴かせてくれました。歌唱の後の拍手が鳴りやまない、素晴らしい歌でした。
ベルコーレ役のナウリさんは、あのデッセイ様の旦那様。ネット情報によれば、エコール・サントラルという工学系のグランゼコール出身というインテリでもあります。フランスを中心に活躍しているバリトンで、10年前にウィリアム・クリスティーが指揮した「Hippolyte et Aricie」のThesee役で聴いたことがあります。そのときの記録に感想が書かれていないところをみると、印象はあまり強くなかったようですが、今回も強烈な個性を感じるところまでは至りませんでした。堅実なバリトンといったところです。
ドゥルカマーラとジャンネッタは、前回の配役そのまま。リナルディさんの見るからに怪しげなちょびひげ&オールバックのイタリアのテキ屋は相変わらず溌剌としていましたし、ザモスカ(?)さんは若干音程に怪しい部分はありながらも役目を十分に果たしてくれていました。
そして、小道具?の数々。バイク、自転車、ドゥルカマーラのトラックと、様々な道具が繰り出され、そのたびに客席から和やかな笑いが生まれます。何より、「犬」。この演出、本物の犬を舞台の上で2回走らせます。まっすぐ前を向いて舞台を横切って突っ走る犬(種類が分からないのが悲しいですが、小さいヤツです)は、カーテンコールでも舞台再前方を走り抜け、小さなヒーローとなっていました。
楽しく、充実した観劇の後は、いつものカフェでくつろぎ、スージーで酸辣麺を食して帰ってきました。
Dsc_3964_1我が家のはす向かいのル・ノートルにクリスマス飾りが取り付けられました。緑と赤を基調とした昨年と異なり、今年は白銀世界をイメージしていて、透明感溢れる美しさを感じさせてくれます。何となく、ZARDの坂井泉の声を思い出します。

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samedi, 11 novembre 2006

ジェラール・レーヌ&イル・セミナリオ・ムジカーレ@Cité de la musique

NY出張から今朝帰ってきたという友人に誘われて、シテ・ドゥ・ラ・ミュジークのコンサートに行って来ました。
11月7日から12日まで行われる「バッハとヘンデルの歩み」(Itinéraires de Bach et Haendel)と題した一連のコンサートの一つで、曲目はヘンデルのカンタータ2曲、普段滅多に聴くことがないものです。どんなものなのか、大変楽しみにして行ったのですが、バロックの響きを存分に楽しむことができました。

カンタータ 「Il Duello amoroso(「愛の決闘」とでも言うのか?) HMV82」「クローリ、ティルシとフィレーノ(日本のCDタイトルをそのまま借りました。原題は「Cor fedele, in vano speri」) HMV96」 ヘンデル @シテ・ドゥ・ラ・ミュジーク

演奏:Il Seminario Musicale
アルト・指揮:Gérard Lesne
ソプラノ:Aurore, Bucher, Eugénie Warnier

20:00開演、全2時間30分 座席:BALCON G78B

シテ・ドゥ・ラ・ミュジークでは先だって文楽の公演を観たのですが、クラッシックでは10年前にシューマンのコンサートを聴いて以来となります。そのときも感じたのですが、全体に音楽の輪郭が少し甘くなるような気がします。豊かな反響のせいでしょうか。あるいは、古楽器の暖かい音のせいなのでしょうか(よく知りませんが)。ただ、こういう甘さが好きだったりもします。
バロックの声が入る音楽を実演で聴くのはウィーンの楽友協会大ホールで97年3月23日にヨハネ受難曲を聴いて以来のことでしたが、あの時は一定の規模のオーケストラが背後に控えていたのですが、今回は小さな編成でした(ヴァイオリン6、フルート(縦笛)2、ヴィオラ2、チェロ1、コントラバス1、ティオルバ1、クラヴサン1)。ただ、こういう小規模な編成、3人の歌手(しかも一人はカウンター・テナー、というか「アルト」)で作られるバロック音楽を、このホールのようなこぢんまりとしたところ(HP情報では大体870席程度だそうです。ちなみに、1日借りると12000ユーロだとか)で聴いていると、昔の王侯貴族の楽しみが少し分かるような気がします。
さて、音楽の方ですが、バロックの愉しみというものは知的なスポーツのそれに近いのではないか、そんな感じがしました。様々な階調がある一定の規則にならって現れては消え、ある旋律によって作られつつあった気分が次の瞬間には打ち消されてしまうが、だからといって肩すかしを食らわされたような気にはならず、とにかく前進していき、気持ちがいい。猫の目のように変わっていく音楽がテンポよく奏でられると、つい体が動き出しそうになります。ハード・ロック・ギターのイングウェイ・マルムスティーンがバッハのギター曲をコンサートで弾いていたりしてましたが、バロックは案外現代に近いのかも知れません。
ソプラノ2人は、どちらがクローリ役でどちらがティルシ役だったのかが最後まで分からず、少々残念。ビュシェさんは大学時代哲学を専攻、ヴァルニエさんは医学博士号所持者、というインテリのようですが、音楽の道に入り込んでいってしまったようです。少々羨ましくも思います。
そして、ジェラール・レーヌさんですが、ネットで調べたところでは1956年生まれのカウンター・テナーで、大変有名な方だったらしい(事前に勉強しておくんだった)。来日公演もあったようで、NHKのBSでも流れているらしいですね。そういった事前の勉強なしに漫然と見に行ってしまうと、なんだか仕事で知り合った人だったり、昔世間を騒がせた教団の広報担当者に似てる、とかいったことの方が、その音楽性よりも先に立ってしまうのが凡人の悲しいところです。録音でも生でも初めてカウンター・テナー(というよりは、「アルト」と位置づけられていましたが)というものを聴いたのですが、レーヌさんには中性的というよりはむしろ女性に近いような印象を受けました。映画「カストラート」を観ていないので何とも言えませんが、去勢されていない確かな男性が女性になっているような、そんな印象であり、音楽への陶酔振りも他のソプラノ2人と比べるとより深かったように見えましたし思えました。あの激しく運動するバロックの旋律を裏声で歌い続けるのだから大したものです。
コアでディープなファンの人たちの喝采(アンコールも2曲やってくれました。)の中、正統的なバロックの愉しみを満喫した後、iTuneでダウンロードした嘉門達夫の替え唄が響くドライブを楽しみ、帰ってきました。少し寒さが和らいでいるようです。

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mercredi, 25 octobre 2006

コジ・ファン・トゥッテ(Cosi fan tutte)@ガルニエ

(後日書いています)
今日は諸々を全て積み残して、19時半にガルニエのボックス席に座っていました。コジ・ファン・トゥッテです。

「コジ・ファン・トゥッテ」(Così fan tutte) ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1790年作) @ガルニエ

指揮:Gustav Kuhn
演出:Patrice Chéreau
大道具:Richard Peduzzi
衣装:Caroline de Vivaise
照明:Bertrand Couderc
合唱指揮:Peter Burian

フィオルディリージ:Erin Wall
ドラベッラ:Hannah Esther Minutillo
グリエルモ:Stéphane Degout
フェランド:Shawn Mathey
デスピーナ:Marie McLaughlin
ドン・アルフォンソ:Ruggero Raimondi

19:30開演、全3時間30分 第1部(第1幕):1時間30分、幕間35分、第2部(第2幕)1時間25分
座席:3ème LOGE DE COTE No4. PLACE 2 39

何より、座席係の人に案内されて入った先にびっくり。オーケストラピットを真上から見下ろす、パトロンか何かが座っていそうな、馬蹄の終わりのあたりとなる席でした。もちろん、そういう場所なので、椅子に腰掛けていては舞台が半分くらい見えなかったりするのですが、体を乗り出せばほとんど観ることができる。それと、歌手たちが大変近くで歌ってくれる。オーケストラの音と歌手の声とがちょうど上手い具合に入り交じる、そんな座席でした。もう一つのメリットは、幕間、大広間を散歩したのですが、ぎりぎりに戻ってきても気兼ねせず座ることができる。こんなところが桟敷席の楽しみだったりもします。室内にコート掛けもあれば、鏡があったりソファーがあったりして、オペラ座の社交場としての機能の一端を垣間見た思いがしました。

エク・サン・プロヴァンスのフェスティヴァルとの共同製作であるこの舞台、あのバイロイトの「リング」を演出したパトリス・シェローが久方ぶりにオペラの演出をやる、とのことで、昨年、大変人気があった演目の再演となります。19世紀のイタリアの下町、といった風情の舞台装置で、建物に囲まれた狭い広場が中心的な舞台となります。それに加えて、オーケストラ・ピットに一番近い最前列の席が座れないようにブロックしてある。さては、もしかするともしかすると、と思っていたら、シャンデリアの灯りが煌々と輝く中、指揮者が入ってきて前奏曲がスタート。と、案の定、グリエルモ、フェランド、ドン・アルフォンソは客席の階段から出てきて、客席の通路を存分に使って歌い、レシタティーヴォを語り、演技していました。字幕は正面の奥の壁に投射されており、これもなかなか感じがよい。少なくとも、字幕スペースを見上げて舞台を観て、また見上げて、といった疲れる所作がなくて済むのはよいことです。振り付けには、時々、オペラの舞台でここまでするか、というくらい、扇情的な部分もあったりしたのですが、だからといって下品にはなっていません。衣装はフィオルディリージが赤、ドラベッラが青、フェランドが緑、グリエルモが黄、といったわかりやすい色分けが行われていて、メイン4人を綺麗に記号化してくれていました。最初から幕は上がっており、幕間には衣装を着た合唱団の人たち(?)が、舞台の上で雑談をしていたりする。これも演出なのでしょう。総じて言えば、大変素直に受け入れられる、そんな演出だったように思います。こういう舞台、好きです。
クーン氏の指揮するオーケストラは、伴奏に徹して歌手の歌を引き立てる時には、大変美しい音色を出してくれました。木管楽器は柔らかで美しいです。ただ、モーツァルトにしては精度に欠ける、そんな印象を受けました。特にティンパニの人がちょっとテンポが遅れているのが気になる。全体で50名のオーケストラですので、もう少し鍛錬が必要なのかも知れません。ただ、指揮者のリズム自体が若干分かりづらくはありました。及第点とはいえ、少々残念です。
さて、肝心の歌手達ですが、グリエルモ、フェランドの男2人は、身長も体型も似ていて、上から見下ろしていたせいか顔も似ていたように思います。フィオルディリージ、ドラベッラの女2人は、ともにすらっと背が伸びた美人さんたちでした。演出上、大変好ましい配役のように思います。ただ、歌唱の方は4人とも、平板な印象でした。男声側はともに固く、痩せた声で、これだと取り替えたら分からなくなってもしかたがないなぁ、といった感じ。女声側はフィオルディリージのウォールさんは、もう少し声だけではない掘り下げた表情が欲しかったのですが、少々物足りない。「風にも嵐にも」が音域の広い難しいアリアであることは分かりますが、最低音域で若干下品にさえ響く声を出してしまっていました。ドラベッラのミニュティーヨ(?)さんは薄い声。若干残念ではありましたが、この4人が様々にペアになって歌う場面が多かったりするので、それはそれでバランスが取れた配役だったのかも。。。
喜劇の主人公たちが与えてくれた満足度が中くらいだったのに対し、喜劇の仕掛け人たちには満足させてもらいました。
ドン・アルフォンソのライモンディ、65歳のおじいちゃんですが、立派な歌唱でした。バスティーユクラスの箱になると少々厳しいのかも知れませんが、ガルニエの大きさであればまだまだ一線で頑張って貰えます。ドン・アルフォンソという、酸いも甘いも噛み分けた人生の達人を演じるには、まさに適役です。願わくば、リゴレットの歌唱などをもう一度聴いてみたい、そんな気分になりました。
もう一人、デスピーナを演じたマクローリン、こちらにも満足させてもらいました。最初、何か名前を聞いたことはあるのに思い出せない、そんなもどかしさを感じていたのですが、プログラムの歌手紹介欄を読んでいたら、紅茶に浸したマドレーヌを食べた瞬間のように、アッバード・ウィーン国立歌劇場で収録されたフィガロでスザンナを歌っていたあの人だっ、と、鮮明に記憶が呼び覚まされました。可愛らしく、頭の回転の速い女性役を演じさせたら、この人の右に出る人はいない、と、昔、ヴィデオを繰り返し観ながら思ったものですが、今回も表情がクルクルと変わる小悪魔風のデスピーナでした。昔と比べると少々体格に貫禄が出てしまい、合唱団が演じる街の人たちに指示を出す姿がイタリア下町の女将さん風になってしまっているのが若干残念ではありましたが、それでも往年のオーラが出ていて、惹き付けられるところがありました。ちょっと高音部がハスキーになりかけている、そんな気もしましたが、それでも満足です。ファン心理というのは不思議なものです。
といった具合で、満足も中の上といったところで幕となりました。劇場を出る時、既に23時20分を回っていたのに驚きつつ、ガルニエといえばLA FONTAINE GAILLON。飛び込んだところ、一瞬断られかけたのですが、何とか受け入れてもらい、メインとデザートとコーヒーでちょうどお腹一杯になりました。家に帰ってきたのが1時半。それから眠りに就いたのですが、、、(翌日に続く)。

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dimanche, 15 octobre 2006

トロイ人(Les Troyens)@バスティーユ

昼まで寝入った今日、再びバスティーユに出かけました。「トロイ人」(ベルリオーズ)観劇です。

「トロイ人」(Les Troyens) エクトール・ベルリオーズ (1963年作) @バスティーユ

指揮:Sylvain Cambreling
演出、大道具、衣装、照明:Herbert Wernicke
合唱指揮:Peter Burian

トロイの陥落(LA PRISE DE TROIE)
カサンドラ:Deborah Polaski
アエネアス:Jon Villars
コロエブス:Franck Ferrari

カルタゴのトロイ人(LES TROYENS À CARTHAGE)
ディドン:Deborah Polaski
アンナ:Anna Elena Zaremba
アエネアス:Jon Villars
ナルバール:Kwangchul Youn

(なお、以下にオペラ座HPから、原文の引用です。主たる登場人物でないところにも、いろいろと気になる人が出ていました。)

Opéra en cinq actes et neuf tableaux (1863)
Livret d’Hector Berlioz d’après L’Enéide de Virgile
En langue française

Direction musicale Sylvain Cambreling
Mise en scène Herbert Wernicke réalisée par Tine Buyse
Décors Herbert Wernicke réalisés par Joachim Janner
Costumes Herbert Wernicke réalisés par Dorothea Nicolai
Eclairages Herbert Wernicke réalisés par Olaf Winter
Dramaturge Xavier Zuber
Chef des Choeurs Peter Burian

LA PRISE DE TROIE
Cassandre Deborah Polaski / Jeanne-Michèle Charbonnet (17, 24 oct.)
Ascagne Gaële Le Roi
Hécube Anne Salvan
Enée Jon Villars / Jon Ketilsson (17, 24 oct.)
Chorèbe Franck Ferrari
Panthée Nicolas Testé
Le fantôme d’Hector Philippe Fourcade
Priam Nikolai Didenko
Un capitaine grec Frédéric Caton
Helenus Bernard Richter
Andromaque Dörte Lyssewski
Polyxène Carole Noizet

LES TROYENS À CARTHAGE
Didon Deborah Polaski / Yvonne Naef (17, 24 oct.)
Anna Elena Zaremba
Ascagne Gaële Le Roi
Enée Jon Villars /Jon Ketilsson (17, 24 oct.)
Iopas Eric Cutler
Hylas Bernard Richter
Narbal Kwangchul Youn
Panthée Nicolas Testé
Deux capitaines troyens Nikolai Didenko, Frédéric Caton
Mercure Nicolas Testé

Orchestre et Choeurs de l’Opéra national de Paris
Maîtrise des Hauts-de-Seine/Choeur d’enfants de l’Opéra national de Paris

14:30開演、全5時間5分 第1部(第1幕・第2幕):1時間30分、幕間50分、第2部(第3幕、第4幕)1時間20分、幕間30分、第3部(第5幕):55分
座席:PARTERRE RANG 17 PLACE54 80

長い闘いになることを覚悟して場内に入ると、今日もぎっしり人が入っています。
この公演、数日前ル・モンドで酷評されていました。曰く、「合唱団はのろまで、ソプラノはヴィブラートが強すぎ、云々。」ただ、結論は、「2000年にザルツブルク音楽祭で行われた時には及ばない。」というものであり、ザルツブルクを知らない身には案外楽しめるものではないか、と楽観視していたのが、ほぼ、その通り。満足できる公演でした。
演出家のヴェルニケさんは数多くのオペラを演出しながらも、2002年に56歳の若さで亡くなってしまった方で、この公演も、2000年にザルツブルク音楽祭で披露されたものを、オマージュを込めてパリ・オペラ座で取り上げる、という趣向だったようです。モルチエ総裁がザルツブルク音楽祭の監督をしていたこともあっての公演、といったところでしょうか。
幕が上がると、半円形の筒のような形の舞台。奥に割れ目がのぞいており、そこにある時は海を表象する水が流れ落ちる岩の階段が見えたり、あるいは巨大な木馬が通り過ぎるのが見えたりします。舞台自体、大きく裂けて段差ができる時もあったりしますが、若干の小道具(階段やついたて)が置かれるだけで場が表現される、というシンプルなもの。「トロイの陥落」の場面では、トロイ人たちは赤い手袋をしている。舞台の枠が赤い布で覆われている。「カルタゴのトロイ人」では、カルタゴ人は青い手袋を、トロイ人は赤い手袋を付けている。舞台の枠も青い布で覆われている。わかりやすく、好感が持てる演出だったのが、2点、ちょっと違和感を覚えました。
アエネアスとディドンのラヴシーンで、壁一面に爆撃、炎上する町の映像が映し出され、バレエが省略されています。グランドオペラの醍醐味が省略されるのは人件費等の関係からやむを得ないのでしょうか。少々残念。それに何故戦争の映像なんだろう。男女の愛というのは戦争と同じぶつかり合いだ、ということなのか。歌詞の内容を追っていけばこの映像の意味も深いところで分かったのかも知れませんが。。。
もう一つ、最後の場面で、赤い旗と青い旗を持った合唱団が舞台袖から乱入してきて、皆で旗を掲げ、観客席を旗で指した後、それを叩き折る、という所作に出ました。歌詞の内容が「アエネアスの種族に対する永遠の憎しみを。我らの子孫と彼の子孫との間で永遠に戦火を交わさんことを。」といった血なまぐさいものであり、おそらくその歌詞の内容に対するアンチテーゼとして国家の象徴である旗を折る、といったことを行ったのでしょうが、仮にこのような解釈が正しくとも正しくなくとも、旗を壊すという行為はあまり美しくない。その他の部分が象徴的でひたすら美しかっただけに、若干残念です。
ただ、美しいばかりであることが想像される「薔薇の騎士」での演出が楽しみです。
合唱団は、ル・モンドの評の通り、確かに「のろま」でした。第1幕など、オーケストラとずれまくっており、どこにリズムがあるんだろう、と居心地の悪い思いをしたり。ただ、数えてみたところ120人を超える数だった、ということもあり、リズムを示しきれなかった指揮者にもその一因はあるのでしょうから、とりあえず「仕方がない。」と諦めておくことにします。ただ、さすがに人数にモノを言わせた合唱の声量は圧倒的でした。
音楽それ自体はさすがにベルリオーズだけあって、美しく陶酔的なメロディーが随所にちりばめられていて、それはそれで良いのですが、予習不足のせいもあるのでしょうか、何か一貫しない、起承転結の結が欠けるような、何となく冗長な感を受けました。昨シーズンの最後に観た「ファウストの拷罰」と同じような印象です。
歌手の方は降臨した女神を支えるキャスト達の好演も印象的でした。アエネアス役のJon Villarsは若々しい印象、大臣役のヨン様は堅実で誠実な歌唱で、ともに大きなブラヴォーを勝ち取ってました(ヨン様の方がその声は大きかったかも)。
そして、デヴォラ・ポラスキーには圧倒されました。少し肩を怒らせて歌うカサンドラに、前回滞在時、シャトレでローエングリンのオルトルートを歌った時を重ねつつ、ヴィブラートがきついのもカサンドラみたいな若干神経症的な役にはいいのではないだろうか、と思いつつ、やはりその舞台映えする身長と美貌に見入り、聴き入りしていました。それがディドン役になると、歌い方が全く変わった。王女としての気品溢れる歌唱と、変わらぬ存在感。ディーヴァが光臨する現場に立ち会うことができました。あの崇高な印象はどこから来るのだろう。とにかく感動するとともに、彼女が歌ったブリュンヒルデを聴きたかった、と思い、ウィーンでイゾルデを歌う時に飛んでいこうかしらん、などという誘惑にも駆られつつあります。
何より今日の白眉はアエネアスとディドンの二重唱の場面。若干冗漫な音楽に意識が飛んでいた時、来るぞ、という気配ではっと我に返ったそのとき、「Nuit d'ivresse et d'extase infinie(陶酔と無限の悦楽の夜)」の二重唱が始まりました。森の中に立ちこめてくる夕靄を思わせるように微かにわき上がってくる弦楽器の柔らかな背景の中、耳を澄まさなければ聞こえてこないような音量で歌われる二重唱。なんて美しいんだろう。映画「恋人達」の夜の場面を思い起こしつつ、トリスタン第2幕の二重唱と重ね合わせたりしながら、とにかく陶酔しました。帰ってきてから繰り返しCD(Dutoit, Lakes, Pollet)で流しているのですが、あの感興は蘇ってこない。やはり舞台は生ものです。奇跡的な経験をすることができました。
それにしても、長いオペラだった。14時半に始まって、劇場を出たのが20時ちょっと前。すっかり日が短くなったおかげで、マチネといえども終演の時間には日が暮れていて、宴の後にはよい雰囲気です。
少々気がかりな風邪の気配を体の中から温めて追い出してしまおうと、15区の韓国料理「名家(Myung Ka)」(19, boulevard Garibaldi, 75015, 01.47.83.41.45)に出かけ、豚の三枚肉定食等で豚肉、青唐辛子、ニンニク、長ネギを摂取し、スタミナを付けようと尽力しました。
来週はまたまた忙しくなりそうです。

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dimanche, 08 octobre 2006

Salomé(サロメ)@バスティーユ、CINEAQUA

ここ数日の規則正しい生活故か、9時過ぎには目が覚めました。いいことです。選択等々をこなし、お風呂にゆっくり浸かって、爽やかな秋晴れの中、バスティーユに向かいました。
そういえば、昨晩は「Nuit Blanche(白夜)」なる催しが行われていたらしく、パリは明け方まで大騒ぎをする夜だったそうな。コンコルド広場やシャンゼリゼのルイ・ヴィトンが青色にライトアップされて、それはそれで美しい光景が展開していたそうです。美術館博物館も深夜まで開館していたらしい。来年は参加したいものです。

「サロメ」(Salomé) リヒャルト・シュトラウス @バスティーユ
指揮:Hartmut Haenchen
演出:Lev Dodin
大道具・衣装:David Borovsky
照明:Jean Kalman
振り付け:Jourii Vassilkov

サロメ:Catherine Naglestad
ヘロデ王:Chris Merritt
ヘロディアス:Jane Henschel
ヨカナーン:Evgeny Nikitin
ナラボート:Tomislav Muzek

14:30開演、全1時間40分(休憩なし)
座席:PARTERRE RANG 30 PLACE 7 70

ついにリヒャルト・シュトラウスをパリ・オペラ座で聴くこととなりました。過去にミュンヘン、ウィーン、リヨン、それにスイスで、薔薇の騎士、アリアドネ、アラベラ、エレクトラ、影のない女と聴いたことがありましたが、肝心のサロメは今回が初めてです。パリ・オペラ座のマーケティング部長が「ぜひ観るとよい」といっていた作品ということもあって、期待は高まります。座席は平戸間の前から30列目、ほぼ中央といったところで、舞台が真正面に目の高さで見えます。
会場はほぼ満席で補助椅子まで出ていましたが、それでも座席は空いているもので、開演直前に立ち見席の人たちが案内係の指示に従って空いている席に向かっていくのを目撃。まあ、こういうこともありなのでしょうが、あまり望ましいことではないように思います。やはり立ち見は立ち見のよさをしっかりと楽しんでもらいたい。

舞台の方ですが、黒を基調としたモノトーンの、装飾の少ない大道具が開演前から晒されています。幕を使わないというところにも何らかの意味がありそうです。演奏開始と同時に出てきた役者達の衣装は古代風。動きも特に変わったところがない自然なもの。物語の進行に合わせて背景に満月がそろりそろりと顔を出してきて、やがてそれが欠けていき皆既月食となったところで悲劇が起きます。背景の照明も青白かったのがやがて山吹色となり黒く落ちていくといった様子で大変美しい。演出は大変好ましく思われました。こういう舞台だと、やはり正面から見るのが楽しいです。
音楽の方はヘンシェンの指揮のもと、パリ・オペラ座管弦楽団が実に豊穣で流麗な音楽を聴かせてくれました。リヒャルト・シュトラウスの音楽にある煌めき感が薄かったのは平戸間席で、しかも上が若干被さっていたからかも知れませんが、ゾクゾクするような官能的なところがあれば、五臓に響き渡るような力で迫ってくるところもある。本当にパリ・オペラ座のオーケストラは上手くなりました。これだといわゆる四大歌劇場に飛ばなくとも十分満足できます。
ただ、今日の主役はサロメを演じたソプラノのキャサリン・ネイグルスタッド(発音はよく分かりませんがアメリカ人)でした。ビルギット・ニルソンのCDで予習をしていた身にはその柔らかい声が当初不満に感じられたりもしたのですが、やがて劇中に入り込んでいくとこの声の方が絶対にいい。モーツァルトからプッチーニまで、フィオルディリージからトスカまで、といった具合で、ドラマティック・ソプラノをレパートリーとしているようですが、ワグナー系はまだのようです。ただ、その柔らかさが官能性につながっていて、ナラボートを誘惑するシーン、ヨカナーンを求めるシーンなどで大変なエロスを発散していました。オーケストラの大音響にかき消されない芯のある歌声も持っている。すっかりファンになりました。容貌も凛として美しい。パリ・オペラ座でトスカを歌う計画があるようで、今から楽しみです。
それに、ヘロデ王を歌ったクリス・メリット。こちらはメトロポリタン歌劇場からウィーン国立歌劇場まで、有名どころを股に掛ける名テノールで、レパートリーも多岐に渡っているようですが、今回は性格テノールを上手く演じてくれました。リングのローゲで聴いてみたいような感じです。
あと、ヨカナーンのエフゲニー・ニキティンもよかった。サロメの誘惑を頑として拒む、という演出になっておらず、むしろそれに負けそうになりながらも意思の力で拒む、といった演技でしたが、その苦悩を上手く表現していました。上背もあるなかなかのイケメンで、サロメが一目惚れするのも無理はない、といった感じです。
ヘンシェルのヘロディアス、ムゼクのナラボートもしっかりと脇を固める歌いっぷりで大満足です。
そして最後に、サロメと言えば7つのヴェールの踊り。最初から薄いストッキング生地の下に黒いブラジャーが透けて見える、そんな上半身で出てきたサロメは、踊りながらキラキラと輝くスカートを1枚ずつ脱いでいき、最後の最後、決めの部分ではとうとう一糸まとわぬ姿になってくれました。下半身には肌色の下着を付けていたのだろう、とは思いますが、ここまでやるとは思いもしませんでした。この歌劇の見所の一つでもあり、改めてサロメ役の難しさを感じます。声だけでなく、顔だけでもなく、プロポーションまでよくなくては見ている側が白けてしまう。そういう点でも、ネイグルスタッドは適役でした。
今回の滞在で、最初に見たトリスタン以来、10ユーロのプログラムを購入。歌手達の経歴が載っているのがよいのですが、このプログラム、様々な人が分析的なことをぐだぐだと書いた文章が掲載されているのがメインであり、もちろんそれを読めば楽しいのだろう、とは思いますが、もう少し舞台の写真をいれてみる、とかしてくれてもいいのになぁ、と思います。結局歌手たちの横顔を知るための10ユーロ、もう少し考えてもらいたいなぁ、と思いながらも、歌手達を知ることができただけでも満足です。
楽屋口を見晴るかすカフェでビールを飲んでいた時、目の前で指揮者がタクシーに乗って帰っていき、サロメ役らしき女性が仲間達と去っていく姿が見えました。サインをもらっておけばよかったかも。

その後、トロカデロはシャイヨ宮に新しく作られたCINEAQUAなる映画と水族館の融合したスペースに出かけました。魚が泳ぐ水槽の脇で映画の上映がなされている、というもので、入場料は19.50ユーロ。割と話題だったのですが、感想としては大いに疑問符が残る、そんなアミューズメント・スペースでした。これだと水族館だけにして入場料を少なくする方が当たるんじゃないか。あるいは、妙な創作アニメを流すのではなく、海、水にまつわるちゃんとした映画やらドキュメンタリーを流してくれる方がいいんじゃないか。それこそ、松方弘樹の釣り番組でもいい。日曜日の夕方、あれだけお客が入っていない一等地にあるこの水族映画館、運営上の改善の余地が大いにありそうです。また、この水族館に併設されていて、水槽を眺めながら食事ができる「小津」なる日本レストランは、メニューはしっかりしているのですが、何故か壁に鎧甲がずらっと置かれていたりして、ちょっと食事をしようという気にはなれません。味はいいらしいので、少々残念。結局、スージーの中華で食事をして帰ってきました。

そして、とうとうorangeのカスタマー・サポートに電話しました。過去2週間、つながらなかった原因はなんだったのだろう。やっぱりRIBを送っていなかったせいなのだろうか。
ネットにつながらなくなった原因を問うたところ、「つながらなくなった時、お宅では停電がありませんでしたか?。」との問いが。「一日中家にいたわけではないので、よく分かりません。」「では、モデムのコンセントを抜き、10秒ほどしてもう一度コンセントを差してみてください。」
言われた通りにやってみると、点滅していた「@」のランプが点灯に変わりました。これはつながっていることを示しているはず、とエクスプローラーを立ち上げると、2週間振りに我が家のパソコンがネットにつながってくれました。「停電したような時には、一度電源を抜いてしばらくたってからやりなおしてください。」とのことです。RIBを贈っていなかったのが原因だったのか、自分でも分からぬ間に停電していたのか、よく分かりませんが、とりあえず我が家から再びネット接続が可能になったのは嬉しいこと。おかげさまで、再びブログの整理を始めることができました。有り難い有り難い。

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vendredi, 22 septembre 2006

LA CLEMENZA DI TITO(皇帝ティトーの慈悲)@ガルニエ

(後日書いています。)
様々な仕事が降りかかって来る中、昼休みの床屋を済ませ、午後のある時間には一瞬脳内がフリーズしたような感じにもなりつつ、19時までの勤務を終え、ダッシュでガルニエに向かいました。今回の滞在で初めてのガルニエでのオペラ観賞です。

「皇帝ティトーの慈悲」(LA CLEMENZA DI TITO) モーツアルト @ガルニエ
指揮:Gustav Kuhn
演出・大道具・衣装:Karl-Ernst Herrmann
照明:Karl-Ernst Herrmann、Heinz Ilsanker
合唱指揮:Peter Burian

ティトー:Christoph Prégardien
ヴィテリア:Anna Caterina Antonacci
セルヴィリア:Ekaterina Syurina
セスト:Elina Garanca
アンニオ:Hannah Esther Minutillo
プブリオ:Roland Bracht

19:30開演、全2時間55分(第一部:1時間10分、休憩:30分、第二部:1時間15分)
座席:AMPHITEATRE 181 39

天井桟敷の後ろから2列目の席。そういえば、年間予約を申し込んだ際、オペラ座から電話があって、「こんな席でもいいか」と言われた座席でした。確かに、椅子は足がしっかりとは付かない高さのちょっとした腰掛けのようなもので、背もたれがなく、あまり腰を引くと最後列の人の膝が当たってします。安い料金でとにかく芝居を何度もみたい、といった人たちが集まっていた場所だっただけのことはあります。ただ、オーケストラ・ピットは丸見えですし、舞台も正面からほぼ死角なしに見ることができる。狭いスペースに200人強が入っていて、大変窮屈な思いはするのですが、芝居好き・オペラ好きの人たちが密集して劇を楽しんでいる雰囲気を感じて、そちらも楽しいです。ブラーヴォの声もここからの発信が多い。そんな天井桟敷が好きです。
舞台は白い大理石様の床が広がっており、壁が3方を取り囲んでいる。その壁の大きな扉が開くと、ある時は宮殿の列柱が並んでおり、ある時はサモトラケのニケのようなのが奥に置かれて火が噴きだし、またある時は野原が広がっており、と、閉鎖された空間で展開される心理劇がどのような環境で進んでいるのか、というのを示す、そんな演出になっていました。カール=エルンスト・ハーマンという演出家はこの舞台では大道具、衣装、照明まで行っているようですが、それだけにこだわりのある演出なのでしょう。大いに好きになりました。この演出でのDVDも発売されているようです。
他方、ちょっと閉口したのは、照明が白い床に跳ね返ってくるせいでもあったのでしょうが、とにかく字幕が見えなかった。おかげであらすじさえ把握せずに行ってしまった自分には、ズボン役が2人も出てくる第1幕はちんぷんかんぷんでした。少々残念。というのも、ソプラノ2名の出来が大変よかったからです。で、慌てて一緒に行ってくれた知り合いから情報収集し、配役と歌手を頭の中で再構成したところ、第2幕を存分に楽しむことができました。
ヴィテリア役のアントナッチさんは舞台映えする大柄な方で、エレガントな風貌からドラマティックな歌唱を聴かせてくれました。彼女が歌い始めると(自分も含め)オペラグラスを目の前にかざす男性諸氏がいるのも楽しかったです。舞台の上でひときわ存在感がありました。もともとメゾソプラノとソプラノの両方をやっていた、ロッシーニ歌いであるようなことが、オペラ座HPに紹介されていましたが、今後、是非ヴェルディで聴いてみたい、そんな歌手でした。
セスト役のガランカさんは、音程がしっかりしていて、モーツアルトにありがちな音階の歌唱にもしっかりとついていっていて、歌い終わる度に大喝采。ズボン役としての風貌は凛々しかったですが、凛とした美貌の持ち主でもあり、ネットによればドラベッラ役も歌ったりしているよう。今度はそちらの方面で出合いたいソプラノです。
その他、セルヴィリアのシュリーナさん、アンニオ役のミヌティッロさんも脇をしっかりと固め、プブリオ役のブラハト氏が低音を締める。そんな中では、プレガルディアン氏のティトーが、音程が大変甘くて少々痛かったこと、クーン氏の指揮が今ひとつきびきびしていなかったことなど忘れることができ、終演後は大喝采となりました。
あと、オーケストラ・ピットの奥に合唱団が並んで歌ったりしていましたが、地の底から湧き起こるコロスの声といった風情で、演出上も効果があったように思います。
最後に、やっぱりガルニエ宮程度の座席数(2000席程度)が、最も人間的な劇場なのかも知れないなぁ、と思いました。オーケストラが薄かった、ということもあるのかも知れませんが、楽器と声とが入り交じるにはちょうどよい大きさであったように思います。バスティーユのように2700席もあると、どこかに無理が出てくるような。特に歌手の喉にはきついだろう、と思います。

満足した観劇は、La Fontaine Gaillonで、マグロのカルパッチョとタラ料理で締めくくることができました。ジェラール・ドパルデューが経営しているというこのお店、素材がそもそも持っている味をぎゅっと引き出すような、あっさりとしたフレンチを楽しめます。夜、1人あたり100ユーロあれば、フルコース+ワイン+水+コーヒーを楽しめます。個室も5部屋あって、6人まで、10人まで、12人まで、16人まで、30人までの部屋を予約することができます(有料。部屋代は30ユーロから120ユーロまで)。8人以上の場合、前菜+メイン+デザートで49ユーロと58ユーロのセットメニューを選ぶことになっています。仮に15人で行うこととした場合、ワインや水も含めると70ユーロ弱、といったところでしょうか。大人数のちょっと大事なお客様をお招きする会食には適していると思います。

帰宅の後、待っていてくれた熊本の友人達と歓談。フランスの各地の思い出などを聞く中、シャンゼリゼのトヨタに、F1のコクピットに座ってできるレーシング・ゲームがある、といった情報なども仕入れることができました。「ドーヴィルも海だけ見れば有明海」という俳句もよかったです(勝手に使わせていただきました。スミマセン)。公私ともに多忙な一週間が無事終わりました。ちょっとスタミナ切れといった感じです。

後記:モーツァルトの最晩年のオペラ、モーツァルトのオペラの中では評価が別れているようです。確かに、レシタティーヴォが長すぎるような気もしましたし、今ひとつキャッチーなメロディーに欠けており、正直なところ若干退屈しました。
ただ、昔の記録を調べてみたところ、1997年に自分がパリに滞在していた際、2度ほどガルニエに見に行っておりました。当初、4月30日の初日を狙っていったところが、ストか何かで公演が中止になって、ということがあり、その後5月16日と27日に見に行った形跡が。
演出は違ったのですが、ヴィテリアにクリスティーヌ・シェファーが、セルヴィリアにはアンネ=ソフィー・フォン・オッターが、セストにはアンゲリカ・キルヒシュラーガーが、といった大変なキャストだったようです。それに、先日亡くなったアルマン・ジョルダン先生が指揮をしていた。おそらく1度見に行って、これは凄い、ということになり、改めて見に行ったのでしょう。
自分のことなのに羨ましいです。

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dimanche, 17 septembre 2006

Lucia di Lammermoor(ランメルモールのルチア)@バスティーユ

朝、目が覚めたら熊本の友人達は既にトゥール観光のバスに乗るために出発した後でした。結局11時過ぎまで眠り、知り合いと合流してバスティーユに向かう途中、昨日、車で夜のパリ観光を御一緒した昔の同僚夫妻(今日の夕方の便で日本に出発予定)が車の中に落としていったカメラをホテルに届け、「彼が荷物を取りに来たら渡してください。」とお願い。大変気持ちよく引き受けてくれたレセプショニストに感謝です。

さて、今シーズン初めてのバスティーユ。待ちに待ったデッセイの「ルチア」、ベルカントを存分に楽しみました。

Lucia di Lammermoor(Gaetano Donizetti (1797-1848))
「ランメルモールのルチア」(イタリア語版)

指揮:Evelino Pidò
演出:Andrei Serban
照明:Guido Levi
合唱指揮:Peter Burian

ルチア:Natalie Dessay
エドガルド:Matthew Polenzani
アルトゥーロ:Salvatore Cordella
エンリーコ:Ludovic Tézier
ライモンド:Kwangchul Youn
アリザ:Marie-Thérèse Keller
ノルマンノ:Christian Jean

14:30開演、全2時間55分(第一部:1時間25分、休憩:30分、第二部:1時間)
座席:PARTERRE RANG19 PLACE 54 70

14時20分過ぎ、平戸間の予約席に向かったところ、既にしてぎっしりになりかけている。通常、平戸間の前の端の席は空いていることが多いのですが、そこにも人が詰まっていて凄い熱気でした。さすが、フランスの当代きってのソプラノが歌うだけのことはある。郷土愛に満ちた開演前の雰囲気を楽しむことができました。
前奏曲も気合いが入ってます。で、幕が開けると、、、随分現代風な演出。舞台を丸く取り囲む塀があって、その上から正装して山高帽を被った紳士達が合唱する中、塀の内側ではエンリーコの家の一味の私兵のような連中が鍛錬をしている。そんな場所で第1幕第1場が終わり、いよいよルチアが登場です。
出てきた瞬間、緊張感が走りました。案外小柄なナタリー・デッセイ、ただ、オーラが出ています。こちらが「デッセイだ」と思ってるからかも知れませんが、歌い出しの声を聴いただけでオーラに納得。ちょっとハスキーではあるが、存在感たっぷりの声です。嬉しい。。。「あたりは沈黙に閉ざされ」のカヴァティーナの時は、客席が静まりかえり、咳の音一つしない。ブランコをこぎながら歌わされたりしていて、見ているこちらも緊張してしまうようなアクロバティックなシチュエーションもありましたが、客席を飲み込む、鳥肌が立って体が火照ってくるような歌唱でした。終わってからの大喝采は3分近く続いていたでしょうか。
続いて現れたアメリカ人ポレンザーニのエドガルドも、甘かったり凛としたり怒ったりといった表情が豊かで、こちらも凄い。さすがにデッセイと対になるテノールには慎重な人選が行われています。二重唱でもお互いが出過ぎず、絶妙なバランスで客席を酔わせてくれました。
エンリーコ役のテジエは、元々マルセイユ生まれでストラスブールの劇場付きらしい(終演後、彼と一緒に舞台に立ったことがある、という日本人の知り合いと偶然出合って聞いた話)です。メインの2人に比較してしまうと若干くすみますが負けはしない、立派な演技及び歌唱振りでした。
東洋人が出てるなぁ、と思って見ていたのですが、家庭教師のライモンド役だったヨン様は、重量感のある迫力のあるバスを響かせてくれました。
こんなキャストですので、第2幕第2場の六重唱も一人二人声がよく聞こえなくとも綺麗に響いてきて、第一幕終了時には大喝采。凄いことになってきたぞ。「狂乱の場」でのデッセイの歌唱を待ちながら、白ワインを楽しむ幕間でのおしゃべりも楽しさを増してきます。
そして第3幕、ルチアが血まみれになって出てきた。ホラー映画に出てきそうなほど血塗られたデッセイには少々ぎょっとしましたが、やがてそのコロラトゥーラの技法に聞き惚れることとなりました。本当に上手いです。しかも、あの小柄な体からどうして、というくらい声量もある。「狂乱」の表現振りが云々と言い出せば難癖も付けられるのかも知れませんが、単純に陶酔してしまいました。第2場が終わった時の拍手も鳴りやまず、その後出番のないデッセイが緞帳前に出てきて一礼し、それでやっと第3場が始められるようになりました。
そして、テノールにとっては厳しい第3幕第3場。主人公不在の中で舞台を締めなければならないのですが、消化試合にはならず、最後まで緊張感を維持してくれました。終わってみれば、そして、一つ一つの意味を深く考えなければ、ルーマニア人・セルバンの演出も楽しめました。
そしてそしてカーテンコール。ヨン様、ポレンザーニへの大拍手もさることながら、やっぱり今日の主役はデッセイでした。10年前の時も含めれば相当程度通っているバスティーユで初めて、総立ちのスタンディング・オヴェーションというものに参加することができました。終始繊細で流麗な音楽を指揮してくれたピドー氏を迎えるデッセイの仕草は、普通のフランス人の女性ぽくて、おそらくこの人は謙虚な人なんだろうなぁ、などと余計なことも考えてしまいました。
終演後、劇場の通用門のところでしばらく出てくるキャストを待っていたのですが、デッセイ様には会うことができず。。。とはいえ、それが良かったのかも知れません。他のキャストが普通の人になって出てくるのを見ていてそう思いました。
今シーズン最初のオペラ観賞は大変充実したものとなりました。最初がこんなに良いと自分の中でのスタンダードが高くなりすぎてしまうきらいはありますが、そんなことをぐずぐず考える以前に、おそらく自分が今まで触れることができた公演中、ベスト5に入る舞台。一期一会の機会に恵まれました。この舞台に接する機会を自分に与えてくれた人たちに感謝しています。

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vendredi, 07 juillet 2006

愛の妙薬@バスティーユ

七夕の今日、マダガスカルに行く同僚がパリを出発しました。朝まだ起きてない時間に携帯に電話をもらっていたようで、恐縮至極です。いずれマダガスカルにも行かなければなりません。
午前中、車のオイル交換をしにガソリンスタンドに行きました。誰に話をすればよいのか、ということを聞き、忙しそうに働く整備士の人にお願いをすると、16時以降に引き取りに来い、15時過ぎから作業をするから、16時以降であれば何時でもよい、との回答がありました。
で、仕事を終えて19時過ぎに引き取りに行き、アクセルを踏むと大変軽やかな吹き上がり。車が生まれ変わったようでした。これからはもう少しこまめにオイル交換に出そうと思います。
そのまま、バスティーユに行き、標記オペラを観てきました。

L'Elisir d'amore

指揮:Edward Gardner
演出:Laurent Pelly
装飾:Chantal Thomas
照明:Joël Adam

Adina : Ekaterina Syurina
Nemorino : Tomislav Muzek
Belcore : Mariusz Kwiecien
Dulcamara : Alberto Rinaldi
Giannetta : Aleksandra Zamojska

演出は現代風で、Tシャツに半パン姿のネモリーノが愛を歌えば、夏物ワンピースのアディーナがつれなく返す、といった風情。ベルコールはエスタブリッシュされた軍服に身を包み、ドゥルカマーラは怪しげな白衣のようなものを羽織っていました。
舞台はイタリア・トスカーナ地方を思わせる麦畑。乾し草が積まれており、第1幕は登場人物達がその山に昇ったり降りたりして進行します。第2幕では畑を遠景に、行商のトラックに乗ったドゥルカマーラが登場。トラットリアとトラックの間に開けた広場で物語が演じられます。第3幕は村祭り。自転車が走り、本物の犬が走る演出に、何かブロードウェイ的な軽やかさを感じ、自分としては好感を持ちました。この演出は一度は観ておいて損はないだろう、と思います。
上の下くらいの人たちで固められた歌唱陣を安心して楽しみながら聴くことができたのはよかったです。アディーナ役のシュリーナさんは軽やかな声で音程も安定。クヴィーシエンは声は堂々としておりルックスもよく、いかにもモテ軍人(「女は他にもたくさんいる」という最期の台詞も、彼だと大変に決まります)、それに対するネモリーノ役のミュゼック氏は、ちょっとデブ目で、いかにも持てない純情田舎男を好演してました。シーズン当初の予定では、ドゥルカマーラとしてルッジェロ・ライモンディが出る予定だったようなのですが、リナルディさんという人に変わっていました。安定した歌唱と楽しい演技でオペラ座を盛り上げてくれました。
東欧系の人が多くなっているような気もしますが、これは総裁の方針なのか。ただ、粒が揃っていてガクッと落ち込むような人がいないところは、よい人選をしているなぁ、と感心します。さすがザルツブルク音楽祭の総監督を10年に渡ってやってきた人が総裁をしているだけのことはある。
十分に笑い、おきまりのBofingerでの夕食を楽しみ、今シーズンのオペラおさめとしました。早くも来シーズンが楽しみです。

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samedi, 24 juin 2006

ファウストの劫罰@バスティーユ

今日は、出張者の方と一緒に、ラファイエットに行き、夕方、バスティーユ・オペラでベルリオーズの標記オペラを観てきました。
ラファイエットのフランス風6階におみやげ品コーナーができていたのに感心。エッフェル塔スノーボールから「I love Paris」系のTシャツ、帽子やら、ボールペンやら、Maxim'sのチョコレートやら、通り一遍のおみやげ物がフロアを満たしていました。今、パリで一番売り上げの大きいデパートだけあって、トレンドに敏感です。
19時30分の開演に向けてバスティーユに向かったのですが、今日は同性愛者の方々がパレードをやる日に当たっており、そのパレードの終点がバスティーユ広場。一抹の不安が走りましたが、その予感は現実に。通りが封鎖されています。と、車の運転手さんが突如バスレーンを逆走する、という手段に出ました。向こう側からの車は来るはずがない、という確信に基づくこの行動にも感心。大変心強い人です。そして、広場のところまで行って車を止めたのですが、広場には男性・女性ともに同性愛の方々が群れていて、ビートのきいた音楽が大音量で鳴っています。広場の真ん中の塔にもよじ登れるところには人々がスズメのようになっていて、そこで音楽に合わせて体を揺すっている。大変なお祭り騒ぎでした。ヨーロッパ各地にこのようなゲイの日がある、とも聞きました。何とも言えないパワーに圧倒されました。
そして、オペラです。

La Damnation de Faust (Hector Berlioz (1803-1869))

指揮:Patrick Davin
演出:Robert Lepage
証明:Maryse Gautier

マルグリット:Michelle de Young
ファウスト:Giuseppe Sabbatini
メフィストフェレス:José Van Dam

サイトウキネン・フェスティヴァルとの共同製作というこの舞台、鉄骨で縦横に24部屋ほどに区切られた、まるで工事中のマンションのような格子になった場所で、4つのシーンが展開されます。パリ・オペラ座HP(http://www.operadeparis.fr/Saison0506/spectacle.asp?Id=869)からその様子を見ることができます。蜘蛛男のようなのがロープにつり下げられて現れたり、と、なかなか刺激的ではあり、紗幕を用い、照明に工夫を凝らしているあたりはなかなかに感心できました。ただ、ちょっと舞台の主張が強すぎるような印象も受けました。音楽自体、あまり劇的な盛り上がりがない中、若干舞台がうるさく感じたのは事実です。それに、フランス風グランド・オペラとして、バレエにもっと活躍してもらいたい場面もあったのですが、それが紗幕に映し出される映像によって代替されていたりして、少々残念。メッセージがどのようなところにあったのか、読みとるのが難しかったです。
指揮者は、合唱とオーケストラとの調整を行いつつ、安定した音楽作りでした。
今日の収穫は、ヴァン・ダムのメフィストフェレスを聴けたことでしょうか。悪魔的な表現力の豊かさを楽しむことができました。サバティーニのファウストも悪くは無かったのですが、若干線が細いような印象。マルグリットは、可もなく不可もなく、普通の歌手でした。
ベルリオーズには悪いのですが、音楽自体に今ひとつ劇的な盛り上がりに欠けているのが致命的であり、見終わった時にどっと疲れが出てくる、椅子の上のお尻の痛さが記憶に残る、そんな公演でした。出張者の方も疲れておられました。
他方、先日、インタビューをしたオペラ座のマーケティング部長が出張者の方に挨拶にこられたり、幕間に特別室の方に招待してくれたり、と、ホスピタリティに溢れたおもてなしに感激。このパリという場所がコネを大変大切にする土地であることを、改めて思い知らされました。

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mercredi, 15 février 2006

蝶々夫人@バスティーユ

今日はバスティーユでプッチーニのオペラ「蝶々夫人」を見てきました。

指揮:Marco Balderi
演出・大道具・照明:Robert Wilson
踊り:Suzushi Hanayagi

蝶々夫人:Hui He
スズキ:Ekaterina Gubanova
ピンカートン:Marco Berti
シャープレス:Dwayne Croft

ヒュイ・ヘ(?)の蝶々夫人の卓越した出来に、やっぱりタイトルロールがよいオペラは締まる、との実感を新たにしました。若干芯のない声ではありましたが、それがかえってお人形さんのような蝶々さんという演出のイメージにマッチしていたような気がします。オーケストラの音壁の隙間を縫って染み込んでくるような歌声でした。カーテンコールでもものすごい喝采を浴びてました。そういえば、「ある晴れた日に」を歌い終わった後、本日唯一、音楽の流れを遮った拍手が湧きました。ところで、彼女、中国人ではないか、と思われますが、中国では中国人が蝶々さんを歌うのは禁止されてるのだろうか、とふと思いました。
ベルティのピンカートンは若干金属質な部分が耳にさわる歌声ではありましたが、蝶々さんの歌声を妨げないような抑制の利いたボリューム・コントロールを上手くこなしてくれました。
これら主人公の脇を固めるギュバノヴァのスズキ、クロフトのシャープレスも脇役に徹する手堅いキャスティングで、小粒であっても粒が揃っている方が、チームプレイとしてのオペラは楽しめることをリゴレットに続き実感しました。
他方、本日の音楽は少々残念です。モルティエ総裁は、歌手よりも指揮者に力を入れているはずなのですが、バルデリの指揮は今ひとつ。テンポが神経質なくらい変わるので、このメロドラマのメロメロの音楽に安心して身も心も委ねることができない。特に、第2幕の第1場から第2場への間のハミング・コーラスで、テンポや音量を大きく揺らされてしまうと、蝶々さんと愛息、スズキの3人が帰らぬピンカートンを待つ長い夜の静寂が台無しになってしまいます。淡々とした音楽に切々としたしめやかな情感を味わいながら、深い哀しみに心底浸ろうとしていたのに、残念です。第3幕でティンパニがえげつないほどの猛打を加えたのには、木管奏者が思わずそちらを見やるほど。オーケストラ・メンバーが、カーテンコールで指揮者が舞台に現れるまで待っていたのに、出てくるやいなやぞろぞろと帰って行ったのにも納得です。まあ、こういうこともあるでしょう。
このバスティーユでの蝶々夫人、9年ほど前からでしょうか、ボブ・ウィルソンの演出です。その当時、パリにいた自分は、初演の頃、カーテンコールで演出家が出てくる時に客席から投げかけられる激しいブーイングに違和感を感じてました。自分はとても好きです。簡素な舞台装置に美しい照明、動きを最小限に押さえた演技。抽象化された様式美を感じます。ジャパネスクがかえって上手く表現されている、と思います。とはいえ、好き嫌いははっきりとわかれるでしょうね。同行者は大変気に入ってました。そういえば、このボブ・ウィルソンのオーダーした衣装ケースがルイ・ヴィトン博物館に置いてあったような。。。
久しぶりに強い雨が降る中、ジンジャーでアジアン料理を楽しみ、帰宅。満たされたオペラ観賞でした。

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mardi, 14 février 2006

リゴレット@バスティーユ

今日は出張者との会食、文化・コミュニケーション省への著作権関係調査を経て、久しぶりにバスティーユでオペラを見てきました。ヴェルディの「リゴレット」です。
冒頭、開演時間の20時を過ぎても明かりが消えず、どうしたのだろう、と思っていたら、舞台衣装に身を包んだ人がマイクを持って幕前に現れました。曰く、「本日は公務員の一斉ストの日ですが、我々劇場不定期従業員(公務員)は、ストを行わないこととしました。他方、公演は15分遅れで始まります。不定期従業員は舞台芸術を支えています。さらなる待遇の向上に向けた運動につき御理解をお願いします。」ストを行わないこととした、という下りでは大きな拍手が起きましたが、最後まで聞いた後、会場からはブーイングが出てました。確かに、ここの劇場の人たちは良くストをします。前回滞在時には「大道具がストをした」という理由で舞台装置無しの演奏会形式で行われた公演を何度か聴いたことがあります。おそらくオーケストラのメンバー、合唱団のメンバーも「不定期従業員(intermittent)」なのでしょう。オーケストラピットにずいぶん遅れて入ってきた楽団員もいました。冒頭現れた彼は合唱団の一員だったのでしょうね。
さらに、20時15分、客席が暗転した後、舞台前に今度はスーツ姿の劇場関係者が現れました。「リゴレットは○○が歌うこととなっていたが、彼が風邪を引いているため、急遽パオロ・ガヴァネッリが歌うこととなった。ただし、彼は本日午後イタリアから到着したばかりであり、練習も十分に行えていない。皆様の御理解を期待する。」ここでも、「ガヴァネッリが歌うこととなった。」のくだりでは安堵の声が聞こえていたのですが、練習云々以下のくだりではブーイングが出ました。
このように、若干波乱の幕開けでしたが、終わってみたらそこそこ満足のいく公演でした。

指揮:Renato Palumbo
演出:Jérôme Savary
装置:Michel Lebois
衣装:Jacques Schmidt, Emmanuel Peduzzi
照明:Alain Poisson

マントヴァ公:Bülent Külekci
リゴレット:Paolo Gavanelli
ジルダ:Laura Claycomb
スパラフチーレ:Ain Anger
マッダレーナ:Dagmar Pecková
モンテローネ公:Philippe Fourcade

急遽イタリアから飛んできたガヴァネッリは、時々苦労している風ではありましたが、堂々とした歌声と演技で、道化師リゴレットの悲しみを上手く表現してました。カーテンコールではよほど嬉しかったのでしょう。顔を何度も拭って喝采に答えてました。
クレイコムのジルダは、自分がジルダに期待しているほど天使的な声ではありませんでしたが、コロラトゥーラでも
そこそこ頑張ってくれて及第点。
アンガーのスパラフチーレは悪役を上手く表現。モンテローネ公のフルカッドの呪いは迫力がありました。若干残念だったのがマントヴァ公のキューレッキで、女たらしにしては老けた印象で(ひげに白いものが混じっている。。。せめて染めておいてもらいたかった)、声も固く、リズム感も今ひとつでした。
とはいえ、歌手は全体として粒が揃っていて、安心して聴くことができました。
パルンボ氏はずいぶんと若い人(隣に座っていたフランス人の二人連れが、第2幕の始まりで出てきた指揮者を見て「若者だな」と感想を述べ合ってました)。脳天気な音楽に、ふと「西海岸」という言葉が頭をよぎりました。時々妙に頑張るオーケストラではありましたが、集中力には欠ける印象です。それもそのはず。ストをしてれば、今頃レストランで談笑中だったのかも知れませんから。パルンボ氏の今後に期待したいところです。
この「リゴレット」、そもそもはフランスの女たらし王・フランソワ1世王をモデルにしたオペラだったようですが、検閲に引っかかってしまい、場所・舞台をマントヴァに移した、というものらしいです。ドラマティックを絵に描いたような音楽で、次から次へと美しい旋律が溢れるように流れてきます。同行者によればヴェルディ中期の3大傑作の一つ(イル・トロヴァトーレと椿姫が残り二つ)とのこと。マントヴァ公の歌う女心の歌は、誰もが1度は聴いたことのある有名なものですし、第1幕でジルダが歌う「慕わしい人の名は」は技巧はもとよりメロディーの美しさに酔ってしまいそうです。
音楽は美しいのですが、筋は陰惨です。道化師リゴレットが、娘を弄ばれたモンテローネ公のことを茶化し、そのモンテローネ公から呪いをかけられてしまい、結果、最愛の一人娘ジルダをマントヴァ公に弄ばれ、殺し屋にマントヴァ公を殺して欲しいと依頼したところが、ジルダが自ら赴きマントヴァ公の身代わりに殺される道を選び、その娘の死を看取って「呪いが成就した~」と歌って終わる、という何とも救われない筋です。リゴレットは宮廷道化師としての仕事をしただけなのに。。。いつの日かマントヴァ公は石像の騎士により地獄に落とされることになるでしょう。
今晩の救済はパリの観客でした。アリアの度に、デュエットの度に、喝采が叫ばれる。ここはパリか、イタリアか、というようなノリのいい客席に、筋もストも代役も関係ない満足感を得ることができたのでした。客席の一体感を楽しむことができました。
ヴァレンタイン・デーのリゴレット、マンゾクです。

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mardi, 29 novembre 2005

「トリスタンとイゾルデ」@バスティーユ

相変わらずの曇り空ですが、昨日ほどは重苦しくなく、時々雲の切れ間がのぞいたりします。少しだけほっとします。
今晩は、バスティーユ・オペラで「トリスタンとイゾルデ」を観てきました。昨シーズン観たのと同じ演出ですが、ゲルギエフの指揮ということで楽しみでした。
指揮:Valery Gergiev
演出:Peter Sellars
照明:James F. Ingalls
トリスタン:Clifton Forbis
マルケ王:Willard White
イゾルデ:Lisa Gasteen
クルヴェナール:Alexander Marco-Buhrmester
ブランゲーネ:Ekaterina Gubanova
メロート:Peter Eglitis

で、結論から言えば、これまで生で観た「トリスタン」の中で、一番陶酔的でした。楽曲自体、感動するというよりは興奮するといった方がいいような作りになっていますが、それをゲルギエフの指揮が見事に音楽化し、飛び抜けて優秀なのもいなければ全く駄目なのもいない粒ぞろいの歌手陣と溶け合って、この上ない美しさに仕上げられてました。第3幕で今日ほど退屈しなかったのは初めてです。
歌手の中では、マルケ王役のホワイト氏(ジャマイカ生まれの黒人)が頭一つ抜け出していました。第2幕でトリスタンとイゾルデの不倫現場を発見した後の苦悩に満ちたソウルフルな歌唱がよかったです。来年夏のエクス音楽祭で「指輪」のヴォータンを歌うそうで、見に行きたくなりました。
それと並んでブランゲーネ役のグバノヴァさんも大きな拍手喝采を浴びてました。
イゾルデ役のガスティーンさんは若干声が細いなぁ、と思い、プログラムを観てみたら、ジークリンデを歌ったりしているそうです。ただ、将来的にはブリュンヒルデも歌う予定があるそうで、今後の注目株かも知れません。分厚いオーケストラの音の隙間からしっかりきこえてくる清らかな声が素敵でした。
トリスタン役のフォービス氏には、第1幕、第2幕と正直がっかりしていたのですが、第3幕冒頭、劇場の人が舞台に現れて、「彼は風邪をひいている。が第3幕は最後まで歌い通す。」とアナウンスしてましたので、まあ、仕方ないか、といった感じです。ただ、第3幕のモノローグでは第1幕と第2幕の不調ぶりを感じさせない美声を、死の直前まで聞かせてくれました。
この「トリスタン」、ピーター・セラーズの演出なのですが、舞台装置は正方形の台があるだけです。ただ、その背景に大きなスクリーンが下がっていて、そこに映像が映し出されます。その映像、第1幕では男女がすっかり裸になって、水を浴びたり、顔を水につけたり、といった場面が展開され、第2幕では写実的な森の映像やら、幻想的・象徴的な男女の交歓の様子が映し出されたりします。第3幕で印象に残ったのは火の映像と、死んだトリスタンと思われる人物がフィルムを逆回しにより滝のように上がっていく水とともに昇天していく映像でした。プロモーションビデオを観ているような気分になったりしましたが、今日の席はその映像を正面からしっかりと見ることができる場所だったこともあり、大変に楽しめました。
視覚と聴覚を存分に刺激するプロダクションに圧倒され、お酒も飲んでないのに酔ったような気分で帰ってくることができました。大満足です。DSCN0215

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mardi, 01 novembre 2005

TOUSSAINTSのボエーム@バスティーユ

今日はトゥーサンのお休みです。
カトリックで全ての聖人をまとめてお祝いしてしまおう、という日であるらしく、日本のお彼岸と同じく、フランス人も菊の花を持って先祖のお墓に参るようです。この日を挟む前後2週間程度が学校のお休みになっていて、それに併せて職業人もヴァカンスを取るため、レストランは閉まり、道路・地下鉄はがらがらになります。
秋の空に輪郭のくっきりとした雲が時々日差しを遮って、西向きの我が家の窓辺が暗くなったりするため、肘掛け椅子の後ろからランプを付けながら読書三昧の午後を過ごしました。
そして、がら空きのメトロに乗って二度目の「ボエーム」に行って来ました。

LA BOHÈME
Opéra national de Paris
Mimi:Marina Mescheriakova
Musetta: Maria Fontosh
Rodolfo: Stefano Secco
Marcello: George Petean
Schaunard; José Fardilha
指揮:Daniel Oren
演出:Jonathan Miller
照明:Guido Levi

前回のボエームに比べ、若干散漫な印象を受けました。前回より少し舞台から遠い席だったせいもあり、こちらが二度目だ、ということもあったのでしょうが、やはりこのオペラ、ソプラノに大きな期待がある中、今回は前回以上に見事に裏切られました。
前回のミミも太かったですが、今回のミミはそれを通り越して丸かったです。「管理人の妻」が前回の印象であるならば、今回は語感からすれば「小結」といった感じでしょうか。前回、まだ自分が贅沢な不満を言っていたのだ、と思い知らされつつ、せめて歌声だけでも、と目をつぶりましたが、少しフラットなハスキーな歌声を最後まで許すことが出来ませんでした。こんなことを書けるのも、お金を払って見に行っているからです。
新国立劇場が彼女を呼ばないよう、切に祈ります。
ムゼッタは豊かな肢体をうまく使い、大きな喝采を浴びてました。
マルチェッロ役のピティーンは、声も堂々としつつ、第4幕では奇声をあげながら踊ったりして、人気者でした。
そして、ステファノ・セッコのロドルフォは、ヴィラゾンのロドルフォより美声を響かせてくれてマンゾクです。甘さより硬さの方が耳に付く声ではありましたが、詩人の繊細さがありました。もう少し小さなホールで聞いたら、また変わってくるのだろう、と思います。モーツァルトのオペラで軽いテノールを歌うところを聴いてみたくなるような人です。音程がしっかりしていて、ミミとのデュエットでは苦労していましたが、よくぞ歌い通してくれました。
それにしても、第1幕、ミミが登場した後、ロドルフォのアリアが始まる直前、劇場内に響き渡るくしゃみをした人がいました。ミミを見て諦めたのかも知れません。あのくしゃみ、ピットの中の連中が笑い崩れるくらい響きわたってました。その後も落ち着いていなかったので、風邪だったのでしょうが、それにしても。。。
で、崩れかけたオケでしたが、第4幕、ロドルフォとマルチェッロのデュエットに入る前のイントロで、ぞっとするくらいの鮮やかな色彩を描き出しました。今夜、一番感動した場面です。くしゃみとミミで崩れた今宵の宴を引き締めてくれました。あの音色を聴くことができただけで十分です。
祝日でも開いていたルーヴル地下のL'OCCITANEで購入したゼラニウムの香り(「再び前進して人生を楽しむ力を与えてくれ」る香り(エッセンシャルオイルブック、スーザン・カーティス著、双葉社)です。少し薔薇の香りに似ています。)に包まれて安眠し、明日からの仕事に備えます。

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samedi, 22 octobre 2005

ラ・ボエーム@バスティーユ

21日、バスティーユ・オペラ座でプッチーニの「ラ・ボエーム」を観てきました。
キャストは次のとおりです。
Mimi:Angela Marambio
Musetta: Elena Semenova
Rodolfo: Rolando Villazon
Marcello: Franck Ferrari
Schaunard; Jose Fardilha
指揮:Daniel Oren
演出:Jonathan Miller
20時開演で2幕と3幕の間に休憩が入り、終演は22時45分でした。

金曜夕方の渋滞に捕まり、また駐車に手間取ったため、駐車場に車を止めたのが開演5分前、切符をもぎってもらってから最上階まで駆け上り、開演前のベルが鳴り終えた時に何とかホールの中に入りました。
2階席最前列です。じっとりとした汗を感じながら、第一幕が始まりました。

音楽は最初から充実していました。
パリ・オペラ座管弦楽団は8年前とは明らかに違います。
どうしてこんなに綺麗な音が出るようになったのか。
金管楽器がへらへらと笑うような音を出していた時代が嘘のようです。
また、弦楽器の調和ぶりも凄い。
時々、ゾクゾクするような切り込み方をしてくれて、
身を乗り出してピットをのぞき込むこと、数度にわたりました。
指揮者及びオケに対する拍手も大変暖かかったです。

キャストで今日の一番人気はマルチェッロ役のフランク・フェラーリでした。
ロドルフォへの友情の掘り下げは今ひとつで、どちらかというとムゼッタへの嫉妬に狂う演技の方が目立ってましたが、艶やかな声の色と張りがすばらしい。同行した人は、色気を感じた、と言ってました。色気のあるバリトン、ほかにどういう役があるか、やがて研究していきたいです。
二番手がロドルフォ役のヴィラゾンです。
冒頭、ちょっとくぐもった声で、大変心配したのですが、第1幕のアリア「冷たきこの手」で最高音をぐぐっと引っ張ってからは調子に乗ってくれました。直後のブラヴォーのかけ声、拍手がなかなか終わらなかったです。
ただ、ある音域から上に行く時に声の出し方が変わるのがはっきりとわかり、声質も変わってしまいます。
彼の声量からすると、ちょっとホールが大きすぎるような気がしました。
ろうそくを吹き消す演技が派手だったりして、この部分も今後改善の余地がありそうです。
ルックス的にはヤンキー系です。この人、私、7月30日、ミュンヘンのオペラ・フェスティヴァルでの「ファウスト」でタイトルロールを歌っていたのを聞いたような気がします。
ミミのマランビオにはちょっとがっかり。体格が立派過ぎて、病気で死んでいくような気がしません。また、その体格に地味なミミの衣装がマッチすると、「アパートの管理人の奥さん」(同行者)のような風情を醸し出してしまいます。ルックスはさておくとしても、ヴィブラートが強すぎて、か弱いミミになりません。トスカであればよかったのに。ヴィブラートって、何か強い意志を感じてしまいます。運命を自分で切り開いていくような力を感じてしまいます。ミミのような運命に翻弄される役柄には今ひとつ。。。
ムゼッタ役のセメノヴァは金属質な高音が素敵でした。音程は今ひとつでしたが。グラマラスで色気を発散させる体格で、ムゼッタは当たり役になるかも知れません。
同行者によれば、ロドルフォがあそこで自分の貧乏のせいで、といって身をひかなければ、ミミにも違った人生があっただろうに、とのこと。恋は万病の薬かも知れませんね。

それにしても、久しぶりに文字通りのメロドラマを満喫しました。
バスティーユ広場そばのBofingerで食事を取り、パリ市内をドライブして帰ってきました。
満足度は10点満点の8程度でしょうか。
楽しかったです。
芸術の秋です。

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